シリーズ《交響曲の名曲100》、その第21回です。
前回はベートーヴェンの飛躍的傑作、交響曲第3番『英雄』をご紹介しましたが、あの作品がひとつの契機となって、ベートーヴェンの代表作がつぎつぎとあふれるように書きだされていきます。
フランスの文豪ロマン・ロランが、ベートーヴェンの“ 傑作の森 ”というすばらしい表現で呼んだ時代の始まりです。
そして、今回は『英雄』のつぎに完成された交響曲第4番です。
目次(押すとジャンプします)
オペラでの失敗
傑作の森へ突入したベートーヴェンは、『英雄』を書き上げたあと、さまざまなジャンルで創作を発展・展開させていきますが、そのなかで例外的に大失敗に終わったのが、歌劇『フィデリオ(レオノーレ)』の初演でした。
ただ、それは音楽的な問題というより社会情勢の問題で、この歌劇を初演しようとしていた年にナポレオン率いるフランス軍がウィーンを占領。
ベートーヴェンを支援していた貴族たちはみんな疎開してウィーンにはおらず、実際、ベートーヴェンが指揮した初演の客席には、フランス人兵士ばかりが座っていて、そもそもオペラのドイツ語が理解できないという状況でした。
上演はたった3日で打ち切りとなります。
『フィデリオ』は、ベートーヴェンの唯一のオペラとなった作品で、この後も、さらに何回も書き直しが行われました。
そのため、このオペラのために序曲が4曲も残されているほどです。
ギリシャの乙女
そのオペラの大失敗の翌年、1806年に数か月で書き上げられたと推測されているのが、今回のテーマである交響曲第4番変ロ長調です。
のちに大作曲家シューマンが、この曲を“ ふたりの北欧神話の巨人にはさまれたギリシャの乙女 ”と形容しています。
ふたりの北欧神話の巨人というのは、第3番『英雄』と第5番『運命』のことで、そのあいだにある第4番を“ ギリシャの乙女 ”と称したわけです。
シューマンのその言葉のとおり、この第4番はベートーヴェンの偶数番号の交響曲らしい、優美な表情をもった音楽になっています。
まさに春の風のような爽やかさがあって、あのシューマンの言葉は、この曲の魅力を見事に言い当てた素晴らしいものだと思っています。
実は『運命』を中断して書いた曲
ベートーヴェンは交響曲第3番『英雄』を仕上げる前後に、あの私たちが『運命』と呼んでいる交響曲第5番のスケッチにも着手していることがわかっています。
シューマンが北欧神話のふたりの巨人と呼んだ第3番と第5番の交響曲は、実は、連続して生まれ出ようとしていたわけです。
その流れを中断させたもの、それがベートーヴェンの女性関係でもっとも重要な人物のひとりとされている、ヨゼフィーネ・ブルンスヴィックとの恋愛ではないかという研究があります。
このヨゼフィーネとベートーヴェンは、相思相愛だったことをしのばせる手紙が見つかっていて、まさにこの交響曲第4番が生まれたのも、その恋愛のさなかだったようです。
不滅の恋人
ベートーヴェンには『不滅の恋人への手紙』と呼ばれる、相手の名がはっきりと書かれていない恋の手紙が遺品から見つかっています。
これがいったい誰に宛てた手紙なのか、研究者たちのあいだで現在に至るまで永く論争が続いています。
何人かの候補者がいるなかで、かなり有力視されている一人が、このヨゼフィーネです。
ヨゼフィーネはもともとはベートーヴェンのピアノの生徒で、次第にお互いに恋愛感情をもったようです。
年齢はほぼ一回りベートーヴェンのほうが上でしたが、何といっても、それ以上にヨゼフィーネは貴族であって身分違いの恋、やがて周囲の圧力もあり、ヨゼフィーネはある貴族と幸せとは言えない結婚をしてしまいます。
ところが、その貴族が結婚後まもなく急死。
その後からの数年間、ベートーヴェンとヨゼフィーネの相思相愛の関係は、かなり深まりを見せたようです。
そして、ここでご紹介している交響曲第4番は、まさにその時期に作曲された音楽です。
