エッセイ&特集、らじお

コロナ禍での音楽~黒いマスクで光を求めた、やわらかで輝かしいバッハの名演奏をYouTubeで

 

コロナ禍でも様々な形で公演を行う世界中の音楽家たち。

今回は2021年3月、イタリアのフェニーチェ歌劇場で行われた、トン・コープマン指揮フェニーチェ歌劇場管弦楽団のバッハをご紹介します。

音楽という人間の営みはここまで尊い

男性陣は黒の燕尾服、女性陣は黒のドレス、そして管楽器奏者以外はみんな黒のマスクを着用。

背景に映るイタリア、フェニーチェ歌劇場の絢爛豪華な黄金の装飾のなかに、全くそれとは別世界のような、どこか緊張感がただようオーケストラがチューニングをはじめます。

そして、指揮者トン・コープマンが登場。
やはり黒の燕尾服に、黒のマスク。どこか違和感の残る雰囲気のなかでコンサートは静かに始まります。

 

そして、そこに始まるバッハで響いた音!

それは、画面の光景からまったく想像もしていなかった、おどろくほどに優しい風情の音。
この冒頭を聴いただけで、私はすっかり感動してしまいました。

音楽という人間の営みは、ここまで尊いものなのだと教えられた瞬間でした。

この無観客コンサートで演奏されたのは、バッハの管弦楽組曲第1番、おなじくバッハの管弦楽組曲第3番、そして、ベートーヴェンの交響曲第2番という3曲。

 

とりわけバッハの2曲は、そうそう聴けないような素晴らしい名演奏となっています。

初めてバッハの管弦楽組曲を聴くという方にも、そして、もう十二分にバッハを聴き続けてこられた方にも、是非お薦めしたい演奏です。

優しい表情にあふれたバッハの管弦楽組曲第1番

この公演では、バロック演奏の第一人者トン・コープマンが指揮をしています。
オルガン・チェンバロ奏者としても名高い彼は、現代のバッハ演奏をリードし続けている音楽家のひとりです。

軽いテンポ、さわやかな響きを基調とする彼のスタイルは、現在のバッハ演奏の主流といっていいスタイルです。

そうして始まったバッハは、やわらかな表情に満ち溢れたバッハ。素晴らしい冒頭。それでも確かにどこかやりづらそうな、オーケストラも指揮者も少し手さぐりな状態も垣間見れます。けれど、それもだんだんと落ち着き、ほんとうに素晴らしい演奏がしだいに展開していきます。

コープマンのバッハを聴くといつも感じるのですが、数学的な知性に満ちたバッハの譜面から、どうしてここまでやわらかい、優しい風情が生まれてくるのでしょうか。

 

 

 

クレンペラーの異端な演奏とコープマンの正統派の演奏

私がバッハの管弦楽組曲で何といっても忘れられない演奏は、1885年ドイツ生まれの巨匠オットー・クレンペラーが録音したものです。
これは現在主流となっているバッハ演奏、つまり軽く、澄んだ響きを基本とする常識からしたら非常識というか、あまりにテンポが遅く、あまりに重く、あまりに壮大過ぎると批判されたりする録音ですし、実際その通りの演奏です。

けれど、私はあのバッハに初めて出会ったときから魅了されて、それは結局、今もまったく変わりません。

“非常識”という言葉を使いましたが、「これは正しい」と断言できるバッハというのは、ほんとうに存在するのでしょうか。
たしかブラームスがクララ・シューマンにバッハの演奏をどうするべきか相談している手紙があったかと思います。

私たちより遥かにバッハに時代も場所も、そして音楽の才能も近かったブラームスでさえ、どう演奏するべきかの答えを常に探し求めていたというのに、どうして私たちにその答えが出せるのでしょうか。

 

