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今年2024年はベドルジハ・スメタナ(Bedřich Smetana、1824-1884)の生誕200年。
彼の代表作である連作交響詩「わが祖国」全曲の演奏会が例年より多いです。
1月の小林研一郎(指揮)プラハ交響楽団にひきつづき、今回は、広上淳一(指揮)神奈川フィルハーモニー管弦楽団の演奏を聴いてきました。
目次(押すとジャンプします)
広上淳一(指揮)神奈川フィル
スメタナ:「わが祖国」全曲
2024年3月9日(土)14:00
@横浜みなとみらいホール
スメタナ:
連作交響詩「わが祖国」全曲
第1曲:ヴィシェフラード
第2曲:ブルタヴァ(モルダウ)
第3曲:シャールカ
第4曲:ボヘミアの森と草原から
第5曲:ターボル
第6曲:ブラニーク
広上淳一(指揮)
神奈川フィルハーモニー管弦楽団
後半2曲がとっても面白かった
神奈川フィルの実演を聴くのは、今回が初めてでした。
私は観ていないのでわからないのですが、なにかテレビドラマの影響があるそうで、客席は9割がた埋まっていました。
広上淳一さんについては、広上さんが日本フィルの指揮者をしていた時代によく聴きに行っていましたが、今回は久々の実演で、もしかしたら10年ぶりくらいになるのかもしれません。
結論から言うと、5曲目の交響詩「ターボル」、それから終曲の交響詩「ブラニーク」の後半がとっても面白かったです。
とりわけ「ターボル」は広上さんの真骨頂というべき躍動感と推進力。
きわめてストレートな曲の運びは、この曲にこういうアプローチもあるのかと、とっても新鮮なものでした。
「わが祖国」の難しさ
後半2曲がおもしろかったということは「それまでの4曲はそうではなかったのか」ということになるわけですが、コンサートがはじまり、1曲目の「高い城(ヴィシェフラード)」を聴きながら、やっぱり「わが祖国」の演奏は難しいのだと、つくづく感じました。
よく言われるように、この作品のオーケストレーションは、ブラームスのように綿密な書法によっているというよりは、主旋律と伴奏というのがとてもはっきり分かれていて、それだけに、書法にある種の「薄さ」があります。
チェコ以外のオーケストラや指揮者がやると、そうしたものが素直に、あるいは露骨に、出てしまう面があります。
これだけの名曲なのに、ごく限られた指揮者や楽団しか取り上げないのは、そうしたところに作品の説得力の弱さを感じているからなのかもしれません。
今回の演奏でも、そうした作品の弱さが素直に出ていたと思います。
その場面、場面の音楽が有機的な関連をもって聴こえてこない嫌いがあって、どの曲も、やや散漫に聴こえてきました。
演奏家の思い入れの強さ
そうした作品の弱点のようなものを、それでも、母国チェコの指揮者や楽団は、ほとんど、そうと感じさせないくらいに演奏するわけです。
広上淳一さんと神奈川フィルはとっても一生懸命に演奏していましたし、これがもし、例えばマーラーの交響曲とか、あるいは、ドヴォルザークの交響曲などなら、じゅうぶんに満たされてホールを後にしたと思うのですが、「わが祖国」だと違ってきます。
つまり、この作品には「この作品でなければいけない!」という演奏家の強い思い入れ、それが必要不可欠な要素なのだと気づかされました。
この作品を私たちが録音で聴く場合、ほとんどは、そうしたチェコの名指揮者やチェコのオーケストラが、並々ならぬ思い入れを持って、それこそ信仰告白のような、強い情感にささえられた演奏で触れるわけです。
作品のもつ弱点のようなものは、音色の変化やニュアンス豊かなフレージングで包みこまれ、作品は豊穣な世界を形成します。
♪スメタナ:
「わが祖国」全曲
ラファエル・クーベリック(指揮)
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
( Apple Music↑ ・ Amazon Music ・ Spotify ・ Line Music などで聴けます)
