エッセイ&特集

ずっと出会いたかった美しい歌~リヒャルト・シュトラウス『あした』

 

「探してはいけません。出会わなければ。」とドイツの名指揮者ルドルフ・ケンペが言っていました。
ここにご紹介する歌は、私にとってまさにそうした「出会い」のものでした。

ある日、何となくラジオのスイッチをいれたら、しずかに流れてきた聴いたことのない歌。

「ずっと出会いたかった歌は、もしかしたらこの曲かもしれない」
それがドイツの作曲家、R・シュトラウスの歌曲『あした』との出会いでした。

歌曲の世界への「入口」が見つからない

どんなことであれ、好きになるにはきっかけというか、とっかかりが必要だったりします。
今回は「歌曲」の入り口をご紹介したくて、私にとっての入口だったリヒャルト・シュトラウスの『あした』をテーマに選びました。

以前インフルエンザの高熱のなかでエルガーの交響曲を聴き続けて、あるフレーズに入口を見つけた話を書きましたが、私は何につけ入口が必要です。
しかも、一般的な入口とは違うところから入る癖があるようで、なかなか入口にはいつも苦労します。

そもそもクラシック音楽の入り口がブラームスのヴァイオリン協奏曲でした。
パッヘルベルのカノンとかではありませんでした。
「君はそこから入ってきたの?!」と言われるようなところから入ってきてしまいました。
これを中学校に入学したときに自己紹介カードへ書いたところ、吹奏楽部関係の先生たちがわざわざ私を見に来たくらいです。

クラシックの世界にはたくさんの歌があって、シューベルトを代表にモーツァルト、シューマン、マーラー、…大作曲家たちはそれぞれに歌を残しています。
それこそ多種多様な世界で、おそらく一生かかっても聴き終わらないであろう膨大な歌曲があります。
歌曲の王、シューベルトの歌などは入口としてはうってつけだと思います。
けれど、それは私の入り口ではありませんでした。

そうして、しばらくのあいだ歌の世界へ入っていけずにいました。
入口がうまく見つからない。
有名な歌をいろいろと聴いてはみるけれど、オーケストラ曲やピアノ曲ほどには自然に親しめない。
そして、何かもっとささやくような、そっと静かな歌が聴きたいとも思っていました。

そしてある日、ラジオからあの歌、リヒャルト・シュトラウスの『あした』が流れてきました。
まったくの偶然で、あの日NHK-FMで海外のコンサートを流していて、あれはたしかジェーン・イーグレンのソプラノ、マイケル・ティルソン・トーマス指揮サンフランシスコ交響楽団だったと記憶しています。

ラジオのスイッチをオンにしたら、ちょうど曲の冒頭が始まって、題名も何もわからない音楽が流れてきます。
しかも、こういう歌があったらいいのにと思っていた歌が、突然、目の前のラジオから流れてきたわけです。
ああいう瞬間は記憶に焼き付くもので、今でもあのときの光景、スピーカーの前で驚きつつもじっと耳をすましている自分の姿をはっきりと思いだすことができます。

クラシックの歌の世界、「歌曲」の世界への入り口が見つかった瞬間でした。

ラジオのいいところは、そうした「出会い」を与えてくれるところです。
聴きたいものだけを聴いていられる、見たいものだけを見ていられる、今はそういう便利な時代です。
合理的な世界、無駄のない世界。

でも、そういう環境にいると世界があまり広がっていかないのも事実で、その点、ラジオはこちらの意思や選択とは無関係に曲が流れてくるおかげで、予想もしていなかった出会いに恵まれる機会がたくさん与えられます。
ラジオを日頃からお聞きになる方は、きっと共感していただけるでしょう。
もちろん、こちらにはそれに付き合うだけの、心と時間の余裕がなければならないわけですが。

もしラジオで音楽を聴く習慣がなかったらと思うとゾッとします。
私はNHKのFM放送でほとんどの音楽に出会いました。今もそうです。
コンサート会場がいたるところにあって、近所で毎日コンサートが行われているような環境まではいっていない日本にあって、ラジオはクラシックと出会うとても貴重な場所です。
ラジオなしの人生だったら、何と味気なかったことでしょう。

