シリーズ《交響曲100》の第23回は、前回のウェーバーのあまり演奏されない交響曲第1番とは対照的な、クラシック音楽の代名詞、ベートーヴェンの『運命』です。
『運命』というのはベートーヴェン本人の命名ではなくて、特に日本で親しまれているニックネームです。
これはベートーヴェンの弟子シンドラーが「この曲についてベートーヴェン先生は“ 運命はこう扉をたたく ”と説明した」と述べたエピソードによるものですが、シンドラーという人の発言はどれも真偽があやしく、ほとんど日本だけで普及していると言っていいニックネームです。
ですので、実際は「ベートーヴェンの5番」とか、省略して「ベト5」などと呼ぶことのほうが多いです。
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1808年の伝説的演奏会プログラム
さて、1808年12月22日(木曜日)の18:30、ウィーンにあるアン・デア・ウィーン劇場で、音楽史上たいへん有名なコンサートがはじまりました。
当時38歳のベートーヴェンによる、オール・ベートーヴェン・プログラムの大演奏会です。
作曲はもちろんのこと、指揮をしているのもベートーヴェン、ピアノを弾いているのもベートーヴェンです。
1:交響曲第5番ヘ長調『田園の生活の思い出』Op68
2:シェーナとアリア“ああ、裏切り者め!”Op65
3:ミサ曲 ハ長調Op86から“グローリア”
4:ピアノ協奏曲第4番ト長調Op58(ピアノ独奏:ベートーヴェン)
休憩
5:交響曲第6番ハ短調Op67
6:ミサ曲ハ長調から“サンクトゥス”&“ベネディクトゥス”
7:ベートーヴェンのピアノ・ソロによる即興演奏
8:合唱幻想曲 ハ短調Op80(ピアノ独奏:ベートーヴェン)
コンサートは4時間を超えるもので、2つの交響曲と合唱幻想曲はこの日が初演、ピアノ協奏曲第4番もこの日が公開初演(前年に非公開初演)というものでした。
また、プログラムを見て「おやっ?」と思った方もいらっしゃると思いますが、交響曲の番号が現在とは逆で、『田園』が第5番、『運命』が第6番という番号付けになっていました。
これは、出版の段階で現行のものへと逆転されました。
大演奏会は大失敗
この意欲的な数々の傑作が、一斉に初演された歴史的コンサートは、しかし、たいへんな失敗となってしまいました。
それについてはさまざまな証言が残っていて、例えば、12月だというのに会場に暖房がなく、聴衆は凍えるような寒さのなかで聴き続ける公演だったということ。
さらに、プログラム2曲目にある『あぁ、裏切り者め!』のアリアは、独唱する予定だった歌手が当日にキャンセル。
代わりを見つけて来たものの、今度はその歌手が緊張でまったく歌えないとなり、どうやら2曲目はカットされたようです。
さらにダメ押しは、最後のプログラムである『合唱幻想曲』。
演奏が混乱して、なんと途中で止まってしまって、最初からやり直すという始末でした。
こうして、大演奏会はまれにみる大失敗となりましたが、そこで発表された音楽は、後世に多大な影響を与えることになっていきます。
建築家ベートーヴェン
たとえば、あなたが何か歌を思い出しながら歌っていて、気づいたら途中から別の曲になっていたという経験はありませんでしょうか。
それはつまり、AメロとBメロ、あるいはサビの前とサビが強く結びついていないから起きてしまうわけです。
わかりやすく言えば、それを極度に、徹底して避けたのが、このベートーヴェンの5番という言い方ができるでしょう。
この第5交響曲は、第1楽章冒頭からフィナーレに至るまで、そのすべての音楽が、あの有名な「ジャジャジャジャーン」という音型の繰り返し、変化、もしくは派生によって創られています。
はっきりとわかりやすいのは、第3楽章のホルンによる主題ですので、実際に聴いて確かめてみてください。
ひとつのレンガ(動機)を巧妙に組み合わせることで、大聖堂(交響曲)を建築してしまったというのが、この第5交響曲におけるベートーヴェンの偉業なわけです。
この『運命』の説明として一時期流行したのが「ベートーヴェンはメロディーをつくるのが苦手だった」というもの。
言いたいことはわかりますが、ちょっと誤解を招く言い方だと思います。
ベートーヴェンがうつくしいメロディーを書こうと思えば書けるのは、ヴァイオリンソナタ第5番『春』冒頭やピアノソナタ第8番『悲愴』の第2楽章を聴けばすぐにわかることです。
ベートーヴェンが本当に心をくだいたのは、うつくしいメロディーを紡ぐことではなくて、有機的な結合を持つ音楽を構築すること、ひとつの生命のようにまとまりのある音楽を生み出すことだったということです。
苦悩から歓喜へ
“ 私たちにとって最善のこととは、苦悩をとおして歓喜を勝ち得ることでしょう ”と、ベートーヴェン本人が手紙にしたためているように、「暗から明へ」「苦悩から歓喜へ」という精神の救済を音楽に持ち込んだのもベートーヴェンのおおきな足跡で、とくにこの交響曲第5番はそれを強烈に反映している作品です。
