シューベルトが《未完成》交響曲を途中でやめてしまった1822年の暮れ、先輩作曲家のベートーヴェンのもとへはロンドン・フィルハーモニー協会から新作の依頼がとどきました。
これが契機となって誕生するのが、ベートーヴェン最後の交響曲、第9番ニ短調『合唱つき』。
シリーズ《交響曲100》、その第29回はベートーヴェンの「第九」をテーマにお届けします。
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10年以上ぶりの新作交響曲
前作の交響曲第8番ヘ長調を作曲してから、じつに10年以上ぶりの新作交響曲となった第9番ニ短調。
これほど時間が空いたのは、年齢をかさねたベートーヴェン自身の健康問題、先に亡くなった弟が遺した甥っ子カールの問題などなど、ひとりの人間でもあったベートーヴェンの私生活での問題が山積していたせいでもありました。
それでも、ベートーヴェンの創作意欲は、やがて回復のきざしを見せていきます。
この頃の彼の芸術は、もはや比類のない高みに達していて、主要なジャンルで自身にとっての終止符となる傑作を完成させていきます。
“ クラシック音楽の新約聖書 ”と称される、ほぼ生涯にわたって書き続けた一連の「ピアノ・ソナタ」も、ついに1822年、最後の作品となる「第32番ハ短調」が完成されて、打ち止めとなります。
普段、オーケストラ作品に親しんでいる方も、ぜひ、このピアノ・ソナタ第32番にはいつか耳を傾けてください。
以前、ポーランドの名ピアニスト、クリスチャン・ツィメルマンが日本でこの曲を演奏したのを実演で聴きました。
あのとき、彼はこの第32番でだんだんとベートーヴェンが天上へ登りつめていくかのような、たいへんな緊張感と高揚感をもった演奏を展開しました。
フィナーレの第2楽章アリエッタのおしまいのところでは、ベートーヴェンにむかって天上の扉が開かれる光景が目に見えるようでした。
この曲は、そういう形而上学的な体験につながるような、音楽を超えた音楽になっています。
それから、その翌年の1823年、大作である『ミサ・ソレムニス(荘厳ミサ曲)ニ長調』が完成されます。
日本を代表する巨匠、朝比奈隆(1908-2001)さんは、この曲の重要性について「指揮者がベートーヴェンを理解するにあたって、交響曲全9曲を指揮するだけでは不十分で、かならずミサ・ソレムニスも指揮しなければいけない」と、あるときのインタビューでおっしゃっていました。
それに、何といっても、ベートーヴェン本人が「わたしの最高傑作」と述べている作品です。
“ 心より生まれる。願わくば、ふたたび心へと帰らんことを ”という、ベートーヴェンの有名な書き込みがされているのもこの曲ですし、ベートーヴェンのいちばん有名な肖像画で彼が手にしているのも、この曲の楽譜です。
そして、さらにその翌年の1824年、今回のテーマであるベートーヴェン最後の交響曲、交響曲第9番ニ短調「合唱つき」が完成されます。
「第九」のあと、彼に残された2年ほどの歳月は、「弦楽四重奏」の世界となります。
この後期の弦楽四重奏の世界こそ、ベートーヴェンの最終到達地点というべき世界で、それだけに、生半可に近づいても簡単に跳ね返されてしまう孤高の世界になっています。
クラシック音楽初心者のかたは、ベートーヴェンの弦楽四重奏を聴いてみるときには、いきなり後期の弦楽四重奏を聴くよりは、初期の第4番ハ短調、もしくは中期の第9番ハ長調《ラズモフスキー第3番》あたりから少しずつ近づいてみてください。
彼が長い年月をかけて到達した世界です。
わたしたちも長い年月をかけて近づいて行くべきです。
交響曲第9番ニ短調
終楽章で声楽が導入されたという点でも、非常に斬新な交響曲として登場しました。
採用された詩はフリードリヒ・シラー(1759-1805)によるもので『歓喜に寄す』という詩。
シラーはゲーテ(1749-1832)の10年後輩の文豪ですが、病により45歳の若さで亡くなっています。
シラーがフランス革命の数年前に書いた詩『 歓喜に寄す An die Freude 』を、ベートーヴェンはハイドンに認められてボンを去るころにはすでに知っていたようで、それに音楽をつけようとしていたこともわかっています。
