ドイツの名門オーケストラ、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団の初めての女性コンサートマスターに就任して活躍中の青木尚佳(あおき・なおか)さんが来日、仲間たちと室内楽公演をおこないました。
プログラムとメンバー
2023年4月9日(日)14:00@港南区民文化センター「ひまわりの郷」ホール
ドホナーニ: 弦楽三重奏のためのセレナード Op.10
コダーイ: ヴァイオリンとチェロのための二重奏曲 Op.7
モーツァルト: ディヴェルティメント K.563
【アンコール】
ベートーヴェン:弦楽三重奏曲Op9-3から
ヴァイオリン:青木尚佳(ミュンヘン・フィル コンサート・マスター)
ヴィオラ:ジャノ・リスボア(ミュンヘン・フィル首席ヴィオラ奏者)
チェロ:ウェン・ジン・ヤン(元バイエルン放送響首席チェロ奏者)
「ミュンヘンのトップ奏者たち」と題されたコンサートで、そのタイトル通り、いずれもドイツの名門オーケストラであるミュンヘン・フィルとバイエルン放送交響楽団のトップ奏者3人が集まっての室内楽公演でした。
青木尚佳さんは、1992年東京生まれ。
2014年ロン=ティボー=クレスパン国際コンクールで第2位になられて、その後、ドイツを中心に活動されていたとのことですが、私がその存在を知ったのは昨年2022年の春です。
紀尾井ホール室内管弦楽団の公演を聴きに行こうとチケットを手に入れていたのですが、予定されていた指揮者トレヴァー・ピノックの急病を受けて、プログラムが変更、青木尚佳さんが出演されることになりました。
そのちょっと前に、ミュンヘン・フィルの初の女性コンサートマスターに日本人のヴァイオリニストが選ばれたというニュースを何かで目にしていて、ただ、その話題のヴァイオリニストがコンサートに急遽出演が決まった青木尚佳さんのことだと気づいたのは、コンサート数日前で、ほんとうに偶然の出会いでした。
そのとき耳にしたベートーヴェンの協奏曲は、私が今まで実演で聴いた最高のもののひとつで、そのことはレビューにもつづっています。
青木尚佳さんのヴァイオリンをまた聴きたいと思っていたので、今年もこうして日本での演奏活動が継続されていて、うれしいかぎりです。
というわけで、青木尚佳さんとミュンヘンの名演奏家たちによる「三重奏」のコンサートを聴いてきましたので、ここに感じたことなどをつづっておきたいと思います。
ドホナーニの作品
ヴァイオリンとヴィオラ、そしてチェロによる弦楽三重奏という編成になると、例えば弦楽四重奏などと比べて、曲の数がぐっと少なくなるので、おのずとプログラムもかなり凝ったものになってきます。
この日の公演もまさにそうで、前半の2つの作品はいずれも、私は初めて耳にする作品でした。
あえて予習はせずに、世界初演を聴くようなつもりで耳をかたむけました。
ドホナーニというと、私は現在世界最長老の指揮者のひとりで、アメリカのクリーヴランド管弦楽団で活躍したクリストフ・フォン・ドホナーニをまっさきに思い出してしまうのですが、作曲家のエルネスト・フォン・ドホナーニは彼の祖父にあたる人です。
ピアニスト、教育者としても著名で、ハンガリーの名指揮者サー・ゲオルグ・ショルティ(1912-1997)の先生としても名前を見たことがあります。
ドホナーニ「弦楽三重奏のためのセレナード ハ長調 作品10」は、全5楽章、演奏に20分前後を要する作品でした。
いかにも近代ハンガリーの響きがすると同時に、とても構成ががっしりとしていて、非常にドイツ的なものを感じます。
初めて訪れた「ひまわりの郷」ホールは、室内楽向けの小規模なホール。
客席に傾斜があって、どこからでも舞台が見やすいホールです。
演奏が始まってみると、音の響きはわりと淡泊で、舞台が近いわりには、少し音が遠く感じられました。