詩人リルケがどこかで書いていたように、「問いのなかを生きる」という姿勢、さきほどのブラームスの姿勢こそがほんとうに正しいのではないでしょうか。

だから、私は色々な指揮者たちがそれぞれに答えを求めて導き出した、それぞれに違う主張をもつ演奏を尊重して聴きはじめるよう気をつけています。

そうしていると、なかには「これこそバッハだ」と確信させられる演奏に出会えるのも事実で、私にとってはそのうちのひとつがクレンペラーのものでした。
あのバッハは非常識どころか、真に偉大な音楽家の仕事であって、今でもかわらず傾聴しています。

今ここにご紹介している演奏はクレンペラーとは似ても似つかない、バロック演奏の第一人者トン・コープマンが指揮をしています。
クレンペラーが異端であればコープマンは現代における「正統派」といえるタイプの演奏家です。

 

そして、そのコープマンのバッハも、やはり自信をもってお薦めできる、素晴らしい演奏です。

クレンペラーの峻厳で壮大なバッハも、コープマンのあたたかく人肌のぬくもりのあるバッハも、どちらも違ってどちらもバッハにしか聴こえない。

バッハの音楽はどこまでも広大で包容力に富む、多様性に溢れた音世界です。

この動画でコープマンの演奏をお聴きいただいたあとに、是非、どこかでクレンペラーのもの(2021年5月現在CDでは出ています)も聴いてみてください。
同じ管弦楽組曲第1番でどうしてここまで違うのか、けれども、どちらも傑出したバッハにしか聴こえないという体験をしていただきたいです。

クレンペラーが偉大な巨匠であるように、コープマンもまた実にすばらしい音楽家であることがわかります。

 

巨匠クレンペラーが荘厳な大聖堂のようであるとすれば、コープマンは村や街の小さな教会といってもいいかもしれません。

ただ、どちらも天に通じいていることに違いはありません。

曲の間の舞台転換中には除菌作業

第1番が終わると、団員の舞台転換にあわせて除菌スプレーをもった人が管楽器奏者の座席や譜面台を除菌してまわる光景がみられました。
イタリアはヨーロッパのなかでもコロナの影響が甚大な国のひとつ。
さまざまなものを乗り越えながらの公演であることが伝わってきました。

 

そして始まる壮麗な第3番~G線上のアリアがもっとも美しく響くには

やわらかな第1番のあと、第3番のティンパニとトランペットの壮麗な出だしが響きわたると、その力強い輝きに自分でも驚くくらい胸にこみ上げるものがありました。

神をたたえるバッハというより、神を求めているかのように響いてくるバッハ。

この序奏を聴いていると、何も音楽を通して光へ到達しようとしたのはベートーヴェンに始まったわけではないということを教えられます。
そうした希求の精神、暗闇から光へと突き進む衝動、それをバッハのなかに聴いたとしても間違いではないはずです。

むかし何かの本で「バッハ以前のものはすべてバッハの中へ流れこみ、バッハ以後のものはすべてバッハから流れ出ている」というような記述を見たことがありますが、あのまったく独創的なベートーヴェンの核心ともいえる“ 希求の精神 ”がバッハと通じているかもしれないという印象は、この演奏を聴いて初めて抱きました。

そしてそう思って聴いていると、第1番には出てこないティンパニの見事な使い方にも耳を奪われます。

ブラームスがベートーヴェンのティンパニの使い方をたいへんよく研究したという話ですが、もしかしたらベートーヴェンはバッハのティンパニの使い方も参考にしているのではないでしょうか。

 

そして始まる第2曲「アリア」。

いわゆる“ G線上のアリア ”という名前で独立して有名なこの曲が、壮麗な第1曲のあとにしずかに始まると、それはもう言葉を失うしかありません。
そのコントラストの完璧さ、完全さ。

このアリアは単独で聴く機会のほうが多いくらい、クラシックを代表する名曲のひとつですが、こうして組曲の流れのなかで出会うと、本来の美しさというか、人々に摘まれて花瓶にかざられる前の、まだ野に咲いているときのありのままの美しさに出会うことができます。

