コンサートレビュー♫私の音楽日記

やっぱり凄い、ジョナサン・ノットと東京交響楽団~壮絶を極めたショスタコーヴィチの4番

 

7月のマーラー5番とサマーミューザから2か月ちょっと、ジョナサン・ノットが再び東京交響楽団の指揮台に帰ってきました。

ここのところ、違和感がいっぱいあったマーラー、何だか生煮えのような出来映えだったサマーミューザと続いていて、少し不安な気持ちで出かけていったのですが、どうして、やっぱり凄いコンビです。

 

また、このコンサートではショスタコーヴィチの交響曲第4番が取り上げられたのですが、ずっと昔、ある雑誌で「ショスタコーヴィチのような音楽を、ソビエトが遠い過去になりつつある21世紀に聴くことの意味がどれくらいあるんだろう」という批評を読んだことを思い出しました。

その意見の賛否はともかく、ふたたび、ショスタコーヴィチの音楽が特別な意味を帯びる時代になっているのだと実感する機会にもなりました。

 

色彩が際だつラヴェル

 

この日のプログラムをご紹介しておきます。

2022年10月16日(日)14:00@ミューザ川崎

ラヴェル:道化師の朝の歌(管弦楽版)
ラヴェル:歌曲集「シェエラザード」
(S, 安川みく)
ショスタコーヴィチ:交響曲第4番ハ短調op.43

 

前半はラヴェル作品がふたつで、冒頭は《道化師の朝の歌》でした。

今年はラヴェルがひとつのテーマになっているのか、ラヴェルのオーケストラ作品をこのコンビで聴くのは、今シーズンだけでも3回目。

 

7月のマーラーのときには、冒頭にラヴェル:《海原の小舟》が置かれて、それはとっても素晴らしい演奏でした。

それに対して、直後の「サマーミューザ」で取り上げられたラヴェル:《ラ・ヴァルス》のほうは、焦点の定まらない、散漫な演奏に終始していました。

 

果たして、今回はどっちのラヴェルが聴けるのか。

 

心配は杞憂におわって、ジョナサン・ノットの指揮のもと、オーケストラからすぐに色彩的な音が躍動し始めました。

「やっぱり、このコンビは素晴らしい」。

とても安心しました。

 

数分の短い作品ですが、このコンビが聴かせた音楽は聴きどころ満載。

精妙なアンサンブルが魅せるきらめきは、多彩を極めていました。

 

それに、これは気のせいなのか、以前にも増して、各セクションのフレージングが微に入り細に入り、いっそう丁寧になったように感じました。

ほんとうに細かなところまで、しっかりと弾きこまれていて、フレーズのおわりや、ちょっとした休符のときに、とっても美しい余韻が漂います。

 

静かな場面でも、各楽器が、そのいちばん美しい音でもって語りかけてくるような魅力があって、いろいろなところで、ハーモニーがものを言う美しさで響きます。

何度聴いても、オーボエを中心とした木管の響きにはハッとさせられる瞬間がありますが、ここでは弦楽器群の響きにも、それから、ちょっとした金管楽器群の響きにも魅了されました。

 

歌曲伴奏の精妙さ

 

それは、2曲目のラヴェルのオーケストラ伴奏歌曲になっても同様で、ソプラノの裏で、すごい伴奏が展開されていきました。

 

これは7月にベルクの歌曲をやったときにも如実に感じましたが、歌の伴奏での“ 雄弁さ ”には、耳を奪われます。

伴奏の領域のなかで、最大限の表現と美しさをもって、音楽が奏でられていきます。

音の宝石箱のような、きらきらした音の輝きがいろいろなところで聴かれました。

 

第3曲の冒頭が始まったときなんか、いっきに夕暮れどきのパリの空気が広がったように感じられたほどでした。

 

いつかR・シュトラウスの歌曲をやってほしいと切に願います。

 

 

ショスタコーヴィチの交響曲第4番

 

そして、後半は今回のメインプログラム、ショスタコーヴィチの交響曲第4番です。

これは、作曲から25年間も初演が行われなかった、有名なエピソードを持つ音楽です。

 

