コンサートレビュー♫私の音楽日記

リスクを取る!ジョナサン・ノット指揮のマーラー:6番「悲劇的」を聴いて~東京交響楽団演奏会

 

♪2023年4月、これまでで最高の月間86,000pvをこえるアクセスをいただきました。

読んでいただいて、ありがとうございます!

 

このブログの「コンサートに行こう!お薦め演奏会」ページで推しに推しているコンビ、指揮者ジョナサン・ノットと東京交響楽団のコンビが、マーラーの交響曲第6番イ短調「悲劇的」をメインにしたコンサートをおこないました。

わたしが聴いたのは、2023年5月21日(日)14:00@ミューザ川崎での「名曲全集 第187回」のコンサートです。

 

結論からいうと、前回のマーラー第5番とはまた違う点で、いろいろ疑問を感じた公演でした。

普段は、よかったコンサートのレビューをあげることにしているこのブログですが、強く推していることで責任も勝手に感じていますし、このブログを読んで足をはこんでくださった方も、もしかしたら、いらっしゃったかもしれませんので、わたしが会場で感じたことを素直につづっておきたいと思います。

独創的なプログラミング

 

暗転するステージ。

すでに楽団員は着席し、指揮者のノットも指揮台のうえにいますが、ステージ上では、指揮者から見て右手奥におかれた1台のピアノにだけ、スポットライトがあたっています。

 

そうして、沈黙のオーケストラのなかから、1台のピアノがジェルジュ・リゲティ(1923-2006)の「ムジカ・リチェルカータ第2番」という独奏曲を演奏し始めます。

ピアノ・ソロは小埜寺美樹さんというピアニスト。

 

「ミ#・ファ#・ソ」という、たった3つの音だけでできた、3分ほどの音楽。

そして、その音楽の最後の「ソ」の音が鳴り終わったところで、舞台がすっと明るくなりました。

そして、そのリゲティの余韻のなか、マーラーの交響曲第6番「悲劇的」が始まりました。

 

「ミ#・ファ#・ソ」の錯綜する世界から、「ラ」で始まるイ短調のマーラーへと抜け出る、というような趣向だったのかもしれません。

 

こうしたプログラミングは、現代音楽に造形の深い、指揮者ジョナサン・ノットの面目躍如たるもので、マーラーの交響曲と響きあうというよりは、このマーラーの印象的な出だしをより印象的にするうえでの、適切な「静寂」を生んだという意味でも、とてもおもしろく聴きました。

 

以前、イタリアの指揮者ジャンルイジ・ジェルメッティ(Gianluigi Gelmetti, 1945-2021)が、ラヴェルの「ボレロ」を演奏するときは必ず直前に「亡き王女のためのパヴァーヌ」を演奏してからやる、と話していたのを思い出しました。

「ボレロ」の開始に必要な静けさを、「亡き王女のためのパヴァーヌ」で用意するのだと、彼は話していたはずです。

 

 

マーラーの絞った響き

 

マーラーが始まってすぐ、テンポが比較的ゆっくりなことに気がつきます。

数年前に彼がスイス・ロマンド管弦楽団を率いて来日公演をおこなったときは、もっとずっと速いテンポだった印象があるので、これはちょっと意外でした。

 

けれども、そうしたテンポのこと以上に、もっと気になったのは「響き」でした。

 

良く言えば「コンパクト」で、悪く言うと「迫力がほとんど感じられない」音。

普段のこのコンビの音の伸び、ゆたかな響きを知っていると、何か、楽器が鳴っていないるような印象すら受ける出だしです。

 

すぐに、去年聴いたこのコンビのドビュッシーとブラームスの公演の響きを思い出しました。

あのときの響きと似ていて、全体的に「乾いた」ような音がしています。

 

 

ホルンは壮麗に鳴り響いていましたが、とにかく弦が薄く聴こえてきます。

そう思って、舞台上の弦楽器の人数を数えてみると、私の数え違いでなければ、セカンドヴァイオリンが16本、ファーストヴァイオリンがそれより少ない15本の両翼配置になっているようでした。

