ジャンル〈バレエ音楽〉

“ いま ”、ロシアの指揮者でロシア音楽を聴く~プレトニョフ指揮 東京フィル演奏会

 

結論から言ってしまえば、これはとても美しいコンサートでした。

ここでは、2022年6月8日(水)、サントリーホールで聴いたミハイル・プレトニョフ指揮する東京フィルのコンサートのことをつづっていきます。

プレトニョフの巡り合わせ

今回、東京フィルのコンサートの舞台にたったのは、現代を代表するピアニストであり、指揮者でもあるミハイル・プレトニョフ。

彼もまた、ロシアを代表する音楽家のひとりとして、時代と政治に翻弄されている当事者のひとりでしょう。

 

彼は一個人として活躍しているだけでなく、ロシア・ナショナル管弦楽団という民営オーケストラ(ロシアでは国営ではない初めてのオーケストラだったはずです)を創設・主催している人間として、非常に難しいかじ取りを迫られているはずです。

ヨーロッパでは、このコンビの演奏会がキャンセルされたというニュースも目にしました。

 

そうしたプレトニョフが前回、東京フィルの指揮台にあがったのがウクライナ侵攻がはじまって間もない3月のことで、しかも、どうした因縁か、そのときの曲目がスメタナの連作交響詩《わが祖国》でした。

コンサートのプログラムというのはかなり前から決まっているものなので、たまたまそういう具合になったわけですが、その巡り合わせがずいぶんと話題になりました。

その演奏については、「戦争反対を表明しているようだった」という人もいれば、いっぽうでは、「素っ気ないくらいの演奏だった」という人もいて、私は都合がつかず会場で聴けなかったので、実際のところがどうだったのかはわかりません。

 

それから3か月、はやくも再登場したプレトニョフの今度の演目は、ロシアの作曲家シチェドリンがアレンジしたビゼーの『カルメン』、そして、プレトニョフ自身の編纂によるチャイコフスキーのバレエ音楽『白鳥の湖』抜粋というロシア・プログラム。

『わが祖国』だけでも大変な巡り合わせですが、今度は『白鳥の湖』なのかと、曲目の巡り合わせに不思議な思いがしました。

 

バレエ『白鳥の湖』はチャイコフスキーの人気バレエ音楽ですが、ロシアでは政変のときや国の重大事に、テレビで『白鳥の湖』が流される慣習があるそうで、今年の3月にロシアの独立系メディアが当局の圧力で閉鎖に追い込まれたとき、やはり『白鳥の湖』が放送されて話題になりました。

ロシアの人にとって、『白鳥の湖』というのは、そうした国難を象徴する音楽でもあるということ。

 

私は、ロシアの音楽家プレトニョフが、“ いま ”、いったいどのような『白鳥の湖』を聴かせるのか、それが最大の関心事で、このコンサートに出かけてきました。

 

 

シチェドリン:カルメン組曲

演奏会前半はシチェドリン:『カルメン組曲(ビゼー)』。

これは1967年、つまり20世紀にうまれたバレエ音楽で、ビゼーの有名なオペラ『カルメン』をバレエ用にアレンジしたもの。

オーケストラから管楽器がすべて排除されて、弦楽器と多彩な打楽器群で演奏されます。

 

このバレエ音楽は、弦のとてもしずかな序奏を背景に鐘が「ハバネラ」の旋律の断片を奏することで始まりますが、プレトニョフは本当に物語がはじまったかのような、見事な立体感をオーケストラから紡いでいました。

有名な旋律が次から次へと繰り出される音楽なので、それだけでじゅうぶん楽しいところに、プレトニョフはユーモラスなニュアンス、そして、まるでそこにダンサーたちがいるかのような躍動感を大切にした、見事な演奏を展開しました。

 

それでも、この人はやっぱり独特の音楽観をもっているのだなと感じるのは、そこまでしていても、どこか、音楽からちょっと引いて、俯瞰しているような姿勢があるところです。

音楽のなかに、完全には入り込まない。

 

だから、そこに見事なドラマが物語られてはいくのだけれど、ドラマティックにはなりきらないところがあって、そうした点で、特に第6曲の「情景」あたりで、音楽が停滞しているように聴こえるときがありました。

私は、プレトニョフがもっとロシア的な刺激を強く出して、もっと劇的な音楽として表現すると予想していたので、ドライではないけれど、どこかひょうひょうとした表情の指揮ぶりに、少し意外性を感じながら聴いていました。

 

