交響曲のジャンルに金字塔をたてたベートーヴェンが彼の最後の交響曲第9番《合唱つき》を書き上げた翌年、シューベルトもまた、彼の最後となる交響曲の創作に入ったようです。
シリーズ《交響曲100》、第30回はシューベルトの交響曲第8(9)番ハ長調D944をテーマにおとどけします。
この交響曲には《ザ・グレイト》というあだ名がついていますが、これはシューベルトの交響曲第6番が同じ「ハ長調」で書かれているため、そちらを“ 小さなハ長調 ”、こちらを“ 大きな(great)ハ長調 ”と区別したのがもともとです。
でも、現在では、この交響曲の長大さ、偉大さを讃える意味で《ザ・グレイト》と呼んでいる人がほとんどだと思います。
私も、大好きなこの作品への深い敬意をこめて、《ザ・グレイト》という名称を使ってでご紹介していきます。
シューマンが発見
シューベルトより13歳ほど年下のロベルト・シューマン(1810-1856)は20代の終わりのころ、1838~1839年にかけてウィーンを訪れました。
ウィーンといえば、まさに2人の大作曲家、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)とフランツ・シューベルト(1797-1828)が活躍した土地ですが、シューマンが訪れたころには、彼らはすでに亡くなって10年ほどが経過していたので、お墓参りをしたようです。
その際、尊敬するこの2人の偉大な先輩作曲家たちに、生前、直接会うことができなかったことを残念に思いつつも、せめて親族に会えたらという願いを持ちます。
幸いにも、その願いはすぐに叶って、存命だったシューベルトのお兄さん、フェルディナントと出会うことになります。
そのお兄さんは、シューマンが弟シューベルトを高く評価してくれていたことを知っていて、こころよく迎え入れてくれただけでなく、シューベルトの部屋、亡くなった後もそのままで保管されていた作曲部屋を見せてくれました。
そこには、たくさんの未発表の作品が山積みになっていました。
それらのいわば“ 手つかずの宝の山 ”に驚きの目を見張るシューマンを、さらに驚かせ、喜ばせたのが一連の「交響曲」の楽譜でした。
シューベルティアーデのひと
シューマンが交響曲のスコアを見つけて狂喜したのは、シューマンにかぎらず当時の人々にとって、シューベルトといえば“ シューベルティアーデのひと ”という印象が強かったからです。
シューベルトはその31年という短い生涯の年月を、いわゆるボヘミアンな暮らし、友人たちとの気ままで自由な暮らしで送った人で、そんな彼のまわりには、いつしか彼の音楽を評価し、支援し、愛好するサークルができるようになりました。
このサークルは“ シューベルティアーデ ”と呼ばれていて、その夜会では、シューベルトを囲んで、彼の作曲した歌曲、ダンス音楽、ピアノ連弾曲などがつぎつぎと披露されていきました。
この、とても親密で、充実した、けれども、比較的規模の小さな音楽の夜会のなかから生まれてきた音楽、それこそがシューベルトの音楽というイメージがあったので、彼が「交響曲」のような、大舞台でのオーケストラ用の曲を書いていたことに、シューマンは驚いたわけです。
メンデルスゾーンが初演
作曲部屋に山と積まれた楽譜の数々には、まだ一度も演奏されていないものも多く、シューマンは「手がふるえた」と著書で述べていますが、そうしたなかに、今回のテーマである『交響曲ハ長調』の自筆譜もありました。
この曲の楽譜に目を通して、深く深く感動したシューマンは、シューベルトのお兄さんを説得して、当時、ドイツのライプツィヒで指揮者として活躍していた、友人のメンデルスゾーンにその楽譜を送ります。
そうして、1839年3月21日、ドイツのライプツィヒ・ゲヴァントハウスにて、メンデルスゾーンの指揮により『交響曲ハ長調』の歴史的な初演が行われました。
研究者によれば、シューベルトの生前にどこかで試演が行われた可能性がなくはないものの、はっきりと確認される初演はこのときであって、実にシューベルトが亡くなって10年以上が過ぎてからの初演となりました。
交響曲第8番ハ長調《ザ・グレイト》
私がクラシック音楽に興味を持ち始めたころ、学校の図書室にあった本のなかに「グムンデン・ガスタイン交響曲のなぞ」という話が載っていました。
それによれば、シューベルトがグムンデンやガスタインといった地方を訪れる旅行をしていたときの手紙に、その地で大規模な交響曲を作曲したと確かに書かれているのに、それに該当する交響曲が見つかっていないとのことで、この幻の傑作は『グムンデン・ガスタイン交響曲』と呼ばれているということでした。
グムンデン・ガスタイン交響曲、名前がかっこいいのですぐに覚えてしまいました。
近年では、多くの研究者が、その手紙に書かれている幻のグムンデン・ガスタイン交響曲は、現在私たちが「交響曲第8番ハ長調《ザ・グレイト》」と呼んでいる交響曲と同一の音楽を指しているのだろうという結論に至っています。
