シリーズ〈交響曲100〉、今回はその第2回目。
このシリーズでは、クラシック初心者のかたに是非聴いてみてほしい交響曲を、およそ100曲ほどご紹介していく予定です。
その曲にまつわるエピソードなどをまじえ、おしまいには「私のお気に入り」の演奏をご紹介します。
初心者の方にいきなりCDを買えというのは無理があると思うので、オンライン配信されているものを中心に、そのリンクも貼っていきますので、実際に聴いてみてください。
クラシックのオンライン配信の検索機能はまだまだ発展途上で、このリンクを探すのがかなりの重労働です。
是非、このブログを利用して、初心者のみなさんは楽をして、名演奏に最初からアクセスしてください。
さて、シリーズ第2回は交響曲の父ハイドンの大ヒット作、交響曲第45番『告別』です。
物語
日本で田沼意次が江戸幕府の老中になった1772年、ヨーロッパではハイドンがとってもユニークな交響曲を作曲しました。
その年、ハイドンが仕えていたエステルハージ公は、ハンガリーに建てたお気に入りの豪華な離宮で夏を過ごしていました。
ハイドンをふくめお抱えの楽団員が同行しているわけですが、もちろん、ほとんどの楽団員は単身赴任の状態で同行することになります。
エステルハージ公はこの離宮がたいへんなお気に入りで、いよいよ滞在はどんどんと延長されました。
けれど、単身赴任である楽団員たちは妻子を故郷にのこしているわけで、一日もはやく帰りたい。
そこで楽団のリーダーであるハイドンは、今では『告別』というあだ名がついているこの交響曲を作曲しました。
言葉でエステルハージ公に「みんながもう帰りたがっております」というのではなくて、それをエステルハージ公が大好きな音楽を通して伝えようという、たいへん機智に富んだ手に出たわけです。
それは、この曲のフィナーレで行われます。
この第4楽章に仕掛けがあって、最初はいかにもハイドンのフィナーレらしく、快活なテンポで音楽がはじまっていきます。
そして、いよいよ盛り上がりそうな3分ほどしたところで、突然、場違いなくらいゆっくりな音楽が始まります。
エステルハージ公も聴いていて「おや?」と思ったはずです。
このゆっくりなAdagioアダージョの部分に入ると、自分のパートを弾き終えた楽団員はひとりずつ、譜面台を照らしていたローソクの火を消しながら、舞台を去っていきます。
ひとり、またひとり、楽団員がローソクの灯りを消しながら去っていきます。
ほの暗いステージに最後まで残っているのは、ヴァイオリンを弾いているハイドンとコンサートマスターのたった2人だけ。
やがて、その2人のささやかな二重奏もしずかに終わります。
エステルハージ公もきっと、この演出、このハイドンの天才的ユーモアに大いにおどろき、感心し、楽しんだことでしょう。
楽士たちの気持ちをすぐに理解して、この演奏の翌日には、楽士たちに暇を出して帰郷させたということです。
今でもコンサートで演奏されるときには、楽団員が退場していく演出をすることが多いです。
実際に目で確認できるように、ここではジョヴァンニ・アントニーニ指揮イル・ジャルディーノ・アルモニコが演奏会でやったYouTube動画をリンクしておきます。
疾風怒濤
ハイドンのこの曲はとにかくこのフィナーレが有名です。
ですので、まずはこのハイドン一流のユーモアから親しんでもらっていいと思いますが、第1楽章の駆り立てるような劇的な音楽も強い印象を残します。
この時期はハイドンの研究者がハイドンの“疾風怒濤期”(シュトルム・ウント・ドラング)と呼んでいる時期で、短調の曲が多く、感情表現を前面におしだした、激情的な作風がきわだっていた時期でした。
上でご紹介したアントニーニ指揮のYouTube動画でも、第1楽章を攻撃的といっていいくらいの勢いで演奏しています。
たしかにこういう演奏をしてみたくなるような、とても劇的な性格をもつ音楽になっています。
是非、第1楽章も聴いてみてください。
私のお気に入り
この曲はたいへんな人気曲なので名演奏が目白押しです。
フランス・ブリュッヘン指揮ジ・エイジ・オブ・エンライトゥンメント管弦楽団はこの曲でも素晴らしいです。
疾走感もあり、奥行きもあり、そのバランスの妙。
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トン・コープマン指揮アムステルダム・バロック・オーケストラはブリュッヘンよりも爽やかで淡い色調が特徴。
他の演奏では疾走するようにひびく弦楽器の刻みが、軽やかな翼をもって跳ねているようです。
この疾風怒濤期を代表する名作が、明るさをもって再現されているのが、いかにもコープマンらしい素敵な演奏です。
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クリストファー・ホグウッド指揮エンシェント室内管弦楽団は、上の2者よりもっとアカデミックでスマートです。
知的にしっかり整理整頓されている演奏。
それでも音が人間的であったかいのが、このコンビの魅力です。
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ニコラウス・アーノンクール指揮ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスはショッキングなほどの鋭さをもちながら、スケールの大きな構成感をあわせもっていて圧倒的です。
ハイドンが聴いたらきっと最初びっくりして、でも、これはこれでおもしろいって認めてくれるんじゃないかなと思わせる、強い説得力のある力演。
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アンタル・ドラティ指揮フィルハーモニア・フンガリカは、モダン楽器でとっても抒情的に演奏しています。
大作曲家のメンデルスゾーンがこの告別交響曲を指揮したときに「これは不思議な郷愁をもった作品です」と手紙に書いているそうですが、そのエピソードが思い出される演奏です。
少しブラームスを思わせる響きがすると言ったらおかしいでしょうか。
この演奏は、このコンビにとって出色の、とりわけ美しい演奏の記録です。
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この作品は録音も多く、名演奏はここに書ききれないくらいあるのですが、おしまいに、もう一つだけ。
パブロ・カザルス指揮プエルト・リコ・カザルス音楽祭管弦楽団が1959年に演奏したライブ録音を。
カザルスは1876年スペイン・カタルーニャ生まれのチェロの神様。指揮者としても圧倒的だった大家です。
彼の演奏は、チェロにせよ指揮にせよ、「音に命が宿るというのはどういうことなのか」を教えてくれます。
音楽が息づいていない瞬間が一秒たりとも存在しない孤高の世界。
このハイドンの交響曲でも、とりわけ第4楽章の音楽運びは他の演奏と一線を画していて、例の突然アダージョになったところで、きっとエステルハージ公がそうだったように、私も今さら不意に驚いてしまいました。
そして、楽員がひとり、またひとりと目の前から消えていくのがはっきり目に見えるようでした。
あのエピソードを実際に体験したかのようにまで感じた演奏は、これ以外にまだありません。
この曲の人気は、ハイドンが活躍していた当時から現在までずっと続いているようで、ハイドン自身が自分の曲のなかでパロディとして引用しているくらいです。
『うかつもの』というニックネームを持つ交響曲第60番では、第1楽章の途中でとつぜん、この『告別』交響曲の第1楽章冒頭がわり込んできて、聴くもののほほ笑みを誘います(YouTubeで該当箇所)。
ハイドン、まさにユーモアの達人、音楽の達人。
さて、次回の第3回はついに天才モーツァルトの登場となります。
映画『アマデウス』でも使われた交響曲第25番をとりあげます。