このシリーズでいうと第16回【初心者向け:交響曲100の物語】ハイドン:交響曲第94番『びっくり』&第96番『奇蹟』のころの話。
はじめてイギリスへ渡って大活躍するハイドンが、その初めてのイギリス楽旅の旅立ちのときに、モーツァルトと最後の夕食をともにして、その途上で、今度は若きベートーヴェンと出会うという、音楽史の節目のようになった楽旅のころです。
そのシラーの詩に音楽をつけようという若き日の構想が、「交響曲」という器楽曲のジャンルのなかに「声楽」として組み込まれる発想がわきでたのは、この第九を書きはじめて以降のことのようでが、シラーの詩に音楽をつけたいという想いが若き日に端を発していると考えると、この交響曲は非常に長い年月の産物とも言えます。
1824年5月4日が初演の予定日だったようですが、練習が長引き、ようやく5月7日に初演がおこなわれました。
たいへんな成功でしたが、聴衆の喝采は、すでに悪化しきっていたベートーヴェンの耳には届きません。
それを気遣ったアルト歌手が、指揮を終えて客席に背を向けたまま立っていたベートーヴェンを聴衆のほうへ振り返らせ、そこで初めて、彼はその成功に気づくことができた、というエピソードが伝わっています。
ショートエッセイ:わたしにとってのベートーヴェン
以前、あるドキュメンタリーを見ていた時に、そこに出ていたドイツのお医者さんだったかが「もうダメだ、どうしようもないと追い込まれたとき、ふと気づくんですよ。そうだ、わたしにはベートーヴェンがいるってね。」と話していました。
ベートーヴェンというのは、わたしにとっても、そうした存在です。
生きていると色々なことが起こるもので、私も「もう無理だ。」と感じるときがあります。
大学生のころにもそうしたことがあって、あるとき、すっかり疲れ果てた私は、自分の部屋で、何を見るわけでもなく、宙を見つめていました。
視界のなかには本棚があって、その本棚には、たまたまブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団のベートーヴェン:交響曲全集のCDボックスがおいてありました。
クラシック音楽を聴きはじめて間もない、中学生のときに買ったものです。
「ベートーヴェンは、自分より、もっともっとたいへんな人生だったんだろう」と、ぼうっとしながら、彼の耳のこと、創作のこと、人生での苦悩などに思いをはせます。
そうして長いこと、ずっとその交響曲全集の箱を見つめていて、ふと、ベートーヴェンには短調で終わる交響曲が一曲もないことに思いが至りました。
知識としては知っていたけれど、それが“ 気づき ”にまで至ったのはあの瞬間が初めてでした。
あれが、わたしにとっては天啓になりました。
ベートーヴェンほどの苦悩を背負う人生を歩んだ人物が、そして、音楽のなかに哲学的な要素をもちこんだほどの思索家でもあった彼が、悲観的な視点で閉じる交響曲をひとつも残さなかった。
なんていうことだろうと思いました。
あのとき以来、ベートーヴェンの存在は、私にとってはひとつの信仰のようなものになりました。
大人になってショックだったのは、人間の世界が美しくなかったことです。
私には、いまの世の中が、とてもいびつに映っています。
だからこそ、ベートーヴェンをはじめとする大作曲家たちが遺していった“ 調和 ”が、ほんとうに美しく感じられ、それがあるからこそ、人生を信じて生きていくことができます。
とりわけ「第九」は、私にとって、そうした意味での象徴的な作品です。
この作品を、毎年末に一斉に演奏する日本の習慣も、ほんとうに美しいと思います。
指揮者のジョナサン・ノットはその習慣を知ったときに、とても感動したと言っていたはずですが、きっとベートーヴェンでさえも、そのことを知ったら感動するだろうと思います。
ベートーヴェンがいてくれたから、私はどんなに落ち込んでも、失敗しても、その度に、またゆっくりと歩きはじめることができます。
