シリーズ《交響曲の名曲100》、その第16回です。
このシリーズでは、「交響曲」という形式で書かれたクラシックの名曲の数々から、是非とも聴いてほしい名曲をピックアップしてご紹介しています。
クラシック初心者・入門者でも親しみやすいように、曲にまつわるエピソードや聴きどころ、お薦めの音源もあわせてご紹介しています。
また、クラシック初心者の方にいきなりCDを買ってくださいというのは無理があると思うので、オンライン配信でアクセスしやすいものを中心に、後半で音源紹介しています。
オンライン配信については、「クラシック音楽をアプリ(サブスク定額)で聴く方法」をまとめたページがありますので、興味のある方はぜひご覧ください。
さて、今回は前回に引き続き、ハイドンです。
ついに、僕たちのハイドンが海を渡ります。
今回はちょっと盛りだくさんです。
目次(押すとジャンプします)
ハイドン、イギリスへ渡る
ハイドンが58歳になる1790年、30年間ずっと仕えてきた、貴族のエステルハージ公が亡くなりました。
代変わりした新しい君主は、音楽にそこまで関心がなくて、ハイドンがリーダーを務めていた楽団は事実上、解散となります。
ハイドンは「楽長」の肩書はそのままに、本人の意思とは関係なく、年金暮らしの身に追いやられてしまいます。
そうはいっても、名声が広まっているハイドンのこと。
周囲が放っておくはずもなくて、様々な人たちがハイドンを獲得しようと、周囲が慌ただしくなります。
そんななか、ハイドンの心を見事につかんだのが、ドイツ人のペーター・ザロモン(当時45歳)という興行師でした。
彼の名前は一度このブログでも、モーツァルトの交響曲第41番に、『ジュピター』というぴったりなニックネームをつけた人物としてご紹介しました。
このザロモン、あのベートーヴェン一家と同じ家に住んでいたこともあるという、なかなか音楽史と不思議なつながりを持つ人物。
彼はヴァイオリニストでもあり作曲や指揮もした人物ですが、音楽興行師、つまり、コンサートのプロデューサーとして、特に音楽史に名前を刻んでいます。
このとき、彼はすでにイギリスのロンドンで、自身のコンサート・シリーズをプロデュースしていました。
そこに何としても、彼が崇拝していたハイドン大先生に出演してほしいと、行動を起こしたわけです。
ザロモンはウィーンにハイドンを訪ね、イギリス行きを説得。
新しい活躍の場を求めていたハイドンはそれを受け入れます。
そして、1790年12月15日にハイドンはウィーンを出発、翌年の1月2日にはロンドンに到着することになります。
ここから、ハイドンのさらなる新しい時代が始まります。
モーツァルトとの別れ
1790年の12月14日の夜、つまり、ハイドンがウィーンを出発する前夜、先輩ハイドンと後輩モーツァルトは夕食をともに過ごしました。
実はこのころ、モーツァルトも別の人物からイギリスへの招待を受けていましたが、日程など様々な事情で断っていました。
一方で、すでに60歳近い年齢のうえに、英語も話せないハイドン。
それでも構わず海を渡ろうとしていることを、モーツァルトはひどく心配して、この夜、涙を流していたそうです。
モーツァルトの涙に見送られて、翌日、ハイドンは出発することになります。
そして、モーツァルトのほうは、それからちょうど1年ほどした1791年の12月5日、35歳の若さでこの世を去ることになります。
つまりは、結果的に、このときの夕食が、天才2人が顔をあわせた最後の機会になりました。
ハイドンはその死の知らせを海の向こう、イギリスで聞くことになります。
イギリスでの大成功
イギリスでのハイドンの評価は、本人が驚くほどのたいへんな高さでした。
到着まもない頃に招かれた舞踏会では、イギリスの皇太子が、列席している大勢の貴族たちにではなく、ハイドンにまず挨拶をしに来るという、名誉な一幕までありました。
このことで、一夜にして、貴族社会でのハイドンの名声が確立されたと言われています。
そして、肝心の一連の演奏会も、熱狂的な成功をおさめます。
ハイドンがこのときロンドンで作曲したのが、交響曲第93番~第98番の6曲。
これは“第1期ザロモン・セット”とか“第1期ロンドン・セット”と呼ばれています。
このころのハイドンの交響曲は傑作ぞろいなので、どれも聴くべき名曲ばかりですが、今回はエピソードを持っている2曲、交響曲第94番と第96番の2曲をご紹介します。
交響曲第94番ト長調『びっくり』
この曲の『びっくり』あるいは『驚愕』というニックネームは、その第2楽章から来ています。
イギリスでの大歓迎に気持ちを良くしていたハイドンですが、唯一我慢ができなかったと言われているのが、イギリスの聴衆のマナーでした。
ゆっくりな楽章が始まると、途端に居眠りをしようとする聴衆。
そこで、才気あふれるハイドンは、それをユーモアでお返しします。
この曲の第2楽章は、いつものハイドンの作品らしくアンダンテのゆるやかな音楽になっていて、p(弱く)の音量でいかにもハイドンらしい主題で始まります。
すぐにその主題がもう一度繰り返されると、今度はpp(さらに弱く)の音量に落とされます。
と、そこへ突然、オーケストラ全体で「ジャン!!!」とff(とても強く)の音が一発!
