セレナード
“ セレナーデ ”というのは、もともとは、恋人の部屋の窓の下で演奏したり歌ってきかせる音楽のこと。
ヨーロッパの遠いむかしの習慣のように書いてあったりしますけれど、今でも場所によっては健在です。
海外の映像などを見ていると、セレナーデを歌ったり演奏したりしている光景がたまに映っていたりします。
それがいつしか、音楽のひとつのジャンルとして成立するようになって、クラシックの作曲家たちはいろいろな編成で、いろいろな内容を持つセレナーデを書いています。
あの有名な、モーツァルトの『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』もセレナーデです。
弦楽器だけで演奏する「弦楽セレナーデ」という題名をもつ名曲はいくつもありますが、とりわけ、そのもともとの“ 愛の歌 ”というのを最も感じさせるのが、イギリスの作曲家エルガーによる『弦楽セレナーデ ホ短調』でしょう。
愛妻家エルガー
これは1892年、エルガー(1857-1934)が35歳ごろに完成させた作品。
彼としては、自分の作品で心から納得ができた最初の作品になったようで、友人に手紙でそのことを報告しています。
そして、これは彼の愛する妻キャロライン・アリス・エルガーへ、3回目の結婚記念日のプレゼントとしてささげられました。
この他に奥さんへ贈った音楽として有名なのが、1888年に書かれた有名な『愛のあいさつ』という曲。
そちらは、キャロライン・アリスとの“ 婚約記念 ”の贈り物でした。
ふたりはその翌1889年5月8日に結婚しています。
アリスの方が8歳年上、階級身分も上。
エルガーはまだ音楽家として成功しておらず、収入も不十分。
結婚式にはほとんどの親族が参列しなかったという、周囲の反対を押し切っての結婚でした。
🔰初めて聴く方へ
この曲のいちばんの感情の高まり、クライマックスは第2楽章にあって、まさにこれは愛の歌そのものです。
最初に触れるならこの第2楽章を聴いてみると、エルガーがこの音楽に込めたを、はっきりと感じやすいはずです。
それから、朝より夕暮れどき、春よりも秋に聴いた方がしっくり来る音楽です。
6分ほどの時間のなかに、エルガーのエッセンスが詰め込まれています。
第1楽章の冒頭が終わりの楽章フィナーレでも帰ってきます。
これは、ドヴォルザークの『弦楽セレナーデ ホ長調』(1875年)でも、チャイコフスキーの『弦楽セレナーデ ハ長調』(1880年)でも同様です。
エルガーのこの『弦楽セレナーデ ホ短調』を含めた、弦楽セレナーデの傑作として名高い3作品すべてに共通する特徴です。
曲の始まりと終わりをつなぐことで、曲の統一感を高めています。
私のお気に入り
1962年に私の大好きな指揮者サー・ジョン・バルビローリがシンフォニア・オブ・ロンドンを指揮して、感動的な録音を残してくれています。
バルビローリの舐めるようなフレージングは、俗に“バルビ節”なんて言われたりしますが、旋律をどこまでも歌い上げたこの演奏は、曲の内包する感情をあふれださせています。
バルビローリがこの曲に寄せる愛情が、美しいレガートをともなって押し寄せてくるようです。
すべての楽章、すべての音符、すべての休符が美しい、かけがいのない演奏。
エルガーが書いた愛の歌が、生きて体温をもって届きます。
( Apple Music↓・Amazon Music・Spotify・Line Music などで聴けます)
1949年に同じくバルビローリがハレ管弦楽団の弦楽セクションと録音したものもあります。
音は古いですが、こちらも繊細な心の歌が聴こえてくる、素敵な演奏です。
これもまた、音楽がまだ詩の味わいを失っていなかった時代の貴重な記録です。
バルビローリは私にとって羅針盤のような存在。
いつも、音楽とは何かを思い出させてくれる恩人です。
もっと小さな編成のアンサンブルでは、オルフェウス室内管弦楽団が清潔感にあふれた演奏で好きです。
いつもながらの精緻なアンサンブルも素晴らしいです。
でも、それ以上にエルガーの静かな抒情を、大切に、丁寧に歌っているところが魅力。
爽やかな歌。
( Apple Music↓・Amazon Music・Spotify・Line Music などで聴けます)
ジュゼッペ・シノーポリ指揮フィルハーモニア管弦楽団のものは、特に第2楽章が聴きどころ。
考古学の博士号と精神分析医の資格も持っていたシノーポリが、この愛の告白を耽美的に演奏しています。
ちょっとマーラーの音楽のよう。
これはエルガーっぽくないと否定するのは簡単です。
けれど、マーラーを得意としていた指揮者シノーポリには、このように楽譜が読めたわけです。
そして実際、ここにはシノーポリが見た音楽の「真実」が聴こえてきます。
彼の急死が悔やまれる、素敵な指揮者の素敵な遺産。
( Apple Music↓・Amazon Music・Spotify・Line Music などで聴けます)
YouTubeで数多くあがっている室内オーケストラの動画では、ノルウェーのクリスチャンサン交響楽団の弦楽セクションがやっているものがお薦めです。
こういうラブレターのような音楽は、どんなにアンサンブルが整っていて音がきれいでも、聴いたあとに胸の奥に何かが残らないと全く面白くないものです。
ラブレターっていうものは、字がきれいとか、誤字脱字がないとかの問題ではないですから。
このノルウェーの弦楽セクションは、とっても心を込めて弾いています。
北欧のアンサンブルとしては珍しいくらい歌いこんだ演奏になっていて、そこがとっても素敵。