このシリーズ《交響曲100の物語》でベートーヴェンをご紹介するのは今回が最終回ですが、音楽の中にこうした、人間の魂への直接的な訴えかけを持ち込んだのは、革命的な出来事でした。
第九の初演のときに彼の耳に届かなかった拍手と喝さい。
でも、それは、この曲の初演から間もなく200年になろうとしている現在になっても、未だやむことなく続いていると言ってもいいのではないでしょうか。
🔰はじめての第九
この曲は日本においては「年末」の定番曲で、日本中のオーケストラが師走の恒例行事として演奏します。
それにはいくつかの背景や事情があることはずいぶん知られるようになりましたが、私はそれ以上に、この第九のもつ音楽の性格が日本の冬の風土にじつにあっている、というのが大きいと思っています。
日本において、第九は、その冬の寒さ、澄みきった空気のなかでこそ美しく響くと感じます。
いま、みなさんが何月にこの記事を読んでくださっているかもわかりませんが、「冬」の季節に聴くことをつよくお薦めしておきます。
私が第九をはじめて意識的に聴いたのは小学校6年生のころ、クラシック音楽に興味が出てすぐの頃で、有名な「第九」のCDを買ってきました。
当時は、あの有名な「合唱」が最初から出てくると思ったので、聴きはじめてみたものの、いつまでたっても出てこないので辟易してしまったのを覚えています。
それから、NHKのテレビで毎年末に「N響の第九」が放送されるのを見るようになって、最初のころはやっぱり第4楽章の合唱のところばかりに耳が行きましたが、不思議なもので、毎年繰り返し聴いているうちに、あるときから非常に強く第1楽章に惹きつけられるようになりました。
そして、ベートーヴェンの書いた音楽のなかでも、とりわけ奇蹟的な美しさを誇る第3楽章の素晴らしさに気づいたのは、もっとずっとあとになってからでした。
こういう自身の経験があるので、とりわけ生演奏ではなくCDやオンライン配信でクラシック音楽に親しむ場合には、必ずしも第1楽章から聴かなくていいと思っています。
とくに交響曲の場合は、第1楽章が非常にがっしりと構築されていて、傑作であればあるほど簡単に人をよせつけないようなところもあるので、この第九にかぎらず、「交響曲」を聴くときには、その楽曲の結論となる場合が多いフィナーレから、もしくは性格がはっきりしている場合の多い中間楽章から、聴いてみることをお薦めします。
このベートーヴェンの第九も、やはり、まずは第4楽章フィナーレから聴いてみてください。
この楽章の途中から声楽が導入されて、あの有名な合唱の部分が始まります。
CDや音源によっては、わざわざこの部分から再生できるようにトラックが分けられているものもあったりします。
その次には第2楽章スケルツォに進んでみましょう。
ティンパニーが活躍する楽章で、旋律やリズムが「ティンパ二!」と言っているように聴こえるという逸話がある楽章です。
日本の音楽評論の大家である吉田秀和さんは、この楽章があまりに優れているために、後世のブラームスが自身の交響曲のなかにスケルツォ楽章を導入するのをためらい、諦めたのだろうとおっしゃっていました。
この2つの楽章に親しむと、時間とともに、自然と第1楽章や第3楽章にも親しめるようになってきます。
この第1、第3楽章の2つの楽章の崇高さは、それを表現するに足る言葉がまったく思いつかないほどです。
そうして、4つの楽章がじぶんのなかでそれぞれに息づいたとき、ようやく点と点が線でむすばれて、この奇跡としか言いようのない音楽をすべて体験できるようになります。
まずは、第4楽章を何度も何度も聴き込んでみてください。
映画『敬愛なるベートーヴェン』と映画『ダンシング・ベートーヴェン』
第九に親しむには、もちろん、その音楽そのものを聴くことが何よりですが、これほどの名曲ですので、ほかにもいろいろな近づき方があって、“ 映画 ”というのもひとつの方法です。
いくつか観たなかで今も印象に残っている作品のひとつが、こちらの映画『敬愛なるベートーヴェン』。
伝記などを読んでいると、2階でベートーヴェンが水浴びを豪快にするので、1階に住む住人の部屋にその水が漏れてきて困ったというような記述があるのですが、その場面が見事に演じられていて、とても印象に残ります。