居眠りしようとしていた聴衆は驚いて飛び上がる、という仕掛けです。
1792年の初演の光景が見てみたかったです。
これはイギリスの聴衆にとっても受けたようで、初演後すぐに“ The Surprise ”というニックネームが付けられています。
交響曲第96番ニ長調『奇蹟』のエピソード
交響曲第96番につけられた『奇蹟』というニックネームも、おもしろいエピソードが伝わっています。
上でご紹介したとおり、ハイドンの名声は本人の想像を絶するほどでした。
ロンドン滞在の2年目のある演奏会のとき、指揮をするためオーケストラの前にハイドンが現れると、ハイドンをもっと近くで見ようと、一斉に聴衆がハイドンのほうへ押し寄せました。
そうして、たまたま平土間の中央の席ががら空きに。
と、そこへ、巨大なシャンデリアが落下!
ハイドンを見ようと聴衆がオーケストラのほうへ押し寄せていたおかげで、数人が軽いけがをしただけで大事に至らずに済んだという一件がありました。
このとき、その場に居合わせた人たちが「これは奇蹟だ!」「奇蹟!!」と口々に叫んだため、それがこの曲のニックネームの由来となったという話が伝わっています。
ところが…、近年の研究ではその真偽が疑われているそうです。
この事件が起きたのは別の交響曲の演奏のときだったという話もあれば、そもそも後日ハイドンがこの話について尋ねられたときに「そんな話は知らない」と言ったとか、色々なものが出てきていて、真相は闇の中です。
とても面白いエピソードなので、本当であってほしい気がしますが。
ベートーヴェンのエピソード
1791年にイギリスへ渡ったハイドンは、成功に次ぐ成功で、前回ご紹介してしまいましたがオックスフォード大学からは名誉博士号まで授与され、翌1792年の6月ごろまでイギリスに滞在したようです。
そのイギリスへ渡った際、もしくはイギリスから帰ってきた際に、ドイツを経由するのですが、そのとき通った街が「ボン」という街です。
そう、ドイツの「ボン」といえば、あのベートーヴェンが生まれた街です。
実はハイドンはこのとき、当時まだ21か22歳の青年ベートーヴェンと出会っています。
その際、ハイドンはベートーヴェンの才能を認め、ウィーンに来て自分のもとで勉強するように励ましています。
そして、実際、ベートーヴェンは1972年の11月には故郷ボンを去り、音楽の都ウィーンへ向かうことになります。
それにしても、モーツァルトが涙で見送ったハイドンが、その旅の途中でベートーヴェンを発見するというのは、何という巡り合わせなんでしょうか。
ハイドンのイギリス訪問は、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンという音楽史の3人の巨人がつながる、記念碑的な旅となりました。
音楽史におけるハイドンの存在の大きさを、あらためて感じさせられるエピソードです。
🔰初めての『びっくり』
『びっくり』は、もちろん第2楽章が聴きどころ。
例の「ジャン!!!」は、第2楽章始まってすぐです。
でも、実は、この曲のほんとうの聴きどころは、曲全体の完成度の高さだと言ってもいいでしょう。
第2楽章でおどろいた後は、爽快な第4楽章、もしくは充実の第1楽章など、ほかの楽章へ進んでみましょう。
🔰初めての『奇蹟』
『奇蹟』でまずお薦めしたい楽章は、何といっても充実を極めた第1楽章。
この楽章の見事なコーダを聴いていると、ベートーヴェンの交響曲第2番の第1楽章のコーダをいつも思い出してしまいます。
奇しくもどちらもニ長調。
ただ、ここまで綿密に書かれていると、もしかしたらとっつきづらいかもしれません。
その場合は、やはり颯爽としたフィナーレ第4楽章から聴いてみてください。
私のお気に入り~交響曲第94番『びっくり』
この曲のむずかしいところは、もうすでにネタがバレてしまっているというところ。
第2楽章の「ジャン!!!」を誰もが予想してしまっているわけです。
《ハンス・クナッパーツブッシュ指揮ベルリン・フィルハーモニー》
そんななかで、本当におどかしにかかっているのが、ドイツの大巨匠ハンス・クナッパーツブッシュ。
これはライヴ録音なんですが、あの「ジャン!!!」のあとに、客席からざわめきが起こります。
私も聴くたびにビクッとしてしまいます。
クナッパーツブッシュならではの芸当。
リハーサルが大嫌いで、「クソ練習」と呼んで、ぶっつけ本番を好んだ指揮者。
彼の芸術家としての巨人ぶりが伝わってきます。
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《アンドレ・プレヴィン指揮ピッツバーグ交響楽団》