リヒャルト・シュトラウスが新婚の妻のために書いた、繊細で静かな希望に満ちた歌曲

1864年ドイツに生まれたリヒャルト・シュトラウスが、30歳のころに、結婚の記念に作曲して新婚の奥さんに捧げた「4つの歌曲 作品27」。
そのおしまい第4曲が、ここにご紹介する“ Morgen! ”『あした』です。

シュトラウスの奥さんはもともと歌手でした。
この奥さんに関しては、「恐妻」としても当時から有名でした。
ハンガリー出身の名指揮者ゲオルグ・ショルティが若き日にリヒャルト・シュトラウスの自宅に招かれて作曲家本人から貴重なアドヴァイスをいろいろと教えてもらっていたところ、途中で「リヒャルトはそろそろ昼寝のお時間です」と奥さんが割って入ってきて追い出されてしまったという話もあります。

ただ、どうなんでしょう。
そうしたものはどれも第三者から見ての話しであって、シュトラウス本人にとっては、恐妻ではあっても別に嫌ではなかったんじゃないかと思います。
それは彼がたくさんの歌曲を生涯書き続けたということだけでなく、『家庭交響曲』や『英雄の生涯』などで奥さんを間接的に描いた箇所を聴いたときにも感じます。
強い奥さんが何だかんだで好きだったんじゃないのかと、彼の場合はそう思います。

美しい恋愛詩

『あした』は、もともとはピアノ伴奏ですが、シュトラウス自身によってオーケストラ伴奏の編曲版もあり、私が出会ったのはそちらの版です。
4分ほどの短く、静かな歌です。
詩はジョン・ヘンリー・マッケイという人のもの。

 

“そして明日、太陽はまた輝くだろう
僕が行く道で 再び僕たちは出会い
幸せになる
この太陽の輝きにみちた大地で

そして広く、青い岸辺に
僕たちはしずかにゆっくりと降りていく
僕たちは沈黙のなかで
お互いの目を見つめる
そして
ただ幸せだけが 僕たちをつつみこむ”

 

そういった内容の、短いけれど、完全な幸福感に満ちた恋人たちをうたった詩です。
そして、シュトラウスはこの詩に、それ以上何も望めないほど美しい音楽をつけてくれました。

1オクターブの狭い音域

前に歌曲の入り口が見つからなかったころ、「ささやくような、静かな歌が聴きたいと思っていた」ということを書きましたが、実際この歌は歌うというより、ささやくような、静かに語るような書き方をされています。
オペラ歌手が声を張り上げるような瞬間が、全くありません。

これはシュトラウスが本当にすごいことをしているのですが、オーケストラ版で言うと、ハープの伴奏がアルペジオで幅ひろい和音をひびかせて、ヴァイオリンのソロは静かではあるけれど跳躍をふくむ音が随所にちりばめられたメロディをずっと奏でているのに、主役であるソプラノは、実はあまり音が動いていないんです。

どれくらい動かないかというと、低い音から高い音までほぼ1オクターブしか使っていません。

ほぼ1オクターブというのがどれくらい狭いかというと、映画『ティファニーで朝食を』でオードリー・ヘップバーンが“ムーン・リバー”という歌を歌います。
特に歌手というわけではなかったヘップバーンが無理なく歌えるよう、映画音楽の大家ヘンリー・マンシーニが配慮して作曲したときに使った音域が、やはりほぼ1オクターブでした。

プロでなくても自然に歌えるくらいの音域。
その狭い音域のなかで静かに歌われることで、ささやくように優しい、歌うというよりは夢見るような音楽になっています。

解決しない和音のさざ波

そして、それらを支えるリヒャルト・シュトラウスらしい精妙な和音のつらなり。
和音がたゆたうというか、なかなか解決しません。

出だしこそ主和音が鳴っていますが、前奏のあいだ、いろいろな和音のあいだをゆれ動いて、いっこうに主和音にたどり着きません。
そしてそのまま、主和音にたどり着かないうちにソプラノが静かに“ Und morgen  … ”「そして明日…」と入ってきます。

それからようやく、歌が入って3小節目、“ scheinen ”「(太陽はまた)輝くだろう」という歌詞とともに初めて再び主和音に解決します。
詩のはじまりが“ Und ”「そして」という接続詞で始まっていることを尊重したからこそ、このような始まり方になったのでしょう。
歌詞をとても大切に扱った結果の、とても深い印象を残す歌い出しです。
さりげないけれど、大家の繊細さが感じられて大好きな箇所です。