少しするとこちらも慣れてきて、まず、やはり青木尚佳さんの音の美しさに耳がひかれます。
そして、青木尚佳さんにとどまらず、3人が3人とも名手なうえに、いずれも名門オーケストラで培われた高度のアンサンブルの感覚を持つ人たちばかりですから、音の出し入れ、そのバランスの良さは格別です。
ソリストがただ3人集まったのでは、なかなか、ここまでの凝縮度には到達しないと思います。
第3楽章のスケルツォでの諧謔的な、畳み込むようなパッセージの連続はもちろんのこと、どの楽章のどこをとっても、緊密なアンサンブルが保たれていました。
また、曲想への踏み込み、切込みも鋭くて、思わず演奏に引き込まれてしまう、強い磁力を感じました。
それから、アルコ(弓)はもちろんのこと、ピチカートがとっても美しいのが印象的でした。
これは全員がそうで、こんなに音楽的なピチカートはそうそう聴けるものではないと思いました。
非常に音楽的で、雄弁なピチカート。
曲が非常にドイツ的だと書きましたが、演奏もそうした構成感をしっかりと踏まえたものになっていて、特にフィナーレの後半で、たいへんな追い込みで圧倒的なクライマックスが築かれて、そのあと、第1楽章の主題が回帰してきたときには、その構築感のある演奏にすっかり魅了されてしまいました。
初めて耳にする作品との、素敵な出会いになりました。
コダーイ
2曲目はヴァイオリンとチェロの二重奏になって、コダーイ作曲「ヴァイオリンとチェロのための二重奏曲 作品7」が演奏されました。
ハンガリーの大作曲家ゾルターン・コダーイ(1882-1967)の比較的初期の作品ですが、室内楽作品はこれを最後に二度と書くことはなかったそうです。
全3楽章、25分前後の作品。
非常に独創的な作品で、これもまた、初めて耳にする作品でしたが、たった2つの弦楽器から出てくるとは思えないほどの多層的な音楽。
その作品に、名手2人が圧倒的な技術とアンサンブルでもって切りこんでいくわけですから、曲の独創性とあいまって、特に強い印象を与えられた1曲になりました。
いっさい緊張感がとぎれることもなく、全編が聴きどころでしたが、特に高音部での青木尚佳さんの音の美しさは筆舌に尽くしがたいもので、以前に聴いたときにも思いましたが、ミュンヘン・フィルのコンサートマスターにしておくのはもったいないようにすら思えてくるほどです。
ソリストとしての活動も、ずっと継続してほしいヴァイオリニストです。
チェロの雄弁さも素晴らしく、よくロリン・マゼール(1930-2014)の指揮する公演を映像などで観ていると映っていた首席チェリストが、こんなに凄い腕前のひとだったのかとあらためて驚きました。
まさに、鉄壁の二重奏でした。
モーツァルトはむずかしい
後半はモーツァルト「ディヴェルティメント変ホ長調 K.563」です。
交響曲第41番「ジュピター」を書き終えて間もないころの、モーツァルト晩年の傑作で、演奏に50分を要する、弦楽三重奏のジャンルでの王様のような作品です。
モーツァルト晩年の作品群というのは、特有の演奏の難しさをともなうようです。
その透明で簡潔な音楽は、容易に人を近づけない側面もあって、例えば、交響曲第39番が典型だと思いますが、指揮者がどんなに懸命に振っても、なかなか音楽のなかに入っていけず、結局そのまま演奏がおわってしまうということが間々あります。
今回のモーツァルトも、そうだったように感じました。
青木尚佳さんをふくめ、3人は非常に端正に、そして懸命に音をつむいでいきますが、どうしても音楽のなかに入っていけないというようでした。
弦楽三重奏という切り詰められた編成なうえに、音楽も簡潔な外見をもっているので、こうなってしまうと、この傑作がまるで何の変哲もない作品であるかのように聴こえてきてしまいます。
もちろん、そういう作品でないことは、ステージ上の3人がいちばんよく知っているはずで、だからこそ、懸命に音楽に入り込むきっかけを模索していたのだと思います。
