シリーズ《交響曲の名曲100》、その第17回。
このシリーズでは、「交響曲」という形式で書かれたクラシックの名曲の数々から、是非とも聴いてほしい名曲をピックアップしてご紹介しています。
クラシック初心者・入門者でも親しみやすいように、曲にまつわるエピソードや聴きどころ、お薦めの音源もあわせてご紹介しています。
また、クラシック初心者の方にいきなりCDを買ってくださいというのは無理があると思うので、オンライン配信でアクセスしやすいものを中心に、後半で音源紹介していきます。
さて、前回にひきつづき、ハイドン2回目のイギリス訪問のときに書かれた“ 第2期ロンドン・セット(ザロモン・セット) ”からご紹介。
今回はそのおしまいの2曲、交響曲第103番『太鼓連打』と第104番『ロンドン』をおとどけします。
目次(押すとジャンプします)
ハイドンの交響曲をふりかえって
このシリーズの第1回から登場していただいた交響曲の父ハイドンは、今回が最終回となります。
第1回では祝祭的な『マリア・テレジア』、第2回ではフィナーレの演出が有名になり大ヒットとなった『告別』、名声が国外にまで広がってパリからの注文で書かれた「パリ交響曲集」を第8回と第9回で、傑作の誉れ高い第88番をシリーズ第11回で、パリからの再注文で書かれたものを第15回で、そして、前回の第17回では初めてイギリスへと海を渡ったハイドンの第1期ロンドン・セットを特集しました。
こうしているあいだに、途中、モーツァルトという若き天才が現れ、そして、その短い生涯を駆け抜けていきました。
モーツァルトは、これからご紹介するハイドン2回目のイギリス楽旅のときには、すでに他界しています。
ハイドンという作曲家は、「大器晩成」といわれていて、逆に言えば、大成するまでにとても時間を要した作曲家です。
それは、彼の年下の友人、モーツァルトの早熟ぶりとは、見事なまでに対照的です。
けれど、それはただ単純に遅かったというわけではありません。
こうして一連のハイドンの交響曲を見ていてわかることは、彼が非常に創造的に努力をかさねて、「交響曲」という形式を自力で形作ったということです。
ほかのジャンルでは「弦楽四重奏」、さらにはこれら全ての柱となる「ソナタ形式」など、彼が自力でその基礎をつくったものがたくさんあります。
とりわけ、ハイドンの弦楽四重奏は、モーツァルトが熱心に研究に研究を重ねていたことで有名です。
つまり、モーツァルトがすぐにその才能を開花できたのは、ハイドンが先に生まれて、たくさんの準備をしてくれていたおかげと言っても差し支えないでしょう。
そして今、じゅうぶんに大地に根をはった大樹が大きく大きく枝を伸ばすように、ハイドン自身がその傑作の森を形づくっているというわけです。
さて、偉大なるハイドンを讃えつつ、彼の最後の交響曲2曲のご紹介です。
第103番変ホ長調『太鼓連打』
交響曲第103番は、ハイドン2回目となるロンドン滞在の2年目、つまりは、ロンドンでの最後の年に書かれました。
『太鼓連打』、英語で“ The Drum Roll ”というニックネームは、曲の冒頭のティンパニのソロに由来します。
フェルマータつきの1小節のソロですが、これをどう演奏するか。
そのアプローチは近年、より自由な扱いになってきています。
また、それ以外にとても目立つのが、第2楽章でのヴァイオリンのソロです。
これは、演奏した楽団のコンサートマスターにヴィオッティという名手がいたので、彼の腕前を活かすための工夫だったんじゃないかと言われています。
実際、初演のときにはこの第2楽章がアンコールされたそうです。
このヴィオッティは“ 近代ヴァイオリン奏法の父 ”とされる名手で、作曲もした音楽家。
このハイドンのロンドン滞在から数年後に彼が作曲した『ヴァイオリン協奏曲第22番』は、彼の代表作といえる名曲で、私も彼の曲のなかで唯一知っているのはこの曲です。
ヴィオッティのヴァイオリン曲は、のちにベートーヴェンやブラームスといった大作曲家からも高く評価されました。
せっかくですので、私が好きなグリュミオーによる録音をご紹介しておきます。
( Apple Music↓・Amazon Music・Spotify・Line Music などで聴けます)
第104番ニ長調『ロンドン』
いよいよ、ハイドン最後の交響曲ということになります。
実は、ハイドンが書いた交響曲はまちがいなく104曲以上あるとされていて、実際の数は現在でも確定に至っていません。
