ロシアで頭角をあらわし、あのクラシックの名門レーベル、ドイツ・グラモフォンからソロ・アルバムを出している日本の若手ピアニスト、松田華音さんのリサイタルを聴いてきました。
生演奏を聴くのは、これが初めての機会でした。
驚きのプログラミング
このリサイタルのプログラムが、まずは驚きでした。
2022年9月17日(土)15:00@彩の国さいたま芸術劇場
スクリャービン:2つの詩曲 作品32
スクリャービン:2つのマズルカ 作品40
スクリャービン:ワルツ 変イ長調 作品38
チャイコフスキー:《18の小品》作品72
~第2番〈子守歌〉、第3番〈穏やかなおしかり〉、第8番〈対話〉
ラフマニノフ:《楽興の時》作品16より第4番、第5番、第6番
チャイコフスキー:ピアノ・ソナタ ト長調 作品37
【アンコール曲】
チャイコフスキー :《18の小品》作品72より18番〈踊りの情景(トレパークへの誘い) 〉
シチェドリン : バッソ・オスティナート
何気なく口ずさんでしまうような作品がひとつもない、とっても重厚なプログラミング。
果たして、こんなに濃厚なロシア・プログラムでどれくらい聴衆があつまるものなんだろうと、アリス=紗良・オットさんを初めて聴いたときに、会場が空席だらけというのを体験したのを思い出して、ちょっと不安に思っていました。
けれども、それは杞憂におわって、会場へ行ってみると客席はほとんど埋まっていました。
意外なほどの力感とその背景にあるもの
最初はスクリャービンのピアノ曲が5曲でした。
松田華音さんの演奏は、CDやオンライン配信、FM放送などでこれまでも耳にしていましたが、そうしたものから伝わってくるものに限界があるのも事実です。
今回、初めて松田華音さんの演奏を生演奏で聴いて、まず、何より驚いたのがその“ 力感 ”でした。
こんなに力強い音を奏でているピアニストだとは、思っていませんでした。
さらにそれから、松田華音さんのスクリャービンを聴いているうちに、だんだんと感じられてきたことは、彼女の背景です。
松田華音さんが、ロシアにおいて非常に質の高い教育を受けて、それを見事なまでにしっかりと身に着けて、今、このステージに至っているんだということ。
こうした、そのピアニストのもつ背景をリサイタルで感じたのは、初めてでした。
力強くて、ちょっと固いくらいの音質。
非常に安定した、超絶的な技巧。
それでいて、表面的なきらびやかさをまったく感じさせない、地に根差した音。
それから、音の切り方がとても美しいこと。
これはとっても印象的で、さまざまなフレーズのたびに感じました。
ペダルの技術がとても優れているということなんでしょう。
ロシアという国が長い長い年月に渡って培った、非常に高度な音楽の文化、歴史の厚み。
そういったものが、松田華音さんのスクリャービンからにじみ出ているように感じられました。
だから、ある意味では、このスクリャービンは、松田華音さん本人からにじみ出ているという感じとは違うとも思いました。
思うがままに、自分を解き放って出てきている音楽というよりは、信念をもって、身につけたものをひき出しているという感じ。
音楽のなかにいるというよりは、音楽のそとから、丁寧にそれを紡ぎだしているようでした。
一音一音への高い集中度
そして、その高い技巧性と同時に印象的だったのが、一音一音への非常に高い集中度です。
外に外に放射される音ではなく、内へ内へと、音楽を凝縮させていこうとするような、非凡なまでの高い集中度が感じられました。
その高い集中力は、あの小澤征爾さんを思い出しました。
あの方も、たいへんな集中力で音楽へ没頭されます。
ロシアで培われた高い技巧性、地に足のついた音楽性、ひとつひとつの音への集中度の高さ、そうしたものに裏づけられた音楽が、凝縮された力感をともなって、ホールに響いていました。
楽興の時
最近は、わざと驚くほど小さな音で弾くピアニストもいますが、松田華音さんは、基本的には明瞭に、常にある程度の音量を鳴らして弾いていきます。
リサイタルを聴いていて、力感もさることながら、全体的にダイナミクスが大きいことも意外でした。
そのぶん、静けさや沈み込むような味わいよりも、どちらかと言えば、技巧性が目立つ音楽のほうが印象的に響いていて、スクリャービンのような、やや屈折したロマンティシズムよりも、ラフマニノフのようにはっきりとしたロマンティシズム、そして、ある種のヴィルトゥオージティを前面に出している作品のほうが魅力的に聴こえました。
