シリーズ〈交響曲100の物語〉

【交響曲100の物語】シューベルト:交響曲第7番ロ短調《未完成》D759~小さな試聴室

 

“ いったい、陽気な音楽というものが本当にあるんだろうか…僕はそんなもの、ちっとも知らない。 ”
(フランツ・シューベルト)

 

先日、イタリアの名指揮者リッカルド・ムーティが来日して、この交響曲を指揮しました(公演レビュー)。

コントラバスによって冒頭の旋律が奏でられた瞬間、その異様な響きにゾッとしました。

考えてみれば、こんな恐ろしい音は、それ以前のハイドンやベートーヴェンの楽譜にはないものです。

 

シューベルトがわけいった音楽のあたらしい領域。

シリーズ《交響曲100の物語》、その第28回はシューベルトの有名な《未完成》交響曲です。

 

劇的な変化

この交響曲第7番ロ短調《未完成》が書かれたのは、1822年のこと。

フランツ・シューベルト(1797-1828)がだいたい25歳のころです。

彼は31歳で腸チフスによって世を去るので、早すぎる晩年期ともいえる時期ですが、一方で、ロッシーニの軽妙なオペラに夢中になって、音楽と戯れているかのような明るい第6番を書いてから、わずが5年後ということにもなります。

 

是非、まだ第6番を聴いていない方はそちらを聴いてから、《未完成》を聴きなおして、その落差を感じてみてください。

 

この劇的な変化の原因は、シューベルトが当時不治の病だった「梅毒」にかかり、“ 絶望 ”や“ 死 ”というものと向き合わざるを得ない境遇に置かれてしまったためだと推測されています。

この頃から、彼の音楽はおおきく変化して、デモーニッシュで、厭世的な色合いの濃い作品が生まれるようになります。

 

彼のこうした側面に目がむけられるようになったのは、比較的最近のこと。

以前は「野ばら」や「ます」のような罪のない音楽、家庭的な音楽のイメージが先行していたシューベルトですが、現在ではむしろ、この後期シューベルトの側面のほうが存在感を増しているようです。

実際、そうした方向性から作品をほりさげる演奏家が多くなってきていて、シューベルトは以前よりも多層的な作曲家として捉えなおされている最中といえるでしょう。

このことは、もちろん、シューベルトの研究がすすみ、再評価が高まったという側面もありますが、いっぽうで、私たちがそうした側面に惹かれずにはいられない、“ 神経症の時代 ”を生きているということも強く影響しているでしょう。

 

音楽にこうした、ある意味で“ 病的 ”な色合いを見出だした作曲家として後世にあたえた影響は大きく、それはおそらく、シューベルトの没後30年ほどして生まれるグスタフ・マーラー(1860-1911)でひとつの頂点を築くことになります。

 

未完成ということ

「芸術に完成はあり得ない。要はどこまで大きく未完成で終わるかである」。

これは、私が大好きな日本画家、奥村土牛(おくむら・とぎゅう、1889-1990)が『牛のあゆみ』という本のなかに書いていらっしゃいる言葉です。

 

 

「理想に到達することなどあり得ないし、あってはならない」という戒めですが、文字通りで取っても、音楽史の天才たちはやはり偉大な“ 未完成 ”を残します。

今回のシューベルト、それから、先輩作曲家のモーツァルトが《レクイエム》を未完のまま世を去っていて、後世になると、ブルックナーが交響曲第9番を、マーラーが交響曲第10番を未完のまま世を去っています。

 

モーツァルトやブルックナー、マーラーがこの世を去って「未完成」作品が残ってしまったのとちがって、シューベルトはどういうわけか2楽章まで書いた時点である人物に楽譜を送付、それ以降、未完成のまま放置してしまったという不思議な経緯がわかっています。

なぜ途中で止めてしまったのかについては、研究者のあいだでも結論が出ていません。

ただ、それ以前の話として、シューベルトには未完成の作品が他にもたくさんあるという事実があって、この《未完成》交響曲についても、研究者のなかには「彼は“ そういう人 ”だった」と済ませている人もいるくらいです。

あんまり面白くない結論ですが。

 

私にとっての《未完成》

交響曲は通常4楽章形式で書かれますし、この曲でもそうしようとした形跡が残っているので、後世のひとがこれを《未完成》というネーミングで呼んだのは自然なことです。

でも、だからといって、「この続きが書かれていたらどうなっていただろう」とか「いまだ書かれなかったものへの想像の余地を楽しむ」という作品ではないのが、この曲の完成度を物語っているように感じます。

第2楽章までで、すべてを伝えおわってしまったというよう。

 

彼の交響曲第5番をご紹介したところにも書きましたが、あの曲でも第2楽章だけ不自然に深淵な音楽に発展していくところがありました。

そうした危うさ、アンバランスの妙、理屈をすりぬける独創性、抑制のきかないロマンティシズムといったものが、この《未完成》交響曲として、ひとつの結晶になったのではと感じています。

 

