シリーズ〈交響曲100の物語〉

シューマン:交響曲第3番変ホ長調「ライン」~小さな試聴室【交響曲100の物語】

 

シリーズ〈交響曲100〉の第40回。

今回は、シューマンにとって最後の交響曲になった、交響曲第3番変ホ長調 作品97「ライン」 Sinfonie Nr. 3 Es-Dur op. 97 “Rheinische”をテーマにお届けします。

「ライン」というのはシューマン自身の命名ではありませんが、この音楽が実際にあたえる印象を見事に言い当てていて、広く浸透しているニックネームとなっています。

 

シューマン18歳の手紙

 

老いて堂々とした父なるラインの初めて見せる光景を、冷静な心全体で受け止めることができるように、ぼくは目を閉じました。

それから目を開いてみますと、ライン川はぼくの前に古いドイツの神のようにゆったりと、音も立てず、厳粛に、誇らしげに横たわり、それとともに、山や、谷のすべてがぶどうの楽園である、花が咲き緑なすラインガウのすばらしい全景が広がっていたのです。

『シューマンとロマン主義の時代』マルセル・ブリオン (著), 喜多尾道冬 (翻訳), 須磨一彦 (翻訳)国際文化出版社(Amazon)

これは、1829年5月、シューマン(Robert Schumann、1810-1856)が18歳のときの手紙です。

母ヨハンナにあてたもので、ライン川を初めて目にした感動をつづっています。

 

この頃のシューマンは、まだ音楽家になる決心ができておらず、母親の望む法律の勉強を迷いながらも続けていました。

彼が音楽家になる決心をするのは、天才ヴァイオリニスト、ニコロ・パガニーニ(Niccolò Paganini, 1782-1840)の演奏を聴いた19歳から20歳にかけてのころと伝わっています。

 

後年のシューマンが、このライン川を初めて見たときの感動の手紙のことを、どれほど覚えていたのかは定かではありませんが、それにしても、彼が最後に書いた交響曲第3番変ホ長調「ライン」が与える印象と、これ以上ないくらい的確に一致しているように思えて、強い印象を残す手紙です。

音楽家としての入り口に立つ直前のころのライン川への感動が、潜在的であれ、彼の最後の交響曲の主題として表れたとするなら、実に不思議な、そして、心をゆさぶられる巡り合わせです。

 

 

ライン地方とシューマン

 

シューマンがこの曲を書いたのは、1850年、シューマンが40歳になる年のことでした。

この年、それまで住んでいたドレスデンを去って、彼のことを楽長としてむかえてくれるデュッセルドルフへと、シューマン夫妻は移住しました。

 

その華やいだ気分、さらには、風光明媚なライン地方の光景が、シューマンにあたらしい交響曲作曲の火をつけたようで、移住の年の11月から12月にかけて、ほぼ1か月間でこの傑作はいっきに書きあげられました

 

ケルンでみた儀式

 

交響曲を作曲する、いちばん直接的なきっかけとなったと伝えられているのが、あの有名なケルン大聖堂でおこなわれた、ケルン大司教の枢機卿就任式と伝えられています。

この頃のケルン大聖堂は建設途中で、天に向かう2つの尖塔はその姿をまだ見せていなかったかもしれません。

 

ケルン大司教の枢機卿就任式をシューマンが直接見たかどうかについては、研究者のあいだで議論がわかれているようですが、その前後の時期にケルン大聖堂を訪れているのは確かなようで、その体験があたらしい交響曲のインスピレーションの源泉となったようです。

 

そうして生まれた新しい交響曲は、その第4楽章に、当初は「厳粛な儀式の伴奏のような性格で」と書き込まれていた短い楽章を持つこととなり、シューマンとしては初めての「5楽章」のものとなりました。

その短めの第4楽章が、フィナーレ第5楽章への序奏もかね、さらには、この第4楽章の主題が第5楽章のなかでも使用され、クライマックスを形づくるなど、この交響曲の構成面での大きな特徴となりました

 

こうした特徴は、後のマーラーの交響曲第5番嬰ハ短調への影響を感じさせて、とても興味深いものです。

 

 

ベートーヴェンのエコー

 

これといった前奏もなく、冒頭からすぐに「主題」を提示する手法、それから、曲の調性が「変ホ長調」である点などから、おおくの研究者が、この曲にベートーヴェンの交響曲第3番変ホ長調「英雄」♫ 鑑賞ガイド )の影響を指摘しています。

ホルンが非常に目立って活躍する点も、ベートーヴェンの英雄交響曲を彷彿とさせます。

 

