エッセイ&特集

ジョナサン・ノットと東京交響楽団の「第九」2021、そしてスイス・ロマンドとの「第九」

 

 

2021年12月29日(水)14:00、サントリーホールでジョナサン・ノット指揮する東京交響楽団の特別演奏会を聴いてきました。

演目は、ベートーヴェン:交響曲 第9番 ニ短調 op.125 「合唱付」、いわゆる『第九』です。

日本政府による外国人の入国規制があるために、声楽のソリストは全員変更になって、以下の出演者となりました。
ソプラノ:盛田麻央
メゾソプラノ:金子美香
テノール:小原啓楼
バリトン:甲斐栄次郎
合唱:新国立劇場合唱団
合唱指揮:河原哲也

幸運にも11月下旬にすでに別の公演のために来日していた指揮者のジョナサン・ノットは、12月のヨーロッパでの予定を調整して、そのまま年末の『第九』までずっと日本にいてくださいました。

ほとんどの日本のオーケストラが第九の指揮者変更を余儀なくされたなか、ジョナサン・ノット氏には心からの感謝を捧げたいです。

私が今、毎年いちばん楽しみにしている第九

私が年末の第九で今、いちばん楽しみにしているのは、このジョナサン・ノットと東京交響楽団の第九です。

私がこのコンビの第九を聴いたのは今回が2回目で、最初はコロナ前の2019年の年末、ジョナサン・ノットが東京交響楽団で初めて『第九』を振った年でした。

考えてみると、あれがコロナ前に私が聴いた最後の生演奏でした。
そしてようやく、今年の11月から、ウィーン・フィル日本公演でコンサート通いを再開したところです。

ですので、2年ぶりのノット&東響の『第九』ということになります。

こうして同じ指揮者と同じオーケストラによる第九を連続で聴きに行くというのは、初めてです。
私はいろいろな音楽家たちのいろいろな第九を体験したいので、なるべく違った組み合わせのものを聴きに行くようにしていますが、ノットと東京交響楽団の第九は我慢できませんでした。

それくらい、2年前に聴いた第九が素晴らしかったわけです。

 

ノットと東京交響楽団の第九の特徴

ステージ上を見渡したときにすぐに気づくのが、そのオーケストラ編成の小ささです。
コントラバスが5人で、ファーストヴァイオリンが12人です。

第九を演奏する人数としては、かなりコンパクトな編成です。
2年前もとてもコンパクトなサイズで演奏していたので、この編成はずっとそのままなのかもしれません。

 

それから、テンポの速さ。
ノットの演奏は基本的にテンポが速めですが、第九も例外ではなくて、速めのテンポが設定されます。

そして、演奏のスタイルとしては、弦楽器のヴィブラートをおさえての、いわゆる古楽奏法との「折衷」のスタイルです。

その速めのテンポと、ヴィブラートをおさえた弦楽器と管楽器の音の綾がつぎつぎとからみあって、そこに固めの響きのティンパニがかなりはっきりと打ち込まれます。

楽団員入場のときに、拍手するかしないか問題

このコンサートに限らず、オーケストラの楽団員がまず入場してきたときに迷うのが、拍手をするかしないかということ。
指揮者が入ってきたときには必ず拍手があるのですが、その前の楽団員の入場時はどうするかということ。

ずっと前は日本ではみんなが盛んに拍手していました。
それが、NHKのBS放送などで、海外のベルリン・フィルなどが地元で行う演奏会ではオーケストラの入場時に拍手がないという光景が中継されるようになると、日本でも拍手はするかしないか中途半端な感じに変化、それが今も続いているように思います。

拍手があってもなくても、オーケストラの団員が何ごともなかったかのようにただただ座席に座っていくので、聴衆側も判断がつかないという感じです。

 

ところが、今回の東京交響楽団の演奏会ではちがっていました。
これはいつから変更したんでしょうか。

楽団員が入場してきて、まずは全員がステージ前方に体をむけて、立ったまま拍手に応えます。
最後にコンサートマスターが入場してきて、ひときわ大きい拍手があったところで楽団員が着席、チューニングに移るというスタイルです。

これは、ウィーン・フィルなどが以前から使用しているスタイルです。
私はこのスタイルを採用した東京交響楽団に賛成です!
これがいいと思います。

私たちは、黄金時代を迎えているオーケストラ・メンバーに拍手を送りたいんです。
それをはっきりと受け止めてくれるこのスタイルなら、こちらもはっきりと拍手を送りやすいです。
是非ともずっと続けてほしいです。

