コンサートレビュー♫私の音楽日記

新日本フィルを聴くなら上岡敏之さんの指揮で~ラルス・フォークト氏の代役として登壇

 

今回聴きに行った公演は、もともとは、癌との闘病中であることを公表していたドイツの名ピアニスト、ラルス・フォークト氏が登場して、ピアノを弾き、指揮も振るというコンサートになるはずでした。

けれども、フォークト氏はこの公演の1か月ほど前の9月に、まだ51歳という若さで病気のため急逝され、代役として、今回のオーケストラである新日本フィルハーモニーの前音楽監督、上岡敏之(かみおか・としゆき)さんが代役で登壇されるということになりました。

 

その急逝されたラルス・フォークト氏について、コンサート会場に行ってみると何も言及がなかったのには驚きましたが、そのことについては、最後に書きたいと思います。

まずは、この素晴らしかったコンサートのレビューから、つづっていきます。

 

当日のプログラム

 

2022年10月14日(金)14:00@すみだトリフォニーホール

モーツァルト:フルートとハープのための協奏曲 ハ長調 K. 299
(フルート:上野星矢 ハープ:山宮るり子)
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番 ト長調 op. 58
(ピアノ:田部京子)
ブラームス:交響曲第2番 ニ長調 op. 73

 

ラルス・フォークト氏が指揮とピアノの両方を受け持つ予定でしたので、出演者は上記のように変更があったわけですが、プログラムそのもののは変更されませんでした。

前半に協奏曲が2曲あるという、なかなか珍しいプログラムで、演奏会が終わったのも16:30前後だったので、かなり長いコンサートになりました。

 

ちょっと心配な新日本フィル

 

私は面白くなかった公演についてのレビューを書くのがどうも苦手なので、このブログには、良かった公演や、何かを書かずにはいられないような“ 内容 ”のあった公演のことをつづっています。

 

新日本フィルのコンサートについてレビューを書くのは、今回が初めてのことになりますが、実はもう、今年になって、新日本フィルを聴くのはこれが3回目でした。

つまりは、そういうわけで、正直、ラルス・フォークト氏の出演がかなわなくなった時点で、この公演に出かけていくかどうか迷ったほどでした。

 

でも、私個人として、本来であればその場にいたはずのラルス・フォークト氏を偲びたかったこと、そして、代役で登場される上岡敏之さんを、まだ実演で聴いたことがなかったので、コンサートホールに向かうことにしました。

 

 

オーケストラ伴奏の見事さ

 

1曲目はモーツァルトの『フルートとハープのための協奏曲』。

ここですぐに耳を奪われたのが、上岡敏之さんの引き出す、オーケストラの愉悦にみちた伴奏。

 

今年これまで聴いた新日本フィルの公演では、オーケストラの響きがすぐにお団子状態になって、ひと昔前の日本のオーケストラを聴いているようでした。

新日本フィルは、昨今のオーケストラの技術革新に完全に乗り遅れてしまったのだと思っていました。

 

ところが、上岡敏之さんが引き出すオーケストラの音は、立体的で、奥行きがあり、各セクションのバランスや分離も鮮やか。

モーツァルトが始まった瞬間に、客席で心底驚きました。

 

ソロが活躍する場面での伴奏も、モーツァルトの音符が控えめに、けれども、とっても楽しく舞っていて、躍動感のある音楽が広がっていきます。

本来であれば耳をひかれるソリストたちの音楽よりも、私はひたすらオーケストラの奏でる音楽ばかりを聴いてしまいました。

 

雄弁な弱音、見事なピチカート

 

それはベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番になってからも同様で、ここでも、私はひたすらオーケストラの音楽にひきつけられてしまいました。

モーツァルトとはっきりと違う、硬質で、力感のある音色に変化していたのも見事で、聴いていて「これがベートーヴェンの音だ」と思わずにいられない説得力がありました。

 

そして、さらに驚いたのが、弱音の見事さ。

 

非常に緊張度の高い、はりつめた弱音が徹底されていて、それでいて、音がやせることなどなく、とっても雄弁な弱音が何度も聴かれました。

新日本フィルがこうした弱音を奏でることができるというのは、これ以前のコンサートからは想像できなかったことでした。

 

それから、これはモーツァルトのときもそうでしたが、弦の“ ピチカート ”がとっても素晴らしい効果をあげていました。

 

ピチカートというのは、意外とないがしろにされる音で、ほとんど聴きとれないようなピチカートを奏している楽団がたくさんあります。

でも、例えば、サイモン・ラトルがベルリン・フィルについて、「彼らのサウンドには、今でもカラヤンの響きを強く感じるときがある。たとえば、ピチカートについて、彼らは驚くほどこだわります」というようなことを話していたように、楽団の個性がはっきりと出るような次元にまで高められたピチカートというものも存在します。

 

上岡敏之さんの引き出すピチカートは、とてもクリア。

それも、まさに鳴るべくして鳴っているピチカートが奏されていました。

 