話のクライマックスは第九の初演に設定されていますが、かなり脚色のつよい映画ですし、内容としてもう一歩しっかり踏み込んでほしかった印象もありますが、総じて興味深かった映画のひとつです。
画像はAmazonにリンクしてありますので、興味のある方はそちらで詳細をご確認ください。
こちらはフランスが生んだ天才振り付け家モーリス・ベジャール(1927-2007)が世を去ったあと、彼の遺したバレエ団がベジャール振付によるベートーヴェンの第九を上演するまでのリハーサルを追ったドキュメンタリー映画です。
ベジャールの振付は、たいてい私にはまったく想像もできないような動きをするのですが、ただ、それが決して奇抜ではなくて、新しい美しさ、しかも、説得力をあわせもつことにいつも驚嘆します。
私はベジャールの第九で、その「第3楽章」をみたとき、どこをとっても息をのむような“ 美 ”が連続するなかで、では、それが果たして、音楽のいちばんのクライマックスのところでは、どういう振り付けになるのだろうと思いました。
何か予想もできないような体の動きか、驚くような複雑な振付か。
驚きました。
ただ“ 抱き合うだけ ”なんです。
感嘆のため息がもれました。
あれだけ多彩な動きで彩られたプロセスの到達点が、抱擁なんです。
でも、何という説得力でしょう。
そう、“ 抱き合え、幾百万のひとびとよ ”というのは、第九の歌詞に出てくる、この音楽のフィナーレで到達される精神そのものです。
このドキュメンタリー映画でも、数回、この抱擁の場面のリハーサル風景、それから本番の光景が出てきます。
クラシックの“ 演奏 ”行為とおなじで、おなじ振付、おなじ動きであっても、そして、それがただの“ 抱擁 ”であっても、うまく行くときとそうでないときがはっきりとあるのだという醍醐味も、このドキュメンタリー映画は教えてくれます。
この映画でいうと19分~のところのリハーサルでの抱擁が、いちばんうまくいっていると私は感じます。
ベートーヴェンの精神を理解するうえで、このベジャールの第九はぜひ一度ご覧いただきたいもののひとつです。
上の画像はAmazonのブルーレイの商品ページにリンクしてあります。
また、2022年6月現在、Amazonプライムビデオ「ダンシング・ベートーヴェン」でも公開されていて、プライム会員のかたは特典ですぐに観れますので、そちらもリンクしておきます。
私のお気に入り
私のブログでは、オンライン配信のものを中心にご紹介しています。
オンライン配信については、クラシック音楽をアプリ(サブスク定額制)で楽しむという記事にまとめましたので、ご覧ください。
《ウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮バイロイト音楽祭管弦楽団》
第九を紹介するにあたって、どうしても言及がさけられない録音です。
ウィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)は音楽史上最高の指揮者とまでたたえられる巨匠で、その彼が、1951年、戦後に行われた最初のバイロイト音楽祭の開幕コンサートで指揮した第九のライヴ録音は、「バイロイトの第九」として、クラシック音楽のさまざまな録音のなかで、いちばん有名なもののひとつです。
フルトヴェングラーが指揮台にあがるまでの足音が収録された「足音つき」というCDまで出て、そちらが通常盤より数百円高かったのを今も覚えています。
この演奏については、ありとあらゆる人が語りつくしているものなので、今さら付け加える言葉はひとつも残されていませんが、レコード会社がリリースしたもの、ドイツの放送局から出たもの、スウェーデンの放送局から出たものなどなど、いろいろな盤があって、しかも、困ったことに、同じ演奏の録音のはずなのに、どれも随分とちがって聴こえてくるという、悩ましい名演奏です。
ここでは、去年2021年にリリースされた、スウェーデンの放送局による生中継の録音とされるものをご紹介しておきます。
