魔法使いの姿をしたミッキーが登場することで有名なディズニー映画『ファンタジア』。ミッキーが出てくるのはほんの短い時間だけなので、がっかりしたという声はよく目にします。
ごめんなさい(私はまったくの部外者ですが)。
この映画はかなり異色のディズニー映画で、主役は“クラシック音楽”です。
つまり、オーケストラ・コンサートを映画でやってしまおうという大胆なアイデアを実現させたものです。
その意味で、エンターテインメントというより、“アート”を目指してウォルト・ディズニー氏が心血を注いだ映画です。
今回は、音楽好きの目に映るディズニー『ファンタジア』の魅力について。
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『ファンタジア』をめぐる忘れられない話
私がこの映画の名前を見るたびに思い出すのは、いつだったか大学で教授から聞いた逸話です。
この映画は公開が1940年。つまり、第二次世界大戦のさなかということになります。
日本で公開されたのは戦後になってから。
けれど、戦争中、軍が押収したフィルムやらその他さまざまな経緯でこの映画を観ることができた日本人が、ごくごく一部にいたそうです。
いろいろな反応があったでしょうが、なかには「こんな映画をつくれる国にどうやって勝つんだ」と絶望的な気分で観た人や、ただただ圧倒されて涙してしまった人なども。
この映画を観るたびに、「もし自分が当時の状況下でこれを観たら」という考えが頭をよぎります。
特に冒頭のバッハ作曲の『トッカータとフーガ』。
あそこにはヨーロッパの歴史が築き上げた壮麗な文化の集約があり、しかもそれをアメリカの新しい映像と音響の技術で表現し、それを映画館でやってしまう。
それに続く『くるみ割り人形』(チャイコフスキー)では、繊細なオーケストラの響きと芸術的な美しさで彩られたアニメーションにため息が出る始末。私はまちがいなく圧倒され、無力感にさいなまれるでしょう。
しかも、これはまだコンピューターのない時代、つまり、手仕事が生んだ映画なんです。
『ファンタジア』との出会い
この映画を初めて観たのは中学校の音楽の授業。
すでに音楽に夢中だった私の興味はミッキー・マウスではなく、名指揮者レオポルド・ストコフスキーを観れるということでした。
今のようにインターネットで何でも見れる時代ではなかったので、とりわけこうした昔の大指揮者の映像というのは、そうそうお目にかかれないわけです。
CDジャケットの写真でしか見たことのない指揮者ストコフスキー。
彼がいったいどういう指揮、どういう動きでオーケストラから魔法のような響き、“ ストコフスキー・サウンド ”とか、“ ストコフスキー・マジック ”などと本に書いてあるものを紡ぎだしているのか。
それが中学生同時の私の最大の関心事でした。
実際に観てわかったのは、この映画でストコフスキーが出てくるのは、かなり限られたシーンで、それも後ろ姿や影ばかり。
それでも、当時の私は画面を食い入るように画面を見つめ、心から感激していました。
忘れられないベートーヴェンの『田園』第2楽章の場面
あのとき観た『ファンタジア』でクラスがいちばん盛り上がったのは当然ミッキー・マウスが出てくるデュカス作曲『魔法使いの弟子』。
いちばん有名なところですし、私も画面に釘づけでした。
けれど、当時の私にこの映画がいちばん強烈な印象を残したのは映画の第2部、ベートーヴェンの交響曲第6番『田園』の第2楽章“小川のほとりで”でした。
というのも、『田園』の第2楽章は退屈という当時のわたしの印象を、一気にひっくり返してくれたからです。
ベートーヴェンの『田園』は第1楽章がとっても有名。
第3楽章~第5楽章は途中の第4楽章の嵐の描写もあって起伏があり聴きやすい。
けれども第2楽章だけはどうにも退屈、というのが中学生当時の自分の素直な感想でした。
でも、あの日に印象は一変しました。
退屈な音楽だと思っていた第2楽章が、じつに美しい音楽だと気づかされました。
授業のあとの休み時間、「田園の第2楽章がこんなにすばらしいなんて全然気がつきませんでした!」と興奮しながら音楽の先生へ言いに行ったのをはっきり覚えています。
『ファンタジア』との再会とあたらしい発見
今年の春、映画館でリバイバル上映されている『ファンタジア』を観に行きました。
人混みをさけて空いている時間帯に行ったこともあり、客席は私をふくめ5人ほどしかいませんでした。
それに、ディズニー映画のなかでこの映画の立ち位置は、悲しいかな、これくらいの集客が現実だとも感じました。
ほかの映画だったらもっと人は多かったはずです。
さぁ、『ファンタジア』との久々の再会です。
年月が経って、聞こえてくるもの、見えてくるものが変わって、昔夢中になったものがまったく色あせてしまうということは悲しいくらい往々にしてありますが、よかった、『ファンタジア』は今も変わらず素晴らしかった!
