シリーズ〈交響曲100の物語〉

【初心者向け:交響曲100の物語】ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調『英雄』

 

シリーズ《交響曲の名曲100》、その第20回。

このシリーズでは、「交響曲」という形式で書かれたクラシック音楽の数々から、名曲をピックアップ。

クラシック初心者・入門者でも親しみやすいように、曲にまつわるエピソードや聴きどころ、お薦めの音源もあわせてご紹介しています。
また、後半では、オンライン配信でアクセスしやすいものを中心に、音源紹介していきます。

 

さて、節目の第20回は、音楽史の節目にもなったベートーヴェンの『英雄』交響曲です。

偶然、節目にこうした傑作のなかの傑作がやってきて、なるほど、王は玉座を求めるものなんだなと感心しています。

初めは受け止めきれないかもしれない

この曲に最初から魅了される人は、そうとうセンスの良い人だと思います。

私は小学6年生のときにCDで初めて聴きましたが、正直、よくわかりませんでした。

 

聴いてみようと思ったきっかけは、小学校の担任の先生がクラシック音楽を好きな男の先生で、ベートーベンがナポレオンをテーマにして作曲した『英雄』っていう音楽があるんだと、何かのときに話してくださったこと。

先生の話し方が上手だったのか、すごく興味を惹かれて、お小遣いで安いCDを買ってきました。
当時は、よくホームセンターの隅っこなどにCDコーナーがあって、クラシックの安いCDがそこそこ売られていました。

 

期待して聴いてみましたけれど、さっきも書いたとおりで、よくわからなかったです。

これが、いつしか段々と好きになって、気づいたときには、自分にとってかけがえのない、大切な音楽になってしまうのだから、クラシック音楽、ベートーヴェンの音楽というのは凄いものです。

 

『英雄』はとにかくよく演奏されるし、耳にする機会がとても多い作品のひとつです。
私はそうして何度も接しているうちに、まず第4楽章に夢中になりました。

ですので、これからここでご紹介して、何人かの方は実際に音を聴いてくださるかもしれませんが、すぐに好きになれるかと言われたら、何とも言えません。
それくらい受け止め難い「巨大さ」を持っている音楽でもあります。

時間をかけて、この音楽と向き合ってみてください。

 

「英雄」とはだれのこと

“火縄く(1789)すぶるバスチーユ”の語呂合わせもある通り、1789~1795年にフランス革命が起きます。
これは人類の歴史で、今のところ最も大きな革命なんだそうです。

まさに当時、ヨーロッパにいたベートーヴェンも、その歴史の転換点のなかにいました。

そして、その革命の思想に共感をいだいたベートーヴェンは、まさにそうした精神を持つ交響曲を作曲します。

 

そうして完成した交響曲は、このフランス革命のなかで登場してきた英雄、ナポレオン・ボナパルトに捧げられる予定でした。
つまり、この曲の『英雄』というのは、ナポレオンのことを指しています。

ところが、ナポレオンはほどなく皇帝に即位。

王族貴族を打ち破った英雄的市民ナポレオンが、やはり自分も王になってしまったという知らせに、ベートーヴェンは愕然とし、激怒したと伝えられています。

 

 

ベートーヴェンは即座にナポレオンへの献呈を取りやめ、『ボナパルト』としていた題名をペンで消して、“ Sinfonia eroica, composta per festeggiare il sovvenire d’un grand’uomo ”、『英雄交響曲、ある偉大な人物の思い出に捧げる』と題名を書きなおしました。

 

ただ、現在はこの有名な経緯について、研究者によって見解がまちまちになってきていて、単純に献呈先を変えただけではないかと推測する学者さんもいるそうです。

 

エロイカ的飛躍

作曲の経緯がどうであれ、重要なことは、この第3番の交響曲でベートーヴェンがたいへんな飛躍を成し遂げたということです。

交響曲第3番は『英雄』、イタリア語で“ エロイカ ”と題されているので、こうした大きな飛躍を「エロイカ的飛躍」と形容したりします。

 

この交響曲は、前回ご紹介した交響曲第2番(1802年に作曲)から、わずか2年しか過ぎていない1804年に書き上げられました。

楽器編成はわずかにホルンが1本多くなっただけ。

ですが、演奏時間は前の2曲の交響曲が全4楽章で30分ほどだったのに対して、この交響曲第3番は同じ全4楽章でも演奏時間は50分前後に拡大されています。

当時も前代未聞の巨大さだったでしょうし、実際、シンコペーションのリズムがむずかしくて、当初はオーケストラが途中で止まってしまってやり直したりするほど演奏困難だったようです。

 

英雄、ベートーヴェン

献呈先がナポレオンであれ、あるいは最近の研究で指摘されているような他の軍人であれ、ベートーヴェンにとって大きな飛躍が起こるタイミングで、「英雄」という題材が選ばれたというのは決して偶然ではないでしょう。

 