ちなみに、ご紹介している番号は、20世紀初頭にハイドン研究で著名なマンディチェフスキーという音楽学者が割り振ったもので、これが現在でも一般的に使用されています。
この人は、あのブラームスの親友だった音楽家です。
番号はともかく、この交響曲がハイドン最後の交響曲であることは事実で、この交響曲第104番の初演はロンドン滞在の最後の年、1795年の5月4日と推定されています。
初演の場所がロンドンだったので『ロンドン』というニックネームになっています。
これも作曲者ハイドンによる命名ではありません。
ただ初演がロンドンというだけでは、彼のこの時期のすべての交響曲が『ロンドン』ということになってしまいますので、いろいろな書籍などで指摘されているように、ニックネームがちょっとおかしいのはおかしいんです。
でも、ハイドンの最後の交響曲にとにかくニックネームをつけずにいられなかったという聴衆の気持ちが、私にはわかります。
ハイドンの交響曲になぜニックネームが多いのか。
それは彼の音楽が、他のものと区別せずにはいられない、特別なものだからです。
何にしろ、名前を付けずにはいられないというのは、それを大切に思う人々の愛情の衝動ということです。
イギリス訪問、その後のハイドン
2回のイギリス楽旅は、ハイドンの人生でのクライマックスといえる成功でした。
それは収入の面でもはっきりしていて、ある伝記によると、エステルハージ公につかえていた30年での貯蓄が200ポンドだったのに対し、このイギリス楽旅でハイドンが手にしたお金は2400ポンドだったそうです。
そして、そうした経済的な面だけでなく、名誉博士号をもらったり、王侯貴族から丁重なもてなしを受けたり、イギリスのいたるところで大喝采を浴び続けた、成功の連続を味わったわけです。
でも、実はそれら以上にハイドンがイギリスで得た大きなものがありました。
それが“ オラトリオ ”の再発見です。
オラトリオというのは、主に宗教的な内容をもつ劇的な物語を、大規模な合唱やオーケストラによって、演奏会形式で上演するものです。
当時、イギリスではヘンデル(1685-1759)を筆頭とする「オラトリオ」がたくさん上演されていて、ハイドンもそれらを聴きに行っています。
ヘンデルのオラトリオでいちばん有名なのは、“ ハレルヤ・コーラス ”でおなじみの『メサイア』でしょう。
教会や大ホールで、大編成の合唱と大編成のオーケストラが数百人、数千人規模で上演する「オラトリオ」を生で体験して、それまでエステルハージ公のもとで数十人の楽団を想定して音楽を書き続けてきたハイドンは、新たなインスピレーションを手にします。
交響曲第104番が書かれたのは、ハイドン63歳の1795年。
交響曲はこれで最後でしたので、このシリーズでハイドンをご紹介するのは今回が最終回ですが、その後すぐにハイドンが亡くなったわけではありません。
彼は長寿に恵まれ、77歳になる1809年まで存命でしたので、まだ14年もの時間が与えられていました。
イギリスからの帰国後、そこでの体験をもとにして、私たちのハイドンはさらなる高みに至る大作、オラトリオ『天地創造』、オラトリオ『四季』などを書き始めることになります。
そう、車大工の子どもとして生まれたハイドンは、100曲以上の交響曲を生み出し、これほどの高みに到達しても、まだまだその創造は次へ次へと向かっていくわけです。
ブログをはじめてよかったこと
ちょっと雑談を。
このブログの最初の投稿が2021年5月4日でした。
偶然にも5月4日はハイドンの『ロンドン』が初演されたと推定されている日付です。
うれしいです。
先日、日ごろ応援してくれている友人から、ブログを始めてよかったことは何かと聞かれました。
そして、すぐに頭に浮かんだことが「ハイドンを再発見できたこと!」でした。
ハイドンは昔から大好きです。
でも、ブログを書くとなると、日ごろの不勉強もあって、以前より一生懸命文献にあたったり、いろいろな録音を聴きなおしたり、この数か月、たくさんの時間をハイドンと一緒に過ごしました。
そして、それがとってもたのしかったです。
駅で見かけた1冊の本
しばらく前のことですが、どこかの駅で乗り換えの時間をつぶすために、駅にある小さな本屋さんで1冊の音楽の本を立ち読みしました。
初心者向けに解説をしている書籍でしたが、びっくりしたのが「ハイドンは音楽史上はとても重要な人物だけれど、今となっては、その音楽は退屈なものが多く、わざわざ聴くほどの作品はない」というようなことが書かれていたことです。
