「ハム!?あんなおそろしいものをどこで知ったんだ…言いなさい、ブリュンヒルデ!」
後にも先にも、映画館でこんなに驚いたセリフはありません。
というわけで、今回は宮崎駿さんのアニメ映画『崖の上のポニョ』をクラシック音楽好きの視点からひも解いてみます。
といっても、どこかで宮崎駿さんもおっしゃっていた通り、テーマが簡単に1つ抜き出せるような作品は「映画」ではありません。
当然、私がこれから書く内容も、いまの私に読み取れる、この偉大な作品のほんのひとつの側面にすぎません。
それに、そもそも宮崎駿さんが実際にそう思って創作なさったのかすら、確かではありません。
でも、おそらく、そう間違ってもいないと思います。
『ポニョ』鑑賞の一助になることがあったらうれしいです。
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ポニョがやってくると、なぜ世界は水浸しになるのか
ポニョがやってくると、なぜ世界は水浸しになるのか?
ー おそらく、この映画のテーマのひとつが“ 愛 ”による救済だから
映画の中では、父のフジモトが貯蔵していた“ 命の水 ”を、ポニョが偶然に浴びてしまい、魔法の力が増大。
制御不能となった魔法の力のせいで、月と地球が急接近。
やがて大洪水が引き起こされてしまう、ということになります。
ただ、そうした目に見える展開の水面下に、もうひとつ別の物語があるように感じられます。
そこには、あるオペラの世界観があって、そして、そのオペラのクライマックスで「大洪水」が描かれるから、この映画でも大洪水の場面が現れたのではないかと私は思っています。
その最大の根拠が、さきほどの「ブリュンヒルデ」というポニョの本名です。
私が映画館で、この「ブリュンヒルデ」という名前を聞いてびっくりしたのは、それが、ドイツの作曲家ワーグナー(Richard Wagner, 1813-1883)の楽劇《ニーベルングの指輪》というオペラの登場人物とまったく同じ名前だったからです。
ブリュンヒルデとは
では、ブリュンヒルデとは誰なのか。
彼女が登場する『ニーベルングの指輪』というオペラは、以下の4つの作品で1つの物語が構成される連作のオペラです。
序夜 『ラインの黄金』
第1日 『ヴァルキューレ』
第2日 『ジークフリート』
第3日 『神々の黄昏』
これら4つが、まとめて『ニーベルングの指輪』と名づけられています。
つまり、劇場に4晩通わないと、物語の全体像はつかめないという、クラシック音楽の長い歴史の中でも、空前絶後の壮大さを誇るオペラです。
この長大な物語の2作目『ヴァルキューレ』から登場して、物語の主要人物となるのがブリュンヒルデです。
ブリュンヒルデは、神々の頂点に立つ主神ヴォータンが、知恵の女神エルダとのあいだに作った女の子。
この設定はまた、ポニョが魔法使いフジモト(ポニョのお父さん)と海の女神グランマンマーレ(ポニョのお母さん)のあいだの子どもという点で、どこか影響をうかがわせます。
オペラのなかで、父である主神ヴォータンは、ブリュンヒルデ以外にも女の子をもうけていて、その子どもたちは皆、戦場で勇敢に戦って死んでいった者たちの魂をみちびくよう育てられ、“ ヴァルキューレ ”と呼ばれます。
ブリュンヒルデは、このヴァルキューレのなかの一番年上のお姉さんという位置づけになります。
『ポニョ』のなかでも、ポニョ以外にたくさんのポニョっぽい子たちが群れをなしていますが、あれが、つまりは“ ヴァルキューレ ”であるように思われます。
このヴァルキューレを描いたものに、「ヴァルキューレの騎行」という有名な音楽があります。
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そして、「ポニョ」のなかでは、このワーグナーの作品と似た旋律をもつ、その名も「ポニョの飛行」という音楽が登場します。
この点も、このアニメーションとワーグナーのあいだの強いつながりを示しているように思われます。
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ニーベルングの指輪のこと
このオペラにおける「洪水」の意味を知るために、題名になっている「ニーベルングの指輪」とは何なのかをご紹介します。
ドイツを流れるライン河の川底には「ラインの黄金」が眠っています。
これは、特別な力をもった黄金なので、「ラインの乙女たち」がそれを守っています。
あるとき、地底に住む醜い小人であるニーベルング族のアルベリヒが、ラインの乙女たちからこの「ラインの黄金」の秘密を聞いてしまいます。