誰かしらモデルがいたにせよ、ベートーヴェン自身のなかに、英雄的な気概がうずまいていたということ。

つまり、そこにどんな鏡があったにせよ、映し出されていたのはベートーヴェン自身だったというのが、私がこの音楽から強く感じるところです。

 

仮にベートーヴェン本人はナポレオンをたたえるつもりで書いていたとしても、実際には、ナポレオンのなかに自分の理想を重ねていたのであって、そうして書かれた音楽の中にナポレオンは見当たらず、ただ、ベートーヴェンがいるわけです。

 

🔰初めての『エロイカ』

全4楽章で50分前後という、初心者には巨大すぎる交響曲です。

私は交響曲でとまどったときは、まずはフィナーレから親しむことにしています。
なぜなら、たいていの交響曲は最後の楽章に、作曲者の本音、自由な発想がうずまいているからです。

 

この曲も初心者の人は、まず第4楽章から聴き込んでみましょう。

この前代未聞な大交響曲をしめくくるにあたって、革命児ベートーヴェンは第4楽章を「変奏曲」「フーガ」「ソナタ形式」という3つの形式を融合させた壮大なものにしました。

ただ、そうした難しいことは抜きにして、表情の移り変わりがいちばんはっきりとしていて、ベートーヴェンの多彩な表現のパレットが次から次へと展開される、凄いフィナーレになっています。

 

フィナーレに親しんだあとは、英雄的なスケルツォである第3楽章、音楽的な深さで頂点を持っている第2楽章の葬送行進曲へと進んで、最後に、巨大な第1楽章へ。
そして、実は聴けば聴くほど、抜け出せなくなる魅力を秘めているのがこの第1楽章だったりします。

でも、初心者はまずフィナーレから、さかのぼって聴いてみましょう。

 

ベートーヴェン本人にとっても自信作

作曲当初に自信があったというだけならまだしも、後年、すでに功成り名を遂げたベートーヴェンが、その数ある交響曲の傑作をふりかえって、自分ではどの作品を代表作と考えているかと質問されたときに「エロイカだ!」と即答したというエピソードが残っています。

実際、これはベートーヴェンの交響曲を聴き込めば聴き込むほど、納得させられるはずです。

全9曲の交響曲に順位をつけるなんて、ベートーヴェン本人以外にはおそれおおくて出来ないことですが、ただ、他の交響曲と比べなくても、その曲想と展開、スケールの大きさと相反する室内楽のような筆致の充実は、天才ベートーヴェンでもそうは書けなかったであろう音楽になっています。

 

君たちはどう生きるか

一説によれば、ベートーヴェンは献呈を取りやめたりしたものの、その後も、ナポレオンへの敬意そのものは失わなかったということです。

 

ナポレオンは、後にチャイコフスキーも曲の題材にした1812年のロシア遠征失敗を機に没落していくわけですが、『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎 著)には、捕虜となったナポレオンを乗せた船がイギリスの港で停泊した際のエピソードが紹介されています。

 

外の空気を吸おうと、ナポレオンが思いがけず船の甲板へ姿をあらわすと、その瞬間、その船を一目見ようと集まっていた数万の人々は一斉に静まり返り、誰からともなく次々と脱帽して、今は囚われの身となった「英雄」に敬意を表したんだそうです。

もしかしたら、ベートーヴェンもそうした気持ちでいたのかもしれません。

 

 

私のお気に入り

ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団
ブックオフで投げ売りされていたCDを、偶然見かけて出会った名演奏。
初めて聴いたときに大きく衝撃を受けて、何度聴いてもその衝撃が繰り返されます。

セル(1897-1970)はハンガリー出身の大指揮者で、オーケストラの外科医と称されたほど、精緻な芸術性で著名だった巨匠です。

アメリカのクリーヴランド管弦楽団を世界一流の楽団に仕上げたことでも功績が残っています。

その黄金コンビによるベートーヴェンの『英雄』は、緻密にして壮大、大胆にして繊細。
「完璧」という言葉にふさわしい正確無比なアンサンブルが繰り広げられているのに、人間的な歌と音色の温かさがあって、すべてが有機的に絡みあっています。

人間にはこんなことも可能なんだと教えられました。
( Apple Music↓ ・ Amazon Music ・ Spotify ・ Line Music などで聴けます)

私が今も大切に持っているCD-BOXはこちらの画像(Amazonにリンクしてあります)のもので、これは今からでも中古で比較的容易に手に入ります。
ずっと持っておいていいCD。
全9曲が入って、中古だと2000円前後が相場です。

 

 

アルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC交響楽団
トスカニーニ(1867-1957)は私たちが録音で接することができる最も古い世代の音楽家のひとり。
レオンカヴァレロの歌劇『道化師』、プッチーニの『トゥーランドット』、レスピーギの交響詩『ローマの祭り』などは彼が初演した作品です。