プレヴィン(1929-2019)はさまざまなジャンルで活躍した音楽家。
クラシック・ファンには指揮者・ピアニストとしておなじみ、ジャズ・ファンにとってはジャズ・ピアニストとして有名、映画好きの人には『マイフェアレディ』などの映画音楽の担当で有名という凄い人。
この録音はプレヴィンが比較的若かったころのもの。
後年、彼は名門ウィーン・フィルとも一連のハイドンを録音していますが、このアメリカのピッツバーグ交響楽団との古い録音は、より新鮮な表情を持っています。
すべての音、すべてのフレーズに、今生まれたばかりの音楽というような瑞々しさがあります。
いわゆるひと昔前の演奏スタイルですが、新緑のひびきを感じる録音。
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《フランス・ブリュッヘン指揮18世紀オーケストラ》
古楽器のスペシャリストたちによる演奏。
ブリュッヘンはもともとは古楽のリコーダー奏者でしたが、やがて指揮もするようになり、古楽器によるオーケストラである「18世紀オーケストラ」を結成しました。
ブリュッヘンの演奏を聴いていて感心するのは、始まった途端、あ、これが正しいテンポ、これがまさに作曲者の望んでいた響きだなと感じさせられてしまうところです。
もちろん、そんなことは聴いている側の主観によるわけですが、そう思わせてしまう説得力と自信が演奏にみなぎっているということ。
このハイドンも見事。
このアルバムには第96番『奇蹟』も収録されていて、そちらも脱帽の名演奏。
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《トマス・ビーチャム指揮ロイヤル・フィル》
“ イギリス最後の偉大な変人 ”とたたえられたビーチャムはハイドンをとても得意にしていました。
この交響曲もさすがの出来栄え。
そのユーモアの精神、ウィットに富んだ表情、おおらかな音楽性は、まさにハイドンと相性抜群。
彼のほほ笑みに満ちた指揮姿が目に浮かぶよう。
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私のお気に入り~交響曲第96番『奇蹟』
《トン・コープマン指揮ガリシア交響楽団》
スペインのガリシア交響楽団がYouTubeで公式に配信しているものです。
トン・コープマンは古楽をリードする指揮者であり、オルガニスト、チェンバリストとしても著名。
彼の全身を使った指揮、人懐っこい笑顔、そして、それらとは相反するような眼光の鋭さ。
実にたくさんの魅力を持つ音楽家です。
ここでも、とても生命力のあるハイドンを実現しています。
《クリストファー・ホグウッド指揮エンシェント室内管弦楽団》
作曲された当時の楽器を使う“ 古楽 ”の分野をリードしたのが、ブリュッヘン、アーノンクール、コープマン、ホグウッドといった音楽家たち。
ホグウッドは、そのなかで一番アカデミックな印象の演奏をする人です。
ただ、そこに堅苦しさはなくて、生徒に好かれるタイプの大学教授というか。
ハイドンの、ユーモラスな面よりもまじめなところが出ている音楽には、うってつけの音楽家。
生演奏を聴きに行こうとしていた矢先に、急逝されてしまいました。
一度でいいから生演奏を体験したかった音楽家です。
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《クラウディオ・アッバード指揮ヨーロッパ室内管弦楽団》
アッバードはイタリアの名指揮者。
ヨーロッパ室内管弦楽団は、そのアッバードが結成した、若手音楽家が中心のオーケストラ。
このコンビは進取の精神に富んでいて、ここでも、それまで一般だった重量級のハイドン像に対して、実に颯爽とした、軽やかで爽快なハイドンを実現しています。
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《ニコラウス・アーノンクール指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団》
古楽の巨匠アーノンクールが、モダン楽器の名門オーケストラ、オランダのコンセルトヘボウ管弦楽団を指揮した録音。
一見異色のコラボレーションでしたが、両者は意気投合して実に多くの演奏会や録音を行いました。
繊細なフレージング、そして、強烈な音のタッチ。
「その音楽が生まれた時点での衝撃、新鮮さをよみがえらせなければいけない」と言っていた、改革者アーノンクールの面目躍如たる演奏です。
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