前半を聴き終わったとき、上岡敏之さんの指揮でモーツァルトやベートーヴェンの交響曲を実演で聴いてみたいと、心から思いました。

 

 

ブラームスの交響曲第2番

 

前半の協奏曲での伴奏があまりに見事だったので、後半、いよいよオーケストラが前面に出るブラームスの交響曲第2番には期待が高まりました。

そして、実際、とても聴きごたえのある、素晴らしい演奏になりました。

 

上岡敏之さんのブラームス解釈は、基本的には、とてもオーソドックスなもの。

ときに面白い、個性的なフレージングがあったりしますが、それが嫌味にならないどころか、ちょっとしたアクセント、面白みとして響いてきます。

 

それは、何といっても、上岡さんが楽曲の構成をふまえていらっしゃるからで、例えば、第1楽章を聴いていても、「ここから移行部、ここから展開部、あ、コーダに入った」と、聴いていて曲の構造がわかります。

つまり、上岡敏之さんは優れたシンフォニー指揮者であることは疑いようがないということです。

 

そうした楽曲構造を的確に踏まえたうえで、自身が読み取ったフレージングやテンポの揺れを設定しているからこそ、それが多少変わっていたり、ユニークであったとしても、音楽から浮き上がることがないわけです。

第3楽章では、ところどころ変わったフレージングやテンポ設定が聴かれましたが、違和感というよりは、「面白さ」として響いてきました。

第4楽章のフィナーレも熱気があって、最後まで集中が途切れることなく、素敵なブラームスを味わうことができました。

 

そして、全体として、とっても旋律がしなやかに歌われていたのも印象的で、この交響曲を実演で聴いて、久々に心から楽しむことができました。

オーケストラをがっしりと引っ張るというよりも、その場その場で巧みにドライヴしていく音楽づくりも面白く、興味の尽きない指揮ぶりでした。

実演で聴かないと、やっぱりここまでの実感はわかないものです。

 

新日本フィルは上岡敏之さんの指揮で聴きたい

 

それでも、「壮麗なフィナーレ」とか「輝かしいフィナーレ」という感じにならないのは、上岡敏之さんの引き出す音が、シックで、ドイツ的な、暗めの色彩をおびているからでしょう。

 

なので、この方が大衆的な人気を博すということは、もしかしたら、ないのかもしれません。

どちらかというと、玄人好みの指揮者という位置づけになるのかもしれません。

 

どうして上岡敏之さんが音楽監督をつとめていた時期に、私はこのコンビの実演を聴きに行かなかったのだろうかと、今さらながらに本当に悔やまれるくらいです。

新日本フィルは、この上岡敏之さんを今後も手放さずに、もっともっと共演頻度を高めたほうがいいです。

 

これまでも書いたように、今年聴いた限り、新日本フィルは演奏がラフというか、大味になりがちな傾向があります。

それは、この日の公演でも散見されて、ブラームスで大切なホルンが不安定だったのを別としても、オーケストラの音の出だしが揃わない、低弦と高弦がちょっとしたところでズレるというようなことが普通に起きていました。

具体的には、たとえば、ブラームスの第2楽章の冒頭、あきらかにみんなが音の出だしに「おっかなびっくり」になっていて、ある意味では「全員が出遅れた」といっていいような、とってつけたような、唐突な出だしになっていました。

あれは、聴いていて、ドキッとしました。

 

以前、小澤征爾さんとの共演を聴いたときには、その見事な音のバランスに、ドイツでもここまでの美しいピラミッド型の響きを出している楽団はそうそうないだろうと思いました。

あるいは、昔、ロストロポーヴィチが指揮したときには、ものすごい熱量で、お腹の底にまでに響いてくるかのようなフォルテをあびせられて、あの響きと振動は今でもわたしの体のなかに残っています。

 

それが、どうして、今の新日本フィルはこんなにアンサンブルが荒れてしまっているのか。

理由はいずれにせよ、どうにか頑張って立て直してほしいと願っています。

 

今年聴いたなかで、圧倒的にアンサンブルが整っていて、それだけでなく、音楽的にも、とても充実していたのが、この上岡敏之さんの公演でした。

新日本フィルを聴くなら「上岡敏之さんの指揮する公演」を聴きたい、そう思わずにいられない、素晴らしい公演でした。

 

 

ラルス・フォークトのラの字もない

 

さて、このコンサートは、冒頭にご紹介したとおり、ドイツの名ピアニスト、ラルス・フォークト氏がピアノも弾いて、指揮も振るという公演になるはずでした。

 

癌の闘病中であり、薬の影響でいつピアノが弾けなくなるかわからないということまで公表していたフォークト氏。

それゆえに、かけがえのないコンサート、もしかしたら最後の来日になるかもしれないという思いで今回のチケットを買っていた人も少なくなかったはずです。

 

それがフォークト氏の急逝で実現しなかったわけですが、会場にいって、そのことについて何の言及もないというのには、驚きました。

 