また、シューマンは、この曲で初めて伝統的な4楽章制を採らず「5楽章」の交響曲としたところから、やはり5楽章制であるベートーヴェンの交響曲第6番ヘ長調「田園」♫ 鑑賞ガイド )が、直接的であれ間接的であれ、影響していると考えられています。

「5楽章」のスタイルをもち、さらには、最後の第5楽章の音楽的性格も考えると、ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」→シューマンの交響曲第3番「ライン」→マーラーの交響曲第5番嬰ハ短調という、交響曲の歴史の流れをみてとれるかもしれません。

 

 

ブラームスが来る

 

番号順でいえば次の作品にあたる「交響曲第4番」 ♫ 鑑賞ガイド )は、これより前の1841年にオリジナル版が完成されていますので、実施的に、1850年の交響曲第3番変ホ長調「ライン」が、シューマンにとって最後の交響曲となりました。

 

この交響曲第3番「ライン」が書かれてから3年後の1853年、日本では黒船とともにペリーが来航して大騒ぎになりますが、ドイツでは、シューマンのもとをひとりの若き天才が訪ねてきました。

それが、当時、若干20歳のヨハネス・ブラームス(Johannes Brahms、1833-1897)です。

 

音楽史のなかで、このシューマンとブラームスの出会いほど、重要で幸福なものは他にあまりないでしょう。

ブラームスの才能にすぐに気づいたシューマンは、「新しい道」と題する評論を書いて、ブラームスを世間にひろく紹介しました。

 

シューマンという人は、大作曲家たちのなかでも、審美眼が群を抜いて優れていたひとです。

埋もれていたシューベルトの交響曲第8番「ザ・グレイト」♫ 鑑賞ガイド )の価値をすぐに見抜いたのもシューマン。

無名だったショパン(Frédéric François Chopin、1810-1849)を「諸君、脱帽したまえ。ここに天才がいる」といち早く評価したのも、やはりシューマンでした。

そして、今度はブラームスという天才を発見したわけです。

 

ただ、残念なことに、このブラームスとの幸福な出会いのころ、すでにシューマンの精神状態は危機的な状況に近づきつつあって、ブラームスとの出会いから半年もたたないうちに、シューマンは自分を精神病院へ入れるように主張、そして、その翌日には、ライン川へ投身自殺をはかってしまいます。

さいわい、漁師たちに救助されて一命をとりとめたものの、それから2年後の1856年、46歳の若さで亡くなります。

 

ブラームスは、シューマンへの恩義を忘れることはなく、その後もシューマンの家族、とりわけ奥さんのクララ・シューマンと深くかかわっていくことになります。

交響曲の作曲についても、ブラームスは、シューマンへの尊敬を感じさせる面がいろいろとあります。

それはいずれ、ブラームスをご紹介するときに。

 

🔰はじめての「ライン」

 

ロマン派の交響曲は、フィナーレにその音楽的頂点が置かれることが多いですが、この曲については、なんといってもまずは第1楽章、曲の冒頭から耳を傾けてみてください。

 

 

この雄大な冒頭部。

曲の冒頭から聴く者の心をストレートにつかむ、非常に印象的な出だしです。

 

この第1主題を聴くだけでも、この音楽に触れる意義、価値があります。

 

第1楽章に親しんだあとは、ケルンの儀式からインスピレーションを得たという第4楽章と、それにつづくフィナーレの第5楽章を聴いてみてください。

このフィナーレでは、18歳のシューマンが「山や、谷のすべてがぶどうの楽園である、花が咲き緑なすラインガウのすばらしい全景」と呼んだものが、まさに音となって描かれているようです。

 

このYouTube動画の演奏は、旧東ドイツの黄金コンビ、フランツ・コンヴィチュニー(1901-1962)指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団による1960年の録音。

このコンビによるシューマンの交響曲全集は、第1番から第4番に至るまで、どれもたいへん立派。

素晴らしい音の遺産をのこしてくれたことに、こころから感謝したい録音。

 

 

私のお気に入り

 

《カール・シューリヒト指揮パリ音楽院管弦楽団》

カール・シューリヒト(Carl Schuricht, 1880-1967)という指揮者は、その個性をひとことで言い表しにくい、興味深い指揮者です。

玄人好みの巨匠というか、他の指揮者の演奏をいろいろと聴いてから接する方が、このひとの面白さ、凄さがよくわかる気がします。

ここでご紹介するシューマンの録音も、ほかの誰にも似ていない、それでいて、シューマンの音楽が自然に、生き生きと鳴り出しているような演奏です。

得も言われぬ魅力にあふれていて、一度その魅力につかまれると、何度も聴かずにいられない演奏が刻まれています。

音楽の達人と言いたくなる演奏

( Apple Music↑ ・ Amazon Music ・ Spotify ・ Line Music などで聴けます)