そして、中学生の私に強い印象をのこしてくれた『田園』の第2楽章。
始まってすぐに「あ、そういうこと!!」、なつかしさと同時に、ようやく今になって気づく発見に心から感激しました。
私を感激させたのは指揮者ストコフスキーのテンポ設定です。
遅い!こんなにゆっくりと演奏されていたなんて、まったく記憶にありませんでした。
そのとっても遅いテンポから、ゆったりとした、深い呼吸で音楽が奏されていきます。
これ以上ないレガート、ロマンティックの極みのように歌われていますが、よく聴いていると、細かなところでフレーズが実に折り目正しく、ストコフスキーにしかできないような精妙な演奏が綿々と紡がれていきます。
「アニメーションが具体的な印象を与えてくれたおかげで音楽が理解できた」、それが中学生当時のわたしの考えでした。
もちろんそれも当然あるわけですが、それだけではなく、音楽そのもの、演奏そのものが傑出して素晴らしかったというわけです。
ストコフスキーの絶妙なテンポ設定が、それとは気づかないうちに田園交響曲の第2楽章の美しさを、中学生の私に気づかせてくれていたわけです。
ディズニーのつけたアニメーションの美しさに文字通り目がいっていたので、まったくそのことに気づいていませんでした。
ストコフスキーを指名したウォルト・ディズニーに脱帽
ウォルト・ディズニーほどの人物であれば、手近にミュージシャンは山のようにいるはずです。
それをどういう事情か知りませんが、しっかりとストコフスキーのような音楽家をつかまえた。
そういった点にも、ウォルト・ディズニーの偉大さが垣間見れると思います。
ウォルト・ディズニーがおそらく予想していた通り、この映画でストコフスキーが果たしてた役割は大きかったと言って間違いないでしょう。
実は『ファンタジア』にはサントラCDが2種類出ています。
ひとつはストコフスキー指揮の、実際に映画で使われた1940年前後の古い音源、もうひとつは1982年にアーウィン・コスタル指揮で新しく録音しなおしたもの。
このブログを書くにあたって2種類を聴きくらべてみました。
当然、音質は後者が圧倒的に良いです。
とっても聴きやすい。
けれども、例の田園の第2楽章など特にですが、やはりストコフスキーの仕事の大きさは余人の追随を許さない高みにあります。
誤解しないでいただきたいのですが、コスタル盤の出来が悪いというわけではありません。
ただ、ストコフスキーはただの指揮者ではありません。
大指揮者として音楽史に名前が残っているほどの指揮者。
つまりは、ストコフスキーの演奏があまりにも偉大すぎるということです。
ストコフスキーは『ファンタジア』で本当にすごい仕事をしています。
どの曲でも、どんなに速い、あるいは遅いテンポでも、すべての音、すべての和音、すべてのフレーズが豊かに息づいていて、しかも、音楽が凛としてあり続けています。
これは間違いなく、大指揮者の仕事です。
映画用なのでカットや編曲が多いのは仕方ないとはいえ、少なくともこれで音質がもっと状態よく残っていたら、さらに素晴らしかったのにと思います。
それに、確か史上最初のステレオ映画ということで、その効果を印象づける目的もあるのか、音の出し入れのメリハリがきつすぎて、サントラだけをじっと聴いているのは結構疲れます。
やはり、これは映像つきで観るのがいちばんだと思います。
サントラ盤を買うほど音楽がお好きな方でしたら、私は迷わずストコフスキー盤をお薦めします。
ファンタジアが教えてくれる星と星座の関係
それにしても、この映画を観て、いったい何がここまで私を感動させたんでしょうか。
『ファンタジア』を観ることでバッハやベートーヴェンへの理解が深まったかと問われれば、答えはNoでしょう。
では、ストコフスキーによる演奏をひたすらに楽しむだけの映画かとなると、それもやっぱり違うでしょう。
この映画には、ストコフスキーの演奏を別にしても、観ている人間の心を深く動かす何かが確かにあります。
そう、この『ファンタジア』を観ながら私が驚嘆し、心躍り、脱帽したもの、それは間違いなく、ウォルト・ディズニー率いるアーティストたちの果てしない“想像力”です。
既存の音楽から自由にイマジネーションの赴くまま、画面いっぱいに映像を広げてみせた躍動的な想像力です。
それは私に、古代の人々の想像力、星を眺め、そこに星座を見出だし創造した人々を思い起こさせます。
この『ファンタジア』における音楽とアニメーションの関係は、まさに、星と星座の関係そのものです。
たとえば、冬に輝くオリオン座。
そんな名前は星たちにとっては知ったことではないし、星の輝きに1ミリの変化も与えていません。
『ファンタジア』もそうです。
ここでアニメーションによって彩られたからといって、音楽には何の変化も影響もありません。
バッハの音楽は今も昔も、バッハの音楽として響くだけです。
けれども、星を見てそこに星座を発見する想像力に感動するように、バッハを聴いてあの色彩が生まれてくる、ベートーヴェンの田園を聴いてギリシャ神話の神々の戯れが生まれてくる、その想像力にわたしは感嘆するわけです。