そしてまた、このアリアが独立して演奏されることで、どれだけたくさんのことが失われているのかも知らされます。
文脈の大切さ。

結果ばかりを重視して、そこへの過程を軽視する現代社会のなかで見失いつつあるものに気づかされるといったら大袈裟でしょうか。

なぜバッハが独立した作品としてではなく、組曲のなかの、しかも、この場所にこの美しいアリアを置いたのかが伝わってくる、見事な演奏です。

「組曲」として聴こえる稀有な名演奏

第3曲ガヴォットをはさんで、第4曲ブーレから終曲ジーグへと流れ込むところまで、まさにすべての音符が光へと続くひとつの道を流れていくようで、この組曲の構成の素晴らしさに感嘆せられました。

この曲が全体で1つの「組曲」であることをはっきりと提示し、納得させられるコープマンの運びです。

バッハの組曲はなにかバラバラな印象を残してしまう演奏が少なくないですが、このコープマンとフェニーチェ歌劇場管弦楽団の演奏は、ほんとうに「組曲」として聴こえてくる稀有な名演奏です。

コロナ禍のイタリアで公演を行っているという事実だけでもたいへんなことですが、そうしたイベント的な次元ではなく、芸術的にも稀有なことを成し遂げている点で、これはまったく脱帽の公演です。

これもYouTubeで、フェニーチェ歌劇場が公式に出している動画で観ることができます。

 

バッハのあとには、さらに舞台転換をはさんで、ベートーヴェンの交響曲第2番が演奏され、この舞台転換中にコープマンは休憩せずにインタビューに答えていました。
いかにもバイタリティー溢れる音楽家、コープマンらしい姿です。

 

コープマンは全身で指揮をする指揮者ですし、顔の表情もたいへん豊かです。
今回はマスクでおおわれているために見ることができませんが、彼のほとんどの動画ではその豊かな表情を演奏とともに楽しむことができます。

私は彼のそうした演奏動画がたいへん好きで、嬉しそうに指揮するコープマンに会いたくて何度も観てしまいます。
コープマンのいつもの指揮姿、いつもの笑顔を楽しめる動画もあるのですが、それはまた別の音楽。
いつかまた、別のところで。

 

YouTubeの動画をご紹介しているわけですが、ARTONE MAGでは著作権の問題をクリアしているであろう、より公式な動画をご紹介しています。
公式なものとはいえ、公開が突然終わってしまうこともあります。
気になったものは早めに視聴をしていただきたいです。
※YouTubeでは途中CMが流れることも多いです。
YouTubeでゆっくりと音楽を楽しむみたい方にはYouTubeプレミアム(有料サービス)をお薦めしておきます。
私も現在利用していますが、ストレスフリーです。

※ベートーヴェン:交響曲第2番については、別のページで楽曲紹介をしています

 

曇り空の下で聴きたい音楽~ジェラルド・フィンジの世界を聴いてみよう前のページ

イギリス最後の偉大な変人ビーチャム~初夏の一日に聴くブラームスの隠れた名演次のページ

ピックアップ記事

  1. クラシック音楽をサブスク(月額定額)で楽しむ方法~音楽好きが実際に使ってみました…

関連記事

PR

当サイトはアフィリエイト広告を利用しています

おすすめnote

カテゴリー&検索

月別アーカイブ

最近の記事

  1. シリーズ〈交響曲100の物語〉

    【初心者向け:交響曲100の物語】ハイドン:交響曲第45番『告別』
  2. シリーズ〈交響曲100の物語〉

    【初心者向け:交響曲100の物語】モーツァルト:交響曲第38番ニ長調 K.504…
  3. エッセイ&特集、らじお

    東京交響楽団とジョナサン・ノットの熱狂~日本にも世界最高水準の演奏を実現するコン…
  4. シリーズ〈オーケストラ入門〉

    【オーケストラ入門】ストラヴィンスキー:バレエ音楽『プルチネルラ』~小さな試聴室…
  5. エッセイ&特集、らじお

    コロナ禍での音楽~黒いマスクで光を求めた、やわらかで輝かしいバッハの名演奏をYo…
PAGE TOP