コンサートにいろいろと通っていると、この人はいつ何を聴いても信頼できるひとだなぁと思わせてくれる音楽家に稀に出会えます。
ユベール・スダーンはまさにその一人。
彼のコンサートに行って、終わりまで全部つまらなかったという体験はまだ一度もしたことがありません。
このブログの「コンサートに行こう!お薦め演奏会」のページでは、「どのコンサートに行くか迷ったら、まずはジョナサン・ノット指揮する東京交響楽団を聴きに行ってみてください」とよく書いています。
その現在の東京交響楽団の“ 礎 ”を築いた名指揮者こそ、ほかでもない、前の音楽監督であるユベール・スダーン氏です。
モーツァルトの前にハイドンがいたように、ノットの前にはスダーンがいた、ということでしょう。
プログラム
2004年から2014年の10年間、東京交響楽団の音楽監督として、このオーケストラを群を抜く存在に磨きぬいたスダーンは、現在、だいたい年に1回の割合で、この楽団の指揮台にあがっています。
2022年11月05日(土)14:00@東京オペラシティ
メンデルスゾーン:静かな海と楽しい航海 op.27
ブラームス:ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲 イ短調 op.102
(Vn, 郷古廉 ・ Vc, 岡本侑也)
【ソリスト・アンコール】
マルティヌー:二重奏曲 第2番より 第2楽章 アダージョ
(休憩)
シューマン:交響曲 第3番 変ホ長調op.97「ライン」
スダーンと東京交響楽団はシューマンの交響曲全集もリリースしていて、シューマンは特に定評のあるレパートリーとなっています。
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オーケストラ・ビルダー
冒頭のメンデルスゾーンの序曲を聴いているときに強く感じたのは、スダーンの「オーケストラ・ビルダー」としての手腕でした。
それは彼の動きにはっきりと表れていて、一音たりともおろそかにしない、念を押すような指揮が印象的です。
音楽を「流す」ということを決してさせず、徹底して、音に「没頭」させる指揮。
オーケストラを磨き上げるには、これくらい念に念を押しながら、一音一音に神経を行き届かせて弾くように働きかけなければいけないのだと教えられている思いがしました。
そうした指揮に応えていく東京交響楽団との呼吸をみていると、このオーケストラの高度なアンサンブルを築き上げた人物が、今まさにそこに立っているのだということが、感慨深く伝わってきます。
以前、印象派の展覧会でモネの絵画を間近でじっくりとながめたときに、その筆使いの痕跡、ちょっとした筆跡のひとつひとつの線までが美しいと気づいて見とれた経験があるのですが、スダーンの引き出す音楽もまさにそうした趣きがあって、ないがしろにされる線がまったくありません。
音の出だしの“ 発音 ”にも非常に気を遣っていて、それゆえに明瞭で、それぞれの楽器がしっかりと鳴り響く、多層的なアンサンブルが実現されていきました。
それゆえ、
すべてを的確に、あるべきところに置いていくというオーケストラ・ビルダーの指揮だからこそ、聴いている側も、すべての音をしっかりと受け止めずにいられなくなる凝縮力があるというか、それゆえに肩に力が入らざるをえないような一面もあります。
後半のシューマンはそうでもなかったのですが、メンデルスゾーンの序曲については、実演、録音問わず、これほど肩に力をいれて聴いたことはありませんでした。
普段はリラックスして接していた序曲が、スダーンの指揮で聴いていると、フレーズごとに、音楽の推移のたびに、あたらしく集中を求められているように感じました。
実際に聴いた時間の1.5倍くらいの時間が経過したように感じたといったらいいでしょうか。
それは、見方によっては、表現に「硬さ」があるとも言えるでしょう。
ただ、これはスダーンにかぎったことではなくて、オーケストラ・ビルダーとして突出した手腕を持つひとが共通に抱える「特徴」のひとつでもあるように思います。
シカゴ交響楽団を磨き上げたフリッツ・ライナー、クリーヴランド管弦楽団を名門に仕立てたジョージ・セル、そのほかにも、アンタル・ドラティやゲオルグ・ショルティなど、オーケストラ・ビルダーとして名高いハンガリー系の指揮者たちが良い例でしょう。
どの名指揮者たちも、作り出す音楽のどこかに、良くも悪くも「硬さ」がつきまとう一面を持っていたように思います。
スダーンにも同様の傾向があって、でも、それは即ち、彼が優れたオーケストラ・ビルダーの列にならぶ人物であることの反映とも受け取れます。
ただ、スダーンという指揮者は、基本的には“ レガート ”の指揮者であって、オーケストラというキャンバスに、音をやわらかく太い線で、丁寧に塗っていくような音楽をつくります。
それゆえに、ハンガリー系の指揮者たちのような鋭角的な硬さではなく、硬いといっても、音に体温を感じるというか、ぬくもりを失わない音が響いてきます。
そこは、スダーンの特徴のひとつといって間違いないと思います。
シューマン:交響曲第3番「ライン」
そして後半、メインに置かれたシューマンの交響曲が、やはりこの日のいちばんの聴きものになりました。
この交響曲はシューマンの4曲ある交響曲の実質的にはいちばん最後の作品であり、傑作中の傑作として名高い作品ですが、その名声とくらべて演奏頻度がそこまで高くないような印象があります。
