ジャンル〈バロック・古楽〉

イタリアの名オルガニスト~ロレンツィオ・ギエルミの来日リサイタル2022を聴いて

 

ラジオで知った名オルガニスト

 

NHKのFMラジオというのは、いろいろな名曲を教えてくれるだけではなくて、色々な名演奏家のことも教えてくれます。

現代を代表するオルガニストのひとり、ロレンツィオ・ギエルミ(1959-)のことを知ったのも、もう何年前のことか、NHK-FMのラジオ放送を通してでした。

 

オルガンのリサイタルというのは、なかなか難しいところがあって、何しろ、演奏される音楽がほとんどポリフォニーと呼ばれる多声音楽です。

さまざまな主題や旋律が同時に鳴り響いて、その綾をなしている、それぞれの主題を耳で追いかけていかなければ、多声音楽の醍醐味を取り逃してしまうわけで、聴く側にも、相応の集中力が求められます。

 

そうしたなかで、ギエルミの演奏は、ラジオで聴いていたときに、自然とずっと聴いていられました。

それ以来、いつか生演奏を体験してみたいと思っていたのですが、今回ようやくその実演に立ち会うことができました。

 

最初におことわりしておかなければならないのは、私は、バロック音楽やそれ以前の音楽、そしてオルガン音楽というジャンルについては、まだまだ他のジャンルほど熱心には聴けていなくて、パイプオルガンの技術的なことなどについても、ほとんど知識がありません。

ですから、そうした人間が、めずらしくパイプオルガンのコンサートに行ってみたという、ひとつの「体験記」としてお読みいただけたらと思います。

 

当日のプログラム

 

コンサートは2部構成で、前半にバッハ以外の作品、後半にバッハ作品というプログラムでした。

2022年6月12日(日)15:00@神奈川県民ホール 小ホール

G.ベーム:前奏曲 ハ長調
D.ブクステフーデ:パッサカリア ニ短調
G.フレスコバルディ
コントラバスあるいはペダル付きのトッカータ
使徒書簡の朗読の後のカンツォーナ
ガリアルダ 第2番、第3番
B.ストラーチェ
戦いのバッロ
バレット
P.D.ベルガモ:聖体奉挙

J.S.バッハ
幻想曲 ハ長調 BWV573 (未完、補完 : L.ギエルミ)

バビロン川のほとりで BWV653
幻想曲とフーガ ハ短調 BWV537

いまぞ喜べ、愛するキリスト者の仲間たちよ BWV734
アダージョとフーガ ニ短調 BWV1001.1(BWV539.2)

主イエス・キリスト、われを顧みたまえ BWV709
幻想曲とフーガ ト短調 BWV542

【アンコール】
①J.S.バッハ:目覚めよと呼ぶ声がして BWV645
②カバニーリェス:コレンテ・イタリアーナ

 

 

ピアニストとオルガニスト

 

会場でくばられたパンフレットに、ギエルミ本人の言葉が載っていて、これがたいへん読み応えのある、すばらしいものでした。

そのなかに、「ピアニストとオルガニストは似て非なるもので、ピアニストはリサイタルを開くとなれば曲目をまず考えますが、オルガニストはどんなオルガンを弾くことになるのかを最初に考えます」という話が書かれていました。

 

オルガンというのは、サイズ、ストップの数、鍵盤の数、どれもこれもバラバラで、一台一台が全てちがった個性をもってでできているのだそうです。

ピアニストは自分で組み立てたプログラムを各地でくり返してツアーを行うけれど、オルガニストは演奏会場にあるオルガンについて考えをめぐらせることからすべてが始まる。

つまりは、ほかの器楽奏者とちがい、自身の考えや意思よりも、まず「会場の楽器」に出発点が置かれるということだそうです。

 

ギエルミが今回、日本でオルガンのリサイタルを行ったのは、大阪のいずみホールと、この神奈川県民ホールの2か所のみ。

たった2回だけの公演なのに、それぞれプログラムが微妙に異なっていたのは、なるほど、そうした理由からなのだと、これを読んで初めてわかりました。

ギエルミは、それぞれのホールにある、それぞれのオルガンに適した曲目を考えてプログラムを構成していたということです。

 

北ドイツ楽派

 

そうして神奈川県民ホールのために組まれたプログラムは、ベームとブクステフーデという、バッハの師であり先輩作曲家であるふたりの作品ではじまって、そのあとには、フレスコバルディなどのイタリアの作曲家の作品がならべられました。

 

最初に置かれたドイツ音楽の2人の音楽を聴いていると、なにか不思議な違和感がしてきて、つまりは、こうしたコンサートホールという近代的な建物のなかで聴いていることに戸惑いを感じました。

もっと厳かで、自然なしずけさが支配する、質素な空間、つまりは、やはり教会のなかで響くべき音楽なのかもしれないと感じていました。

森の中でけがれなく咲いていた花を、うつくしいからと大通りに植え替えてしまったというか。

もちろん、そのおかげでこうして出会えているわけですが。

 