その秘密というのは、このラインの黄金をつかって指輪をつくると、それを手にした者が、この世のすべての権力を手に入れられるという内容でした。
ただし、デメリットがひとつあって、指輪を手にしたものは、その引き換えに「“愛 ”をあきらめなければならない」ということでした。
ニーベルング族のアルベリヒは、地底に住む醜い小人ですから、もともと愛に縁などありません。
彼は「俺は愛を呪ってやる!」と言い放ち、ラインの乙女たちから黄金を奪い、禁断の指輪をつくってしまいます。
ニーベルング族のアルベリヒが作ったこの指輪が、題名にもなっている「ニーベルングの指輪」です。
そして、この指輪がきっかけとなって、世界の崩壊が始まります。
オペラでは、ラインの黄金がライン川の川底で守られていたわけですが、ポニョでは、父フジモトにより、人間の時代をおわりにするための“ 命の水 ”が、やはり「海の底」にある家の井戸で貯蔵されています。
その命の水がポニョによって世に解き放たれたことで、世界の混乱が始まってしまうという構図は、やはりオペラとの関連性を感じさせます。
ブリュンヒルデの自己犠牲
ブリュンヒルデに話題を移すと、ブリュンヒルデは、やがてジークフリートという英雄と恋に落ちます。
ポニョにとっての宗介といってもいいのかもしれませんが、オペラでは、この恋は悲劇的な展開をむかえます。
ブリュンヒルデは、さまざまな陰謀にまきこまれ、最後には、この愛するジークフリートに裏切られる格好になってしまいます。
怒りに駆られたブリュンヒルデは、愛していたジークフリートを憎み、自分がだまされているということに気づかないまま、結果的に、彼が殺される手助けをしてしまいます。
やがて、真相を知り、自分の過失によって愛するジークフリートを失ったことを悟ったブリュンヒルデは、すべての悲劇の元凶である「ニーベルングの指輪」を手に、ジークフリートが火葬されている炎のなかに飛び込みます。
炎はいっそう燃え上がり、ライン川はついに「大洪水」を起こし、氾濫します。
これにより、ラインの乙女たちは、ラインの黄金からつくられた指輪を無事とりもどすことになります。
燃え盛る炎は、やがて天上界をも焼き尽くし、最後は「愛の救済の動機」と呼ばれる音楽があらわれ、この長大なオペラの全曲が締めくくられます。
この終わりの部分は「ブリュンヒルデの自己犠牲」と呼ばれる場面で、大きなクライマックスを形づくる音楽になります。
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「ニーベルングの指輪」のテーマ
では、この壮大なオペラは、4日間をかけていったいどんな結末にたどり着いたのか。
これは、音楽家や音楽学者たちのあいだで、今も解釈がわかれています。
というのも、ワーグナーは最後の「神々の黄昏」では歌詞を大幅に減らして、音楽だけで描く場面を増やしているせいです。
言葉ではなく音楽に語らせることで、多層的な解釈の余地をのこしているのかもしれません。
私は、“力”が支配する世界が崩壊して、“愛”が支配する世界へと生まれ変わる過程を描いている、という説に、より説得力を感じています。
西欧において、“ 愛 ”とは、すなわちキリスト教の根幹の思想ですから、ここにはキリスト教の世界観もつよく反映されていると思われます。
「大洪水」の場面は、“ 力 ”が支配する世界が浄化され、あたらしく、“ 愛 ”が支配する世界へと再生されていくことを示唆しているのでしょう。
こうした洪水の描かれ方は、旧約聖書の有名な「ノアの箱舟」の大洪水のように、キリスト教のひとつの重要なモチーフです。
「ポニョ」においても、大洪水は、それらに通じるモチーフとして登場しているように思います。
“ 愛 ”を呪うことから生まれた、“ 力 ”の象徴である「ニーベルングの指輪」。
その指輪を手にするものは、いっときは最高の権力を手にするわけですが、皆、例外なく最後には悲劇的な破滅をむかえていきます。
しかし、最後の最後に、“ 愛 ”を重んじるブリュンヒルデによって、指輪がライン川へ戻され、大洪水が起きて、世界は再生されます。
これらをふまえて、「ポニョ」の展開を俯瞰してみると、
フジモトが人間世界に対して抱く“ 力 ”による対立が、大洪水を経て、やがて、ポニョと宗介の“ 愛 ”に帰結していく、
というプロットを読み取ることもできるのではないでしょうか。
「自己犠牲」というテーマ
このブリュンヒルデにせよ、「ポニョ」に最も関連が深いとされるアンデルセンの「人魚姫」にせよ、共通するのは、愛するひとのために「自己を犠牲にする」という精神でしょう。