 

 

第九は2年前もそうだった気がしますが、コンサートマスターが2人座ったツートップの万全の体制。

そして、そこへマスク姿の指揮者ジョナサン・ノットが入場、いよいよ2021年の第九が始まります。

2021年のノット×東響の第九

第1楽章がはじまって、少し「あれ?」っと感じます。

2年前には、小編成ながらも、力感があり変化に富んだ、カッチリとした音楽が聴こえてきたのに、今回は何か音楽がつかみきれないような印象がつづきます。

力感がないわけでもなく、管楽器はオーボエを中心にとっても美しい瞬間があるのに、どこか音が散漫。

 

そうして、第2楽章になって、幾分、新鮮な表情を取り戻します。
その速いテンポ感がスリリングでさえありますが、ただ、ノットが反復をすべてしっかりと繰り返すこともあって、それもだんだんと少し緩慢な音楽に感じられる瞬間が出てきます。

面白いのは、そうした緊張感がとぎれる瞬間が来ると、自然と聴衆がみんな体勢をととのえたり、座りなおしたりと、一瞬間、会場のノイズが大きくなることです。

「自分は音楽は詳しくないので」と言っている人でも、やはりそうしたタイミングで姿勢を変えます。
わかってはいないのかもしれないけれど、感じてはいるということでしょう。

 

第2楽章スケルツォの中間部トリオも、これ以上ないくらいスピーディーなテンポ。
それでも必死にくらいついて、そのテンポのなかで歌う管楽器。
それは見事なんですが、やはり何かしっくりこないまま、第2楽章も終わります。

第3楽章

第2楽章が終わって、第3楽章の前の、このタイミングで会場に合唱と声楽ソリストが入場しました。
声楽ソリストは指揮者のすぐ近くに、合唱はサントリーホールの舞台後方のP席に、座席の間隔を空けて座ります。

そして、第3楽章へ。

ここはとても美しい「歌」が紡がれました。

こうしたところは、もともとボーイソプラノで、声楽の出身である指揮者ジョナサン・ノットの美点で、古楽奏法というアカデミックな手法をとっていても、音楽の歌の側面がとても大切にされます。

この楽章にかぎらず、たとえば第1楽章や第2楽章のような速いテンポのなかでも、テヌートやレガートが意識的に重視されています。

それが、どんなに速いテンポでヴィブラートなどを排したとしても、音楽が干からびたものになることを防いでいるわけです。

 

この楽章は、聴き手が歳をかさねるごとに好きになっていく楽章のように感じます。

ノットの指揮にみちびかれて第3楽章がはじまったとき、不意に、目頭が熱くなりました。
コンサートで涙が出てくるというのは、私はあまりないんですが、先日のウィーン・フィルといい、コロナ禍で生の音にあまり触れられないせいで涙腺がゆるくなっているのか、あるいは、今年は特に良いコンサートに当たっているのか、どちらかわかりません。

でも、理由はいずれにせよ、涙が出ました。

 

まだクラシックを聴きはじめのころ、第九を解説した本に、この第3楽章こそ「ベートーヴェンが作曲したすべての音楽のなかで、特に美しいもののひとつである」と書いてありました。

でも、中学生のころの自分にそこまでは感じられず、ほかの勢いの良い楽章のほうがずっと魅力的でした。
けれど、毎年毎年聴きなじんでいくにつれて、いつの間にか口ずさめるようになって、この楽章の美しさが心の奥底まで届いてくるようになりました。

今となっては、あの解説に書いてあった通り、この第3楽章が「ベートーヴェンが書いたなかで最も美しい音楽」であることに何の疑いもありません。

 

 

そして、第4楽章へ

そうして、いよいよ第4楽章です。

冒頭のフォルテッシモが始まった途端、「あ、やっぱりまた同じだ」と感じました。
第1,2楽章のときに強く感じた、散漫な印象があっという間に戻ってきました。

 

そうして、バリトンが例の「おお友よ、こんな音楽ではない。もっと喜びに満ちた歌を歌おう!」と声楽が入ってきます。

バリトンが“ Freude ! (喜びよ!)”と歌いかけ、合唱がそれに応じて“ Freude ! ”と第一声をあげた途端です。

 

その合唱が隙間風が吹くような、肩透かしをくらったかのような響きでびっくりして、そして、ここでようやく、第1楽章からずっと感じていたことの正体がわかりました。

 

