2023年9月から、日本フィルハーモニー交響楽団は、新しい首席指揮者に、シンガポール出身のカーチュン・ウォンを迎えます。
そのカーチュン・ウォンが指揮する公演を聴いてきましたので、ここにレビューをつづっていきたいと思います。
結論をさきに書いておくと、カーチュン・ウォンの就任によって、日本フィルハーモニー交響楽団には新しい時代がやってくると感じます。
日本フィルは、非常に優れた力量をもつ指揮者を獲得したようです。
プログラム
今回聴いた公演は、以下のプログラムでした。
2023年1月21日(土)14:00@サントリーホール
伊福部昭:シンフォニア・タプカーラ
バルトーク:管弦楽のための協奏曲
前半に伊福部昭、後半にはバルトークを配置するという、“ 民俗 ”的な音楽に焦点をあてたプログラムになっていました。
それに、日本人指揮者でもごくごく限られた人しかレパートリーにしていない伊福部作品を組み込む当たり、カーチュン・ウォンの意気込みを感じます。
オーケストラの技術刷新
伊福部昭が始まってすぐに、オーケストラの響きがこれまでとまったく違っていることに驚きました。
各楽器の分離があざやかで、アンサンブルがきっちりと整理整頓され、オーケストラが立体的に響いてきます。
日本フィルは、昨年から今年にかけて何回か実演を聴きましたが、これまで聴いた音とは明らかに違う音がしていて、まるで別のオーケストラを聴いているように感じました。
オーケストラ側もそれをはっきりと自覚しているようで、日本フィルがこんなに伸び伸びと、自発性豊かに演奏している姿を見るのは久々のことでした。
楽団員が新しい指揮者カーチュン・ウォンに全幅の信頼を寄せているのが、ひしひしと感じられ、また、自分たちが新しいオーケストラに生まれ変わりつつあるという喜び、その高揚感が、はっきりと伝わってきました。
カーチュン・ウォンの手腕
カーチュン・ウォンはたいへん耳が良い指揮者のようで、日本フィルから驚くべき新鮮なアンサンブルを引きだしていました。
弦楽器のバランスの良さ、管楽器の調和、そして、打楽器の的確な鋭さ。
ふとした瞬間にオーケストラから精妙なハーモニーが聴こえてきたり、そのオーケストラ処理の鮮やかさには何度もうならされました。
また、とても明るい音楽性を持っているようで、表現意欲にもあふれ、様々なところに、彼の音楽的アイディアや主張が張り巡らされていました。
ルーティンと正反対の演奏というか、常に新鮮な響きが志向され、引き出されていました。
特に、伊福部昭:シンフォニア・タプカーラの第1楽章は出色の出来栄えで、テンポの適切さといい、リズムの良さといい、実に聴きごたえのある演奏になっていました。
ちょっと気がかりなこと
ただ、第2楽章以降、やはりアンサンブルはたいへん精妙だったものの、この曲の持つ“ 寂寥感 ”のようなものがまったく感じられないことが気になり始めました。
良くも悪くも、とにかく「明るい」という印象で、それはバルトークの「管弦楽のための協奏曲」でもそうでした。
これら2作品は、音楽のなかに暗くうごめくものがあったり、また、“ 土 ”の音がする音楽だと私は感じますが、カーチュン・ウォンの演奏は、とにかく陽性で、楽天的で、あっけらかんとしていました。
今は多様性の時代ですから、こういう伊福部やバルトークがあってもいいのでしょうが、私は伊福部の第2楽章以降、バルトークのフィナーレに至るまで、オーケストラの巧さにはずっと耳が行きましたが、あまりに明るく、あまりに健康的で、まるで蒸留水のように濁りのない音を聴きながら、「果たしてこういう音楽なんだろうか」という疑問は、ずっとぬぐえませんでした。
伊福部の第1楽章を聴いたときには、日本フィルの“ 新しい風 ”をはっきりと感じて心がわきたったのですが、私にとっては、この日はそこが頂点だったようです。
ガラガラのホールに吹いた、新しい風
会場に行って驚いたのが、土曜日の昼間の公演だというのに、サントリーホールの客席は6割ほどしか埋まっておらず、ガラガラだったということです。
カーチュン・ウォンの、ほかの公演ではどうなのでしょう。
確かに、どこか内的な情感に不足する演奏に感じられはしたものの、少なくとも、あれだけの高度で新鮮なアンサンブルが響いているのに、ホールがガラガラというのは、私たち聴衆のほうに問題があるように思います。
それでも、ガラガラのホールには、確かに新しい風が吹いていて、空席だらけの客席を背にしたカーチュン・ウォンのもと、日本フィルが献身的な演奏をしている光景は、とてもすがすがしく、印象的でした。
これでもっと心に響くものがあったら、すぐにでもお薦めしていきたいコンビなのですが、いかんせん、今回はまだ「保留」ということにしておきます。
機会を見て、またこのコンビの演奏会に足を運んで、ブログ読者のみなさんにレビューをお届けしたいと思っています。
ただ、日本フィルがまったく別の楽団に感じられるくらいの「新しい音」が、もうすでに鳴っています。
日本フィルに新しい風が吹いていることは疑いの余地がなく、そのことには、ほんとうに驚いたコンサートでした。
カーチュン・ウォン&日本フィルの録音
このコンビでは、マーラーの交響曲第5番の録音がすでにリリースされています。
( Apple Music↑ ・ Amazon Music ・ Spotify ・ Line Music などで聴けます)
オンライン配信の聴き方については、「クラシック音楽をオンライン(サブスク定額制)で楽しむ~音楽好きが実際に使ってみました~」という記事にまとめています。
非常にクリアーで整理されたアンサンブル、さまざまな工夫がみられる積極的な表現意欲など、会場で感じた多くのことが、この録音からも伝わってきます。
それに、やはり響きがかなり明るいです。
とっても「きれい」なマーラー。
ですから、やはり会場で感じたような情感の不足というのは、この録音からもやや感じられて、少なくとも、この演奏のなかに、マーラーの“ 苦悩 ”や“ 情念 ”のようなものを聴きとることはできません。
いっぽうで、マーラーくらい書法が複雑で入り組んだ作品になると、表現の積極性のほうが勝って聴こえてくるのも事実で、聴きごたえのある、面白いマーラーになっています。
そもそも、カーチュン・ウォンは、マーラーの精神的、哲学的な相克や葛藤などよりも、見事なオーケストレーションや新鮮な和声など、あくまで純音楽的な側面から音楽をとらえているのかもしれません。
だから、私のようにマーラーのなかにもっと色々なものを聴きたい人間からすると、やっぱりどこか物足りないという思いはあります。
そうなると、カーチュン・ウォンでは、いつか、R・シュトラウスとかストラヴィンスキー、あるいはドビュッシーやラヴェルなど、オーケストラの色彩的な作品を聴いてみたいという気がしてきます。