コントラバスは8本。

演奏する姿を見ていても、ヴァイオリンなど特に、かなり控えめに弓を動かしていて、音量をおさえているのがわかりました。

 

きっとそうすることで、明解な、見通しの良い響きをノットは手に入れようとしたのだと思います。

たしかに、この交響曲をふくめ、第5~7番の、マーラーが声楽を用いなかった純器楽による交響曲群は、書法が非常に込み入っていて、響きがすぐに混濁して絡まってしまう音楽でもあるので、それを解きほぐしていくという点での選択だったのかもしれません。

実際、その効果は確かにあって、第1楽章から非常に見通しの良い演奏になりました。

 

特に、このしぼった響きの効果を強く感じたのが、第4楽章で、この楽章がはじまったときに、ノットがどうしてこんなにコンパクトな響きにこだわったのかが、少しわかったように感じました。

巨大な悲劇的終末として描かれることの多いこの楽章が、非常にコンパクトに、しぼった響きで奏されてみると、なるほど、ある種の静謐な瞬間、後の世代のベルクやウェーベルンなどを連想させる「静けさ」、冷たい感触の音楽がたちのぼる瞬間があったのも事実で、ノットはこのフィナーレに主軸を置いて、そこから解釈を逆算したのではないかと思いました。

 

 

古典回帰。けれども、

 

そうして響きを非常にコンパクトにして、静けささえ漂うフィナーレを頂点に置くことで、ノットがこの巨大な交響曲をどのような方向へ導こうとしていこうとしていたのかというと、おそらく、この曲の「古典回帰」を重視したのだと思います。

 

この曲は、マーラーの交響曲としては珍しく伝統的な4楽章構成であり、イ短調ではじまった音楽がしっかりとイ短調でおわります。

ある意味では「肥大化」されて演奏される傾向のつよいこの交響曲の、見落とされがちな「古典的側面」を重視した解釈だったのではないでしょうか。

 

たしかに、そういった面では成功していて、この曲をこんなにコンパクトに感じたのは、あまりない経験でした。

 

ただ、どうなんでしょう。

この解釈、失われたものも相当におおきかったように感じました。

 

最大の損失は、情感に訴えかけてくるものがほとんど感じられなかったということ。

心を揺さぶられないマーラーというのは、それも、やはりマーラーなのでしょうか。

 

マーラーの奥さんのアルマ・マーラーの回想録に、この曲のフィナーレをふたりで連弾していて涙があふれて止まらなかった、というような話があったと思います。

この回想録は誇張の多い、真偽のほどがあやしいとされる本でもありますが、ただ、この曲にそうした面があることは否定できないことではないでしょうか。

 

解像度を高めるために響きをしぼってしまったがゆえに、本来であれば収まりきらない何かが、しっかりと収められてしまったという印象があります。

あふれ出て然るべきものが、あふれ出てこなかったというか。

 

第3楽章の痛切に美しい緩徐楽章も、音量、音色、表現のどれもがあまりに淡泊で、うつくしいものを遠くから眺めているような印象で、どこか距離のある音楽のまま終わってしまいました。

 

マーラーの大家だった大指揮者クラウス・テンシュテット(Klaus Tennstedt, 1926-1998)が、ベルリン・フィルとこの「悲劇的」を共演したときに、あまりに強い音ばかりを求めるので、オーケストラ側が「これではフォルテばかりになってしまいます」と異議をとなえると、「いや、この音楽はフォルテの音楽なんだ」と言って一切ゆずらなかったというエピソードを聞いたことがあります。

 

もちろん、テンシュテットはテンシュテットであり、ノットはノットですから、同じ考えになる必要も意味もないのですが、でも、この交響曲の重要な要素に、音の与える「強さ」、「衝撃」、感情への訴えかけの「強さ」があるというのは、そう簡単に否定されるものでもないと思います。

実際、マーラーはこの曲で、打楽器に「ハンマー」まで導入しているわけですから。

 

そうした、この曲の衝撃や強さが抑制され、弱められてしまったことが、私にはとても気になりました。

ノットはフィナーレでハンマーを何回も叩かせて(おそらく5回?)、ちょっと驚きましたが、演奏そのものがスリム過ぎて、見た目ほどの効果があがっていなかったように感じました。

 

 

Take a risk !