『くるみ割り人形』での、あの妖精たちの飛翔の想像力、花びら一枚いちまいのうつろいの美しさを生んだ創造性に圧倒されずにはいられないわけです。
音楽への敬意
そしてまた、この映画では音楽とアニメーションのバランスがとても精妙にとられています。
音楽が敬意をもって扱われているのがクラシック音楽のファンとしてとてもうれしいです。
たとえば、冒頭の『トッカータとフーガ』(バッハ)では、トッカータの箇所は実写で描かれ、フーガに入ってようやくアニメーションを挿入することで音楽の形式への配慮が行われています。
あるいは、いちばん有名な『魔法使いの弟子』(デュカス)では、作曲者デュカスが「水の主題」として扱っているテーマが流れる箇所では、しっかりと水が描かれています。
この『ファンタジア』の全8曲のなかで私が特に感動した作品は、冒頭の“トッカータとフーガ”(バッハ)、“くるみ割り人形”(チャイコフスキー)、“魔法使いの弟子”(デュカス)、“田園交響曲”(ベートーヴェン)。
逆に、違和感が強かったものがあったのも事実で、それは“春の祭典”(ストラビンスキー)と“禿山の一夜”(ムソルグスキー)。
その違いを考えてみると、違和感のあった2曲はおそらく他の楽曲とちがってアニメーションが優先されている印象で、その結果、原曲をかなりいじりすぎていて、かえってそのことでアニメーションも引きずられてしまったように感じます。
『春の祭典』を作曲したストラビンスキーは当時存命で、おそらくアメリカに在住していたはずなので、もしこれを観ていたとしたら、きっとがっかりしたんじゃないかと思います。
音楽とアニメーションのバランスが崩れているのが『春の祭典』『禿山の一夜』の2曲だと感じました。
そうして、映画を観終わって、全8曲をひとつの映画というまとまりで振り返ったとき、冒頭をクラシック音楽の父ともいえるバッハで始めていて、第1部をストラビンスキーの『春の祭典』で終わらせ、第2部をシューベルトの『アヴェ・マリア』で終わらせる構成の壮大さに気づきます。
『春の祭典』で描かれるのは“大地”への礼賛。
『アヴェ・マリア』で描かれるのは“天上”への礼賛。
第1部を大地でしめくくり、第2部を天上でしめくくる。
この映画に関わった人たちの創造性に、心からの敬意を。
この映画はたいへんな人材と労力、費用、時間を投入して制作されたにもかかわらず、映画への理解と評価はなかなか高まらず、開封時は大赤字だったということです。
それはきっと、『ファンタジア』が一般にディズニー映画に期待されていることに応えていないからでしょう。
採算がとれないとわかっていて作ったのか、それとも、採算はきっととれると観衆に期待を託して作ったのか、どちらであっても人が夢を見ることのできた時代の偉大な足跡です。
ある部分では成功し、ある部分では失敗しているとも言える作品。
けれど、その挑戦を生んだ創造性、想像力はダイナミックな迫力を今も失っていません。
そう、その意味でこれは戦時かどうかに関わらず、今もって「圧倒的な」映画のままです。
今回ご紹介したディズニー映画『ファンタジア』のストコフスキーによるサントラ盤はAppleMusic↑、Amazon Music、LineMusic、Spotifyなどで聴くことができます。
そして、映画本編から少し離れますが、冒頭に演奏されているバッハ(ストコフスキー編曲)『トッカータとフーガ ニ短調』をストコフスキーが1965年に日本へ来た際に武道館(!)で演奏した音源というものもありますので、そちらも以下にご紹介しておきます。
まだ発展途上だった日本のオーケストラから壮麗な響きを引き出している手腕に脱帽です。
もちろん、それに答えた日本フィルも凄いとしか言いようのない演奏です。
この武道館の公演ではアンコールにスーザ作曲『星条旗よ永遠なれ』が演奏されて、そのときには、ストコフスキーのアイディアでピッコロ26本、トランペット10本、トロンボーン12本を別働隊で追加して華々しく演奏したそうです。
その音源が残っているなら聴いてみたいのですが、まだお目にかかったことがありません。
このストコフスキーの来日公演は、海外アーティストが武道館で公演を行った最初の例になったそうです。
ストコフスキー、日本にも確かな足跡を残してくださってます。
ディズニーに戻ると、この映画の続編というか、『ファンタジア2000』という比較的新しい映画も作られました。
そちらは、ジェイムズ・レヴァイン指揮シカゴ交響楽団という、やはり一流の演奏によっています。
そちらの『ファンタジア2000』では、ショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第2番を使った場面が私のお薦めです。
その意外な選曲がとても物語にあっていて驚いたのですが、それはまた別の音楽、また別の機会にお話しさせてください。