これはまた、やはりキリスト教の反映でもあって、愛のために“ あなた自身を与えよ ”という思想につながり、人魚姫もブリュンヒルデも、自己犠牲を通して、神様=愛の救済へと至る物語という一面をもっているように思われます。
そして、おそらく、この点について、宮崎駿さんはかなり工夫をなさったのではないのでしょうか。
「自己犠牲」という思想をストレートに伝えたところで、キリスト教の文化圏にない日本のこどもたちには、うまく受け入れられる展開ではありません。
けれども、いっぽうで、この自己犠牲の精神は、強く“愛”を体現しているものであって、これを抜きにストーリーを語ることもまた、間違っているように思われます。
なぜ赤ちゃんに飲み物をあげたのか
そこで、ポニョはどうするか。
洪水によって水浸しになった翌日、船で旅に出るポニョと宗介が赤ん坊と出会う場面で、その問題は解決されているように思います。
ポニョは、偶然に出会った、機嫌の悪そうな赤ちゃんに、自分の飲み物とサンドイッチをあげます。
さらに、そうして“物”をあたえるだけではなく、このむすっとした赤ちゃんが笑顔になるように、全力で愛情を示します。
これが、まさに「あなた自身を与えよ」ということの投影、あるいは翻訳でしょう。
ポニョは、こうすることによって、“ 愛 ”を体現できる存在になったわけです。
この作品のルーツである『人魚姫』、そして、楽劇『ニーベルングの指輪』のブリュンヒルデの両者に共通していることは、どちらも愛のために“ 自己犠牲 ”を払うところ。
ポニョもまた、愛の救済へと至るためには、汝自身を与えなければなりません。
だから、あのとき、ポニョは無表情の赤ん坊を目の前にして、それを放っておかずに、自分自身を与えるような行動に出たわけです。
あの行動によって自己犠牲を払ったポニョは、魂の救済を受ける存在、“愛”に至る存在となったわけです。
宮崎駿さんご自身は、このアニメーションのテーマは「生まれてきたことへの祝福」だとおっしゃっています。
まさに、この場面こそ、ポニョが赤ちゃんを「祝福」している、象徴的な場面だと思います。
まとめ:作品のテーマのひとつは「魂の救済」
こうして見てみると、ブリュンヒルデというポニョの名前から、「魂の救済」というテーマがひとつの軸として浮かび上がってくるように思います。
というわけで、
ポニョがやってくると、なぜ世界は水浸しになるのか?
ー おそらく、この映画のテーマのひとつが“ 愛 ”による救済だから
初めてこの映画を映画館で観たとき、文学ならまだしも、アニメーションで、「魂の救済」という人間の根源的テーマに踏み込んだことに、すっかり驚き、圧倒され、心揺さぶられる思いがしました。
冒頭にお断りしたとおり、宮崎駿監督がここに書いたような意図をもって実際に作品をつくられたのかはわかりません。
あくまで、クラシック音楽が大好きな人間には、この作品がこのように見えました、ということです。
見当はずれでしたらごめんなさい。
でも、「ポニョ」を単なる娯楽作品として退屈に感じている方がいらっしゃったら、いずれにせよ傑作にちがいないこの作品を、ちょっとでも見返してみる、ひとつのきっかけとなったら嬉しいです。
この記事で使用した「崖の上のポニョ」の画像は、どれも公式サイトから、許可されている範囲のものを使用させていただきました。ありがとうございます。
♪2023年4月、これまでで最高の月間86,000pvをこえるアクセスをいただきました。
読んでいただいて、ありがとうございます!
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判断基準はあくまで主観。これまでに実際に聴いた体験などを参考に選んでいます。
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オンライン配信のクラシック音楽の聴き方については、AppleMusic と Amazon Musicをくらべてみたり、特集「クラシック音楽をオンライン(サブスク定額制)で楽しむ~音楽好きが実際に使ってみました~」にまとめています。
【おまけ:お薦め音源】
大指揮者ブルーノ・ワルターと大歌手キルステン・フラグスタートが共演した、ワーグナーの「神々の黄昏」の“ ブリュンヒルデの自己犠牲 ”の貴重なライヴ録音が、ニューヨーク・フィルハーモニックによって公式にオンライン配信されています。
クラシック音楽が大好きな方へ、お薦めの音源です。
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