先日、マーラーの交響曲第3番を紹介する記事を書いていたときに、アメリカ出身の名指揮者ロリン・マゼールがニューヨーク・フィルを指揮した演奏がオンライン配信されているのを見つけました。
これはCDでは出ていないはずです。
なんとなく聴いてみたところ、これがとっても素晴らしい演奏でした。
そんな言い方では全然足りないかもしれません。
これはマゼールの最高の録音遺産のひとつ、さらにはマーラーの交響曲第3番の最良の名演奏の列に並ぶものと感じています。
そうして、聴きながら久しぶりに、指揮者マゼールのことをなつかしく思い出しました。
ロリン・マゼールが亡くなって、もう7年。
私は、クラシック音楽を聴きはじめて、わりと早い段階から彼の名前を知り、彼の演奏をラジオ、テレビで聴いてきました。
けれど、生演奏はたったの1回しか聴いていません。
というのも、その1回で彼のことをとても嫌いになってしまったからです。
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わたしが聴いたマゼール
あのときのオーケストラは当時、彼が音楽監督を務めていたバイエルン放送交響楽団。
プログラムが素晴らしくて、前半にブラームスの交響曲第1番、後半にストラヴィンスキーのバレエ組曲『火の鳥』、R・シュトラウスの組曲『ばらの騎士』というもの。
どれも当時マゼールが得意にしていたレパートリーでした。
このプログラムは、その折の来日では、私が住む関東近辺では組まれておらず、びわ湖ホールだけの特別プログラムのようでした。
というわけで、わざわざ東京から新幹線を使ってびわ湖ホールまで、友人を連れ立って聴きに行きました。
当時はお金のない貧乏学生だったので、日帰りでの旅。
マゼールは長年聴いてみたい指揮者だったものの、なかなか機会にめぐまれず、ようやく生演奏を聴くことができる機会でした。
それだけにいっそう、わたしは期待感で胸をいっぱいにして、びわ湖ホールの座席にすわったわけです。
オーケストラの入場、チューニング、そして、しばしの静けさのあと、万雷の拍手のなかにロリン・マゼールが登場しました。
前半はブラームスの交響曲第1番。
彼がその数年前にも日本で指揮して、その意欲的なアプローチをラジオで聴いておおいに楽しんだ曲です。
いよいよ彼がタクトを振り下ろしてブラームスが始まりました。
ところが、それが始まった瞬間、その冒頭から私は拍子抜けしてしまいました。
なんの感慨もなく、淡々と進んでいく音楽。
音のバランスはさすがドイツの一流オーケストラだとすぐにわかりましたが、そんなことより、とにかく音が鳴っているだけにしか聴こえない。
これがリハーサルだと言われても何の違和感もないくらい、ただ通しているだけといっていい演奏。
第1楽章冒頭から第4楽章の最後の和音まで、見事なまでに粛々と、ルーティンワークに陥った演奏がつづきました。
今思い出してみても、あの冒頭の無表情な音以外、演奏のことを何ひとつ思い出せません。
それくらい、何もなかったわけです。
がっかりしつつも後半に期待して、休憩後、ストラヴィンスキーの『火の鳥』が始まりました。
が、やはり何も響いてきません。
そして、最後の音楽、R・シュトラウスの組曲『ばらの騎士』。
これがとどめの一撃というか、始まった瞬間に驚きました。
組曲の前半が丸々カットされて途中から演奏が始まったからです。
マゼールが何がしかの音楽的こだわりを持ってカットしているならまだしも、CD録音でも全曲を演奏していたうえに、来日の少し前に行われた海外でのコンサートではノーカットで演奏しているのをラジオで聴いていました。
私はこれですっかり腹を立ててしまいました。
しかも、ラジオで聴いた『ばらの騎士』はとっても素晴らしかったのに、やはりあの日の『ばらの騎士』は、ただ演奏しているだけの音が最後の最後まで続きました。
はるばる新幹線に乗って聴きに行って、まったくのルーティンを聴かされてしまったわけです。
ルーティンをするなら地元だけにしてほしい。
わざわざ海を渡ってまでルーティンを聴かせることはない。
かわいそうに私と一緒に来てくれた友人は、落ち込む私を気づかって大きな豚まんをごちそうしてくれました。
コンサート後に少しだけ琵琶湖を散策しましたが、当時は思いのほか湖面が濁っていました。