それゆえに、とりわけ魅力的で心奪われたのは、前半のラフマニノフ:《楽興の時》と、後半のチャイコフスキー:グランドソナタという、いずれも技巧的で、力感あふれる作品たちでした。
《楽興の時》は、リサイタル前半の、大きなクライマックスになっていました。
全6曲のうち、後半の3曲が選ばれたのも納得で、第4番の嵐のような音楽がはじまった途端、一気にその世界観へ引きずり込まれました。
スクリャービンでは何となく音楽の外にいて、次のチャイコフスキーの小品では音楽に寄りうような印象だった松田華音さんが、このラフマニノフになると、ぐっと音楽に踏み込んだように感じられました。
こうした、感情を技巧にストレートに載せられる作品こそが、きっと今はいちばん弾きやすいのではないかと思います。
このラフマニノフは、松田華音さんが類まれな技巧を持つピアニストであることを示すだけでなく、確かな感性を持った、テンペラメント豊かな音楽家であることをはっきりと示していました。
充実のグランド・ソナタ
この日のメイン・プログラムはチャイコフスキーのグランド・ソナタ。
そして、この日の白眉は、まさにこの曲でした。
演奏時間が30分前後の、かなり大規模なピアノソナタです。
親しみやすい作品の多いチャイコフスキーの作品のなかでは、めずらしく少々とっつきにくい印象が私にはあります。
何度聴いても、どうにもつかみ切れない音楽。
そこまで人気があるとも思えない作品ですが、ただ、調べてみると初演時にはたいへんな好評だったそうで、相当に耳の肥えたひとたちが初演を聴いていたのだろうと、自分の至らなさを思い知らされます。
松田華音さんは、この長大なソナタをいったいどう演奏するのか。
期待とともに後半のステージを迎えました。
ここでも、予想を超える力感に溢れた音で、その第1楽章が開始されました。
これが“圧倒的”と言ってもいいくらいの充実ぶりで、行進曲風の主題をもつ大きな第1楽章が、前進性をもって、壮麗にすすめられていきます。
複雑な音楽が、鮮やかなまでにくっきりと描かれて、音楽が停滞することがありません。
やがてそのまま、冗長さを感じさせることなく、見事にコーダにまで到達し、最後の和音が鳴り終わったときには、凄い音楽を聴いたという実感がこみあげてきました。
脱帽の第1楽章。
これが聴けただけでも、わざわざ会場に足を運んだ甲斐があったと心から感じました。
つづく第2楽章。
これは、やはり前半に感じたように、静かな音楽になると説得力がやや落ちて、淡泊すぎるというか、もっとずっと細やかなニュアンスの音楽が欲しいと思う瞬間があったのが正直なところです。
ただ、それでも、演奏の緊張感は途切れませんでした。
これが、このピアニストのすごいところでもあります。
第3楽章、それから、第4楽章へは、ほとんど間を空けずに入って行きました。
第3楽章も素晴らしかったですが、輪をかけて素晴らしかったのが、フィナーレ第4楽章。
あとでホールのホームページを見たら、この楽章について、松田華音さんのコメントが載っていました。
チャイコフスキーのグランド・ソナタは、私がとても気に入っているメロディーが4楽章に出てきます。希望に満ちていて、明るい未来を楽しみに待っているような、まるで春のそよ風が吹いたかのような清々しさも感じられるメロディーです。お聴きいただければ「これだ!」とすぐにわかっていただけると思うので、そのメロディーが出てくるのを待っていただく、そう言った楽しみ方もあるソナタだと思います。
実際、このコメントの通りで、第4楽章のその旋律は、心地よい風を受けて走り抜けるかのように、颯爽と、のびやかに歌われていました。
そして、演奏のクライマックスも確かにあそこにあって、この旋律の飛翔がこのソナタの到達点として、大きな頂点を築いていました。
このソナタの到達点をはっきりとあの旋律に求めたことは、たいへん説得力のあるもので、この長大な音楽が初めてすっきりと見渡せた思いがしました。
そして、松田華音さんがこの旋律を「とても気に入っている」と話しているのも興味深いことで、実際、この旋律を弾いているときに、初めて、彼女の内面の歌がはっきりと吐露されているのが感じられました。
あの心の内の開放こそが、この日のいちばんの聴きどころであって、それが見事に、楽曲のクライマックスと一致していたところに、とても非凡なものを感じました。