読み違えかと思って読み直しましたが、やはり、そうした内容が書かれていました。
もうその本のタイトルも覚えていませんし、別に、その本はダメとかその著者を責めたいとか、そういうことではありません。
意見がちがうということは健全ですから、さまざまな意見があって、しかも、ああして活字にして出せることがとても大切なんです。
でも、ああした文字が世に出ているなら、私のようにハイドンを礼賛する文字も、もっとあっていいかなと思いました。
それを思い出したので、ちょっと雑談を書いています。
コロナとハイドン
2021年8月でしたか、東京でのコロナの新規感染者数が5000人を超えたという大きなニュースがありました。
予想はしていたものの、実際にそういう知らせを耳にすると、気分はやはり落ち込むもので、何とも重たい空気を感じた一日でした。
ところが、あの日の夕暮れは、ほんとうに美しいものでした。
まだ青さの残る空のなかに、夕日に照らされたオレンジ色の雲がいくつも浮かんでいて。
私が人生で見た夕映えのなかでも、とりわけ美しかったのがあの日のものでした。
私は今、「ところが」という接続詞を使いましたが、本当はそれはおかしいんです。
暗いニュースがあったからといって、天候にはそもそも関係がないわけです。
つまり、コロナは世界がかかえる問題ですが、世界といっても「人間」世界の問題。
人間の外側、つまり自然界にとっては、今もいつもの時間、日常が前と変わらず存在しているわけです。
ハイドンを思うとき、私が考えるのはそういうことです。
モーツァルトやベートーヴェンを非日常とするなら、ハイドンはとても日常的な音楽です。
人生の節目になりひびくような音楽、日常を大きく超えるような出来事をモーツァルト、ベートーヴェン、マーラーの響きとすれば、ハイドンのものは日々の響きです。
でも、その日常がいかに尊いものか。
私は頭が混乱したときはバッハを聴きたくなりますが、心をおだやかに、平穏な日常をとりもどしたいときにはハイドンを聴きます。
「日常」が失われた今だからこそ、ハイドンを聴くということがとっても意味のある、大きな慰めであり、大地に根を張った展望を持つ行為にすらなるように思えるんです。
クラシック音楽を知れば知るほど、その存在感が大きくなってくる作曲家というのがいて、ロマン派でいえばシューマン。
そして、古典派では、まちがいなくハイドンです。
彼の音楽は、日常が失われた今こそ、もっと弾かれて、もっと聴かれるべき、わたしたちの心の糧となる音楽です。
🔰初めての『太鼓連打』
全部で4楽章、30分ほどの音楽です。
冒頭にティンパニーのソロが入っていて、それをどう演奏するかがまずは聴きどころです。
ひと昔前までは、クレッシェンドやデクレッシェンドといった、シンプルなものが主流でしたが、最近は工夫を凝らして、和太鼓の乱れ打ちのようにやる人も多いです。
このティンパニーのソロは、第1楽章のおしまい、コーダの前にも再現されるという、とても大胆な構成を誇っています。
第2楽章や第4楽章の旋律が人懐っこい感じがするんですが、これは南ヨーロッパの民謡をもとにしているからだそうです。
🔰初めての『ロンドン』
大作曲家の最後の交響曲というのは、どこか特別な響きがしているように感じます。
モーツァルトの『ジュピター』が特別であるように、やはり、ハイドンの『ロンドン』も特別です。
この曲は、どこから聴いても好きになれると思う一曲ですが、まずはやはり第4楽章フィナーレでしょうか。
この第4楽章の第2主題を聴くたびに、私はブルックナーの交響曲第8番のフィナーレのコラールが思い出されます。
ここには、何かそうした宗教的な、神聖なひびきが聴こえます。
全4楽章で、30分ほどの曲。
フィナーレでその到達点に親しんだあとは、他の楽章もどんどん聴いてみてください。
【補足】
今回は、第102番をご紹介していませんが、それは単純にニックネームがあるもののほうが親しみやすいと思ったからです。
第102番を、ハイドンの全交響曲のなかでの最高傑作とする専門家もいらっしゃいます。
いつか機会をつかんで聴いてみてください。
私のお気に入り~『太鼓連打』
《ニコラウス・アーノンクール指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団》
冒頭のティンパニーを豪快に叩かせた、有名な録音です。
でも、この演奏の本当の魅力はその後からです。