 

ただ、ノットの演奏というのは「現在進行形」という印象があって、つまり、毎回、アプローチが結構ちがっているように感じるところがあって、なので、これで「ノットのマーラーは面白くない」とは言い切れないのが実際のところです。

 

同じ「悲劇的」をスイス・ロマンド管弦楽団とやった公演では、今回とは打って変わって、とにかくアグレッシブなアプローチで、最初から最後まで攻撃的なので閉口した記憶があります。

去年の東京交響楽団との「第5番」も、第2楽章以降があまりにアグレッシブで、クライマックスが何か所あるのかと思うほどの演奏で、非常にもったいないと落胆しました。

そして、今回の第6番は、まったく、その反動であるかのような表現になりました。

 

演奏会形式のオペラも同様で、昨年のR・シュトラウス「サロメ」はとにかく“鳴り”過ぎていて、声楽も声を張り上げすぎで、シュトラウスの繊細な味わいが台無しになっていたように感じましたが、今年の「エレクトラ」は逆にオーケストラがひかえめ過ぎで、シュトラウスの強烈なオーケストレーションがあまり伝わってきませんでした。

 

響きの解像度を高めるために編成や音量をぐっと抑えるというのは、近年多くみられる常套手段であり、よくある光景なのですが、それによってスケール感がちいさくなり、ややこじんまりした、何というか、妙に安住したような演奏に到達されてしまうと、あの第5番の「果敢さ」が非常に懐かしく思えてくるので不思議です。

 

あの演奏は納得はできなかったけれども、間違いなく、行ってよかったと思っているコンサートです。

けれども、今回の第6番については、正直に言えば、聴き逃してもよかったかな、とすら思ったコンサートでした。

なので、「コンサートに行こう!お薦め演奏会」でをつけていたのですが、このブログを読んで、期待してお出かけくださった方には申し訳ない気持ちでいます。

 

このコンビの魅力というのは、一流のオーケストラとしての豊かな響き、美しい音色、緊密なアンサンブル、そして、ときに、それらを犠牲にしてでも、音楽に迫っていく、その踏み込みの大胆さにあると思っています。

特に、その鋭い切込みを手にするために、ノットはよくオーケストラに“ Take a risk. ”(リスクをとれ!)と言うそうです。

今回のマーラーは、ややきれいごとのようであって、その意味で、no risk だった気がします。

言葉をかえれば、ほかのコンビでも出来てしまうかもしれないような類いの演奏でした。

 

ですので、最後に敬愛するジョナサン・ノットへ。

Maestro, please take a risk . ”

もっと突き抜けたものを聴かせてください。

 

 

音源紹介

 

ジョナサン・ノットには、バンベルク交響楽団とのコンビでマーラー:交響曲第6番イ短調「悲劇的」のレコーディングがあります。

( Apple Music↑ ・ Amazon Music ・ Spotify などで聴けます)

 

ジョナサン・ノットと東京交響楽団のマーラー最新録音は、去年の第5番です。

( Apple Music↑ ・ Amazon Music ・ Spotify ・ Line Music などで聴けます)

 

当日の演奏会場にはマイクがたくさん設置されていたので、この第6番もいずれCDになり、オンライン配信もされると思います。

何度も書いてしまいますが、これを録音するなら、出色の出来栄えだったウォルトンの「ベルシャザールの饗宴」や、指揮者がちがいますが、ユベール・スダーンとのチャイコフスキー:マンフレッド交響曲などのほうをリリースしてほしかったです。

 

 

♪お薦めのクラシックコンサートを「コンサートに行こう!お薦め演奏会」のページでご紹介しています。

判断基準はあくまで主観で、これまでに実際に聴いた体験などを参考に選んでいます。

 

♪実際に聴きに行ったコンサートのなかから、特に印象深かったものについては、「コンサートレビュー♫私の音楽日記」でレビューをつづっています。コンサート選びの参考になればうれしいです。

 

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