エッセイ&特集

ロジャー・ノリントンと学生オーケストラによるベルリオーズ:幻想交響曲の名演奏

 

ベートーヴェンが亡くなって、まだたった3年しか経っていない1830年12月、フランスで奇想天外な音楽が初演されました。

事前に作曲者は、この音楽が描いている内容を大々的に宣伝しています。

 

それによれば、その音楽が描くのは失恋した芸術家の物語。

彼は失恋に苦しみアヘン自殺を図ります。
けれど、それは致死量には足りず、その芸術家は奇怪な夢を見ることになります。
夢のなかで彼は恋人を殺し、さらにはギロチンで死刑になるという自分の処刑を目にし、そして、最後に魔女たちがあつまる自分の葬式が描かれ、その狂乱のなかで曲は終わるというもの。

 

これがフランスの作曲家ベルリオーズが27歳のときに、自身の恋愛体験からインスピレーションを得て書き上げた『幻想交響曲』のプロットで、彼の代表作となっている音楽です。

筋書きだけを読むと、とんでもない音楽が聴こえてきそうですし、実際の作品も奇怪な響きを持っていますが、一方で、それと矛盾するように均整のとれた古典的造形、優美な表情、深く沈み込むような、夢見るような瞬間をもっていて、若きベルリオーズの天才が見事に結実した作品として、現在でも世界中で演奏され、愛されている傑作です。

今回は、この傑作をイギリスを代表する名指揮者サー・ロジャー・ノリントンが学生オーケストラを指揮しているYouTubeの動画でご紹介します。

これは隠れた名演奏といっていいものだと思います。

 

名指揮者ノリントン、知性とユーモアの融合

今回指揮しているイギリスの名指揮者サー・ロジャー・ノリントン(1934-)は、ユーモアあふれる、ウィットに富んだ指揮者です。

イギリスという国はこういうユニークな指揮者を輩出する国で、サー・トマス・ビーチャムという名物指揮者も昔いました。

 

私はノリントンのコンサートでの、その微笑ましい指揮姿がとても印象に残っています。

オーケストラがとても良い演奏をしていると「どう、みなさん?いい感じでしょ?」と客席の方を振り返りながら指揮してみたり、「あぁ、本当にいい演奏だよね」と客席を見ながら大きくうなずいたりします。

このサービス精神というか、ユーモアの精神こそ、ノリントンを聴く醍醐味のひとつ。

 

その一方で、音楽にとても丁寧に表情づけがなされていて、決して勢いで終わらせることのない、優れて知的な指揮者でもあります。私は特に、彼が指揮したモーツァルトとベートーヴェンには脱帽しました。

知性とユーモアの融合。
それをとても高度な次元で行っている名指揮者です。

この幻想交響曲でも、曲の荒唐無稽な面白さを、とっても大胆に聴かせてくれます。

話題にならないのはきっと指揮しているのが学生オーケストラだから

この動画で彼が指揮しているのは、イギリス王立音楽院の学生オーケストラです。おそらく、そのせいであまり話題になっていません。

けれど、演奏そのものはたいへん素晴らしいもので、この幻想交響曲の魅力をとても良く伝えてくれる名演奏です。

学内でのコンサートのようで、会場全体がどこかくつろいだ、和気あいあいとした雰囲気です。そのことが一層ノリントン節を発揮させていて、この曲を初めて聴く人もよく知っている人も楽しめる演奏になっています。

長く古楽器(作曲された当時に使われていた古いタイプの楽器を使う演奏のこと)の世界で活躍していた人なので、この動画でも基本的に弦楽器にヴィブラートをかけさせないなど、彼らしい響きがあります。

弦楽器はヴィブラートをかけないと、響きが細くなる反面、澄んだ、それでいて少し鋭角的な響きになります。近年は、こうした古楽のアプローチを現代楽器を使っているオーケストラにも適応させるのがひとつの潮流になっています。

この動画をご紹介している時点(2021年9月)でまだ2500再生ほどなのが本当に残念で、多少なり再生回数が増えてほしいという願望もあって、この演奏を選びました。

 

途中から聴いてみるのいい

交響曲のような何楽章もある音楽は、もちろん、その最初から聴いていくのが本当です。その順番で聴いてほしいから、作曲者はその順で曲を並べているわけですから。

でも、コンサート会場ならまだしも、スマートフォンなどのようにコンサートホールとはほど遠い音響で、気軽に何となく聴いてみようというときには、それはまた別の聴き方をしていいと思います。まずはその音楽に親しむことが大切ですから。