でも、結局、そのまま終わってしまったように私には聴こえました。
モーツァルト、孤高の天才。
ほんとうに難しい作曲家です。
失敗のなかに見えたもの
ただ、このある種の失敗のなかにも彼らの美点がしっかりあったのであって、それは、どんなにモーツァルトに拒絶されても、その音楽のなかに入って行こうとするときの姿勢が、あくまで正攻法のままだったことです。
こういうとき、たいていの演奏家は手練手管を駆使して、あの手この手で、いろいろな試みをするものです。
余計なアクセントをつけてみたり、極端な変化をつけてみたり。
でも、この3人は一切それをしませんでした。
非常に正攻法に、あくまでひたむきに、じっと音符と向かい合い続けているのがはっきりとわかりました。
楽譜と向き合い、懸命に音を紡ぎ、響く楽音に耳を澄ましていました。
それゆえに、彼らはやはり「ミュンヘンのトップ奏者たち」なのであって、その高潔な姿勢には学ぶところがたくさんありました。
アンコール
モーツァルトを聴きながら、おなじ古典派でも、ベートーヴェンの作品のほうがこのトリオにはしっくりくるのではないかと思っていたところ、うれしいことに、アンコールはベートーヴェンの弦楽三重奏曲が演奏されました。
不思議なものです。
3人がいずれもドイツの楽団に関係しているということもあるのでしょうか。
水を得た魚のように音楽が息づき、いっきに音楽が息を吹き返しました。
素晴らしいベートーヴェンで、今度は是非、ベートーヴェンの弦楽三重奏曲もプログラムに入れてもらいたいと思いました。
もちろん、これほどの音楽性を誇る3人がモーツァルトを苦手としているとは考えづらいので、たまたま、この日のモーツァルトは出来栄えがよくなかっただけかもしれません。
彼らのベストの状態のモーツァルト、この日の演奏を踏まえての修正されたモーツァルトもまた、聴く機会があればうれしいと思います。
このトリオの公演は、このあと、茨城・東京・愛知・兵庫と続くそうで、チケットもまだ残っている公演があるようです。
4/11(火)19:00@水戸奏楽堂
(公演詳細ページ)
4/13(木)19:00@東京文化会館
(公演詳細ページ)
4/15(土)15:00@Halle Runde(名古屋)
(公演詳細ページ)
4/16(日)14:00@兵庫県立芸術文化センター
(公演詳細ページ)
是非、世界最高水準の楽団でトップ奏者をつとめる彼らの音楽を体験してみてください。
青木尚佳さんのヴァイオリンは、ロシアのアリーナ・イヴラギモヴァと並んで、今後も機会をつかんで聴き続けていきたいと思っています。
青木尚佳さんの録音など
青木尚佳さんはソロ・アルバムを以前に録音していて、オンラインでも配信されています。
( Apple Music↑ ・ Amazon Music ・ Spotify ・ Line Music などで聴けます)
※2023年4月10日現在、AmazonMusicでは全曲聴けますが、ほかのサービスではR・シュトラウスのヴァイオリン・ソナタの第1楽章だけは聴けない仕様になっているようです。
♪このブログでは、オンラインで配信されている音源を中心にご紹介しています。
オンライン配信の音源の聴き方については、「クラシック音楽をオンライン(サブスク定額制)で楽しむ~音楽好きが実際に使ってみました~」のページでご紹介しています。
♪青木尚佳さんの公演をはじめ、お薦めのコンサートを「コンサートに行こう!お薦め演奏会」のページでご紹介しています。
判断基準はあくまで主観で、これまでに実際に聴いた体験などを参考に選んでいます。
♪実際に聴きに行ったコンサートのなかから、特に印象深かったものについては、「コンサートレビュー♫私の音楽日記」でレビューをつづっています。
コンサート選びの参考になればうれしいです。