それでも、これは十分に楽しい演奏で、これが聴けただけでもコンサートに来た甲斐があったと感じるくらいでしたし、久しぶりにこのシチェドリン版のカルメンを聴いて、もっともっと演奏されてほしい、面白い音楽だと思いました。

 

 

白鳥の湖

そして、いよいよ後半がチャイコフスキーのバレエ音楽『白鳥の湖』抜粋です。

しかも、指揮者プレトニョフが、自分で編纂した「プレトニョフ版」による演奏。

 

前半のシチェドリンが、カルメンの悲劇的性格からは一歩も二歩も引いたような距離感で演奏されていたのに対して、果たして、『白鳥の湖』のほうも同じようなアプローチで展開されるのか、そこが私にとっての聴きどころでした。

 

「序奏」が始まると、すぐにその音楽の表情の違いを感じました。

それは曲の違い、オーケストラ編成の違いとは別の類いのもので、表現の“ 真実味 ”といったらいいのでしょうか。

 

やはりプレトニョフは音楽に“ のめり込み ”はしていないけれども、それでも、前半と比べたら、かなり音楽の“ なか ”に入っていました。

ときには、チャイコフスキーの音楽にかなり身を任せて、その音楽に包まれることを自身に許容しているようでした。

そして、そこから生まれてくるチャイコフスキーの音楽は、とてもロマンティックな表情をもっているだけでなく、前半には感じられなかった“ 悲しさ ”まで、ほのかに香っていました。

 

ロシアの大チェリスト、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(1927-2007)があるインタビューで「私はチャイコフスキーを演奏していると、彼が“ 世界は美しい ”と言いながら、悲しい眼差しで世界を見渡している姿が目に浮かぶ」と話していましたが、まさにその通りの世界が目の前にひろがっていきました。

美しくも悲しい、そして、悲しくも美しい世界。

ロシアという国は、こういう音楽を生み出してきた国なんだと、聴いていて、目頭が熱くなる瞬間がありました。

 

これほどの美しい音楽が、現在、ロシアから生まれた音楽という理由だけで避けられ、演奏されなくなっている国や地域がたくさんあるわけです。

それの良し悪しというのではなく、歴史をみるかぎり、戦争というのは常にそういうものであって、ただただ、悲しみに帰結していくだけです。

 

プレトニョフはプレトニョフの王道を行ったのか

このプレトニョフによる演奏を「感動的な名演奏」とはっきりと書けたらわかりやすいのですが、やはりそこはプレトニョフの世界。

ロマンティックになりすぎること、感動的になりすぎることを嫌っているようで、やはり、その一歩手前で踏みとどまります。

 

そうしたところは、彼の編纂にも色濃く表れていました。

その性格がいちばんはっきり出ていたのがフィナーレのところで、終曲の大詰め、あの弦楽器がみんな全身で弾かずにはいられない主題のところなどは丸々カットされていました。

 

仮に私が編纂する立場だったら、あそこをカットするなんて全く思いもつかないことで、聴いていてとても驚きましたが、プレトニョフにすれば、終曲をそのまま演奏してしまうのは、あまりにロマンティック過ぎてしまうのでしょう。

プレトニョフは、常にプレトニョフの王道を行くということでしょうか。

 

でも、あるいは、いま、この状況でロシア音楽をひたすらロマンティックに、高らかに歌い上げることなどできないという、一種のためらい、抑制のようなものでもあったりしたのでしょうか。

第二次大戦のあと、とりわけドイツにおいて、戦前と戦後で音楽家たちが演奏スタイルをおおきく変化させたことがありました。

みな、少し冷静に、演奏家によっては少し恥じらうように、ベートーヴェンを演奏するようになりました。

 

このウクライナ情勢のあと、ロシアの音楽家たちは以前と同じように、誇り高くロシア音楽を演奏できるのでしょうか。

あの名指揮者スヴェトラーノフ(1928-2002)が両腕を大きく広げて、会場をつつみこむように拍手にこたえていた姿にも見られた、あの広大な大地を思わせるようなロシアの音楽は、これから先、変化し、聴けなくなっていくのでしょうか。

 

今回の演奏の実際のところは、プレトニョフ本人の心のうちにしか答えのない領域ですが、この抒情的なプレトニョフ版『白鳥の湖』は、おしまいの和音も、力強くはあるものの、気持ち短めに奏されていて、最後のところまで彼の方向性が徹底されていた演奏でした。

 

 

景色がちがってみえる

感動的になる一歩手前で踏みとどまってはいたものの、それでも、これは疑いようもなく、ほんとうに美しい演奏でした。

チャイコフスキーの美しい音楽にここまで身を任せられる実演を聴いたのは、何かとっても久しぶりのように感じられて、その美しさにもうちょっとで泣かされてしまうところでした。