単なる交代というのならまだしも、過去に共演もしている名ピアニストが若くして亡くなられたわけで、それに対して、パンフレットのなかで1ページの追悼記事を載せておしまいという楽団の対応は、残念なものでした。

せめてコンサート冒頭に、追悼の言葉くらいあってもよかったでしょうし、できることなら、どんなに短い曲でもいいから彼に捧げる音楽があってほしかったです。

そんな時間はないというのであれば、少なくとも「このコンサートをラルス・フォークト氏にささげます」という名目くらいはあって然るべきだと思ったのですが。

 

ラルス・フォークト氏のラの字もない…

何もないまま、まるで何ごともなかったかのように演奏会が終了したときには、残念な気持ちでそう思いました。

 

日本のオーケストラは、ウクライナ情勢といい、どうしてこうも何らかのメッセージを発することに対して憶病なのか不思議に思います。

出演予定だった故人を追悼すると、何かまずいことでもあるのでしょうか。

私には想像もできない対応で、その点にはおおきく失望して帰路につきました。

 

 

ラルス・フォークト氏を偲んで

 

なので、せめてこのブログのなかで、彼のことを偲びたいと思います。

 

私が彼のことを知ったのは、もう20年ほど前。

あの頃、彼はよくモーツァルトの協奏曲を演奏していて、それのライブをラジオで聴いて、さらにテープに録音して何度も聴きました。

すっきりとした、実直な演奏で、好感が持てるモーツァルトの演奏でした。

いろいろと奇抜で新しいタイプの演奏家が出てくるなかで、珍しいくらい腰の据わった音楽を奏でるピアニストの登場に、なにかほっとしたのを覚えています。

 

あとは、吉田秀和さんが彼の弾いたシューベルトのCDを絶賛したりしていて、それも興味をひかれました。

いつか実演を聴きに行こうと思っていたのに、私は聴きたい演奏家があまりにたくさんいるので、他のコンサートを優先したり、あるいは、プログラムが聴きたいものでなかったり予定があわなかったりで、ついに実演に接する機会を逸してしまいました。

 

無理をしてでも聴きに行っておくべきでした。

今となっては、後悔先に立たずです。

 

彼のCDはいろいろと出ていますが、なかでも、彼の珍しいショパン・アルバムは忘れられない1枚です。

( Apple Music↑ ・ Amazon Music ・ Spotify  などで聴けます)

 

これは、かなり彼独自のショパンで、それゆえに賛否両論というか、批判のほうが多く見られたアルバムでした。

それでも、私はこのショパンが好きなので、このアルバムのことをご紹介します。

 

冒頭の《バラード第1番》から、それこそ、どうしちゃったんだろうというくらい、ゆっくりとしたショパンですが、ただ理由もなく遅いわけではありません。

これほどのひとが遅く弾くということは、当然、遅く弾く理由があるわけです。

 

フォークトは、このゆっくりとしたテンポを採用することで、楽曲の構造に根差した音楽を展開させています。

さらさらと流れていくのではなく、新しい要素が導入される際に、「いま、ここに新しい旋律が生まれたんだ」と音楽が誕生する瞬間を導くような美しいテンポの伸縮は、音楽を構築的にとらえる、優れたドイツ人音楽家ならではのものです。

 

「ショパンらしくない」という批判も多いのですが、確かに、そういう一面はあるにしても、ショパンの作品そのものにそうしたドイツ的な側面があるのも事実であって、だからこそ、ショパンはソナタを書き、バッハを志向したような前奏曲集を書かずにいられなかったわけです。

バックハウスやケンプ、アラウといった人たちの、ドイツ音楽の本流をいったピアニストたちのショパン、それに連なるようなショパンが、ここにはあります。

 

そして、様々なところで聴かれる、ささやくようなピアニッシモ。

きらきらとした音の輝きが、しずかな水面でざわめくかのような弱音。

 

大切なことをいうときに、大きな声になるのではなく、音量をおさえ、聴き手に耳をすまさせるのは、ドイツ=オーストリア系の音楽家たちの特徴です。

これもやはり、フォークトの演奏のひとつの大きな特徴であり、魅力になっています。

 

そうしたテンポの伸縮や弱音によって、フォークトはとても内面的で、新しいロマンティシズムに彩られたショパンを展開してみせたといってもいいのではないでしょうか。

機能的で、客観性を重視した音楽づくりがトレンドである昨今の音楽界において、あくまで人間的感情に根差した音楽を紡ぎつづけていたところに、私にとってのフォークトの最大の魅力があります。

 

最近では、YouTubeでブラームスの間奏曲を演奏しているものが公式に公開されていて、これがとても美しい、心の底の底にまで音がおちてくるような演奏で忘れられません。

最後に、それをご紹介して、追悼としたいと思います。

 

フォークトが今年2022年の4月1日にドイツのフランクフルトで演奏した、ブラームス:《間奏曲 イ長調》作品118-2です。

 

 

 

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