ただ、その幸せな時間も、身分違いという大きな壁の前にまた崩れ去ることになって、ヨゼフィーネは周囲の説得によって別の貴族と再婚、ベートーヴェンとの関係にふたたび終止符が打たれました。
ところが、この恋愛はどうもまだ終わらなかったのではないかというのが、現在、有力な説としてあります。
この貴族との再婚も幸せなものではなかったようで、その後、このヨゼフィーネとベートーヴェンが再会したのではないかと推測されています。
ふたりが1812年の同じ時期にチェコのプラハへ向かっていた形跡があって、そして、まさにそのころ書かれたのがあの『不滅の恋人への手紙』というわけです。
それ以降もふたりは別の地で落ち合った形跡があって、幸薄かったヨゼフィーネが42歳の若さで世を去るまで、ずっとふたりの関係は続いていたのではないかと、現在もその研究がつづいています。
交響曲第4番の話にもどると、ベートーヴェンのように思想や哲学が音楽に反映する天才にとって、そうした幸せに包まれていた時期に『運命』のような音楽を創作し続けるのは、きっと無理があったのでしょう。
そうした個人の出来事が音楽と無関係ではいられないのが、それ以前の大作曲家たちとベートーヴェンが大きくちがっているところです。
第3番『英雄』とは対照的に、古典的な均整を重んじた、人生の“ 春 ”を思わせるような爽やかな交響曲が生まれた背景には、こうした恋の物語が隠れているようです。
🔰初めての第4番
しあわせな季節に生まれた音楽らしく、とても優美で親しみやすい音楽です。
第1楽章には緊張感に満ちた序奏がついていて、それ以降の主題が静けさから生まれ出てくる光景が聴こえてきます。
実は音の組み合わせが第5交響曲『運命』と同じになっていたりと、精密に構成された楽章になっていますが、実際に聴こえてくる音楽はあかるい表情、はじけるような音、そして、やさしいロマンティックな歌に満ちています。
クラシック音楽そのものにまだ抵抗感があるという人は、爽快な流れで、いちばん演奏時間が短い第4楽章フィナーレから聴いてみてください。
音楽室のうしろに貼ってあった、こわい顔の肖像画とはまったく違うベートーヴェンを知ることができます。
私のお気に入り
《カルロス・クライバー指揮バイエルン国立管弦楽団》
クライバー(1930-2004)は年に一度指揮台にあがるかどうかという、生きながらにして幻となっていたドイツの天才指揮者です。
たいへんな完璧主義者で、その名声とはうらはらに数えるほどしか録音も残っていません。
この録音は、クライバーの代表的な名録音のひとつで、とても仲の良かったバイエルン国立管弦楽団を指揮したもの。
いつも通りの速めのテンポで、音楽に翼が生えたような名演奏が刻まれています。
この曲を得意としていた彼は、ウィーン・フィルと録音する計画がありましたが、そのリハーサル中に有名な「テレーズ事件」という衝突を起こしています。
これは、第2楽章の弦楽器による伴奏を「テレーズ、テレーズ」という風に演奏してほしいとクライバーが要求したことに、ウィーン・フィルが理解・対応できず、そのことでひどく傷ついたクライバーが「マリーじゃない!テレーズだ!」と声をあげ、リハーサルの途中で指揮台を降り、指揮棒をまっぷたつに折って、そのまま帰ってしまったという事件です。
レコーディングセッションだったのでその顛末も録音が残っていて、YouTubeの公式な動画でも確認することができます。
当時はこの交響曲に関係している女性はヨゼフィーネではなく、姉のテレーズだとされていたので、そのことでテレーズという名前を引き合いに出したんでしょう。
マリー・テレーズというのはR・シュトラウスの楽劇『ばらの騎士』の登場人物で、つまりは、ウィーン・フィルの弾き方がクライバーにとっては別の音楽のようになっている、“ テレーズ! ”とベートーヴェンが呼びかけているようにやってほしいということだったんでしょう。
クライバーは、その後5年以上ウィーン・フィルの指揮台へ戻りませんでした。