音楽はどこまでも美しいのに、単純に純粋には響かず、常にどこかに濁りがあって、解決しそうでずっと解決しないまま漂う和音のさざ波。
そのどこまでも続いていく和音の波は、寄せてはかえす海の波のように、ひとつの「永遠」を示唆していて、まさに詩のなかの恋人たちの海辺のようです。

Langsam(ゆっくりと)と指定された音楽はp(弱く)で始まり、そのまま静かに流れて、ひとつのクレッシェンドもなく、あるのはデクレッシェンドとpp(とても弱く)、そしてわずかに2回“ruhig”(静かに、穏やかに)という指示がソプラノに出てきて、やがて、静かなコーダのなかにそっと消えていきます。

ピアノが弾ける方は、是非、伴奏のピアノを弾いてみてください。
名伴奏者だったジェラルド・ムーアは、この曲について「コワレモノにつき取り扱い注意!」と言っています。
まさにその通りです。
繊細極まりない音の世界を体験することができます。
そして、この歌ではいかに伴奏が音楽的に重要な役割を担っているかもわかるはずです。

この曲はたいへん人気のある曲なので、録音も山積みです。
たいていの歌手は歌っているといってもいいくらい、実にたくさんの録音があります。
ここでは、あえて1つだけ録音をご紹介します。

モーツァルト&シュトラウス歌曲集
クリスティーネ・シェーファー(S)
マリア・ジョアオ・ピレシュ(piano)
クラウディオ・アッバード指揮ベルリン・フィルハーモニー

 

『あした』を聴くために、最初に手に入れたアルバムがこれでした。
これがとっても素晴らしいディスクでした。

このアルバムで歌っているのはドイツのソプラノ歌手クリスティーネ・シェーファー。
彼女の歌は、歌い方のスタイルとしてはすっきりしているのですが、声にどこかやわらかな奥行があって、やさしく包み込まれるような響きを持っています。
いつまでも聴いていられる、ずっと聴いていたくなる声です。

これは彼女のメジャー・レーベルでのデビュー盤で、伴奏はすべてクラウディオ・アッバード指揮ベルリンフィルハーモニー、途中のモーツァルトの歌曲では、名ピアニストのマリア・ジョアン・ピレシュがオブリガートで参加するという、超豪華メンバーでの録音でした。
それだけ力を入れて制作されたアルバムだけあって、結果出てきたものも、そうそうある歌曲アルバムではありません。

歌手の名人芸を華やかに楽しむアルバムというより、選曲といい音楽のつくり方といい、全体的にどこか郷愁を誘うような淡い響きに彩られていて、抒情性にあふれたアルバムになっています。

考え抜かれた秀逸な選曲、そして曲順

歌のアルバムは特にそうなのですが、ある曲が目当てで買っても、その他の曲がいまいちだったり、だからといって聴きたい曲だけが詰まっているオムニバス形式のアルバムというのも意外とつまらなかったりして、なかなか難しいものです。

このアルバムのすばらしい点のひとつは、聴きはじめるとおしまいまで1枚まるまる聴かずにいられないというところです。
曲順を決めたのが、ソプラノのシェーファー自身なのか、あるいは指揮者のアッバードとも入念に話し合って決めたのかはわかりませんが、二人ともプログラミングに独自のアイディアのある音楽家なので、さすがの秀逸な選曲と曲順になっています。

前半はモーツァルトの歌、後半はシュトラウスの歌とわけられています。
モーツァルトでは2曲目に有名な『エクスルターテ・ユビラーテ』が、4曲目にピアノ・オブリガートがつく『イドメネオ』への追加曲が配置されています。
マリア・ジョアオ・ピレシュのピアノは美しさがさえわたっています。
モーツァルトのなかにも、そうしたピアノつきのものを加えることで響きの面でも変化と工夫がなされていて、まず飽きるということはありません。
今回はシュトラウスの歌曲がメインなのですが、このモーツァルトも大変すばらしい出来栄えでお薦めです。

そして、シュトラウスの歌が懐かしく始まる

そうして一連のモーツァルトの歌が終わると、そっとR・シュトラウスの子守歌が始まります。
何度聴いても「あぁ、なんてなつかしい音楽なんだろう」と感じるところです。

19世紀のモーツァルトが終わって、あたらしい20世紀のシュトラウスが始まると懐かしくなるというのは、一見矛盾しているのですが、何度聴いても同じ感覚を覚えます。
そして、それが本当に心地よく、久しぶりに昔なつかしい友だちに出会ったときのような情感が、そっとこみ上げてきます。