果敢な表現意欲、そして、それに相反するような優美な表情と、しなやかな響き。
まさにインスピレーションに満ち溢れた音楽が実現されています。
これは、ハイドン本人がもしその場にいたとしても、感心して聴き入ったんじゃないかと思える名演奏。
このコンビは『ロンドンセット』をすべて録音していますが、第103番はそのなかでも特筆されるべき、出色の一曲です。
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《ロジャー・ノリントン指揮シュトゥットガルト放送交響楽団》
今年2021年の11月に、ハイドンを指揮して引退したノリントン。
1934年、イギリス生まれの指揮者で、古楽器、あるいは古楽奏法を使った演奏で世界的な活躍をした方です。
以前ベルリオーズの幻想交響曲を指揮した動画をご紹介した記事でも書きましたが、この人は何といってもユーモアの人。
基本的に、陽性の音楽を奏でます。
この『太鼓連打』でも予想通り、冒頭派手にティンパニーを叩かせていますが、それ以上に面白いのは第2楽章。
速めのテンポで、シャンペンの泡が湧き立つような音楽をやっていて、この楽章のあたらしい魅力を教えられます。
第3楽章も初めて聴くような、新鮮な創意工夫でいっぱいの演奏。
2009年にドイツで行われた、素敵なライヴ録音。
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《トマス・ビーチャム指揮ロイヤル・フィル》
“ イギリス最後の偉大なる変人 ”と讃えらえられたビーチャム(1879-1961)による、チャーミングなハイドン。
この指揮者らしい、おおらかで、ウィットに富んだ表情を楽しめます。
第2楽章での悠々とした歌は、この時代ならではのハイドン像。
第1楽章、そして第4楽章での確固たる造形は、この人が大指揮者だったことをはっきりと証明しています。
この人のハイドンはどれも立派で、第104番『ロンドン』も素晴らしいです。
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私のお気に入り~『ロンドン』
《フランス・ブリュッヘン指揮オランダ放送室内フィルハーモニー》
作曲された当時の楽器で演奏するという「古楽」の分野をリードしてきた巨匠ブリュッヘン、その最晩年の映像です。
それだけに、いっそう音の落とすひとつひとつの陰が濃いです。
老境のマエストロが到達した、ときおり天上のひびきが聴こえる、透明なハイドン。
《オイゲン・ヨッフム指揮ロンドン・フィル》
ヨッフム(1902-1987)は、ドイツ生まれの大指揮者。
若いころから活躍していた人ですが、長寿に恵まれて、晩年にハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、ブルックナーの交響曲で、立派な録音を後世に残してくれました。
見た目は大学教授、もしくは教会の牧師さんのような、落ち着いた風貌の人ですが、実際に聴かせる演奏はドラマティックなものが多いです。
イギリスのロンドン・フィルを指揮したこのハイドンは、堂々たる風格のもの。
自然なスケール感を誇る大家の演奏ですが、いっぽうで、流麗さが際立っているのも特徴。
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《ハンス・ロスバウト指揮ベルリン・フィルハーモニー》
ハンス・ロスバウト(1895-1962)は、けっこうクラシックを好きにならないと出会わない音楽家です。
たいへん博識で頭脳明晰だったうえに、とっても親切な人だったそうで、演奏が困難な、複雑な現代音楽の世界でも献身的に活躍して、同時代の多くの作曲家たちから信頼されていた人です。
そんな彼には、モーツァルトやハイドンといった録音も残っています。
そして、聴いて驚くのが、それらがとっても渋み豊かな、味わいのある演奏だということ。
現代音楽を得意とする指揮者に多い、クールで、やや無表情なこともある演奏とはまったく違う、あたたかみのある、血の通った音楽が刻まれています。
この『ロンドン』はベルリン・フィルとの共演。
ベルリン・フィルがとても良い音で応えています。
ロスバウトがとっても素敵な音楽家だということがすぐにわかる演奏。
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