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ここ数年、その名前を見かける機会が急に減ったと思ったら、なんと、パイロットとしてエールフランス航空で仕事をしていたというダニエル・ハーディング(Daniel Harding, 1975ー)。
ふたたび指揮者としての仕事に戻ってきたようで、この8月、日本の東京都交響楽団の指揮台にはじめての登場となりました。
目次(押すとジャンプします)
ダニエル・ハーディング(指揮)東京都交響楽団
当日のプログラム
2024年8月10日(土)14:00@サントリーホール
ベルク:
7つの初期の歌
(Soprano) ニカ・ゴリッチ
マーラー:
交響曲第1番 ニ長調 《巨人》
ハーディングを生演奏で聴くのは、わたしは今回が初めて。
前半のベルクもよかったですが、特にハーディングの才気をはっきりと見せつけられたのは、後半のマーラーでした。
この指揮者は、予想外に、録音などで聴くよりも、実演で接する方が圧倒的におもしろいし、素晴らしさもはっきりとわかる指揮者でした。
なぜ、ベルリン・フィルやウィーン・フィルなどの一流どころの楽団が、彼を何度も指揮台にむかえるのか。
実演に接することで、彼の素晴らしさというものが、色々と肌で感じられました。
冴えわたる才気
まず、その卓越したオーケストラ・コントロールの能力。
それはマーラーの交響曲第1番「巨人」の冒頭、ホールに広がる弦楽器群のA音の持続音の、絶妙なバランスと静けさから示されていました。
その後も、至るところで、新ウィーン楽派の響きを彷彿とさせるような、精妙なハーモニーが随所で引き出されます。
また、ダイナミクスのコントラスト、オーケストラの音の出し入れもすっきりと整理されていて、爆発的な頂点を描いたあとでも、ハーディングはまたたく間に、静寂に満ちた音楽にオーケストラを導きます。
コントラストという点では、第1楽章で、強奏部のほかはダイナミクスを比較的しぼって、弱音を活かしていたのに対して、第2楽章は冒頭から開放的に弾かせるあたりは、彼のバランス感覚、音楽的な冴えを感じさせられました。
テンポの点では、今回の「巨人」はアッチェレランドの掛け方にとても特徴があって、ときに極端で、急速に感じられる加速がいろいろな楽章で見られました。
それは、普通にやれば音楽が無機的、機械的に聴こえてきそうなほどでしたが、ハーディングの場合、そのテンポ操作が非常にすっきりと、スマートな線で描かれるので、うまく収まってしまいます。
恣意的にも感じられるようなテンポ操作が、ディナーミクの変化とみごとに整合性がつけられ、巧みなオーケストラ・コントロールとあいまって、つじつまが合ってしまうところに驚かされます。
そうした、もろもろの特徴を支えているのは、やはり、彼の優れた“ 知性 ”ということになるのでしょうか。
その意味で、ケンブリッジ大学を卒業しているという秀才ぶり、頭脳の冴えが、文字通り、彼の“ スマート ”な音楽性の基盤になっているように感じられます。
スマートな抒情性
ただ、そう書くと、ある時期のピエール・ブーレーズ(Pierre Boulez, 1925-2016)のような、冷たい音楽をやるひとのように聞こえてしまうかもしれません。
実際にはそうではなくて、ハーディングには、それを補完するような“ スマートな抒情性 ”がありました。
私には、それがいっそう、彼のおおきな魅力として感じられます。
特に弱奏時に多く聴かれる、そうした抒情性は、どこか彼の恩人でもあるクラウディオ・アッバード( Claudio Abbado, 1933-2014)を偲ばせるものがあって、その影響の大きさを感じさせられます。
聴いていて、ほんとに目を見張るというか、なるほど、世界の名だたる楽団が定期的に彼を呼ぶのが納得される場面の連続で、感嘆しきりでした。
東京都交響楽団は、金管に不安定さがみられる場面がいくつかあったものの、弦楽器群を筆頭に、手ごたえのある、素晴らしい演奏を展開していました。
コンサートマスターは、ジョナサン・ノットと東京交響楽団の黄金期を支えた水谷晃さん。
本当に凄いコンサートマスターです。
惜しかったフィナーレ
そうして第4楽章の途中までは、切れ目なく、たいへんな出来映えでしたが、この楽章の後半になって、ふとした瞬間に緊張がすっと解けてしまいました。
こうした瞬間というのは、きっと、指揮者にとって悪夢のようなものでしょう。
それまで冴えわたっていたアンサンブルが、急に弛緩し始めました。