仮に途中の第3楽章から好きになったとしても、本当に好きになると、他の楽章も聴かずにいられなくなるものです。ですから、最初は、自分にとっての入口がどこかにないかなと、いろいろな楽章を聴いてみてください。

 

目安としては、交響曲については、まずフィナーレをよく聴くことをお薦めしておきます。
なぜなら、フィナーレがその音楽の到達地点であり、結論だからです。

もちろん、例外はたくさんあります。
例えば、ブラームスの交響曲第3番だったら第3楽章の有名なうつくしい旋律から聴いた方が親しみやすいでしょうし、そうでなくても、天才の仕事は例外の山ですから。

でも、迷ったらフィナーレを聴いてみるというのは、ひとつの手段として覚えてもらって間違いないと思います。

 

幻想交響曲の構成

第1楽章「夢と情熱」
第2楽章「舞踏会」
第3楽章「野の風景」
第4楽章「断頭台への行進」
第5楽章「ワルプルギスの夜の夢」

第3楽章までが現実世界、第4楽章からがアヘンを飲んだことによる悪夢の世界となっています。

通常、交響曲は4楽章構成で書かれるものなのに5楽章でできていること、さらには、交響曲に「表題」を持ち込んだということが、この曲の際だった特徴ですが、これはどちらもベートーヴェンがすでに交響曲第6番「田園」で打ち立てたもの。
ベートーヴェンも革新的だったわけです。
ベルリオーズはそこから多分に影響を受けたのではないでしょうか。

ただ、その表題に、個人の恋愛の「物語」を持ち込んできたというのが、まったく斬新なところでした。

 

この幻想交響曲も、フィナーレが曲の到達点になっているのでフィナーレから聴いていいのですが、今回はご紹介する動画の見どころも考慮して、第2楽章→第4楽章→第5楽章の3つの楽章をピックアップして、順にご紹介します。

 

ノリントンがハープ6台を「どうだ!」と並べてみせる第2楽章

まずは第2楽章「舞踏会」。

主人公はある舞踏会で愛する人を見かけます。

華やかな舞踏会の光景が描かれ、優美な音楽が続きます。けれど、やがて愛する人を雑踏のなかに見失い、華麗なワルツの音楽に飲み込まれるままに、この楽章は終わります。

ご紹介する動画の最大の見どころのひとつになっているのも、この第2楽章です。

第1楽章が終わると、指揮者ノリントンはこれ見よがしに、わざわざハープ6台をオーケストラの前にずらりと並べます(↓その箇所からのリンクが貼ってあります)。ベルリオーズ自身は「少なくとも4台が望ましい」としている楽章です。

 

第2楽章「舞踏会」はハープが活躍する楽章なので、彼はその魅力を視覚的にも最大限に魅せてくれます。

終わりのところでは、コルネットのオブリガード(演奏するかどうかは指揮者の判断に委ねられているパート)を吹かせつつ、ハープの響きもしっかりと残したいというかなり難しい要求をノリントンがしています。

そのために学生オーケストラが明らかに混乱する場面が、特に終盤で散見されます。

けれど、そういう破綻のようなものを曲自体が求めているといっていいのが幻想交響曲、そこもふくめて、大目に見て楽しんでください。

この曲を初めて聴く人は第4楽章「断頭台への行進」から入っても面白い

第4楽章はものすごい題名で、「断頭台への行進」です。

断頭台というのは字のごとく、ギロチンのことです。この第4楽章以降は、アヘンを飲んだ後の夢のなかでの出来事になります。

主人公は様々な不安から愛する恋人を夢のなかで殺してしまいます。そして、裁判にかけられ、死刑を宣告された主人公はギロチン台へと送られていきます。

ギロチン台へと行進していく主人公、それを見に来ている群衆のお祭り騒ぎ、その喧噪を描いているのがこの楽章です。

皮肉っぽい、グロテスクな行進曲が繰り広げられます。

この楽章の終わり近く、いよいよ盛り上がったところでオーケストラは静まり返り、クラリネット1本が短い旋律を奏でます(この箇所のYouTube)。

これが「恋人の主題」と言われる旋律で、この交響曲の全体を統一するイデーフィクス(固定観念)です。この旋律は、第1楽章から終楽章まで形を変えて何度も登場して、曲全体を統一していきます。さきほどの第2楽章でも登場しています。

