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モーツァルトへのオマージュ
僕はふっと思いだした、ある音楽家の機智にとんだ奥さんの言葉を。「モーツァルトって、ドレミファソラシドって、音階ばかりじゃない?あんまりソルフェージュの練習みたいなので、一度そう思ってきき出すと、頭がいたくなるわ」
いかにもそのとおりだろう、だが、モーツァルトが音階をむやみに使ってかいたというのは、彼が無精だったからではないだろう。
(中略)
モーツァルト ー 歌う音階!だがその歌はすべてを歌う。吉田秀和 著「音階の音楽家」~『モーツァルト』講談社学術文庫
これは日本の音楽評論の草分け、吉田秀和(1913-2012)さんの名著からの引用です。
モーツァルトが音階をいかに奇跡的に扱っているのかを私が教えられた文章です。
モーツァルト同様、音階の音楽家として思い浮かぶのが、今回ご紹介しているチャイコフスキーです。
今回ご紹介する『弦楽セレナーデ ハ長調』の第1楽章冒頭のメロディーを見てみると、ドシラソファミレドと下降する音階に、少し変化をくわえただけの構造になっています。
まさに音階から音楽を生み出すという点で、モーツァルト的な楽想をチャイコフスキーも持っていたわけです。
ロシアの作曲家チャイコフスキー(1840-1893)は、1880年、およそ40歳のころに、この弦楽合奏のためのセレナーデを作曲しました。
彼はこの曲を、尊敬していたモーツァルトの音楽に立ち返ることを意識して作曲したということです。
特にその第1楽章を「モーツァルトへのオマージュ」、とチャイコフスキー自身が述べています。
音階や分散和音が重視されていたり、簡潔なスタイルを目指して書かれています。
🔰初めてのチャイコフスキー:弦楽セレナード
全部で4楽章、30分ほどの曲です。
特に冬の空気が澄んだ季節に聴くのがお薦めの音楽です。
第1楽章は上でもご紹介した、「モーツァルトへのオマージュ」。
一度聴いたら忘れられない冒頭を持っていて、がっちりしていますが聴きにくい音楽ではありません。
冒頭の主題は第1楽章の最後だけでなく、第4楽章の最後にも帰ってきますので、ぜひ聴いておいてください。
第2楽章は「ワルツ」。
その美しい旋律からコンサートのアンコールなどでもよく演奏される音楽で、ちょっと聴いてみようというときにはこの楽章だけを聴いてみてもいいかもしれません。
チャイコフスキーはワルツをとても好んでて、ピアノ曲やバレエ音楽だけでなく、あとに交響曲にも挿入するようになります。
第3楽章は「エレジー」、悲しみの歌です。
とっても深い悲しみと、それを包み込むかのような限りない優しさが感じられます。この曲のなかで、深さという点でひとつの頂点を持っている楽章です。
かつてロシアの大チェリスト、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチが、チャイコフスキーの音楽を聴いているとチャイコフスキーが「世界は何て美しいんだろう…」と言いながら、とても悲しい眼差しで世界を見渡している姿が目に浮かぶと言っていました。
その眼差しが見ていた世界は、きっとここにもあります。
第4楽章はロシア民謡をもとにしたフィナーレ。
いろんなところで書いていますが、多楽章形式の音楽で迷子になりそうなときは、まずフィナーレを聴きこみましょう。
この音楽の終着点であり、そのおしまいには第1楽章の冒頭も帰ってきます。
弦楽セレナーデの名曲たち
モーツァルトへのオマージュというチャイコフスキーの想いをご紹介しましたが、音階や分散和音の多様ももちろん、そもそも「弦楽セレナード」という形態をとったこと自体も、その表れと言えるかもしれません。
オーケストラではなくて弦楽器のみという、ある意味で切り詰められた編成であること、そして、モーツァルト自身がセレナードの名曲をたくさん残しているということ。
有名な『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』も弦楽によるセレナードのひとつです。
チャイコフスキーの数年前には、チェコでドヴォルザークが『弦楽セレナード ホ長調』を書き上げています。
そして、チャイコフスキーがロシアでこのセレナードを書いてから8年後の1888年、この二人の大作曲家は直接出会うことになります。
チャイコフスキーは1840年生まれ、ドヴォルザークは1841年生まれで、実はほとんど同い年。
このふたりはすぐに打ち解けたようで、とても良い友人同士となりました。
現代では、よくこの2人の弦楽セレナードはひとつのアルバムにカプリングされていますが、それを知ったら2人とも喜んでくれるかもしれません。
それに、そうしてカプリングできるくらい、この2人の音楽には共通の言語のようなものがあります。
私のお気に入り
サー・ジョン・バルビローリ指揮ロンドン交響楽団は折り目正しい音楽のなかに、目いっぱい、限界まで情感を注ぎ込んだ演奏。
至るところに歌があふれていて、音楽が生命をもって自分で鳴り響いているよう。
そして、弦楽器におけるヴィブラートの意味・役割を教えてくれます。抒情的で繊細であるのに、常に音に張りつめた強さがあって、心奪われる演奏です。
(YouTube↓・ Apple Music・Amazon Music・Spotify・Line Music などで聴けます)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団は何回かこの曲を録音していて、どれも素晴らしいです。
一般に評価の低い晩年期の録音が私には味わい深いですが、ドヴォルザークのセレナードのところでご紹介したように色々条件がそろわないと良さが伝わってこない繊細な録音になっています。
ここでは魅力がもっと伝わりやすい、カラヤンが若いころに録音したものを。
カラヤンが描くレガートの美しい線に乗って、ベルリン・フィルの弦楽器群が輝かしい演奏を繰り広げています。
第3楽章もエレジーというよりは、バレエ音楽でのチャイコフスキーの優美さを思わせる響きがします。
それは決して内容が軽いという意味ではありません。
何か、淡くて、はかない、美しい夢を見たような音楽になっています。
私がはじめて聴いたチャイコフスキーの弦楽セレナードはこの演奏でした。
思い出の演奏。
( Apple Music↓・Amazon Music・Spotify・Line Music などで聴けます)
パーヴォ・ベルグルンド指揮ニュー・ストックホルム室内管弦楽団の演奏は、音がとにかく美しい。
録音も優秀なんだと思います。
いかにも北欧の弦らしい、混じりけのない、クリスタルのような響きが魅力の演奏。表現そのものも、例えば第3楽章のエレジーも重苦しくならなくて、とっても抒情的で澄みきった表情を大切に演奏しています。
マイナーなレーベルから出ているせいでしょうが、もっと広く知られていい録音。
( Apple Music・Amazon Music・Spotifyなどで聴けます)
YouTubeでたくさんのものがあがっていますが、室内管弦楽団の演奏ではノルウェー室内管弦楽団の演奏がとても充実しています。
楽団員の自発性も豊かで、音楽の息遣いがとても新鮮です。
この曲ですぐに思い浮かぶ指揮者のひとりが小澤征爾さん。
師匠の斎藤秀雄さんから叩き込まれた一曲ということで、大切な場面で折に触れてこの曲を指揮してらっしゃいます。
病気で活動を休止していたあとの「復活のセレナーデ」が凄かったですが、ここでは2011年にスイスで行われた小澤征爾インターナショナルアカデミー公演で行われたアンコール演奏を。
第1楽章だけが演奏されています。
時折、小澤征爾さんの掛け声も聞こえてきます。