戸惑いといっても、聴いていて不快感があったということではなくて、それどころか、曲も演奏もとても素晴らしいものでした。

ただ、そうした音楽の居心地の悪さは、バッハを聴いているときには感じたことがなかったので、それがバッハと彼以前の大家たちとの、どこか音楽の性質のちがいに通じていたりするのかと、たいへん興味をひかれました。

 

ベームやブクステフーデの素朴にして厳かな響きは、“ クラシック音楽の原風景 ”をみている想いでした。

 

 

イタリアのオルガン音楽

 

それらに続いたのが、イタリアの音楽。

オルガン作品というと、私はどうしてもバッハなどのドイツ音楽の世界という印象が強かったのですが、今回、特に発見だったのが、このイタリアのオルガン音楽でした。

 

そのパレットの豊かさと、多彩さ。

さきほどまでのドイツ音楽とくらべると、よほど民衆にちかいところにある音楽というか、曲によっては“ 愉しさ ”まで追及されていて、とっても面白い発見でした。

ストラーチェの『戦いのバッロ』や『バレット』は、とりわけそうした“ 愉しさ ”がはっきりと打ち出されていて、ギエルミも実にわかりやすい、愉しい演奏をくりひろげていました。

 

そうして、イタリアの作品でいちばん驚いたのが、前半のおしまいに置かれたP.D.ベルガモの『聖体奉挙』。

私はこの曲を初めて聴いたのですが、もう一幕ものの演劇をみているかのようで、心底おどろかされました。

 

冒頭から、悲痛で美しい、ときに甘さまで感じさせる旋律が歌われて、それは、まるでオペラのアリアのよう。

とつぜん、ロマン派や、あるいは現代の音楽が迷い込んできてしまったかのようで、オルガンにこうした作品があるのかと、ただただ驚きの目をみはって、じっと聴き入りました。

 

休憩時間になってプログラムを見てみると、このベルガモという作曲家(あとに修道院に入ってダヴィデ神父となった方だそう)は、1791年にうまれて1863年に亡くなったと書いてありました。

そうなると、シューベルト(1797-1828)とだいたい同世代。

つまり、あながちロマン派の音楽が迷い込んできたという印象はまちがいではなくて、実際に、そういう時代の音楽が織り込まれていたわけです。

 

こうしたところは、ギエルミのプログラミングの妙で、見事に無知な私はしてやられましたが、リサイタルの中央で、プログラムにすばらしい新鮮さを吹き込んでいました。

そして、ベートーヴェンやシューベルトの時代にも、こうしたオルガン音楽を書いていた人がいたということと、しかも、それがいかにもイタリアという、オペラの国に相応しい、まるで“ 劇 ”のようなオルガン音楽があるのだと強く印象付けられました。

 

この曲は、ご存知ない方に是非とも聴いていただきたいので、リンクを貼っておきます。

残念ながらギエルミの演奏したものが見つからないので、こちらも現代を代表するイタリアの音楽家アンドレア・マルコン(1963- )のオルガン演奏でご紹介します。

P.D.Bergamo : Elevazione in D minor
(ベルガモのダヴィデ神父:《聖体奉挙》ニ短調)

( Apple Music↑ ・ Amazon Music ・ Spotify などで聴けます)

このアルバムのトラック 17&18 に収録されている作品です。

また、このアルバムにはストラーチェの『戦いのバッロ Ballo della Battaglia』『バレット Balletto』も収録されています。

リンクを聴くにあたって、クラシック音楽のオンライン配信(サブスク定額サービス)についてまとめた記事を書きましたので、まだの方はそちらもご覧ください。

 

みごとな前半のプログラム

 

こうして、北ドイツ楽派、さらにはイタリアの作曲家たちの音楽を聴いていると、「オルガン作品はバッハを聴いていれば、それでことが足りる」というような認識が、いかに理解不足であるか思い知らされます。

バッハの前後に、いろいろな国や地域で、多くの優れた作曲家たちがそれぞれに傑作を残しているということ。

しかも、これほどに多種多様な表現が、同じオルガン1台から実現されていくことに驚きました。

 

そうした“ 多彩さ ”は、私がこれまで体験したいくつかのオルガン・リサイタルでは、それほど強く感じたことがなかったので、整然としつつも多彩なプログラムを展開するギエルミに、すっかり魅了された前半のプログラムでした。

楽派ごとに選曲されていたり、オルガンの歴史を追うようにプログラムがうまく構成されているので、つまりは、とっても知的に構成されているわけですが、それでいて、いろいろな工夫が仕掛けられていて、まったく飽きるどころか、プログラムが進むほどオルガンという楽器に魅了されてしまいました。

プログラムのところどころで会場から拍手が起きて、ギエルミはその度に会場をふりかえって、穏やかな笑顔でおじぎをして応えていました。

 

テンポのちがうもの、ストップの操作により音色のちがうもの、しっとりとした敬虔さをもつものから宗教的情熱を感じるもの、悲哀が音になったようなものから愉しさが躍り出したようなものまで、色とりどりの音楽が適切にちりばめられて、その面白さに時間が少し短く感じられた前半でした。