よく素敵な音楽を体験すると景色がちがってみえると言いますが、この日、終演後にサントリーホールを出たときには、この淀んだ世界がすこしだけ美しく見えるように感じられました。

 

私はこのブログで「お薦めのコンサート」のページを設けていて、ありがたいことに毎日とても多くのかたがアクセスしてくださるのですが、コンサートというものは映画とちがって、全く同じものが繰り返されるわけではないうえに、1つのプログラムが1~3日ほどで終わってしまいます。

ですので、お薦めできると考えるコンサートを、あくまで私の体験と主観による「予想」で選んでいるので、実際、お薦めしたコンサートが良かったか悪かったかというのは、いつも気になるところです。

 

お薦めしているコンサートをあれもこれも聴いて回るような財力も時間も私にはないので、今回のように、自分がお薦めしたものに出掛けていって、実際に「薦めてよかった」と確信がもてたときは、ほんとうにホッとします。

もちろん、このコンサートが面白くなかったという方だっていらっしゃるかもしれませんが、どうかその方は、そのご自身の感想を大切にしてください。

アリス=紗良・オットのリサイタルのところにも書いたとおり、私たちは同じ音楽を聴いていたって、実際には、それぞれに違うものを受け取っているものです。

 

そうした意味で言えば、プレトニョフの演奏を「一歩手前で踏みとどまっている」と私は書きましたが、もしかしたら、プレトニョフ本人からすれば、この演奏は「かなり踏み込んでいったほうだよ」と言うかもしれません。

 

 

プレトニョフ版

このプレトニョフ抜粋版は、いわゆる『白鳥の湖』組曲に入っている「ワルツ」や「4羽の白鳥」のような有名な音楽がごっそり抜け落ちているのですが、むしろ、組曲に入りきっていなかった素晴らしい音楽の数々を見事に編纂したものというべきでしょう。

全体が非常に魅力的な構成になっていて、今後、ほかの指揮者たちにも普及していくのではないかと思っています。

 

こうした抜粋版では、以前、やはりロシアの実力派指揮者トゥガン・ソヒエフがフランスのオーケストラとやったものを聴いて、あれは組曲を中心にほかの曲を追加していくスタイルでしたが、このプレトニョフのものは、このバレエ音楽の抒情的な場面を重んじたもので、ほんとうに素敵な抜粋版になっています。

ただ、やはり終曲についてだけは、私はノーカットのほうが良いと思っています。

 

音源のご紹介

前半のシチェドリン:カルメン組曲(ビゼー)は、手兵のロシア・ナショナル管弦楽団とすでにレコーディングしています。

( Apple Music↑ ・ Amazon Music ・ Spotify ・ Line Music などで聴けます)

 

チャイコフスキー:バレエ音楽『白鳥の湖』については全曲版のレコーディングがあります。

( Apple Music↑ ・ Amazon Music ・ Spotify などで聴けます)

 

 

今回のプレトニョフ版『白鳥の湖』抜粋は、まだレコーディングされていないのではないかと思います。

ステージにマイクが多数設置されていたので、おそらく、後日NHK-FMの「ブラボー♪オーケストラ」(日曜19:20~20:20)で放送されるのではないでしょうか(NHK-FMの聴き方については、以前まとめたページがありますので、下にリンクを貼っておきます)。

もしくは、CD化の予定があったりするのか。

いずれにせよ、何がしかの形で録音を耳にできるはずです。

もしCDになったら、これは買います。

 

 

おしまいに

ロシアを代表する音楽家によるロシア・プログラム。

いろいろなことを感じ、考えさせられた公演でしたが、終わってみれば、美しさがそこに残ったコンサートでした。

 

プレトニョフと東京フィルのコンサートは、今後も注目し、お薦めしていきます。

東京フィルは、個性的なプレトニョフの恣意的なテンポ操作に、誠実に対応して素晴らしい演奏を展開していました。

ですから、カーテンコールのときなど、もっと堂々と拍手にこたえてよいと思うのですが、うつむきがちに無表情で立っている団員が多く、なにかいたずらをして立たされている生徒のようで、もったいないと感じました。

もし客席に顔を向けるという行為に恥じらいを感じるのであれば、弦楽器群は無理に客席側に体を向けるのはやめて、演奏時とおなじく指揮者のほうへ体を向けたままでいるほうが、自然でいいのではないかと思います。

 

 

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