コンサートレビュー♫私の音楽日記

チェコ・フィルの底力、ドヴォルザーク「新世界から」をビシュコフの指揮で聴く

 

いったい、この変わり様は何なんだろう。

前半の演奏がまるで嘘だったよう。

 

さっきまでの大味な演奏が後半もつづいてしまうのだろうと諦めていた私は、思わず姿勢を正しました。

セミョン・ビシュコフ指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートで、後半のドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界から」がはじまって数小節のこと。

そのあまりの変貌におどろきました。

 

3度目のチェコ・フィル

 

チェコ・フィルを実演で聴くのは、今回で3回目。

といっても、私が生演奏で聴いたチェコ・フィルというのは、ヴァーツラフ・ノイマン(Václav Neumann, 1920-1995)やラファエル・クーベリック(Rafael Kubelík1914-1996)といったチェコの往年の巨匠たちの時代よりずっとあとの、ウラディーミル・アシュケナージや、先ごろ亡くなったズデニェク・マーカル(Zdeněk Mácal、1936-2023)が指揮していた頃です。

アシュケナージのときはラフマニノフ:交響曲第2番を、マーカルのときはドヴォルザークの宗教曲を聴きましたが、どちらの公演も期待を満たされることなくホールをあとにした記憶があって、それ以来、チェコ・フィルのコンサートからは足が遠のいていました。

 

首席指揮者がセミョン・ビシュコフになって、ビシュコフをまだ実演で聴いたことがなかった私は、久々にチェコ・フィルのコンサートへ足を運んでみました。

 

当日のプログラム

 

当日のプログラムは以下のような、ドヴォルザーク・プログラムでした。

 

2023年11月4日(土)14:00@横浜みなとみらいホール

ドヴォルザーク:交響曲第8番ト長調
(休憩)
ドヴォルザーク:交響曲第9番ホ短調「新世界から」

【アンコール】
ドヴォルザーク:スラヴ舞曲第10番ホ短調( ♫ 鑑賞ガイド
ブラームス:ハンガリー舞曲第1番ト短調( ♫ 鑑賞ガイド

 

ビシュコフがそこまで狙っていたのかはわかりませんが、ト長調で始まったコンサートが、後半、並行調のホ短調に移って、さらに、アンコールでホ短調からト短調へと、開始された調の同主調に帰ってくるという、調性的にもうつくしいコンサートになっていました。

 

がっかりだった交響曲第8番

 

素晴らしかった「新世界から」の話のために、まずは、がっかりしたドヴォルザークの交響曲第8番のことを書かなければなりません。

 

それでも、コンサートの冒頭、第8交響曲の美しい出だしの主題で、チェコ・フィルの弦楽器群が奏でたやわらかな響きには、耳を惹かれました。

今回のコンサートを聴く限り、チェコ・フィルは今も弦楽器群がやはり魅力的で、人肌のぬくもりがあるというか、温かで、柔らかな音色が今も残っています。

それに比べると、木管楽器群は、この名門にしては、やや魅力にとぼしい感じがしました。

 

交響曲第8番は、そうして弦楽器群の美点を感じさせて始まったものの、すぐに色々なことが気になってきました。

 

まず、私は今回、ビシュコフの実演を初めて聴いたわけですが、録音で聴いていた印象以上に、この人は「ロシア出身」の音楽家なんだということをとっても強く感じました。

音楽の表情のいたるところに、非常に独特な「粘り」があります

 

リズムも当然、粘ります。

さまざまな楽句が飛んだり跳ねたりせず、やや引きずるような表現になります。

そうして躍動感を減じてしまったドヴォルザークの8番というのは、作品のとても大切な要素を失っているように感じられて、作品のあたらしい魅力を発見するというよりは、違和感のほうを強く感じました。

 

でも、それ以上に、というより、それ以前の話として、聴けば聴くほどオーケストラのアンサンブルが大味なことが、大いに演奏の魅力を減じていました。

何も、アメリカ型の、クリーヴランド管弦楽団のような鉄壁なアンサンブルを求めているわけではなくて、おおらかなアンサンブルの魅力というのもあるわけで、そういうものであれば魅力的なわけですが、ここで聴かれたアンサンブルは、パートごとの音楽がかみ合っていない、ちぐはぐな演奏でした。

 

オーケストラ側が、私と同様にビシュコフのアプローチに違和感を感じていたせいなのか、その理由はわかりません。

理由が何であれ、結果出てきていた音楽には、チェコの至宝といわれるチェコ・フィルといえども、こんなおおざっぱで、「雑」なドヴォルザークをやるのかと、がっかりさせられました。

第3楽章の歌いまわしの美しさなど、聴きどころになりそうな箇所もあるにはありましたが、如何せん、その前後がちぐはぐなので表現が活きてきませんでした。

 

 

一変して素晴らしい演奏が始まる

 

