シリーズ〈交響曲100〉、その第10回です。
前回まではハイドンのパリ交響曲集をご紹介しました。
ここで私たちは、ふたたびモーツァルトの交響曲に耳を奪われることになります。
この時期はまさに、このふたりの天才たちの競演といってもいい時代です。
フィガロが結婚すると交響曲が生まれる
1786年5月、30歳のモーツァルトは歌劇『フィガロの結婚』をウィーンで初演しました。
今ではオペラの傑作として人気の作品ですが、音楽史ではよくあるように、このときの上演はモーツァルトが期待したほどの成功にはなりませんでした。
台本が貴族の不貞を扱っていることもあったのか、いろいろな事情もからんだようです。
その歌劇『フィガロの結婚』という傑作を生みだしたあと、1786年の年末にかけてモーツァルトは新しい交響曲を作曲しました。
前作の交響曲第36番『リンツ』以来、3年ぶりの新作交響曲でした。
この新しい交響曲には、随所に『フィガロの結婚』の旋律が顔を出します。
たとえば、第1楽章の第1主題の対旋律では、『フィガロの結婚』のなかでも特に有名な“ もう飛ぶまいぞ、この蝶々 ”の旋律が愉快に登場しています。
こうした手法をみると、どうしても思い起こされるのがハイドン。
ハイドンも、近いところでは1785年に作曲した一連のパリ交響曲集の第85番『王妃』で、自身の作品のパロディを行っていました。
それに限らず、ハイドンという人は音楽のなかにそうした上手な引用を、ユーモラスにやってのけられる天才でした。
その手法の影響や関連を示すものは特にないんでしょうけれど、ただ、色々聴けば聴くほど、このふたりはお互いがお互いに影響しあっているように感じられるところがあります。
プラハで初演されたから『プラハ』
ウィーンでいまいちだった『フィガロの結婚』。
ところが、それが年末になったころに、現在のチェコのプラハで大ヒットしているという知らせが届きます。
当時のチェコというのは、オーストリア領でした。
そして、このプラハからモーツァルトは招待を受けます。
じっさいここでは『フィーガロ』の話でもちきりで、弾くのも、吹くのも、歌や口笛も、『フィーガロ』ばっかり、『フィーガロ』の他はだれもオペラを観に行かず、明けても暮れても『フィーガロ』『フィーガロ』だ。たしかに、ぼくにとっては大いに名誉だ。
『モーツァルトの手紙(下)』柴田治三郎編訳 岩波文庫
プラハでの様子を、モーツァルトはこのように手紙に書いています。
モーツァルトは1787年の新年早々プラハへ到着すると、新作の交響曲第38番をプラハで初演しました。
初演された場所がプラハなので『プラハ』というニックネームがついています。
そして、『ドン・ジョヴァンニ』へ
また、さきほどご紹介したように、この曲には『フィガロの結婚』の断片がところどころで顔を出します。
このオペラが大ヒットして街中の人が口ずさんでいたという当時、この交響曲はプラハ市民を「おやっ!」と喜ばせたに違いありません。
このときモーツァルトは、さらに新作のオペラの注文まで受けることができて、その結果、今度は歌劇『ドン・ジョヴァンニ』が生まれることになります。
『プラハ』はこのころのモーツァルトの交響曲としては、例外的に全3楽章構成で、4楽章構成になっていません。
いつもは第3楽章にメヌエットが来ますが、この曲にはありません。
つまり全3楽章ということで、いっそう音楽は凝縮された構成になっています。
こうしたところに、『フィガロの結婚』の世界から『ドン・ジョヴァンニ』の世界への傾斜を見る研究者も多いです。
🔰『プラハ』入門の方へ
速いー遅いー速いの全3楽章で、25分ほどの交響曲です。
音楽の比重は、特に最初の2つの楽章にあって、楽章が進むほど演奏時間も短くなっていきます。
私は第1楽章をまず特に好きになりました。
アダージョの序奏部につづいて、快活なアレグロの音楽に移ります。
快活ななかにも晩年期の透明なモーツァルトの心の内が反映された、深みのある楽章です。
第2楽章は、その非常に透明度の高い音楽が冒頭から静かに、澄み切った空を行く雲のように流れていく音楽です。
まだ30歳という年齢でこの境地にいるということに、天才の苦悩を感じずにはいられません。