この録音で聴くと、熱狂というより、荘厳で神聖な印象をつよく感じます。
( Apple Music↑ ・ Amazon Music ・ Spotify ・ Line Music などで聴けます)
《レナード・バーンスタイン指揮によるベルリンの壁崩壊記念コンサート》
ミュージカル『ウエストサイド・ストーリー』の作曲でも著名なバーンスタイン(1918-1990)。
彼は、何度かこのベートーヴェンの第九を録音していて、とくに名高いのはウィーン・フィルを指揮したものです。
でも、私がそれ以上に深く感動して、畏敬の念をおぼえている録音は、ベルリンの壁の崩壊を記念したコンサートのライヴ録音です。
ここでバーンスタインは、そうした歴史的事情から、歌詞のフロイデ(喜び)をフライハイト(自由)と変えて歌わせています。
これは単なる思い付きではないようで、実は、もともとシラーはフライハイト(自由)という言葉で詩を書いていたのを、検閲などを考慮してフロイデ(歓喜)に変えたという成立過程があるので、そうした点もふまえて、バーンスタインはそう歌わせたのかもしれません。
何といっても歴史的な公演なので、特別な高揚感があるのももちろんですが、私がこの録音に深く惹きつけられるのは、バーンスタインの晩年様式がはっきりと示されているからです。
バーンスタインという人は、非常にアメリカ的で躍動的な音楽を体現していた人ですが、晩年のある時期から、テンポがぐっと遅くなって、とても重く、深く深く沈み込んでいく音楽を響かせるようになりました。
ある晩年のコンサート映像を見ていたら、そうした演奏を聴かせたあと、拍手喝さいをあびせる客席のいっぽうで、同時にとても多くの聴衆が足早に会場を出ていく姿も映っていました。
あれを見て、天才の苦悩のようなものを感じずにはいられませんでした。
あそこまで深淵な音楽を聴かせるようになると、もう、理解できる人と受け付けない人とがはっきりとわかれてくるものです。
この第九は、私にとって、やはりバーンスタインは不世出の巨匠だったんだと教えられる、とても深い感動を与えられるライヴ録音です。
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《クラウディオ・アッバード指揮ベルリン・フィルハーモニー》
最近はなにかCDで新譜が出るといっても、発売日にそれを手に入れてわくわくしながら聴くということがなくなってしまいました。
このクラウディオ・アッバード(1933-2014)の録音は、発売日、学校帰りにCD屋さんへ行って、わくわくしながら買って帰ってきたのを覚えています。
それ以前の巨匠たちとはちがう、爽やかな抒情性をほこる第九で、ブリン・ターフェルのバリトン独唱のすばらしさ、合唱の類まれな透明度も体験できる録音です。
当時あまり好意的な批評をみかけなかった記憶がありますし、たしかに圧倒的な何かは私もここに聴きとれませんが、どういうわけか、今でもたまに聴きたくなる、お気に入りの録音です。
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《ウィレム・メンゲルベルク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団》
ウィレム・メンゲルベルク(1871-1951)はオランダの名指揮者。
ベートーヴェンの直系の弟子にあたり、大作曲家のマーラーとは親しい友人でもあった巨匠です。
そのわりに彼の名前があまり現代ではおおきく扱われないのは、第2次大戦中にナチスに協力した疑いがあり、そのなかで不遇な晩年を送り他界したためです。
ナチス協力が事実であれば非常に腹立たしく悲しいことですが、ただ、音楽そのものにかぎって言えば、やはり大家のものだと私は思っていて、傾聴しています。
かなり個性の強い音楽性の持ち主で、この第九でも、大きく楽譜を書き換えている箇所がありますし、テンポも随所で自在に変化させています。
けれど、そこから、他の指揮者からは聴こえてこない美しさが確実に引き出されているのが、この巨匠の巨匠たる所以で、聴くべきところの多い音楽家です。