私がこの曲の美しさで連想するのが、ルーヴル美術館にある「サモトラケのニケ」。

もっともあれは未完成というわけではなく、長い年月のなかでいろいろな部位が失われてしまったわけですが。

それだからといって、その失われた部分を復元したものが見たいとか、想像してみたいという気にはならなくて、あるべきものが失われてしまっているはずなのに、そこにはもう完結している確かな「美」が存在しているとしか感じられません。

 

だから、この《未完成》交響曲について、完成されなかった第3楽章以降を補筆、完成させた版というものがいくつか後世につくられてはいるのですが、それらを聴いてみても、どうも私には“ 蛇足 ”のように感じられてしまって、シューベルトがつづきを書かなかったという事実に、彼の審美眼をみる思いです。

 

 

まだまだある未完成交響曲

彼は自身を職業音楽家と意識したころから未完成の作品がおおくなって、「交響曲」にかぎっても第6番と《未完成》交響曲のあいだに、ほかの3曲の未完成交響曲が残っています。

ベートーヴェンがあまりに偉大な交響曲を立てつづけに生み出したために、あとの世代のブラームスが彼の交響曲第1番を完成させるまでに20年以上かかってしまったというのは有名な話ですが、同時代のシューベルトにとっても、ベートーヴェンの存在は十分に大きな重圧だったようです。

 

イギリスの名指揮者サー・ネヴィル・マリナーが手兵のアカデミー・オブ・セントマーティン・イン・ザ・フィールズとそれらの未完成曲を実際に演奏してみた面白い録音がありますので、ここにご紹介しておきます。

このアルバムにはさらに、シューベルトが他界したために残された晩年の「交響曲 ニ長調D936A」(未完)も収録されていたり、さまざまな未完成交響曲を耳にすることができます。

( Apple Music↑ ・ Amazon Music ・ Spotify ・ Line Music などで聴けます)

 

 

ややこしい番号のこと

音源を紹介するにあたって、どうしても避けられない話題として、シューベルトの交響曲は第7番以降の番号付けが混乱しているということがあります。

現在、いちばん普及しているのは、ここに紹介している《未完成》交響曲を第7番、このあとに書かれるハ長調の交響曲、通称《グレイト》を第8番とするものです。

 

これが、ちょっと前までは《未完成》が第8番、《グレイト》が第9番でした。

では、その当時の第7番は何だったかというと、未完成で残されたものの、かなり完成に近い状態だった「交響曲ホ長調D729(未完)」を20世紀の大指揮者フェリックス・ワインガルトナーが補筆・完成させて、『第7番』として出版したものが数えられていました。

上で紹介したマリナーによる録音は、この古い番号付けになっていて、ワインガルトナー補筆による第7番も収録されています。

 

 

 

私のお気に入り

ブルーノ・ワルター指揮ニューヨーク・フィル
マーラーの直弟子でもあったブルーノ・ワルター(1876-1962)によるこの録音は、この曲の代表的録音・歴史的名演奏として名高いものですが、私はようやく最近になって、初めてこの録音を聴きました。

たいへんな名演奏で、ただただ脱帽しました。

おおらかなイメージのワルターですが、こうして聴いてみると、現代のほとんどの演奏がとても大雑把なものに聴こえるくらい、実に繊細を極めたバランスをとっていて、それでいて、神経質にまったく感じさせません。

ここには、至高の芸術が記録されています。

( Apple Music↑ ・ Amazon Music ・ Spotify ・ Line Music などで聴けます。)

私が聴いたCDはこちらの1992年発売のもの。
ワルターはCD初期に発売されたもののほうが音が自然で好きです。

 

ギュンター・ヴァント指揮 北ドイツ放送交響楽団
20世紀最後の巨匠として一世を風靡したギュンター・ヴァント(1912-2002)。
質実剛健、首尾一貫といった硬派な音楽性で、とりわけ、ブルックナーとならんでシューベルトの交響曲は名演奏として名高いレパートリーです。

彼にはたくさんのこの曲の録音が残っていますが、NDR北ドイツ放送が貴重な動画を公式にYouTubeにアップしてくださっているので、そちらをご紹介します。

 

 

レオポルド・ストコフスキー指揮オール・アメリカン・ユース・オーケストラ
ディズニー映画『ファンタジア』でも有名な、イギリス出身のレオポルド・ストコフスキー(1882-1977)が指揮したもの。

一時期はストコフスキーのことをあまり良く言わない人が多かったように記憶していますが、この未完成の冒頭のコントラバスを聴くだけでも、やはり私は彼の指揮したものが好きだなと思いますし、敬意を表さずにはいられません。

立派な第1楽章のあとには、抒情性あふれる第2楽章の演奏がつづきます。
そこでのオーボエの歌わせ方のやさしさ、随所で現れる弦楽器のポルタメント。

そのロマン主義に身を任せて、じっと聴いていたくなる素敵な録音です。

 

オール・アメリカン・ユース・オーケストラ(全米青年管弦楽団)はストコフスキーが組織した楽団で、太平洋戦争がはじまってしまい、わずか2年で活動停止に追い込まれました。

メンバーはオーディションで選ばれた若手音楽家と名門フィラデルフィア管弦楽団のメンバーなどで構成されていたそうです。

( Apple Music↑ ・ Amazon Music ・ Spotify などで聴けます)

 

 

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