80歳のころでも階段を1段抜かしで歩いていたというほど長寿で健康だったため、私たちはその伝説の演奏家の音をこうして聴けるわけです。

イタリア人らしい「歌」にあふれながらも、速めのテンポで情感をストレートに打ち付けていきます。

私が初めて『英雄』に夢中になったのも、ラジオから流れて来た彼の演奏を聴いたときでした。
彼には『英雄』の録音がいくつか残っていますが、ここでは1939年の歴史的なベートーヴェン全曲演奏会のライブ録音を。
( Apple Music↓ ・ Amazon Music ・ Spotify などで聴けます)

 

 

ウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィル
フルトヴェングラー(1886-1954)は、20世紀最高の指揮者とたたえられるドイツの巨匠。
彼が練習会場に姿を見せただけで音が変わったという証言があるほど、伝説的な存在です。

彼が残した名録音のなかに、熱心なクラシック音楽ファンが一生懸命さがす名盤、“ウラニアのエロイカ”というものがあります。

これはウラニアという会社から出た、フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルが1944年12月19日に演奏した『英雄』のライブ録音のレコードのこと。
このレコードは諸事情で非常に短期間で販売が停止されたために、オークションで数十万円で取引されるほどの、幻の名レコードとなっています。

ここでご紹介するのは、そのウラニアのエロイカ同じ、1944年12月19日の演奏会のライヴを別の会社が出しているものです。

その音楽の深さと大きさに圧倒される、歴史的録音です。
( Apple Music↓ ・ Amazon Music などで聴けます)

 

 

 

カルロ・マリア・ジュリーニ指揮ロサンゼルス・フィルハーモニー
ジュリーニ(1914-2005)はイタリア出身の名指揮者。
私が特に実演で聴いてみたいとずっと思っていた指揮者でしたが、たいへんな愛妻家で、晩年は病気の奥さんのもとへいつでも帰れる距離でしか仕事を受けなかったため、日本へはいらっしゃいませんでした。

そうしたなかで「指揮したいときに来て、指揮したい曲をとりあげてくれればいい」という破格の条件で音楽監督の要請をうけて誕生したロサンゼルス・フィルとのコンビは、いくつもの素晴らしい録音を残しました。

厳格な構築性とやわらかな響きが共存しているのが、このコンビの凄いところで、この『英雄』はその代表的な録音のひとつ。

彼らには素晴らしい映像作品もいくつかあるはずなんですが、どういうわけかDVD化やBlu-ray化が一切されないまま今日に至っています。
もし関係者の方いらっしゃいましたら、商品化を何とか、ぜひともご検討おねがいします。
( Apple Music↓ ・ Amazon Music ・ Spotify ・ Line Music などで聴けます)

 

ロジャー・ノリントン指揮SWRシュトゥットガルト放送交響楽団
ノリントンは1934年イギリス生まれ、昨年2021年に引退した名指揮者。
音楽が作曲された当時の響きを重んじる“ 古楽 ”の分野のパイオニアのひとりで、そのユーモラスな音楽性で人気がありました。

古楽のエキスパートだった彼は、1998年から現代楽器の名門シュトゥットガルト放送交響楽団の指揮者にもなって、楽団に一時代を築きました。

ここでご紹介するライブ映像は2018年の演奏会のもので、オーケストラが公式に公開しているものです。
オーケストラとの相思相愛ぶりが見ていてわかります。
そして、ヴィブラートを抑えた澄んだ響きによる古楽アプローチで、テンポもすっきりとして、いかにもノリントンらしい明るさがあります。

この人の凄いところは、音楽が軽い足取りを持っているのに、軽々しくはならず、むしろ、構成が強固なところです。
ここでも、実に立派な『英雄』を描いています。

第2楽章のクライマックスなんて、胸にささるような美しさがあります。

 

 

クラウディオ・アッバード指揮ルツェルン祝祭管弦楽団
アッバード(1933-2014)は20世紀の終わりから21世紀初頭を代表した、イタリア出身の指揮者。

若い音楽家の支援もずっと行って、そうした彼を慕う世界中の名手が集まってできたルツェルン祝祭管弦楽団は、スイスのルツェルン音楽祭の期間中だけ結成される、いわばドリーム・オーケストラ。

この相思相愛のコンビによる、最後となった演奏会のひとつがこの『英雄』でした。

ヴィブラートを抑えるなどの古楽奏法も取り入れた「折衷」スタイルで、こうした方向のアプローチとしては、この演奏がひとつの到達点だと思っています。

この『英雄』、日本公演も予定されていて、私はチケットを買って心待ちにしていましたが、アッバードの体調の悪化で取りやめとなって、結局、その来日は実現されないまま、彼は世を去ってしまいました。

あれは東日本大震災を受けて、親日家だったアッバードが東北での演奏もふくめて一連の公演を行うと予告されていたもので、幻のコンサートとなってしまったのが今でも悔やまれます。

こちらは、現在、Blu-rayなどで視聴することができます。

 

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