簡単にご紹介しておくと、1936年、ドミトリー・ショスタコーヴィチ(1906-1975)が30歳になる年、ソビエト共産党の機関紙「プラウダ」に彼のオペラを批判する論文が掲載されました。

「音楽のかわりに荒唐無稽」という論文で、ショスタコーヴィチの作品は形式主義的で西欧に毒されたものだというような糾弾でした。

そして、まさにこのとき、西欧諸国からさまざまな作曲技法を吸収して、いっそうの表現技法の自由度を獲得していたショスタコーヴィチが、満を持して作曲していたのが、破格の内容をもつ交響曲第4番でした。

 

作曲者自身が「私のクレド」と呼んだと伝えられる大曲で、初演のリハーサルまでは行われましたが、途中で強い政治的圧力があったとみられ、断念。

当時は、スターリンの粛清の時代で、体制の求めに則さない作品の発表は命の危険もはらむ状況でした。

リハーサルの指揮台に置かれていたスコアを作曲者自身が引き上げ、その後、1961年の暮れに初演されるまで、25年の長きにわたって封印されます。

1953年にスターリンは死去しているので、そこからさらに8年間も、封印されていたことになります。

 

曲を聴くとわかりますが、そういった状況でこれを発表しようとリハーサルまでしていたのかと考えると、ショスタコーヴィチの悲壮な覚悟を感じます。

 

 

いよいよショスタコーヴィチが始まる

 

ショスタコーヴィチのすべての交響曲中、最大の楽器編成を必要とする大曲だけあって、ミューザ川崎の舞台には、特大編成のオーケストラが展開しました。

いよいよ舞台袖から姿をあらわしたジョナサン・ノットも、曲が曲だけに、強い緊張感を持って指揮台にあがっているのが表情から見てとれるくらいでした。

 

音楽は衝撃的な音型ではじまります。

 

そして、ここから先のことを、どう文字で書けばいいのでしょうか。

この作品は、実演で、しかも、これほどの完成度の演奏で音にされると、もう、言葉を失い、唖然とするしかありません。

 

全3楽章、長大な第1・3楽章に、短い第2楽章が挟まれた構成で、全曲で1時間ほどかかる大曲です。

音楽は非常に複雑で、楽想はめまぐるしいほどに変化。

しかも、それがいつもこちらの想像をはるかに超えた形でやってきます。

 

この曲が何を描き、何を語っているのかを、端的に言葉にできるひとは、おそらくどこにもいないでしょう。

ショスタコーヴィチが「わたしのクレド」と言ったという、その言葉こそが、もっとも端的に作品の性格を語っているように思います。

 

ありとあらゆる表現の極限が盛り込まれた音楽で、実演で“ なま ”の音として体験していると、喜怒哀楽のあらゆる人間的感情がひとつの塊になったような、天才の狂気を肌に感じずにはいられません。

ジョナサン・ノットと東京交響楽団は、それを繊細に、かつ大胆なスケールで、カミソリのような切れ味で展開していきました。

 

たとえば、第1楽章後半の、あの常軌を逸したフガート。

凄まじい迫力と驚くほどの緻密さでたたみかけてくる、あの異常なフーガ。

唖然とするほかなく、言葉を失いました。

 

 

壮絶なのに、うつくしいということ

 

ホールが壊れるんじゃないかというほどの大音量で音楽が鳴っているときでも、さきほど書いた異常なフーガが複雑に入り組んで、もうショスタコーヴィチはどうかしちゃったんじゃないかと思うような音楽の瞬間でも、それでも、オーケストラの響きが美感を失わないというのは、本当に凄いことだと感じていました。

この曲を彼らの演奏で体験していると、“ 怒り ”のような負の感情ですら、ショスタコーヴィチのような天才をもってすれば、美しさを獲得することができるのだと教えられます。

 

