シリーズ〈オーケストラ入門〉

【オーケストラ入門】エルガー:『愛のあいさつ』~小さな試聴室

婚約記念の贈り物

イギリスに生まれた遅咲きの作曲家エドワード・エルガー(1857-1934)は、31歳のころに婚約記念として、妻となるキャロライン・アリス・ロバーツに『愛のあいさつ』という曲を贈りました。

これはもともとは、ドイツ語が堪能だった彼女を意識して、“ Liebesgruss ”(愛のあいさつ) というドイツ語の題名がつけられていました。
実際、最初はその通りの題名で出版もされたようですが、どうも売れ行きがよくなかったようで、出版社から“ Salut d’amour ” (愛のあいさつ)というフランス語への変更を提案されて、現在もその題名が定着しています。

また、エルガーは彼女のことを“キャリス”と呼ぶこともあったので、楽譜にも“ キャリスへ ”という言葉が記されています。
しばらくして、ふたりの間に娘が生まれたときには、今度はその子にキャリスという名前がつけられました。

今では世界中で愛されているこの曲ですが、出版に際してエルガーに支払われた額は二束三文。
エルガーが作曲家として成功するのは42歳のときの『エニグマ変奏曲』なので、彼の本当の成功までには、あとまだ11年も待たなければならないころの作品です。

『愛のあいさつ』はお返しの贈り物

婚約記念にエルガーからは『愛のあいさつ』が贈られたことは有名ですが、実はそれはお返しで、その前にキャロライン・アリスの方からエルガーへ“The Wind at Dawn”(夜明けの風)という詩が贈られていました。

彼女は非常に教養のある女性で、ドイツ語・フランス語・イタリア語・スペイン語などに堪能だっただけでなく、エルガーと出会う前に小説も出版しているほどです。

そうして彼女から贈られたこの詩に、エルガーはさっそくピアノ伴奏でメロディーをつけて歌曲としています。
あまりこの歌詞の日本語訳を見かけないので、私なりの試訳を併記しておきます。
まちがいがあるかもしれませんが、おおよその意味はあっていると思いますので参考になればと思います。

キャロライン・アリスから贈られた詩

THE WIND AT DAWN
『夜明けの風』

And the wind, the wind went out to meet with the sun
風は太陽と出会うために旅立った
At the dawn when the night was done,
夜が終わろうとしている夜明けのころ
And he racked the clouds in lofty disdain
風は見下すように雲たちを散り散りにした
As they flocked in his airy train.
彼らが風の通り道にくっついてきたから

And the earth was grey, and grey was the sky,
大地は灰色、空も灰色
In the hour when the stars must die;
星たちが死なねばらない時刻
And the moon had fled with her sad, wan light,
月は、悲しい青ざめた光をともない、飛び去っていった
For her kingdom was gone with night.
月の王国は夜とともに消え去ったのだ

Then the sun upleapt in might and in power,
すると、太陽が力をみなぎらせて駆け登ってきた
And the worlds woke to hail the hour,
世界は目覚め、その時を歓呼して迎え入れる
And the sea stream’d red from the kiss of his brow,
太陽のまゆに口づけをした海は赤くなり
There was glory and light enow.
たくさんの栄光と光が満ちあふれる

To his tawny mane and tangle of flush
太陽の黄褐色のたてがみと絡みあう光にむかって
Leapt the wind with a blast and a rush;
風は猛烈な勢いで吹き込む
In his strength unseen, in triumph upborne,
目に見えない力、高みへと昇る勝利のなか
Rode he out to meet with the morn!
風はついに朝と出会ったのだ

 

この歌曲はある出版社が主催したコンテストで1位になって、今でだいたい10万円くらいの賞金を手にすることができたようです。

愛妻家エルガー

キャロライン・アリスの詩に音楽をつけた例というのは他にもあって、1899年、『エニグマ変奏曲』で大成功した直後、『海の絵』というオーケストラ伴奏歌曲集が書かれましたが、その第2曲『港にて(カプリ)』“In Haven ( Capri ) ”が特に有名です。

エルガー夫妻はたいへん夫婦仲がよく、作曲家としてのエルガーも奥さんの献身的な支えで大成した面があります。
なので、年上だった奥さんが先に亡くなってしまってからは、ほとんど主要な作品が生まれていないくらいです。
まさに、奥さんがインスピレーションの支え、源泉だった作曲家でした。

私のお気に入り

ヴァイオリンとピアノ版で、チョン・キョンファ(ヴァイオリン)&フィリップ・モル(ピアノ)の録音。
最上の美音と繊細なフレージング、言うことなし。
「完璧」という言葉が頭をよぎる鉄壁の演奏。
( Apple Music↓・Amazon MusicSpotifyLine Music などで聴けます)

 

同じくヴァイオリンとピアノで、ユーディ・メニューインのヴァイオリンとアドルフ・ベイラーのピアノのもの。
メニューインはアメリカ生まれのユダヤ系のヴァイオリニストで、人道主義者としても多大な足跡を残した方です。
彼の足跡のひとつは、以前別のところでご紹介した『ロイヤル・コンセルトヘボウ・オーケストラがやってくる』という映画のなかでも南アフリカの例が紹介されていました。
この「愛のあいさつ」はとても気品のある演奏で、音楽への敬意が感じられる凛とした演奏です。
( Apple Music↓・Amazon MusicSpotifyLine Music などで聴けます)

 

チェロの神様、スペイン出身のパブロ・カザルスのとっても古い録音も残っています。
甘くなり過ぎないようにするためか、速めのテンポで弾いていますが、それなのに、どこまでも伸びやかで豊かな歌があることに驚かされる演奏。
カザルスも何を聴いても、本当にすごい音楽家です。
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オーケストラ版では、イギリスの名コンビ、サー・アンドリュー・デイヴィス指揮BBC交響楽団の演奏が安心して聴いていられます。
とっても美しい、素直な演奏。
( Apple Music↓・Amazon MusicSpotifyLine Music などで聴けます)

 

そして、私がいちばん好きな演奏、1914年にエルガーご本人が指揮をした歴史的な音源です。
作曲家の自作自演というのは、いろいろ参考になるし勉強にもなるけれど、意外と面白くないものがほとんどだったりします。

でも、これは違います。
1914年というと第一次世界大戦のころですから、とにかく音が古いんですが、でも、一回聴いただけで大好きになってしまった録音です。

何を聴いてもここに帰ってきてしまう、私にとっては一番心にひびく演奏です。
今はサロン風に爽やかに弾かれることが多いですが、ご本人の指揮で聴くと、もっとゆっくりとした素朴な愛の歌だったことがわかります。

これはきっと奥さんも聴いたはずなので、とっても喜んだんじゃないでしょうか。
( Apple Music↓・Amazon MusicSpotify などで聴けます)

 

おしまいに、上でご紹介した『夜明けの風』を。
これは滅多に演奏されない作品で録音もほとんど見かけません。
YouTubeにあったものからご紹介します。

 

 

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