そう、この人は、ただ上手いだけじゃない、人の心を鷲掴みにするような求心力をもっています。
それが、この人の最大の美点のひとつです。
この曲をこんなに魅力的に感じたのは初めての体験で、あの演奏を聴いてから、今まではよくわからなかったグランド・ソナタが、チャイコフスキー作品のなかでもお気に入りの作品のひとつに、すっかり変わってしまいました。
最初にこのリサイタルのプログラムを見たときには「メインがグランド・ソナタなのか…」とがっかりしたのですが、とんでもないことです。
松田華音さんのグランド・ソナタ、できればレコーディングしてもらえたらと心から願っています。
いろいろな演奏家のグランド・ソナタを耳にしましたが、両端楽章については、今のところ、松田華音さんの演奏がいちばん好きです。
アンコール
政治家たちの失言を見ていてよく思うのですが、軽い冗談を言ったりしたときにこそ、そのひとの考えというのがいちばんはっきりと出るものです。
演奏家でいえば、アンコールの時間くらい、その演奏家の素顔が出やすい瞬間はありません。
松田華音さんは、アンコールで、チャイコフスキー :《18の小品》の終曲、それから、シチェドリン : バッソ・オスティナートを選曲されていました。
もの凄い技巧で、のめり込むように弾いていらっしゃいました。
つまりは、やはり、そういうことなんでしょう。
あれだけの長大なソナタを弾いたあとなので、何かしら静かな作品を選択するのかと思っていたんですが、ちがっていました。
今は、こうした高い技巧性の作品こそが、松田華音さんにとって、いちばん素直に弾いていられるレパートリーなんだと思いました。
ニュアンスで聴かせるような、静かな作品をアンコールで聴いてみたいと思っていたんですが、それでも、シチェドリンの畳みかけるような超絶技巧には、もう、ただただ凄いと思うしかないアンコールでした。
協奏曲を聴いてみたい
驚くほどの“ 力感 ”ということを言いましたが、そうした特徴のせいか、表現の軸が、デクレッシェンドよりクレッシェンドに傾いているように感じられました。
きっとそのせいで、表現上、すぐに音量が一定のところまで来てしまう傾向があるのだと感じます。
なので、どうしても技巧的でない箇所、しずかな音楽がつづくところで、表現が淡泊になるきらいはあります。
いっぽうで、そうして音量が自然にあがっていくというのは、それだけ、表現したいものが溢れている結果でもあって、音はきれいだけれども、それが全てというピアニストたちとは、一線を画しているとも言えます。
これほどの才気を感じさせる方なので、きっとこの先、年齢を重ねるにつれて、デクレッシェンドもいっそう美しく、弱音の美しさもまた際だっていくのだと思います。
そうした点も考えると、松田華音さんのソロで、オーケストラとの「協奏曲」を聴いてみたいとも思いました。
ダイナミクスの大きな、力感溢れる現在のスタイルは、大きなオーケストラをバックにした、チャイコフスキーやラフマニノフのピアノ協奏曲にうってつけのものでしょう。
こうしたロシアの大作曲家たちのピアノ協奏曲を雄大に弾くことができるピアニストは、現在では、ほとんどいなくなっていましました。
松田華音さんにならできるのではないかと、期待せずにはいられなくなりました。
音源のご紹介
松田華音さんは現時点で2枚のアルバムをドイツグラモフォンから出していて、いずれも魅力的です。
( Apple Music↑ ・ Amazon Music ・ Spotify ・ Line Music などで聴けます)
( Apple Music↑ ・ Amazon Music ・ Spotify ・ Line Music などで聴けます)
オンライン配信の音源の聴き方については、「クラシック音楽をオンライン(サブスク定額制)で楽しむ~音楽好きが実際に使ってみました~」のページでご紹介しています。
松田華音さんのリサイタルを今回はじめて聴きましたが、安心してお薦めできる、とても魅力あふれるピアニストです。
ロシアものではない作品、たとえば、レパートリーにあるのかどうかわかりませんが、ドビュッシーやラヴェルのようなフランスものは一体どういう表現になるのか。
これからも、色々な作品を聴いてみたい方です。
このブログでは、松田華音さんを含め、お薦めのコンサートを選んで、「コンサートに行こう!お薦め演奏会」のページでご紹介しています。
是非、会場に足を運んで、音楽を聴くだけでなく、「体験」してみてください。