ここまでの演奏の完成度は、前に聴いたマーラーの5番はもちろん、もっと前に聴いたショスタコーヴィチの5番をはっきりと超えるものでした。

ふと思い出したのは、シューベルトの交響曲第6番をとりあげたときの、このコンビの演奏。

あのシューベルトも、緻密にして大胆な音楽が、空席の目立つ曲席に、すごい完成度で鳴り響いていました。

 

このコンビが凄いのは、そうしたときの演奏が、ただ正確で、ただうまいわけではないという点です。

技術的に、圧倒的に凄いことが展開されているわけですが、それが実在の音として、音楽以上の何かを感じさせてくるということ。

というより、そうした何かを感じさせるがゆえに、それが“音楽”なわけで、彼らの演奏は、実に音楽的であることを何より大切にしているということ。

 

現在は、上手できれいな演奏というのは、割とどこでも聴けるようになりました。

でも、このコンビが聴かせる音楽というのは、きれいごとじゃない凄みがあって、それなのに、そこに美しさがはっきりとあるということに価値があります。

 

こんなことをやっている音楽家たちというのは、世界のなかに、そういるわけではありません。

ほんとうに一握りの人たちがやっている音楽です。

 

 

弱音も、ソロもうつくしいということ

 

もちろん、大音量で鳴り響くところだけではありません。

弱音の繊細さがもとめられるところも、訴えかけるところの多い、美しい演奏が紡がれていきました。

 

これは、この前、ショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第1番が取り上げられたときにはっきりと感じたものですが、ショスタコーヴィチ特有の、あの寒々しい、冷たい抒情性を、この楽団が確実に自らのものとしているということでしょう。

トゥッティだけでなく、コンサートマスターの古林壱成さんのヴァイオリン・ソロも冴え冴えとした表情が美しく、さまざまな管楽器のソロも、どれもこれも素晴らしかったです。

 

トゥッティでもソロでも、フォルティッシモでもピアニッシモでも、まさに「ショスタコーヴィチの音」としか言いようのない音楽が立ちのぼっていました。

ただ美しいだけでなく、ショスタコーヴィチの鬼気迫る、狂気すら感じる、破滅的で、暴力的なまでの音楽、いっぽうで、深くて、冷たい、静寂に満ちた孤高の世界が、実際の音として響いていました。

 

この交響曲は、これだけの尋常ではないエネルギーが暴れまわったあとに、まったくの静けさのなかで曲を閉じていくのですが、低音のパルスのうえに、彼の最後の交響曲を予感させるようなチェレスタの静かな響きがたゆたう終結部には、これもまた、言葉を失う表現の美しさがありました。

 

演奏後、会場が完全な静けさに満たされたのも納得の、壮絶で、美しい演奏でした。

 

 

ジョナサン・ノットのショスタコーヴィチ

 

そして、これらすべてを引きだしたジョナサン・ノットの手腕です。

 

この支離滅裂といってもいい巨大な音楽を、ひとつの音楽として、緊張が途切れ、弛緩するようなことも無くまとめあげた指揮には、ただただ脱帽するしかありません。

あらためて、ほんとうに凄い指揮者です。

 

ブルックナー、マーラー、ショスタコーヴィチの各交響曲が、現在、このコンビのプログラミングの大きな柱になっているように思いますが、ジョナサン・ノットの指揮で、今、いちばん説得力が強いのがショスタコーヴィチのシリーズに思えます。

マーラーやブルックナーで、おそらく故意にやっている攻撃的でアグレッシブなアプローチが、ショスタコーヴィチの場合は不自然ではなくなるせいかもしれません。

 

ただ、この第4番の演奏を聴いていて、なにか今までよりも、さらにもう一歩踏み込んだ精度の高まり、洗練された表現が聴こえているような気がしました。

明らかに、前回の第5番よりも素晴らしいショスタコーヴィチが鳴っていました。

 

特に弱音部での音楽の語るところが精緻になって、時折感じることのある、やや前のめりで、先へ先へ流れていくような性急さがほとんどありませんでした。

もちろん、作品が巨大なため、野放図になることがないように、手綱をひきしめていたということかもしれません。

でも、もしかしたら、楽団も日進月歩の飛躍をしていますが、ジョナサン・ノット自身もまた、円熟の度合いを深めているのかもしれません。

 