「配置」の重要性

2年前にこのコンビの第九を聴いて、心から感激したときと、今回でいったい何がここまで違うのか。

そのとき、ようやく思い当たりました。
それは、オーケストラと合唱の「配置」です。

私の記憶では、2年前のコロナ前のときには、オーケストラと同じステージ上に合唱も乗っていました。
つまり、オーケストラの団員ももっとぐっと「密」の状態で配置されて、その奥にはやはり「密」な状態で合唱も配置されていました。

そうです。
あのとき聴いて、観た「第九」は、何もかもが凝縮されたような形態になっていて、まるで小さな宇宙を聴衆が囲んでいるかのような空間になっていました。

驚くくらいコンパクトで、ぎゅっと小さくまとまったオーケストラと合唱から、段々と楽章を追うごとに大きな音楽が現れてきて、最後にはとっても広がりのある音楽へと拡大して、私たち聴衆がだんだんと惹きこまれ、飲み込まれていく、とても見事な第九でした。

 

それが、今回は感染症対策のためにできないということです。

音が散漫に感じられたのは、実際に、物理的な理由からで、オーケストラの団員どうしの間隔、さらには合唱の間隔がぐっと広がったためでしょう。

そのために、ノットの第九の特徴である「凝縮」された空間が、緩慢なものになってしまったということです。

 

このことですぐに思い出されるのが、名門ウィーン・フィルのコロナ禍での活動です。

以前の記事にも書きましたが、彼らがコロナ禍で活動を継続するにあたって、最初に集まって取り決めたことが「楽団員の距離をあけない」ということでした。

その話を聞いたときに、本当にすごいことだと思いました。
そして、今回、こうして実際にその演奏者の距離による音楽への影響を体験してみると、その影響力の大きさに驚かされます。

 

20世紀の巨匠セルジュ・チェリビダッケが何かのリハーサルでチェレスタの位置が気になって、そこでもない、ここでもないと色々なところにみんなで動かして大騒ぎで響きを確認していたというのを聞いたことがありますが、なるほど、楽器の配置というのは、音楽にとって、文字通り死活問題だということです。

 

でも、ウィーン・フィルは何といってもその活動を支える経済基盤も別格です。
彼らはさまざまな検査や実験を繰り返して、その理想を実現していましたが、他の一般のオーケストラには無理でしょう。

ですから、今回、東京交響楽団が以前より間隔を空けて演奏していることを責めるのは、無理な話です。
彼らはぎりぎりのラインで、精一杯のところで演奏をしているんです。

 

すべてを救った「新国立劇場合唱団」

こうした問題を抱え込んだ今回の第九を、最後の最後で見事なまでに救ったのが、新国立劇場の合唱団でした。

ゆるやかなテンポに落ちるアンダンテ・マエストーソ、“ Seid umschlungen, Millionen! ”「抱き合え、百万の人々よ!」のところから、音楽がぐっと良くなりました。

 

テンポが落ちることで、散漫な響きだったさまざまな音が、じゅうぶんな音価を得られたのもあるでしょう。

当初肩透かしをくらったようにすら感じた合唱は、その存在感を十分に示して、朗々たる響きがホールいっぱいに広がります。

 

あの日、初めて“散漫さ”がすっかりと、完全に解消された瞬間でした。
その見事な合唱に耳を奪われて、やっと心の底から音楽に身をゆだねることができました。

そこからは、実に見事な音楽の連続で、オーケストラもぐっと地に足がついたような安定を取り戻しました。

 

2年前もこの合唱団だったのか覚えていないのですが、ここまで合唱に心からの拍手を送りたくなったのは初めてです。

「新国立劇場合唱団」、まさにこの2021年の「第九」を救った素晴らしい合唱でした。

演奏がおわって、カーテンコールとなったときに、合唱団にはひときわ大きな拍手が送られていました。
その光景を見ていて、あの日、あの会場にいたお客さんのことも大好きになりました。

 

 

「終わり良ければすべて良し」(シェイクスピア)

そして、もちろん、それを引きだしたジョナサン・ノットの指揮にも大きな拍手を送らずにはいられません。

彼が根本的に声楽を大切に扱っているということが、この最後の最後での素晴らしい音楽を引きだしたのは間違いありません。

 