というわけで、この交響曲は、そのグムンデンやガスタインの地方を旅していた時期から考えて、31歳で世を去るシューベルトが28歳のころ、1825~26年ごろに書かれたと推測されています。
このページにちりばめた写真は、どれもそれらの地方の写真です。
シューベルトが、とても風光明媚なところを旅していたのがわかります。
そして、これがシューベルトがその人生で完成させた、最後の交響曲となりました。
後に、シューマンは「はっきり言えば、この曲を知らないということは、シューベルトを知らないということだ」と、このハ長調交響曲について絶賛しています。
また、同じ文章のなかで、この曲を「天国的な長さ」と呼んでいて、この言葉はこの曲の豊穣な長大さをあらわす言葉として、たいへん有名です。
シューマンが書いた文章は、日本の音楽評論の草分け、吉田秀和さんの翻訳で読むことができます。
Amazon シューマン(吉田秀和 訳)『音楽と音楽家』(岩波文庫)
この本は、吉田秀和さんが出した最初の本でもあります。
🔰はじめての《ザ・グレイト》
コンサートホールで実演を聴くのではなく、CDやネット配信でクラシック音楽を楽しむ場合、それも初めてその音楽に接するような場合は、必ずしも第1楽章から聴かなくてよいと私は思っています。
交響曲については、とくに第1楽章が強固に構築されていることが多く、傑作であるほど人を寄せ付けない一面も持っています。
ですので、基本的にはフィナーレの楽章から聴いてみることをお薦めしています。
そこがその音楽の到達点であり、結論だからです。
さて、「天国的な長さ」を誇るこの曲も、最初はフィナーレ第4楽章から聴いてみてください。
ここには、シューベルトが彼自身の方法で到達した、ベートーヴェンの力学の結晶があるように感じられます。
天国的な陶酔と、悪魔的な熱狂の止揚。
シューベルトの交響曲作曲の到達点ともいうべき、圧倒的な音楽が展開されていきます。
次に、フィナーレの前の第3楽章を聴いてみましょう。
これはスケルツォ楽章です。
ベートーヴェンのスケルツォとはちがう、オーストリアの土の香りがするような舞曲で、こうした音楽の性格は、あとに登場するブルックナーに影響を与えたのではないかと感じます。
この楽章のトリオには、これも信じがたいほどに美しい歌、天国的な賛歌があらわれます。
その前の第2楽章は、アンダンテの、ひなびた味わいの楽章。
この楽章には、沈み込むような、深淵な瞬間があります。
シューベルト晩年の、デモーニッシュな感覚が存在する音楽。
そして、ここでも、それらと相反するように、とても美しい、慰めに満ちた、柔らかな歌があらわれます。
これは私の勝手な感想ですが、この楽章には、ベートーヴェンの交響曲第7番の第2楽章、あの不滅のアレグレットのエコーが聴こえるように感じられます。
さて、楽章をさかのぼってきましたが、いよいよ第1楽章です。
この交響曲のなかで、最も革新的な内容をほこる音楽がここにあります。
たとえば、第1楽章の“ 序奏 ”。
曲の冒頭、いきなり2本のホルンが主題を奏でますが、当時、これはたいへん珍しい画期的な開始で、それ以降の作曲家たちに多大なインスピレーションをあたえました。
この曲を発見したシューマン自身さえ、彼の交響曲第1番《春》で、そっくりな出だしの音楽を書かずにいられなかったほどです。
そして、この「序奏」の主題が、曲の随所で顔を出すだけでなく、何といっても、第1楽章全体が終わろうとしているとき、まるで勝利の凱旋のように回帰してくるところ。
「始まりに終わりがあり、終わりに始まりがある」という楽曲構造は、さらに強く後世の作曲家たちに衝撃を与えました。
それは、あのブルックナーの巨大な交響曲での「主題回帰」の構造の源泉にもなったのではないかと思われるほど。
ただ、それだけにいちばん“ 天国的な長さ ”を感じさせるのも第1楽章かもしれません。
好きになると、その長さがしあわせ過ぎてたまらないのですが、「長い曲が苦手!」という方は、今ご紹介した順序、第4楽章からだんだんとさかのぼってくる順序で親しんでみてください。
その後のシューベルト
梅毒の感染以降、体調があまり優れなかったシューベルト。
彼は、この交響曲第8番ハ長調《ザ・グレイト》を書いた後、2年ほどして腸チフスにより急逝します。
それは、畏怖していたベートーヴェンが世を去った翌年のことでした。
この交響曲のあとの数年間には、歌曲集《冬の旅》やピアノの《即興曲》、弦楽五重奏曲、ピアノソナタ第19~21番といった、どれも後期シューベルトの深淵な、厭世的な世界観を反映した傑作がたてつづけに書かれます。
この晩年の、デモーニッシュで、破滅的な色合いの音楽のなかにこそ、「真のシューベルト像」を見出だそうとしているのが現代の視点の特徴です。
