シリーズ〈オーケストラ入門〉、今回は20世紀にうまれたバレエ音楽『妖精の口づけ』です。
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ひとりの女性の影響力
ドビュッシーの『聖セバスティアンの殉教』、オネゲルの『火刑台上のジャンヌ・ダルク』…これらの傑作はすべて、イダ・ルビンシュテイン(1885-1960)というひとりの女性ダンサーにからんで生まれてきました。
そして、今回ご紹介するバレエ音楽『妖精の口づけ』も、そのイダ・ルビンシュテインが自分のバレエ団を立ち上げる際、ストラヴィンスキーに委嘱した音楽です。
実はこのときは、フランスのモーリス・ラヴェルにもバレエ音楽が委嘱されていて、そこで生まれたのが『ボレロ』です。
『ボレロ』が1928年11月22日に、『妖精の口づけ』はその5日後、1928年11月27日に初演されています。
うらやましいくらい、凄まじいエネルギーに満ちた時代です。
バレエのストーリー
このバレエ音楽は、台本も含めて、すべてがストラヴィンスキーへ委嘱されました。
ストラヴィンスキーは、その公演の年がチャイコフスキーの没後35年ということもあって、チャイコフスキーの音楽をもとにしたバレエ音楽とすることにし、台本はアンデルセンの「氷姫」という物語からとりました。
バレエの物語の舞台は、スイスの山奥。
男の赤ちゃんを抱いて吹雪のなかをいく母親の前に、氷の精、そして、妖精の女王が現れます。
妖精の女王は母親からその赤ちゃんを奪い去るとキスをして、そのまま山奥に置き去りにして消えてしまいます。
置き去りにされた赤ちゃんは、村の人々に助けられます。
それから年月が過ぎて、立派な若者に成長した彼は、村の祭りの日に婚約者である恋人と楽しそうに踊っています。
そこへ、妖精の女王が再び姿を現します。
そして彼は、結婚式の日、妖精の女王に惹きつけられるまま、2度目のキスを受けてしまいます。
そして、氷に閉ざされた永遠の国へと旅立ってしまいます。
これはつまり、お姫様が魔女によって長い眠りにつかされ、あるとき王子様にキスをされてよみがえるという、あのチャイコフスキーの『眠れる森の美女』のストーリーの裏返しになっているわけです。
ストラヴィンスキーとチャイコフスキー
音楽はチャイコフスキーのピアノ曲などから採られていますが、誰もが知っているような曲ではないうえに、ストラヴィンスキーがかなり独創的に扱っているので、初めからストラヴィンスキーの音楽として聴いてしまったほうが聴きやすいです。
ただ、さすがストラヴィンスキーというべきか、本当に響きはチャイコフスキーのオーケストラ作品を感じさせるところが随所にちりばめられていて、ストラヴィンスキーの色合いを濃く出すか、チャイコフスキーの色合いを濃く出すか、指揮者のアプローチによって色んな聴こえ方がしてくる、不思議な音楽になっています。
ストラヴィンスキーのお父さんはバス歌手で、チャイコフスキーのオペラなども歌っていました。
そうした関係で劇場に出入りしていたストラヴィンスキーは、まだ少年の頃にたった一度だけ、劇場のホワイエで、チャイコフスキーを見たことがあるんだそうです。
ちょうど交響曲第6番『悲愴』を初演したばかりのチャイコフスキーだったそうで、それから間もなく、チャイコフスキーは他界してしまいました。
なので、この二人に直接の交流はありません。
それから間もなく行われたチャイコフスキーの追悼演奏会では、やはり『悲愴』交響曲が演奏されたそうで、ストラヴィンスキーはお母さんに連れられて、それを聴きに行ったんだそうです。
このバレエ音楽は“ チャイコフスキーの思い出に ”捧げられました。
🔰初めての『妖精の口づけ』
ストラヴィンスキーがこうして過去の作曲家の作品を再構築したものとしては、ほかに『プルチネルラ』が有名です。
そちらが一回聴いてすぐに親しめるとすれば、この『妖精の口づけ』は何回も聴いてみないといけないかもしれません。
でも、十分にその価値がある、美しいバレエ音楽です。
このバレエ音楽をもとにして、『ディヴェルティメント』と名づけられた組曲も作られています。
バレエ全曲よりも『ディヴェルティメント』が演奏される機会のほうが多いように感じます。
この曲に初めて接する方は、ちょっと聴いてみて、どうもこのバレエ音楽はつかみどころがないなと感じたら、まずは『ディヴェルティメント』、それも「 第4楽章“パドドゥ” 」から親しんでみてください。
私のお気に入り
リッカルド・シャイー指揮ロンドン・シンフォニエッタは、アンサンブルもテンポも非常にすっきりとした演奏。
『ディヴェルティメント』を演奏しています。
聴きやすさという点で、まず筆頭に来るアルバムといっていいのではないでしょうか。
全てがなめらか。
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フリッツ・ライナー指揮シカゴ交響楽団は、きちんと音楽的に整理された演奏。
これも『ディヴェルティメント』の録音。
ストラヴィンスキー本人が、ライナーのことを「第一級の音楽家」と著作のなかで絶賛しています。
複雑な音楽を指揮するライナーの面目躍如たるところで、少しつかみどころのない音楽に、腰の据わった展開を与えています。
黄金時代だったシカゴ交響楽団のアンサンブルの凄さも味わえます。
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ウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団は、1953年の古い録音。
こちらも『ディヴェルティメント』の録音。
ベートーヴェンなどで比類のない演奏をしたドイツ生まれの伝説の巨匠が、モノラル録音でも伝わってくるくらい、とても色彩的な演奏を繰り広げています。
ストラヴィンスキーのすこし乾いたスコアから、目いっぱいの抒情性を引きだしていることにも驚かされます。
何を聴いても凄い指揮者、脱帽です。
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※ウィーン・フィルとクレジットが出るサイトがありますが、ベルリン・フィルの演奏です。
バレエ全曲版でいちばん心奪われるのは、オリヴァー・ナッセン指揮クリーヴランド管弦楽団の演奏。
とにかく美しいです。
ストラヴィンスキーというより、チャイコフスキー寄りな響きを引きだしているのが驚かされる素敵な演奏。
ナッセン(1952-2018)は、イギリス出身の作曲家で、指揮者としても活躍しました。
巨漢といっていい大きな体でしたが、作曲も指揮も非常に繊細な人。
このバレエ音楽も繊細に、やさしい音で、抒情的に演奏されています。
現代作曲家の彼が、チャイコフスキーの音色をむしろ前面に引き出してきた意外性にも脱帽です。
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