どこまでも明るいのに、どこまでも悲しい。
モーツァルト最晩年の音楽がついにはっきりと姿を現しています。
第3楽章はPresto(速く)の楽章で、いちばん短く、いちばん足取りも軽やかです。
私のお気に入り
この曲には、私のいちばんのお気に入りの演奏がはっきりあります。
ドイツの老巨匠オイゲン・ヨッフム指揮バンベルク交響楽団の演奏です。
これは昔、都内のCD店の店内でたまたま流されていて、あまりに耳を惹かれて買って帰ってきたものです。
今も、この曲を聴きたいときには、真っ先にこのアルバムに手が伸びます。
若々しくて深い、陰影があるのに透明な、老巨匠ヨッフムがたどり着いた最上のモーツァルトのひとつがここに刻まれています。
残念ながら、オンライン配信がまだないようです。
CD番号( EAN: 4988017609736 )をご紹介しておきます。
特にマニアックな録音ではないので、いずれ配信されるようになると思います。
本当はいちばんのお薦め
オイゲン・ヨッフム盤
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オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団の演奏もさすがの録音。
どうしても、ここら辺の名曲になってくると、往年の大巨匠たちの演奏が多くなってきます。
やはり、それくらい昔の大家たちは音楽が大きくて深いです。
クレンペラーの『プラハ』は、音楽が余裕をもっていて、すべての声部が堂々と行進していきます。
それでいて、各楽章の長調の透明な悲しさといい、後期モーツァルトの神聖な透明度が全編を支配しています。
聴いていて心が澄んで、晴れわたるよう。
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イギリスの作曲家ベンジャミン・ブリテンが指揮したイギリス室内管弦楽団の演奏は、デモーニッシュなモーツァルト。
特に第1楽章冒頭の序奏部で、私はたくさんのことを教えられました。
作曲家ブリテンは、この序奏部に歌劇『ドン・ジョヴァンニ』の予感を読み取っているようです。
非常に重苦しく、峻厳な音楽が刻まれます。
『フィガロ』から『ドン・ジョヴァンニ』、その過渡期として描かれている『プラハ』。
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モーツァルトの演奏となると、どうしてもブルーノ・ワルターの登場となります。
ワルター指揮コロンビア交響楽団は、ここでもさすがの演奏を展開しています。
どうしてここまでモーツァルトらしいモーツァルトになるのか。
何もしていないようで、聴きこむほど精妙なバランスで造形されていることを知らされ、圧倒される演奏です。
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チェコ出身のラファエル・クーベリックはこの曲の録音が数種類残っています。
なかでも、バイエルン放送交響楽団とのライブ録音は、とても清らかな音楽。
指揮者もオーケストラもモーツァルトをとても神聖に扱っていて、心を打たれます。
特に第1楽章と第2楽章の繊細なバランスと美しいレガートは、このコンビの品格の高さを裏付ける素敵な演奏です。
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サー・ロジャー・ノリントン指揮シュツットガルト放送交響楽団の演奏は、冒頭のfp(フォルテピアノ)から笑わせられます。
わざと場違いなくらい、ハイドンの『びっくり』交響曲のようにユーモラスに、派手にやっています。
そこから、あっという間に音楽は透明度を増して、悲しみが透けて見えてくるようになります。
そして、オーボエの孤独な響き。
ノリントンは、いかにも彼らしいやり方で、ユーモアとの鋭い対比のなかで、この傑作の透明な悲しさを描き出しています。
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