1月に聴いた小林研一郎(指揮)プラハ交響楽団の公演でも、オーケストラの培った音色が非常にものを言っていて、全体的に大雑把なアンサンブルなのに、“ 音 ”そのものが作品の精神と深く結びついていて、強く引き込まれるものがありました。
アッバードのいちばん好きな作品とは
以前、クラウディオ・アッバード( Claudio Abbado, 1933-2014)が日本のテレビ番組のインタビューで、いちばん好きな作品は何かと問われて、「私はそのとき演奏している作品がいちばん好きな作品なのです」と答えていたのを思い出しました。
何とも上手な答え方だと思っていましたが、実は、音楽家のあるべき姿を端的に語っていたのだと、今回はじめて真意を理解できました。
作品への愛の深さ。
そうしたものは、方法論を超える強さをも持っています。
通常、この連作交響詩を演奏する場合は、前半3曲と後半3曲のあいだに休憩を入れて、2部構成で演奏されることのほうが多いのですが、この公演では、昨今増えている方法で、全6曲が一気に演奏されました。
全6曲を一気に演奏することで、全体を1つの楽曲として提示するわけですが、今回の演奏からは、特にその効果は感じられませんでした。
むしろ、チェコの往年の名指揮者たちが3曲ずつにわけで演奏したもののほうが、全6曲のまとまりを強く感じます。
それはやはり、全曲を貫く思い入れの違い、持続される緊張感の違いなんだと思います。
気になったモルダウのフレージング
この連作交響詩は、どうも、もともとはそれぞれが独立した楽曲として書かれ、それが、あるときから「連作」というまとまりをもつようになったそうですが、計画的にせよ、偶発的にせよ、前半2曲目「モルダウ」の終結部でヴィシェフラードの主題が高らかに鳴り響いて、それが、終曲「ブラニーク」の終結部の予告のようになっている構成には、まるでマーラーの交響曲のような構成感を感じて、いつも感動させられます。
ただ、今回の演奏では、それも感じられませんでした。
それからとっても気になったことを、もうひとつ。
「モルダウ」の主題が、ほとんど“ 演歌 ”のように聴こえました。
控えめなアクセント処理にくわえ、ディナーミクが平坦におさえられ、スタッカートもほとんどテヌートで処理、さらに少しフレーズを押してしまうせいでしょう。
さすがに、このフレージングは問題があると思います。
とっても強い違和感をおぼえました。
それでも、
そうした、やや満たされない思いで客席にいたわけですが、最初に書いたとおり、第5曲「ターボル」は目の覚めるような演奏で、音楽が息づきました。
終曲「ブラニーク」は、やはり途中、音楽の継ぎ目があらく感じられましたが、後半になるにつれて、「広上節」というべき、奔放な音楽の躍動があって、とっても面白いクライマックスを築いていました。
こうして、何だかんだ、ひとつのクライマックスを形作れるところが、さすが広上淳一さん。
ブログのおすすめコンサートのページで、広上淳一さんの公演をお薦めすることが比較的多いと思うのですが、このままお薦めしつづけて大丈夫、とちょっと安心しました。
こうした面白さが、より深い感動へとつながると、もっともっと強くお薦めできるのですが、。
音楽をいろいろ聴くにつけて、より細かく聴くようになったり、より技術的なことに耳が行くようになったりするわけですが、今回の公演を聴いて、今どき精神論は流行らないとはいえ、作品への思い入れや深い愛情は、やっぱり必要不可欠なものなんだと再認識しました。
とりわけ、この「わが祖国」のような作品においては、そうした「想い」も作品を構成するひとつの「要素」なのだというのは、大きな気づきでした。
ふつうにうまく演奏されただけでは、成立しない作品もあるということ。
音楽には、作品への並々ならぬ愛がなければならないということ。
それを強く感じたコンサートでした。
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