そうして、迎えた後半のプログラム。

名曲中の名曲、ドヴォルザーク:交響曲第9番ホ短調「新世界から」です。

 

私はもちろん、前半と同様の音楽が展開するだろうと思って、ため息交じりに聴き始めたのですが、どうも様子が違います。

 

様子が違うというより、音が違います

数小節聴いて、姿勢を正し、座りなおしました。

 

これが「伝家の宝刀」というものなのか。

さっきまでの大雑把な演奏が嘘のように、音楽がどんどん立ち上がります

以前、マリス・ヤンソンス(Mariss Jansons, 1943-2019)がロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮して、R・シュトラウスの「英雄の生涯」をやったときにも、ヤンソンスのアプローチには違和感があったものの、オーケストラからは「伝家の宝刀」(この作品はこのオーケストラと当時の指揮者ウィレム・メンゲルベルク(1871-1951)に捧げられています)といった趣があって、忘れがたい印象をあたえられました。

 

作品の度量の大きさ

 

私の聴く限り、指揮のビシュコフに大きな変化があったわけではないので、これほどの変化が突然起こった要因として、もうひとつ考えられるのは、作品の違いです。

 

つまり、第8番はビシュコフのアプローチを受け入れなかったけれども、第9番には、ビシュコフのアプローチを受け入れられるだけの、度量の大きさがあるのかもしれない、ということです。

偉大な作品であればあるほど、例えば、ベートーヴェンの交響曲のように、さまざまな個性を作品が受けとめてくれるものです。

 

ビシュコフの「新世界から」を聴いていると、どこか、ほんの少しブルックナーを感じるというか、私が日ごろドヴォルザークの音楽に感じる「親近感」といったものではなくて、もう少し大きな音楽、文字通り、シンフォニックな音楽を志向しているように感じました。

 

わかりやすいところでは、第3楽章のスケルツォ。

例のように、ビシュコフはリズムが粘り、引きずります。

それが、ブルックナーのスケルツォ楽章に見られるような、腰の重い躍動につながっていて、結果的に、いかにも交響的な大きさを生んでいたように思います。

それが作品本来のものであるかどうか、それはまた別の話ですが。

 

ビシュコフのアプローチというのは、一見、非常にオーソドックスのようであって、細かなところで実に独特で、クセがあります

これまでに書いた通り、「粘り」というのがいちばんの特徴だと思いますが、それ以外でも、例えば、第2楽章。

あの「遠き山に日は落ちて」のイングリッシュホルンのソロ。

 

私はてっきり、ビシュコフのことだから、ゆったりと濃厚な音楽を展開すると思っていたのですが、実際には、楽譜に書かれたラルゴのテンポというよりは、アンダンテのような、気持ち早めのテンポで進められました。

ソロが始まるときにも、まるで鼻歌でも始まるかのように、実にさり気なく開始されて、私はちょっと驚きました。

それがどういう意図だったのかは私にはわかりませんが、ビシュコフが非常に独特な、彼独自の感覚を持った指揮者だということはわかりました。

 

そうした、ビシュコフの少し特異なアプローチを、この作品が許容し、受け止めているというのが、それがとても面白かったです

 

 

私は、ヴァーツラフ・ターリヒ(Václav Talich, 1883-1961)、カレル・アンチェル(Karel Ančerl、 1908-1973)、ノイマンやクーベリックといった、チェコの巨匠たちの演奏する、本場のドヴォルザークが大好きです。

けれど、チェコの出身ではない、違う文化的背景をもった指揮者たちの聴かせるドヴォルザークにもまた、作品のちがった美しさを教えられることがあり、大好きなレコーディングなどがたくさんあります。

 

クラシック音楽の奥深さ、多様性というのはまさにそうしたところで、今回で言えば、ビシュコフは若くしてアメリカに亡命したとはいえ、音楽のなかに生まれ故郷であるロシア的な感覚が感じられて、それでいて、ドヴォルザークのこの交響曲をブルックナーのようなドイツ的、少し重めな、シンフォニックな視点で捉えていて、何だか色々と変わった表現がそこかしこに聴こえてくるのに、それでいて、やっぱり、これは紛れもないドヴォルザークの「新世界から」として成立してしまうわけです。

 

それがまた、交響曲第8番では成立しなかったのに、第9番「新世界から」では成立していたということも、とても大きな示唆を感じるところでした。

私はこれまで、ドヴォルザークの「新世界から」という作品を、第8番の延長線上、それもごくごく近い位置で捉えていましたが、今回の演奏を聴いていて、「新世界から」は第8番よりも、もっともっと突き抜けた、より高い普遍性を獲得した位置にある傑作なのかもしれないと、認識を新たにさせられました。

 

ビシュコフとチェコ・フィルの「新世界から」は、とってもユニークで、とっても心に残る演奏でした。

全ての楽章が充実していて、フィナーレの最後の音に至るまで、実に見事なものでした。

 