馬鹿げた誓い
それからしばらくして、来日ツアーでの別日、東京公演の模様がNHKでテレビ放送されました。
メインの曲目はベルリオーズの幻想交響曲でした。
悔しいことに、マゼールはとても素晴らしい演奏をしていました。
あの日、私がびわ湖ホールで体験した指揮者とは別人のような強い磁力で見事な指揮をしていました。
これが、ダメ押しになりました。
いっそう腹が立ってしまい、「二度とマゼールのチケットは買わない!」と心に誓ってしまいました。
自分のことながら、何て馬鹿な誓いをたてたものかと思います。
そして、さらに愚かしいことに、わたしはその誓いをしっかり守ってしまいました。
彼は比較的、日本公演の多い指揮者でしたが、結局私はそれ以降、彼のチケットは買わないまま、マゼールは2014年にこの世を去ってしまいました。
チケットこそ買いませんでしたが、あのびわ湖ホールの公演後も、マゼールが海外で行った演奏会がラジオで放送されたりすると、結局、私は聴かずにはいられませんでした。
つまりは、それでも好きな指揮者だったわけです。
マゼールはあの日、もしかしたらとっても体調が悪かったのかもしれないし、何かしら事情があったのかもしれません。
もしくは、もともとそうした激しいムラのある指揮者だったのかもしれません。
たった一度のことで大きなことを決めてしまったのは、自分のことながら、本当に愚かしいかぎりです。
そんなことを、彼のこの類まれなマーラーの交響曲第3番の演奏を聴きながら思い出していました。
名物指揮者ロリン・マゼール
ロリン・マゼールをご存じない方のために。
彼は1930年生まれ、アメリカの指揮者・ヴァイオリニスト・作曲家。
いわゆる天才少年として10歳にならないうちからニューヨーク・フィルやNBC交響楽団といったアメリカのメジャー・オーケストラの指揮台にたっていたという、映画のようなサクセスストーリーを文字通りあゆんでいた指揮者です。
1989年に当時、音楽界の帝王と呼ばれていた指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンが亡くなります。
カラヤンが長年率いていた世界最高峰のオーケストラ、ベルリン・フィルの後任の指揮者に彼こそが選ばれると予想されていたものの、そして、本人もその自覚を持っていたものの、楽団員の投票が終わってみると選出されたのはイタリア人指揮者クラウディオ・アッバード。
アッバードも驚いたそうですが、マゼールももちろん驚き、かなりのショックを受けたようです。
実際、マゼールは即座にベルリン・フィルの指揮をすべてキャンセル、それから10年ほどはベルリン・フィルの指揮台にあがりませんでした。
ベルリン・フィルへの対抗意識だったのか、あとに同じドイツのバイエルン放送交響楽団の指揮者となり、アッバードがベルリン・フィルとブラームスの交響曲全曲演奏の来日公演をした翌年に、やはりブラームスの交響曲全曲演奏をバイエルン放送交響楽団と来日公演で行うなど、あのころは、それはそれでとても楽しい時代でした。
とてもクセのある指揮者で、とりわけ若いころの演奏は挑戦的で、果敢なスタイルでした。
後年はテンポも遅くなってきて、そうした意欲的なスタイルは影をひそめていきます。
とはいっても、ラヴェル作曲「ボレロ」の後半で突然テンポを変えたり、あるいは他の曲でも、聴かせどころで大見えを切ったり、彼の指揮にはどこか役者のような側面が常にあったように思います。
私がびわ湖ホールで演奏を聴いたのは、バイエルン放送交響楽団を率いていた時代のロリン・マゼールということになります。
マーラー:交響曲第3番ニ短調
ロリン・マゼール指揮ニューヨーク・フィル
アンナ・ラーション(Alt)、ウエストミンスターchor、アメリカ少年chor
彼はそれからしばらくして、アメリカの名門ニューヨーク・フィルの音楽監督になりました。
若いころは鋭敏で、果敢な、挑戦的な演奏で頭角を現した彼ですが、私が出会ったころにはずいぶん違う演奏をするようになっていました。
このマーラーも後年の彼らしい、ゆったりとしたテンポで、オーケストラを開放的に鳴らし切ったスタイルになっています。
こうした彼の後年のスタイルを疑問視する見方もありますが、わたしはこのスタイルのマゼールがむしろ好きです。