とは言え、壮大なクライマックスが目前の地点だったので、ハーディングは冷静にそこに漕ぎつけました。
コーダも極端な速度で、鮮烈に終わりました。
本当におしまいまで、あの緊張感が持続していたら、どういう感想を持つことになったのかわかりませんが、それでも、冴えわたる才気をまざまざと感じさせられたマーラーでした。
新しい世代、感覚
ただ、ここまで感嘆しつつ、圧倒されたものの、不思議なくらい「感動」はしなかった自分に気づき、驚きました。
これは批判ではなく、この「巨人」には、たとえば、往年のレナード・バーンスタイン(Leonard Bernstein、1918-1990)でマーラーを聴いたあとのような、強い感情の動き、感動のようなものはありません。
実際、ハーディング自身、この「巨人」のなかに、そうしたエモーショナルな意味での「感動」を感じていないはずです。
ブルーノ・ワルター(Bruno Walter, 1876 – 1962)が“ マーラーのウェルテル ”と呼んだ青春の心の傷のようなものは、今回の「巨人」とは無縁のものです。
ハーディングは、きわめてスマートにマーラーの音楽に感嘆し、極めてスマートにそれを表現し尽していました。
ウィーン・フィルの古参の団員のひとりが、あるインタビューで、ハーディングのことを音楽の神聖さを微塵も知らない輩だと痛烈に批判していたのを思い出します。
実際、このハーディングの覚醒した、冴えに冴えたマーラーの演奏は、往年の大指揮者たちが懸命に描きだしたマーラーの夢、憧れ、絶望や恍惚とは、まったく違う世界のものです。
ヘルベルト・フォン・カラヤン(Herbert von Karajan, 1908-1989)のマーラーでさえ、ハーディングのスマートな抒情性と比べたら、はるかに主観的で、はるかに人間臭い、感情的なものだったと気づかされます。
その意味で、ハーディングはやはり、新しい世代のひと。
今も、現代の最先端の指揮者のひとりです。
私はハーディングのマーラーに感動はしませんでしたが、けれども、決してつまらなかったわけではありません。
それどころか、とっても面白かった。
こんなにマーラーの「巨人」を夢中で聴いた生演奏は、ほんとうに久々でした。
もし仮にですが、ハーディングがこの先、都響の指揮者として迎えられるようなことがあったとしたら、私は、今のジョナサン・ノット&東京交響楽団のように、定期的に聴きに行かずにはいられないと思います。
ハーディングは紛れもなく一流の指揮者の仕事をしており、才気あふれる、非常に興味深い指揮者です。
エールフランスの仕事も楽しいかもしれませんが、彼には今後、もっともっと日本でも指揮を振ってもらえたらと思います。
ダニエル・ハーディングの録音から
マーラー:「巨人」
( Apple Music↑ ・ Amazon Music ・ Spotify ・ Line Music などで聴けます)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のマーラー・チクルスで第1番を指揮したものがリリースされています。
この録音、都響とのコンサートを聴いたあとで初めて聴きましたが、テンポ操作はさすがにそっくりです。
ベルリン・フィルはさすがに自身の表現語法が守り抜かれているところがあるというか、東京都交響楽団のほうが、もっと色々な表現をハーディングの思惑通り、極端にやっていました。
ブラームス:交響曲第3番・第4番
( Apple Music↑ ・ Amazon Music ・ Spotify ・ Line Music などで聴けます)
ハーディングが世に出始めたころの録音ですが、今でも、私はこの録音にハーディングの美点をたくさん感じます。
清新なアプローチに彩られたブラームスですが、ハーディングならではの「スマートな抒情性」がこの演奏を救っている面白さがあります。
「アルプス交響曲」
( Apple Music↑ ・ Amazon Music ・ Spotify ・ Line Music などで聴けます)
音楽を魂の救済のようなものと無縁なものとしていたという点で、R・シュトラウスの音楽こそ、もしかしたらハーディングにうってつけのレパートリーなのかもしれません。
いつか実演で聴いてみたいレパートリーです。
サイトウ・キネン・オーケストラとの録音で、その顔合わせも興味深いレコーディング。
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