この傾向が、あの攻撃的過ぎるマーラーやブルックナーにも波及したら、それは本当に見事な演奏になると予感するのですが、そればかりは、今後の実演を聴いてみないとわかりません。

 

 

今シーズンのハイライトのひとつ

 

今年の5月にウォルトンの《ベルシャザールの饗宴》を体験したときには、これが今シーズンのクライマックスであって、さすがにこれほどのものは、少なくとも来シーズンまで聴けないだろうと思っていました。

でも、とんでもありません。

このショスタコーヴィチもまた、今シーズンのハイライトのひとつでした。

 

このあとにまだ、ブルックナーの交響曲第2番、楽劇《サロメ》の演奏会形式の上演、さらには年末の第九など、盛りだくさんなわけで、大丈夫なんだろうかと心配になります。

このコンビは、勢いというより、その完成度の高さ、精緻なアンサンブルに裏づけられた大胆な表現こそが特徴でもあるので、無理のないプログラミングで、表現を練りに練る時間と体力を確保してほしいと思います。

今年のサマーミューザなどは、負担のわりに、成果は低かったのではないでしょうか。

 

コンサートホールには、マイクが立てられていたので、このショスタコーヴィチはいずれCDなどのパッケージ化がされるのだと思います。

おこがましくも、前回のマーラー5番のCD化にケチをつけてしまったうえに、予想以上にあの記事がたくさんのアクセスをいただいてしまったので、あえて書いておきたいのですが、このショスタコーヴィチは是非CDにしていただきたいですし、CDになったら必ず買います。

これほどの演奏がマイクのなかに収まりきることがないのはわかっていますが、たとえ、その片鱗であっても手近に置いておきたい、そう思わずにはいられない、見事で、壮絶な演奏でした。

 

これまでに出たショスタコーヴィチのレコーディング・シリーズでは、第10番の演奏が私は好きですが、今回の4番はそれ以上のものになると思います。

( Apple Music↑ ・ Amazon Music ・ Spotify ・ Line Music などで聴けます)

 

この録音、Amazon Music Unlimitedでは全楽章聴けるのですが、それ以外の配信サイトでは第2楽章しか聴けないようです。

ベートーヴェンの第九も確か同様だったので、いまのところ、このコンビを聴くならAmazonMusicがいちばんお薦めです。

 

Amazon Musicには無料体験があります。

詳しくは、「クラシック音楽をオンライン(サブスク定額制)で楽しむ~音楽好きが実際に使ってみました~」にまとめていますのでご覧ください。

 

空席

 

こんなに凄い演奏が展開されているのに、やはり、まだまだ空席があるのが残念なところです。

このコンビのレビューは他のサイトでもたくさん見かけますし、素晴らしいコンビであると広く認知されていると思うので、今さら自分がレビューを書く必要はあまりないのかもしれないと思ったりもするのですが、こうしてたくさんの空席を目にすると、もっともっとブログで紹介していかなければと思いなおしました。

このコンビの客席があんなに空いているのは、やはり、どう考えてもおかしいです。

 

それと、もし関係者のかたがご覧になっていたらなんですが、この「名曲全集」のシリーズは、おそらく川崎ミューザが主体になっている関係でしょうか、楽団のホームページでは「完売」と表示されるのに、川崎ミューザのホームページでは普通にチケットがまだまだ余っているということが起きているように思います。

少なくとも、楽団の割り当て分が終了したあとは、「完売」の表記ではなく「川崎ミューザのホームページをご確認ください」という表記にした方がいいと思います。

わたし自身、一度それで完売と勘違いして、行くのをあきらめそうになった経験がありますので。

 

そうしたチケット情報はツイッターで発信しているかもしれませんが、世代的にツイッターを使用していない年齢層のお客さんも少なくないと思いますので、ご検討ください。

 

 

 

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