そして、以前のように思うような配置で演奏できないなか、もがきながらも健闘したオーケストラにも拍手を。

この黄金コンビがふたたび以前のように、ひとつのステージのなかで、“ ぎゅっと集まった ”形態で第九を演奏できるようになることを祈らずにはいられません。

今年、あの会場にいらしたお客さんたちに伝えておきたいのは、彼らの第九は本当はもっともっと凄いものだということです。

すでに2022年の第九公演もジョナサン・ノットが指揮することが予告されています。
コロナの終息を願って、来年の12月を待ちたいと思います。

仮にもし終息していなかったならば、さらに何か新しい道を、ジョナサン・ノットと東京交響楽団に期待したいと思います。
富士山は東からでも西からでも登れますから。

 

そう、この東京交響楽団の第九公演にはアンコールがあります。
『蛍の光』が合唱入りで演奏されます。

年末に『蛍の光』という、いかにも日本人が好きそうな、ややお涙頂戴な感じのアンコールなんですが、これが実際に体験するととっても心に染みて、その魅力には毎回抵抗できません。
少なくとも私は好きなので、これは今後も続けていただきたいアンコールです。

イギリス出身のジョナサン・ノットは、もともとスコットランドの歌であるこの曲が、ここまで日本に浸透していると知って、きっと驚いたんじゃないでしょうか。

そして、スタンディングオベーション

アンコールもすべて終わって、楽団が舞台をひきあげる際には、団員たちがお互いをたたえあって、固い握手が舞台のいたるところで見られました。

本当にいい状態にあるオーケストラの光景というのは、舞台がおわっても見ていて良いものです。

 

そのあとに、鳴り止まない拍手にこたえてジョナサン・ノットがカーテンコールに応じてステージへ再登場しました。
その際には、ほとんどの聴衆が立ち上がって、スタンディングオベーションとなりました。

ノット氏、予定外の長期滞在でずっと日本にいてくださいました。
本当にありがとうございました。

 

ノットと東響の「第九」CD

わたしが最初に聴いた2019年の第九公演はライヴ録音されて、CDとして発売されています。

 

画像をクリックするとAmazonの商品ページへ飛べます。
Amazonではオンライン配信もリンクされていますが、指揮者がちがう別のものと誤ってリンクされています。
2021年12月31日現在、オンライン配信はまだどこでもされていないようです。
このCDは、タワーレコード東京交響楽団の公式オンラインショップなどでも買うことができます。

スイス・ロマンドとの第九

 

 

今回の第九を聴いて思い起こしたのが、指揮者のジョナサン・ノットがやはり指揮者を務めているスイスの名門スイス・ロマンド管弦楽団との、かなり特別な第九の動画です。

これは、コロナが到来してわりとすぐに収録された時期のもので、スイス・ロマンド管弦楽団が公式に公開しているものです。

 

「密」をさけて、とにかく人と人の距離をとらなければならない。
その制約へのひとつの解答がこの動画でした。

 

スイス・ロマンド管弦楽団は舞台も客席も使って、さらには、2階席やボックス席も使ってオーケストラ・メンバーを最大限に拡散、楽団員の距離を最大限に確保して演奏しています。

当然、指揮者ジョナサン・ノットはあらゆる方向を向いて、360度、全方向にむかって指揮を行っています。
補助手段としてホール中央にテレビで指揮者の姿を全方向に映すという工夫もしています。

 

ここまで極端に、演奏者と演奏者の距離が離れているというのはとても大変です。

楽器経験のない方は、たとえば、小学生のときに音のスピードの実験をやったことはありますでしょうか。
みんなで一列にならんで、先生が運動会のピストルか何かをパンっと撃って、音が聞えたら旗をあげるという実験。
みんな同時に旗をあげるかと思っていたら、順々にウェーブのようにあがっていく旗、旗、旗。

音には速度があり、時間差があって聞こえているという実験。
オーケストラも同様です。
離れれば離れるほど、アンサンブルを揃えることさえ困難になります。

 

今年の東京交響楽団の第九と同様、この演奏も第1楽章から、音楽がどこか散漫です。

きっと理由は同じでしょう。
物理的に距離があいているということが、どうしてもジョナサン・ノットの描くベートーヴェン像と水と油なんです。

この動画でも、やはり、第4楽章の「合唱」が入ってからのほうが演奏が落ち着き、聴きやすくなります。

 

そういう意味で傷だらけの演奏動画なのですが、見方を変えれば、コロナ禍でなければありえない演奏の光景であり、あの状況でもベートーヴェンを鳴り響かせたという音楽家たちの使命感の反映でもあり、コロナ禍のオーケストラ界の挑戦を象徴したひとつの記念碑としての位置づけを、今も確かに持っている動画です。

 

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