 

 

ベルナルト・ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

オランダの名指揮者ベルナルト・ハイティンク(Bernard Haitink, 1929-2021)が手兵のアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(現在のロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団)と残した数多くの録音のなかでも、出色の魅力を放っている録音。

変わったことをするコンビではないので、あくまで正攻法。

この名門オーケストラと穏やかなる名指揮者が、最上級にブレンドされ、熟成された音色でもって、作品のもつ豊かな音楽を歌い上げています

こういう性格の名演奏なので、できれば、西ドイツ初期盤や1990年前後までの、音のとびきり良かった頃のCDで聴きたい演奏です。

( Apple Music↑ ・ Amazon Music ・ Spotify ・ Line Music などで聴けます)

 

 

ダニエル・バレンボイム指揮シカゴ交響楽団

現在も活躍中のバレンボイムには、シュターツカペレ・ベルリンとの新しい録音もありますが、アメリカ最強の楽団といわれたシカゴ交響楽団の良さがストレートに出た、この旧録音には独自の魅力があり、聴きごたえがあります。

若々しいという表現がぴったりの、颯爽たる演奏になっていて、特にフィナーレに、このコンビの美点が発揮されているように感じます。

( Apple Music↑ ・ Amazon Music ・ Spotify ・ Line Music などで聴けます)

 

 

ロベルト・ヘーガー指揮バンベルク交響楽団

これはちょっと珍しい指揮者の珍しい録音です。

ロベルト・ヘーガー(Robert Heger, 1886-1978)は、あのラヴェルの「左手のためのピアノ協奏曲」の世界初演でも指揮をとったドイツの指揮者。

このバンベルク交響楽団との録音を聴く限り、朴訥な、実直な指揮者だったようです。

とってもローカルな香りがするというか、楽団の音のあたたかさがじんわりと伝わってきて、そのゆったりとしたテンポと相まって、素朴なシューマンをあじわうことができます

( Apple Music↑ ・ Amazon Music ・ Spotify ・ Line Music などで聴けます)

 

 

ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮シュターツカペレ・ドレスデン

NHK交響楽団の指揮者としてお馴染みだったヴォルフガング・サヴァリッシュ(Wolfgang Sawallisch, 1923-2013)の代表的名盤です。

端正な、けれども、当たり障りのない演奏に終始してしまうときもあれば、このシュターツカペレ・ドレスデンとのシューマンの全集のように、どこか熱っぽく、求心力あふれる演奏を展開するときもあって、なかなか不思議な方でした。

私が実演で聴いたときは、前者の演奏ばかり。

どのコンサートもあまり記憶に残っていないのが残念です。

このシューマンを聴くたびに「こういうサヴァリッシュを体験したかった!」と思います。

( Apple Music↑ ・ Amazon Music ・ Spotify ・ Line Music などで聴けます)

 

りなみに、オンラインでは、サヴァリッシュがフィラデルフィア管弦楽団とのこした、新しいシューマンの交響曲全集もリリースされています。

これは、おそらくCDでは出ていない録音だと思います。

サヴァリッシュのファンの方は、こちらもどうぞ。

( Apple Music↑ ・ Amazon Music  などで聴けます)

 

 

サー・ロジャー・ノリントン指揮タピオラ・シンフォニエッタ

おしまいに、こちらはYouTubeで公式に配信されている動画で、比較的、小ぶりなオーケストラによる演奏を。

昨年引退したイギリスの名物指揮者サー・ロジャー・ノリントンがフィンランドのタピオラ・シンフォニエッタを指揮したもの。

ユーモラスな名指揮者ノリントンが、シューマンの音楽の「愉悦」をあざやかに浮かびあがらせます

 

室内楽的親密感と音楽の自然なスケール感がここちよい、しあわせなシューマン。

「いい曲でしょ?」と客席を振り返るノリントンに、楽章が終わるたび、会場から拍手が巻き起こっています

 

 

 

♪お薦めのクラシックコンサートを「コンサートに行こう!お薦め演奏会」のページでご紹介しています。

判断基準はあくまで主観。これまでに実際に聴いた体験などを参考に選んでいます。

 

♪実際に聴きに行ったコンサートのなかから、特に印象深かったものについては、「コンサートレビュー♫私の音楽日記」でレビューをつづっています。コンサート選びの参考になればうれしいです。

 

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