こうした「絶望から歓喜へという劇的なプロット」と「動機を中心とした有機的展開」は、後の作曲家たちにおおきな影響をあたえました。
とりわけ「交響曲」というジャンルでは、その2つの特徴が、ひとつの「型」になっていきます。
それどころか「ジャジャジャジャーン」というリズムそのものが、ブラームスの交響曲第1番や第2番、あるいはマーラーの交響曲第5番などなど、後世の多くの作曲家たちの音楽のなかにはっきりと反響し、使われるようになります。
この交響曲は、そういった意味でも、空前絶後の音楽であり、クラシック音楽史に燦然と輝く名曲としてその王座に座っています。
🔰初めての『運命』
この曲はその冒頭があまりに衝撃的なので、これを悲劇的な音楽だと思っている人がいらっしゃるかもしれません。
でも、実際はその正反対の音楽で、暗から明へ向かう音楽です。
ですので、まずは第4楽章フィナーレから聴いてみてください。
このフィナーレこそ、この交響曲の結論であり、到達点です。
実は第4楽章フィナーレは第3楽章から切れ目なくつながれているんですが、そうした全体のすばらしい構造を楽しむ前に、この交響曲が追い求めた結論から耳を傾けてみてください。
私のお気に入り
《アルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC交響楽団》
トスカニーニ(1867~1957)はイタリア出身の巨匠。
大指揮者のオットー・クレンペラーは、トスカニーニのことを「指揮者の王」と呼んでいました。
ここでご紹介する1939年のベートーヴェンの録音は、彼のいくつか残っているベートーヴェンの録音のなかでも、とりわけテンションが高いものとして名高いものです。
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《ギュンター・ヴァント指揮 北ドイツ放送交響楽団》
ギュンター・ヴァントは大器晩成の巨匠。
最晩年に来日したときにはたいへんな話題となりましたし、私も聴きに行きました。
このコロナ禍になって、彼と長年コンビを組んでいた北ドイツ放送交響楽団(NDRエルプ・フィルハーモニー)が、いろいろな動画を正式に公開してくれていて、このベートーヴェンもたいへん立派なものです。
どこまでも厳しい、辛口淡麗の演奏。
《ニコラウス・アーノンクール指揮ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス》
アーノンクールは革新的な演奏で知られた、古楽の巨匠。
古楽というのは作曲された当時の楽器をつかうスタイルのことです。
そのアーノンクールが最晩年にとりわけ力を入れていたのがベートーヴェン。
この演奏も当初は交響曲全集になる予定でした。
けれども、およそ半年後に体力の限界から引退が発表されて、このライブは結果的に彼のウィーンにおける最後の演奏会の記録となりました。
ここにはアーノンクールの革新的なスタイルの到達点ともいえる瞬間が刻まれています。
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《カルロ・マリア・ジュリーニ指揮スカラ・フィルハーモニー》
スカラ・フィルハーモニーというのは、イタリアにあるオペラの殿堂ミラノ・スカラ座のオーケストラです。
指揮をしているのは、イタリア出身の巨匠ジュリーニ。
この第5番の特徴は、何といっても「歌」。
冒頭のジャジャジャジャーンからして、レガートで、たっぷりとした響きで歌われます。
まったく怖くない『運命』という珍しい演奏で、音楽を「愛の行為」と話していたジュリーニらしい、人間の歌が聴かれます。
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《ウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルハーモニー》
フルトヴェングラー(1886-1954)は、およそクラシックの演奏史でもっとも偉大な指揮者とされているドイツの巨匠です。
レコーディングが残っている時期がほとんど戦争の時期とかさなっているために、録音の多くはきれいな音ではありませんが、それでも、私を含め、世界中の音楽ファンの多くは彼の残した録音を今も大切に聴かずにはいられません。
ここにご紹介するものも、1943年のベルリンでのライブという、第二次世界大戦中のものです。
ベルリンの人々は、配給されるタバコやパンとひきかえにチケットを手に入れては、コンサート会場に足を運んでいたそうです。
それほどまでして聴くべき音楽が確かにあったわけで、その一端がここに刻まれています。
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オンライン配信でクラシック音楽を聴くことについては、クラシックをアプリ(サブスク定額)で楽しむという記事にまとめました。
また、ベートーヴェンの交響曲第5番については、オリジナルのTシャツも作ってみましたので、そちらもよろしかったらご覧ください。