それはもちろん、私たちがシューベルトのそうした側面に惹かれずにいられないという、“ 私たち自身の不安の反映 ”でもあります。
いったい、シューベルトの音楽の核心はどこにあるのか。
私たちは、今、そうした「新しいシューベルト像」を模索している過程のなかにいます。
現在、“ シューベルティアーデ ”の名前を冠した音楽祭は世界各地で開かれていて、彼の音楽は、この不安に満ちた時代における大きな慰めとして、世界中でますます愛される音楽となっています。
私のお気に入り
このブログでは、YouTubeをふくめ、オンライン配信のものを中心にご紹介しています。
オンライン配信については、クラシック音楽をアプリ(サブスク定額制)で楽しむ方法という記事にまとめましたので、よろしかったら参考にしてください。
《ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団》
むかし『20世紀の名演奏』というラジオ番組があって、黒田恭一さんという音楽評論家が、やわらかな口調でいろいろな名録音を紹介してくださいました。
あの番組で教えられた素晴らしい録音のひとつが、このジョージ・セル(1897-1970)のものです。
セルはハンガリー出身、「オーケストラの外科医」と称されたほど緻密で完璧なアンサンブルを展開した巨匠です。
その冷徹なほどの完璧主義者が、最後に残した録音のひとつが、このシューベルトの《ザ・グレイト》。
ここには、それまでのセルの録音にはあまり聴かれなかった、柔和な表情、あたたかな音があります。
この巨匠が到達した人間的な歌がこころに染みる、忘れられない名録音です。
( Apple Music↑ ・ Amazon Music ・ Spotify ・ Line Music などで聴けます)
《ギュンター・ヴァント指揮北ドイツ放送交響楽団》
ギュンター・ヴァント(1912-2002)は、1990年代に大ブレイクした大器晩成型の巨匠指揮者です。
ブルックナーの交響曲と並んで、このシューベルトの交響曲もたいへん得意にしていました。
ここでは、ドイツのNDR放送が公式にYouTubeに公開してくださっている動画をご紹介します。
1985年の、まったくの「辛口淡麗」という切り口で、身の引き締まる演奏を聴くことができます。
第4楽章から再生されるようにリンクしておきましたが、慣れてきたら、ぜひ冒頭から体験してみてください。
《カルロ・マリア・ジュリーニ指揮バイエルン放送交響楽団》
ジュリーニにはシカゴ交響楽団を指揮したこの曲の録音もあるのですが、私が中古のレコードで愛聴している音と現在CDやオンラインで配信されている音があまりに違うので、ここではバイエルン放送交響楽団とのあたらしい録音のほうをご紹介します。
カルロ・マリア・ジュリーニ(1914-2005)はイタリア出身、晩年はテンポがぐっと遅くなって、その大河が滔々と流れるような演奏に、私はクラシック音楽を聴きはじめた頃から夢中になりました。
愛妻家としても知られていて、病気の奥さんのそばを離れたくないということで、日本にはほとんどいらっしゃらなかった方です。
その実演に接することができなかったのでとても悔やしいですが、当時はそれでも新譜のCDが出るとなったら、発売日にお店に買いに行っていました。
このシューベルトもそのひとつで、とっても遅いテンポで、雄大に、やさしく、すべてを包み込むように音楽が奏でられていきます。
愛の音楽家ジュリーニの、とても素敵な録音のひとつです。
( Apple Music ・ Amazon Music ・ Spotify ・ Line Music などで聴けます)
《ブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団》
これは、古くからとっても有名な名録音ですが、私がこの録音を聴いたのは最近になってからです。
《未完成》のすばらしい録音におどろいて、こちらも手に入れたのですが、脱帽の名演奏でした。
私が聴いたのは、こちらのジャケットの1992年発売のもの。
ワルターの録音は昔に発売されたもののほうが音が自然なので、中古で買っています。
Amazon シューベルト「交響曲第9番」
いったいどうやれば、こんな演奏ができるんでしょうか。
いかにも自然体で、奇をてらわない音楽が展開しているのですが、ゆたかな歌と巨大なスケールが同居していて、繊細をきわめた驚異的なバランスのうえで、それらが成立しています。
それなのに、現代の優秀な指揮者たちが精緻に演奏したのとはまったくちがう、人工的な痕跡がどこにも見当たらなくて、あるがままに音楽を鳴らしているとしか聴こえません。
唖然とする名演奏です。
( Apple Music ・ Amazon Music ・ Spotify ・ Line Music などで聴けます)