演奏が終わったあとには、とっても美しい静寂が会場に広がりました。

最近は、指揮者だけが悦に入っていたり、あるいは、曲が終わったあとにすぐに拍手をしないようアナウンスが入る公演まであり(管理社会の風潮がコンサートホールにまで侵入していることに気づくべきです)、不自然な静寂がホールに残ることも多いですが、今回のはちがいます。

とても自然な、自発的な静寂でした。

わたし自身、いいものを聴いた、傑作の世界に触れた、という感慨で心が満たされました

 

今後、チェコ・フィルを聴いた思い出として、私がまっさきに思い出すことになるのは、間違いなく、ビシュコフが指揮した、この「新世界から」になるはずです

 

 

ビシュコフの録音をご紹介

 

ビシュコフは若くして成功したので、色々とレコーディングがある指揮者ですが、意外とレパートリーが変わっていて、どうやらドヴォルザークの録音もまだないようです。

「新世界から」だけは、いつかチェコ・フィルとのコンビで出してほしいところです。

 

ビシュコフとチェコ・フィルのコンビが、現在、集中して取り組んでいるのはマーラーの交響曲集。

最新では、交響曲第1番ニ長調「巨人」がリリースされています。

( Apple Music↑ ・ Amazon Music ・ Spotify  などで聴けます)

オーソドックスなアプローチですが、やはり独特の粘りもあって、ユニークな表情が随所で聴かれます。

ダイナミックで、それでいて、抒情的な美しさもあって、つぎの来日のときに、是非、この「巨人」を演目に入れてほしいと感じさせるレコーディングです。

 

また、かなり以前のものになりますが、私がビシュコフの録音でいちばん好きな、パリ管弦楽団とレコーディングしたラフマニノフ:交響曲第2番もここにご紹介しておきます。

( Apple Music↑ ・ Amazon Music ・ Spotify ・ Line Music などで聴けます)

これは、彼の抒情性が極めて美しい歌となって表れた、出色の演奏だと思っています。

この作品には、アンドレ・プレヴィン(André Previn, 1929-2019)やウラディーミル・アシュケナージ、デイヴィッド・ジンマンなどの素晴らしい録音がありますが、それらと並ぶ、最も素晴らしいもののひとつだと思います。

 

それからもうひとつ。

間もなくクリスマス・シーズンですので、最近出たもので、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮したチャイコフスキー:バレエ音楽「くるみ割り人形」全曲も素晴らしい演奏です。

これはどうも、今のところオンライン配信、それもApple Musicでしか聴けないようです。

この演奏は、以前クラシカ・ジャパンで映像つきで放送されていたことがあるので、いつかBlu-rayなどの映像ソフトとして出てほしいところです。

 

 

クライツベルクのこと

 

おしまいに、せっかくですので、ヤコフ・クライツベルク(Yakov Kreizberg, 1959-2011)のレコーディングも、あわせてご紹介します。

クライツベルクは、2011年に51歳の若さで亡くなってしまいましたが、今回の指揮者ビシュコフの弟です

若くして成功した兄との比較を嫌って、母方の旧制を名乗っていたと聞いたことがあります。

 

クライツベルクは、2000年代に入って非常に活躍が目立ってきた指揮者で、私は聴きのがしましたが、チェコ・フィルとも日本公演を行ったことがあったはずです。

ビシュコフがチェコ・フィルの指揮者になったと聞いたとき、弟であるクライツベルクへの想いも背景にあったりするのかなと、思ったりしました。

 

クライツベルクは、兄のビシュコフと同様、とってもオーソドックスな音楽を聴かせる印象の指揮者で、いつか実演を聴きたいと思っていた矢先に訃報に接して、とても悲しい気持ちになったのを覚えています。

イギリスのリチャード・ヒコックス(Richard Hickox, 1948-2008)もそうでしたが、指揮者としてこれからという年齢での急逝がとても惜しまれる指揮者のひとりです。

 

ビシュコフにはドヴォルザークの録音がまだありませんが、弟のクライツベルクには、オランダ・フィルハーモニー管弦楽団を指揮してのドヴォルザークの素晴らしい録音が残っています。

 

ドヴォルザーク:交響曲第8番(ヤコフ・クライツベルク指揮オランダ・フィルハーモニー管弦楽団)

( Apple Music↑ ・ Amazon Music ・ Spotify  などで聴けます)

 

ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界から」(ヤコフ・クライツベルク指揮オランダ・フィルハーモニー管弦楽団)

( Apple Music↑ ・ Amazon Music ・ Spotify  などで聴けます)

 

いずれも非常にオーソドックスなアプローチで、まったく奇をてらわない、自然な美しさに満ちた録音です。

兄のような独特なクセはなくて、まさに、王道を行くというような、素直な演奏。

 

抜けるような青空を思わせる音楽が広がってきて、道半ばで病に倒れた、素晴らしい指揮者の忘れがたい遺産になっています。

 

 

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