( Apple Music↓ ・ Amazon Music ・ Spotify ・ LineMusic などで聴けます)
《セルジュ・チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィルハーモニー》
快速テンポのカルロス・クライバーとは正反対に、ゆっくりとしたテンポで奏でているのが、ルーマニアの巨匠チェリビダッケ(1912-1996)のもの。
チェリビダッケの演奏は、基本的にどれもテンポが遅いです。
それを嫌がるクラシック・ファンもいますし、それはそれでいいんですが、私はその違いがおもしろいです。
何といってもチェリビダッケはたいへんな巨匠。
その彼がそうした遅いテンポを設定したというのは、そうすることで通常のテンポでは聴こえてこない何かが聴こえてくるからなわけです。
クラシック初心者には、きっとクライバーの快速テンポのほうが親しみやすいと思いますが、それとは正反対のテンポによって、同じ音楽のちがった側面を教えてくれるこうした演奏も許容できるようになってくると、クラシックの世界はぐっと広がっていくと思います。
ちなみに、上でご紹介したクライバーがプライベートで日本を訪れた帰り、日本公演を終えたチェリビダッケとたまたま同じ飛行機に乗ることになってしまったというエピソードが残っています。
世界で最も速いテンポで名演奏を繰り広げる天才と、世界でもっとも遅いテンポで独自の世界をつくりあげる大巨匠。
しかも、毒舌でも著名だったチェリビダッケが指揮者カラヤンのことを悪く言ったことに腹を立てたクライバーは、以前、新聞にそれを非難する投稿をした経緯があって、ふたりは微妙な関係にありました。
ですが、このときは、なんと年上のチェリビダッケの方から、空いていたクライバーの隣の席に座ってきたそうで、二人はずっとミュンヘンまで音楽の話で盛り上がっていたそうです。
チェリビダッケのこうしたところ、さすが大物だと思います。
まったく対照的な芸術を持つ2人の天才、いったいどんな話をしていたんでしょう。
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《トーマス・ヘンゲルブロック指揮パリ管弦楽団》
1958年ドイツ生まれの指揮者トーマス・ヘンゲルブロックは、もともとはバロックなどの分野で活躍していた人。
そんな彼が、モダン楽器の名門楽団である北ドイツ放送交響楽団の指揮者になったときは意外な感じがしましたが、それ以降、一層レパートリーを拡大、さまざまなオーケストラとさまざまな時代の作曲家を取り上げています。
私は、彼を現代屈指の名指揮者のひとりだと思っています。
ここでは、フランスの名門パリ管弦楽団を指揮して、実に躍動感あふれるベートーヴェンが聴かれます。
名門パリ管弦楽団は、さすがファッションの最先端の街の楽団だけあって、団員の衣装も実に洗練されたデザインで統一されています。
《ジョナサン・ノット指揮スイス・ロマンド管弦楽団》
1962年イギリス生まれの指揮者ジョナサン・ノットは、この記事を書いている2022年現在、東京交響楽団の音楽監督を務めていて、日本に居ながら、年に何度も彼の実演に接することができます。
このブログでは『コンサートに行こう!』ということでお薦めの演奏会の紹介を行っていますが、ジョナサン・ノットの公演はその筆頭に挙げられるものです。
ここで紹介する動画は、やはりノットが指揮者を務めているスイス・ロマンド管弦楽団の公式なもので、実に腰の据わった、それでいて、スピーディーな展開を見せるノットらしいベートーヴェンが奏でられています。
これが日本でも定期的に体験できるというのは、ほんとうに恵まれたことで、是非、コンサートに行ってみようという方はまずノット指揮東京交響楽団のコンサートから検討してみてください。
※スイス・ロマンド管弦楽団の公式動画は、突然公開がおわってしまうことが度々あるので、是非、はやめに視聴してみてください。