 

 

バッハの音楽

 

前半で、あれほど多様なオルガン作品をたのしんで、後半は一転、バッハの作品だけになります。

前半があまりに面白かったので、バッハだけになる後半にすこし不安を感じていました。

 

そんななか、前半と同様におだやかな笑顔で舞台に姿を見せたギエルミによって、後半の最初のプログラム、『幻想曲 ハ長調 BWV573 』(未完、補完 : L.ギエルミ)が始まりました。

 

するともう、そこに、言葉もないほどのバッハの威容があらわれました。

ついに、“ 王のなかの王 ”が姿を見せたわけです。

 

相撲の“ 大横綱 ”の土俵入りのよう、といったら可笑しいでしょうか。

前半にホールのなかを多彩に舞っていた音符の数々、その余韻の影たちがいっせいに脇へとどいて、王のための道が開かれていくのが、はっきりと肌で感じられました。

 

最近、「バッハを“ 音楽の父 ”と呼ぶのはおかしい、あれはあくまでドイツの音楽観の影響で改めるべきだ」という話を耳にしますが、果たしてどうでしょうか。

なにかの本で、「バッハ以前の音楽は、すべてバッハへと流れこみ、そして、バッハ以降の音楽は、すべてバッハから流れ出ている」という記述を読んだことがありますが、私はバッハを聴くたびに、そちらの言葉のほうに納得してしまいます。

 

このわずが12小節しか残されていないという、短い未完の『幻想曲』の響きをあびた瞬間、「ああ、やっぱりバッハは“ 音楽の父 ”なんだ!」と感じないではいられませんでした。

 

後半のプログラムも秀逸で、幻想曲の幕開けのあとには、「オルガンコラール」1曲に対してと「幻想曲(アダージョ)とフーガ」が1曲、と対になって組み合わされていて、それがきれいに3組用意されていました。

これも、それぞれに性格の異なるものが巧みに選ばれていて、本当にギエルミの創るプログラムの秀逸さは称賛しきれません。

 

 

イタリアのオルガニスト

 

この一連のバッハを聴いていてもそうでしたし、前半のプログラムを聴いているときもそうでしたが、ギエルミという人のオルガンは非常に明晰で、すっきりとしています。

 

私は指揮者については、その人がどこの国のひとであるかという背景が音楽に反映されやすいという印象をもっているのですが、オルガン奏者について、そのひとがどこの出身であるのかを考えたことは、あまりありませんでした。

今回、会場で聴いていて、このひとはいかにも“ イタリアの ”音楽家なんだと感じていました。

 

ギエルミは、ひと昔前のドイツ系のオルガニストたちに聴かれた、深くて、重くて、ある意味では、人を寄せつけないような荘厳さを放つ音、そうしたものとはまったく別のオルガンを聴かせていました。

このひとのオルガンは、ストレートで、シャープで、そしてときおり情熱的で、影よりも光を感じさせます。

 

そして、カンタービレ。

“ 歌うこと ”をやはりとても大切にしていて、人を寄せつけないどころか、人の心にすんなりと届く、あるいは、そっと寄り添うような音楽を紡いでいきます。

 

明るい光、心からの歌、まさにイタリアの優れた音楽家に見られる特徴的な美点であって、そうして陽光を浴びた明るいバッハ像が、後半のプログラムでみごとに打ち立てられていきました。

 

 

あの日あの場所の音楽

 

ギエルミの言葉によれば、プログラムは、まさにその会場に適したものが組まれるということになります。

ということは、当然、ホールが違い、オルガンが違えば、また違った世界が展開されるということになります。

 

今回のホールのオルガンは、比較的小ぶりな部類のパイプオルガンだったので、これが大ホールのパイプオルガンになると、いったいギエルミは、どういう演奏やプログラムを展開するのでしょう。

楽しみは、まったく尽きません。

 

その意味で、この素晴らしい音楽体験は、あの日あのとき、あの場所のオルガンだったから味わうことができたものということになります。

簡単にいろいろなものが複製・反復できる現代において、こうしたオルガンの特性は非常に希少な特徴であり、音楽の一回性ということを思ううえでも、そのはかなさはとても美しいものです。

 

イタリアの名オルガニストであり、研究者であり、指揮者でもあるロレンツィオ・ギエルミの、次の来日が心から待たれます。

オルガンのリサイタルは、ハードルが高くなかなかお薦めしにくいジャンルでしたが、これからは「まずはロレンツィオ・ギエルミのリサイタルに出かけてみてください」と書くことになるはずです。

 

リサイタル当日は、開場前に局地的な雷雨があって、会場は一時どしゃぶりの天気でしたが、公演後はすっかり天気も回復していて、ホール前に広がる、雨上がりの山下公園からうつくしい海がながめられました。

ギエルミのオルガンのおかげで、何もかもが、まばゆく目に映った午後のひとときになりました。

 

 

 

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