第3楽章、それから第4楽章での声楽の扱いなど、ハッとさせられるほどの、神聖なまでの美しさがあります。
曲のおしまいのところでは、大見得をきるために急ブレーキがかかって、その芝居気たっぷりの名優ぶりに、聴くたびにびっくりしては、楽しくなります。
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《フランツ・コンヴィチュニー指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団》
オーストリア=ハンガリー帝国にうまれたフランツ・コンヴィチュニー(1901-1962)は、とくにライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者として活躍して、ドイツ音楽の権化のように讃えられた巨匠。
敬虔なカトリック信者だったということですが、大酒のみでも有名、人好きのする性格で、リハーサルの前後も常に楽団員に囲まれていたという、愛すべきマエストロだったようです。
立派なベートーヴェン交響曲全集の録音が残されていて、最近では音楽誌などで「今となってはもう古い」と切り捨てられることもよく目にしますが、私はこの全集には普遍的な価値を見出だしています。
悠揚迫らぬ、腰の据わった、ゆっくりめのテンポで進められていきますが、実際には、とても細やかなテンポの変化と繊細なバランスがとられていて、それがどれもこれも自然な行為に聴こえるという、とても一朝一夕には到達できない演奏になっています。
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《クルト・マズア指揮ニューヨーク・フィルハーモニック》
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団は、コンヴィチュニーのあとには、ノイマンというチェコの巨匠の時代を経て、このクルト・マズア(1927-2015)の時代を迎えることになります。
そのライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団とマズアによるベートーヴェン全集も有名ですが、ここでは、そのマズアが後年、ニューヨーク・フィルと演奏したときのものをご紹介します。
マズアはドイツ人ですが、出てくる音楽はそこまでドイツ色の濃くないひとです。
そして、小澤征爾さん同様、このひとの最大の美点は、オーケストラの響かせ方、立体的な音響の組み立てにあったと思います。
そうした芸風は、残念ながら、録音では伝わりにくいものです。
マズアとニューヨークフィルのベートーヴェンを生演奏で聴いたときも、ベートーヴェンの精神性などより、そのオーケストラの鳴り方に耳がいったのをはっきりと覚えています。
こちらは、私の知る限りではオンライン配信限定、CDなどでは一度も出ていないものではないかと思います。
オーソドックスな、スタンダードなベートーヴェンを聴くことができます。
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《ルネ・レイボヴィッツ指揮ロイヤル・フィル》
第九というのは、ほんとうに素晴らしい録音がたくさんあって、とてもご紹介しきれません。
最後にこの録音をご紹介しておくのは、あまり話題にならない録音だからです。
レイボヴィッツ(1913-1972)はポーランドの音楽家で、とりわけ同時代の音楽家の作品についての大家でしたが、ベートーヴェンにおいても素晴らしい演奏を残しています。
この第九もそのひとつで、非常にくっきりとした、明解なアプローチで第九に迫っています。
いちばん有名な「合唱」のあたりから聴けるようにリンクしてあります。
まずバリトンによって「おお、友よ、このような音楽ではない。もっと喜びに満ちた音楽を歌おう」という、これまでの第1~3楽章を否定する、ベートーヴェン自身の作詞によるとても面白い歌詞が歌われて、まもなく、有名な合唱の部分、シラーの《歓喜に寄す》が始まります。