クラリネットがこの恋人の主題を奏でた瞬間、オーケストラが強烈な一音をジャンっ、すぐあとに弦楽器がピチカートでポンっポンっ。

あっという間の箇所なので気をつけて聴いてほしいところなのですが、これはギロチンが下りて主人公の首が落ちる場面をそのまま描いたと言われるところです。

こんな描写をオーケストラでやってしまう。ベルリオーズの破天荒ぶりが露骨に示されるところです。

ドラムロールが鳴り響いて、この楽章は華々しく終わりを告げます。

このグロテスクな行進曲をノリントンはほかの指揮者たちより、ゆっくりなテンポで指揮しています。そのことによってオーケストラの細部で奏でられているグロテスクな音型があらわになって、よりいっそう奇怪な響きが強調されることになります。

こういったところはノリントンの面目躍如たるところです。

曲の終わりで180度しっかりと聴衆のほうへ振り返り「どうだ!」と手を広げるノリントン。まだフィナーレが残っているのですが、聴衆も大喝采で応じています。

第4楽章『断頭台への行進』です↓

第5楽章『ワルプルギスの夜の夢』~魔女たちの夜の宴会

死刑になった主人公の葬式のために、魔女たちが集まってきます。いよいよ、クライマックスであるフィナーレ、第5楽章。

不気味な出だし、不吉な音、そして、教会の鐘の音。

殺されてしまった恋人の主題もグロテスクなものに変形されて登場してきます。

さらに、低音楽器で『怒りの日』というグレゴリオ聖歌の旋律が引用されますが、これはたくさんのクラシック作品で引用される旋律で、サン=サーンスの交響曲第3番『オルガン付き』、ラフマニノフの『パガニーニの主題による狂詩曲』などでもかなりはっきりと引用されています。

そして、段々と狂乱がはじまり、魔女のロンドという主要部へと入っていきます。そこから先は、ベルリオーズのオーケストラ書法の祭典といってもいいような、めくるめく音によるドラマが展開されていきます。

ノリントンは、やはりこの楽章もゆっくり目のテンポで、この楽曲の破天荒な側面をじっくりと強調して響かせています。

この曲は指揮者、演奏者のインスピレーションを相当に刺激するようで、名演奏の多い曲のひとつですが、この動画でのノリントン指揮イギリス王立音楽院交響楽団の演奏もそのひとつに堂々と数えられていい、傑出した演奏でしょう。

演奏が終わるや否や、会場は大歓声に包まれます。

第5楽章『ワルプルギスの夜の夢』です↓

 

 

ブログを書くためににYouTubeをいろいろ探しているなかで偶然見つけたものですが、ほんとうにお薦めの素晴らしい名演奏で、もっともっと知られてよい動画です。

これをご紹介できて、このブログを始めてみてよかったと思えるくらいです。

ノリントンの幻想交響曲の録音

サー・ロジャー・ノリントンには幻想交響曲の正式な録音が2つありますので、そちらをあわせてご紹介しておきます。

まず、1988年にロンドン・クラシカル・プレーヤーズと録音したもの。古楽器による録音で、速めのテンポで駆け抜ける演奏。このロンドン・クラシカル・プレーヤーズという楽団はノリントンが設立した楽団です。
( AppleMusicは↓・Amazon MusicSpotify )

 

2003年、シュトゥットガルト放送交響楽団と録音したものがこちら。YouTubeの動画のものに近いのは時期的にもこちらの演奏になります。シュトゥットガルト放送交響楽団は現代の楽器を使っているオーケストラですが、ノリントンを指揮者にむかえるにあたって弾き方を古楽奏法にするなど、ノリントンの時代は古楽アプローチでたいへん話題になったコンビでした。

( AppleMusic↑・Amazon MusicSpotify )

幻想交響曲はオーケストラ・コンサートで現在ももっとも頻繁にとりあげられている曲目のひとつです。また、すばらしい録音が多い演目のひとつでもあります。

交響曲というジャンルへの入門としても魅力的な音楽なので、ぜひ、ベルリオーズの破天荒で幻想的な世界を体験してみてください。

 

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