若かったころにはなかった、音楽の伸びやかさが感じられるからです。
心を解き放っているかのような晩年様式
彼は、子ども時代に天才坊やとして生きたせいもあって、若いころは特に、日常のコミュニケーションすらどこかうまくとれなかったというような発言を、本人が何かのインタビューでしていたはずです。
実際、彼の演奏にもそれは表れているように思えて、どこか心の壁を感じさせる人です。
レナード・バーンスタインのように音楽に身も心も没入して、楽団員にすべてをさらけ出してしまうということがない。
それでも、若き日の彼は、それを音楽に鋭く切り込むことで補っていたとも言えるのかもしれません。
後年のスタイルはあきらかに違います。無理に入っていくのをやめて、あるいは無理に引き出すのをやめて、ある程度のところで、音楽が語り始めるのをじっと待つような感じが年々強まったように感じます。
それが、どんどん彼のテンポ設定が遅くなった理由ではないでしょうか。
もちろん、彼らしい、恣意的な面もあります。
でも、それは役者にとっての個性、芸風のような、彼の持ち味であって、それが彼の音楽との基本的な接し方なわけです。
ただ、それをおもしろく、多少強引であれ、やってのけてしまうのがマゼールであり、それが彼の素直な音楽性でした。
後年は、その恣意的な側面は残しつつも、音楽にまかせること、あるいは、自分が仕掛けたアプローチに対して音楽が追いついてくるのを待つことが、格段に多くなったように感じられます。
マゼール会心の、雄大なマーラー
このニューヨークにおけるマーラーでのマゼールは、手足をのばして伸び伸びしていているようで、聴いていてこちらがうれしくなるくらい自然体です。
もちろん自然体といっても、内面をさらけ出すというものではありません。
ただ、ここでのマゼールは、美しい音楽に心から陶酔していて、それを演奏しているのが楽しくて仕方ないというような、音楽のよろこび、演奏のたのしさが、まるで子どものように純粋に、前面に出ているよう。
フィナーレに聴かれる弱音の美しさも、以前の神経質なピアニシモではなく、自然な静寂となっていて、そこには、夕映えが夜に移り変わっていくような、時間を忘れるはかなさがあります。
大きく盛り上がるところでは、以前からの恣意的なマゼールが顔をのぞかせて、オーケストラを猛烈にドライブしていますが、それが他の静かな音楽との見事な対比になっています。
そうして、この長大なフィナーレが、壮麗に、開放的に、まるで滔々と大河が流れていくかのように、ゆったりと響いていきます。
こうした方向性の片鱗は、特にピッツバーグ交響楽団との一連のシベリウス録音でも聴こえたものです。
あれは、マゼールのいろいろな録音のなかでも特にわたしは好きな録音です。
あの日、マゼールがびわ湖ホールでどれか1曲だけでも、このマーラーにつながるような素晴らしい演奏をしてくれていたらと悔やんでみたくなります。
マゼールの最高の遺産のひとつ
ここにご紹介しているマーラーの演奏は、彼の膨大な録音のなかでも出色の、彼の代表的録音としていずれ評価されるようになるであろう、たいへんな演奏です。
こんなに優れた演奏がオンライン配信のみで、一部のクラシック・ファンにしか知られていないであろうことがとても残念です。
マゼールの晩年様式とでもいうスタイルが、完全に成功した、まったく稀有な名演奏。
第1楽章から、おしまいの第6楽章まで、安心して、どこまでも身を任せて聴き入ることができます。
( AppleMusic ・ Amazon Music ・Spotify↑ )
これは、演奏風景などの映像は残っていないのでしょうか。
せめてCD化するなり、より多くの人に聴かれるようになってほしいです。
クラシック・ファンはCDがメイン媒体の方が多いので。
そして、この今は亡き名指揮者、ちょっとクセのあった名物指揮者の最高の遺産のひとつとして正当に評価されてほしいと思います。
彼がこんなに素晴らしい仕事をニューヨークで成し遂げていたとは、まったく知りませんでした。
本当に愛すべき指揮者です。
おしまいに、この90分を超える長大な交響曲をとても聴ける気がしないという方向けに、マーラーの交響曲第3番への近づき方をご紹介した記事のでリンクを貼っておきます。
こちらを参考にしながら、マゼールのすばらしいマーラーを体験してみてください。