その感覚を味わいたいのもあって、わたしはどうしてもこのアルバムは途中から聴くということができません。
必ず最初から聴いてしまいます。
もちろん、前半のモーツァルトが出色のすばらしさであるおかげで、それができるわけです。

美しいモーツァルトの、少し人懐っこいような歌に魅了されていると、いつの間にか始まるリヒャルト・シュトラウスのロマンティックな、そして不思議なくらい懐かしい『子守歌』。
脱帽の選曲です。

シュトラウスの歌は『子守歌』、『ばらのリボン』、『愛の賛歌』、『小川』とつづいて、このアルバムの最後に『あした』が来ます。
シュトラウスの歌のなかでも、穏やかで柔和なものが選ばれていることと、シェーファーの決して声をはり上げない歌い方のおかげで、シュトラウスの一連の歌をまるで夢のなかにいるかのように、うっとりと聴き続けることができます。

この曲順も素晴らしくて、『愛の讃歌』でひとつのささやかな頂点が築かれています。
頂点とはいってもかなり控えめですが。

『子守歌』で静かに始まったシュトラウス歌曲は、『ばらのリボン』で少しクレッシェンドして、『愛の賛歌』へ。
そこを中央にして、今度はシンメトリーに音楽がデクレッシェンドをはじめ、『小川』で穏やかな流れになって、最後にどこまでも静かな『あした』へ。

その『あした』が始まった瞬間、このわずか4分にも満たない歌曲が、このアルバムの到達点だったんだという感動に包まれます。
そうして、この歌がppで静かに終わるとき、このアルバム自体も静かに終わるという構成。

私は歌のアルバムから1つ好きなものを選べと言われたら、間違いなくこれを選びます!
それくらい、私にとっては特別に好きなアルバムで、すべての歌が心の奥にまで届いてくる、宝物のような録音です。

もっと評価されるべき傑作アルバム

この録音をさらに格別なものにしているのは、何といってもアッバードとベルリン・フィルの伴奏の素晴らしさです。

シュトラウスの歌曲は、歌の伴奏としては比較的大きな編成のオーケストラ伴奏にのって歌われるのに、伴奏のオーケストラが非常にやわらかい音で、常に優しい表情で支えています。
ある意味では室内楽的な響きと言っていいのかもしれないけれど、声に寄り添う伴奏が実に柔和で、美しいです。
そして、オーボエが様々な曲でとても印象的です。
首席奏者のシェレンベルガーが吹いていたのでしょうか。
オーボエというのは奏者によって随分響きがちがう楽器ですが、太めの響きでとっても温かな音色で歌っています。

この録音は、クラウディオ・アッバードのたいへんに優れた仕事のひとつとしても、もっともっと評価されていいものです。

AppleMusic↑、Amazon MusicSpotify、LLineMusicなどで聴くことができます。
CDはどうやら廃盤になってしまっているようですが、画像をAmazonの商品ページにリンクしてありますので、マーケットプレイスの中古を探してみてください。

 

これほどの素敵な録音が、まったく残念なことです。。。
JAN番号が「4988005213631」ですので、Amazon以外では、そちらの番号で検索してみてください。

もしこの録音が一般には忘れられてしまっているのだとしたら、ここでこうして記事にした意味も多少はあったのかなと思います。

『明日』、フェリシティ・ロット

今回ご紹介した“Morgen”『明日』は恋愛詩であるものの、その希望にみちた内容と「明日」という題名もあって、様々な機会で希望を象徴する曲としても歌われます。

近年では、東日本大震災のあとの、イギリスの名歌手フェリシティ・ロットが思い出されます。
震災からまだ1か月ほどしか経っていない時期。
あの当時は原発の問題などで、ほとんどの海外ミュージシャンが日本公演を一斉にキャンセルしていたなかで、彼女は予定通りに来日しました。
そして、「日本の復興への願いを込めて」とアンコールにこの『明日』を歌いました。
“Lott Morgen”で検索すると映像がどこかにあがっているかもしれません。

幸せなときも、大変なときも一緒にいてくれる歌。

 

 

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