同じシューマンでも他の3曲のほうが、実際の演奏頻度は若干高いのではないでしょうか。
おそらくそれは、この交響曲の楽章のバランスの難しさにあるのではないかと日頃感じていて、特に、壮麗な第1楽章にはじまって、長大な5楽章という形式を採用していながら、フィナーレの楽章がやや軽いことが、難しさのおおきな要因のひとつであるように思っています。
なかなか素晴らしい実演に接することが少ない名作ゆえに、スダーンと東響の演奏におおきな期待を抱いて耳を傾けました。
その第1楽章、スダーンがこの日、東京交響楽団と描き出した音楽は、適度な抑制が効いた、渋みのあるもので、壮麗というよりは「堅実」な音楽が展開されていきました。
スダーンらしい“ レガート ”を基調とした音楽も健在で、流麗な線でもって、知情意のバランスがとられた、とても絶妙なさじ加減による演奏となっていました。
ほんとうに“ 立派 ”な出来映えの第1楽章の演奏で、この楽章がおわったときに、思わずちょっと拍手をおくりたくなったほど。
実に充実した音楽の時間でした。
また、ホルン・セクションが特に大健闘で、これは第1楽章にかぎらず、この交響曲にいっそうの輝きをあたえ続けました。
幸福感があふれでる第2楽章
スダーンの「ライン」を体験していちばん印象的だったのが、つぎの第2楽章。
“ きわめて中庸に Sehr mäßig ”と指示されたこのスケルツォ楽章は、たいてい、緩徐楽章としてやや抑えて演奏される楽章です。
けれども、スダーンはむしろこの楽章を際立たせていて、それがとても面白い効果をあげていました。
第1楽章をすこし抑制させることでせき止めていた感情が、この第2楽章でついに溢れだしてきたような位置づけ。
たっぷりとしたレガートでもって、主題の旋律が心から歌われて、“ 溢れ出る幸福感 ”といってもいいような音楽の発露が聴かれました。
この日、スダーンは指揮台を使っていなかったのですが、旋律を思い切り歌わせようと、チェロのほうへ歩み寄ったり管楽器のほうへ近づいたり、この日、いちばん動いて指揮をしていたのが、この第2楽章でした。
スダーンがこの第2楽章にひとつの頂点を持ってきていたのは明らかで、おそらくスダーンは、マーラーの交響曲第5番のように、第1&2楽章、中間に第3楽章をはさんで、それから第4&5楽章という3つの構造で楽曲を捉えていたのではないでしょうか。
これは、この“ 5楽章 ”という形式を採用した多層的な交響曲への、とても興味深いアプローチでした。
充実の出来栄え
第3楽章から先も実に音楽的な内容の濃い演奏がつづきました。
やわらかでコクのある響きが紡がれた第3楽章では、おわったときにスダーンが楽団にむかって小さな投げキッスをしていたように見えました。
長い年月をかけて自らが育て上げた楽団との絆というのは、きっと何か特別なものがあるでしょう。
第4楽章も峻厳なひびきが実現されていて、そこからほとんど間を空けずに流れ込んだフィナーレ第5楽章では爽やかなクライマックスを形づくりました。
この2つの楽章をセットで捉える方向性がしっかり完結していて、このアンバランスな一面を持つ交響曲へのひとつの解答がみごとに示されたように思われました。
そのアンサンブルの充実と、こうした楽曲の構造への的確な構築性。
この交響曲を実演で聴いて、これほど納得され、満たされた演奏に出会ったことはありません。
スダーンと東京交響楽団という名コンビによって、そうは出会えないであろう、類まれなシューマンを堪能することができました。
スダーンを聴く2つの楽しみ
スダーンという指揮者は、私にとって、2つの魅力があります。
1つはオーケストラ・ビルダーとしての古典的スダーン。
それは、モーツァルトなどの古典派から、こうしたシューマンあたりまでのロマン派の作品で見られるもので、その適切な音楽の響きと形式感の確かさは、何度聴いても満たされるものがあります。
もう1つが、実演に接して初めて知った、意外なほどのデモーニッシュなスダーンです。
わたしにとっては、スダーンのもっとも魅力的な面は、このデモーニッシュな音楽づくりの方にあります。
そうした彼の意外な一面は、今回のシューマンのような作品では表にでることはありませんが、数年前に聴いたチャイコフスキー:「マンフレッド交響曲」、レーガー:「ベックリンの絵画による4つの音詩」などでは見事に前面に出ていました。
残念なことに、録音ではそうした面が記録されたものがひとつも見当たりません。
マンフレッド交響曲などがレコーディングされれば、この指揮者への評価はさらにいっそう高まるはずです。
レーガーの作品は、あの演奏会で初めて耳にした作品だったにもかかわらず、「自分はいま、この作品の世界でいちばん優れた演奏に接しているのだ」という確信が持てたほど、言葉を失う衝撃がありました。
スダーンは、その素晴らしさがまだまだ過小評価されているように思えてならない名指揮者のひとりです。
このブログでは「コンサートに行こう!お薦め演奏会」のページで様々なコンサートをご紹介していますが、ジョナサン・ノットと並んで、ユベール・スダーンのコンサートも多くなっています。
それくらい、信頼のおける指揮者のひとりであって、これほどの名指揮者が、日本を活動の主たる場所のひとつに選んでくれていることは、実に幸運なことです。
古典的なスダーンも素晴らしいのですが、私はいつかまた、彼のデモーニッシュな音楽作りに再会したくて、その日がたのしみでなりません。