シリーズ〈交響曲100〉、その第39回はシューマンの交響曲第2番ハ長調をお届けします。
シューマンの全4曲の交響曲のなかで、近年にかけて評価がいちばん変化したのが、この「交響曲第2番ハ長調」だと思います。
バーンスタインのシューマン:交響曲第2番
私がクラシックを聴きはじめて間もないころ、あるテレビのドキュメンタリーで、ほんの短い時間でしたが、アメリカの巨匠レナード・バーンスタインの指揮姿が映りました。
今のようにスマートフォンで何でも見られる時代ではなかったので、写真では見たことがあったものの、“動いている”バーンスタインを見た初めての瞬間でした。
バーンスタインの破格の指揮ぶりはじつに印象的で、今でも鮮明に思い出されますが、それだけでなく、そのとき演奏されていた音楽もまた、雄大で心をとらえられるものでした。
ところが、その番組では、その曲の作曲家の名前も曲名も出なかったので、それがシューマンの交響曲第2番ハ長調 Op61であるというのがわかるまで、ずいぶん時間がかかりました。
あのとき私が垣間見た映像は、バーンスタインが病をおして最後の来日を果たして指揮をした、PMF音楽祭(パシフィックミュージックフェスティバル)での光景でした。
このときの感動的なリハーサルと本番の演奏は、「バーンスタイン 最後のメッセージ」というタイトルでDVDも出ていました。
バーンスタイン最後のメッセージ [DVD](Amazon)
EAN : 4532104080313
※ドキュメンタリーも演奏内容も、いずれも素晴らしいDVDなのですが、しばらく再販されていないので妙に高い中古価格がつけられたりしているのが難点です。もとは3千円ほどだったのでご注意ください。
私はまだまだ勉強不足なので、このブログを書くときには図書館でいろいろな解説書も読んだりするのですが、シューマンの交響曲をみると、第1番「春」、第3番「ライン」、第4番はどれも2ページずつ解説があるのに、第2番だけ1ページで解説がおわっているという書籍がとても多いです。
それが、ひと昔前の、この曲の立ち位置をはっきりと示していると思います。
つまり、シューマンの全4曲のなかでは、第2番がいちばん地味な存在だったということです。
ただ、その傾向が、時が流れていくにつれて変わってきたのは間違いありません。
今や、この「交響曲第2番ハ長調」の存在は、明らかに以前より大きくなっています。
実際、解説書の類いでも、近年になればなるほど、第2番の説明がほかの交響曲と同等のページ数を割かれるように変化しています。
私は、そこにはきっと、あの複雑で陰鬱な「マーラー」の音楽を広く受容する時代になったことが大きく働いていると感じています。
そして、マーラーの音楽を得意とした指揮者たち、レナード・バーンスタインやジュゼッペ・シノーポリの名演奏がつぎつぎと登場したことも大きかったと思います。
そうしたマーラーを得意とした指揮者たちの「人間の苦悩を深く見つめるような視座」があったからこそ、この曲が現在、これほどに広く受容されるように変わってきたのでしょう。
光と影の交響曲
「この交響曲を書いた1845年の12月、わたしは半分病人のようなものでした。多くのひとが、そのことをこの音楽のなかに聴きとるでしょう。」
これは、シューマンが書いた手紙の一節で、この交響曲第2番が苦難の時代に書かれたことを語っています。
メンデルスゾーン(1809-1847)が交響曲第3番「スコットランド」の決定稿を出版した1843年、シューマン(1810-1856)は、メンデルスゾーンが創設したライプツィヒ音楽院で教職につくことになります。
ところが、間もなく、幻聴や身体の震えなどの精神疾患の症状があらわれ、翌年の1844年には辞職。
その年の暮れ、環境を変えようとライプツィヒからドレスデンに移住して、妻クララとともに新しい土地で、新しい生活に入りました。
「ここ数日、トランペットとティンパニによる、ハ長調の嵐のようなファンファーレが頭のなかに鳴り続けています。ここから何が生まれようとしているのか、私にはまだわかりません。」
1845年の9月になって、シューマンは盟友のメンデルスゾーンにあてて、このような手紙を書き送っています。
この1845年の暮れには、シューマンは自身が発見したシューベルトの交響曲第8番ハ長調「ザ・グレイト」が演奏されるコンサートにも出かけていて、こうしたことから、「象徴的なファンファーレが随所にちりばめられた、ハ長調の交響曲」の構想が発展していったのかもしれません。
けれども、先に書いた通り、1845年はシューマンにとって苦難の年。
スケッチは相変わらず速いスピードで書きあげたようですが、オーケストレーションには時間がかかってしまったようで、翌年の1846年10月にようやく完成しています。
初演は、1846年11月、メンデルスゾーンが指揮するライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団によって初演されますが、あまり評判はよくなかったと伝わっています。
その後、改訂作業がすすめられて、さらに翌年の1847年に出版されました。
ベートーヴェンの歌曲「遥かなる恋人に寄せて」の引用
特に終楽章でわかりやすく姿を見せるのですが、このシューマンの交響曲第2番では、ベートーヴェンの連作歌曲集「遥かなる恋人に寄せて」の終曲“ 愛する人よ、あなたのために ”が引用されています。
( Apple Music↑ ・ Amazon Music ・ Spotify ・ Line Music などで聴けます)
ベートーヴェンが46歳になる1816年に書いた歌曲集で、音楽史に「連作歌曲集」というジャンルの誕生を告げた作品です。
シューマンはこの歌曲集の終曲をたいへん気に入っていたと言われていて、ピアノ曲の「幻想曲ハ長調」や弦楽四重奏曲第2番でも引用していることが知られています。
これは「愛するひと、僕がきみのために歌った歌を受けとってください」という歌詞の愛の歌。
シューマンが様々な音楽で引用せずにいられなかったのは、この歌に妻クララへの想いをかさねていたからでしょう。
病のなかで筆が進められた交響曲第2番は、妻クララの献身的な支えもあって、シューマン自身「フィナーレを書き終えるまえに、自分が回復しているとはっきり感じることができました」と手紙に書いているとおり、健康状態は回復、無事に全曲を書きあげることができました。
その意味で、この交響曲は、非常に私小説的な側面も持った、シューマン自身の「暗から明へ」のプロットを体現した音楽になっているようです。
特に、第3楽章の暗澹たる音楽には、彼の内面の苦悩が深く深く刻まれていて、心を打たれます。
ベートーヴェンの引用は、ちょっとわかりづらいかもしれませんが、この交響曲に親しむと、随所に散りばめられたこの歌の旋律やリズムに気づくことができると思います。
🔰初めてのシューマン第2番
まずは、この交響曲の終着点、「明」の世界である第4楽章を聴いてみてください。
そして、一転、「暗」の世界に触れるために第3楽章を聴いてみてください。
後世のマーラーの世界観につながる、人間の内面をみつめるような音楽が展開されます。
第2楽章は非常に活発な楽章で、弦楽器が細かなパッセージをピアノのように演奏していくユニークな楽章になっています。
バーンスタインは、例のPMFフェスティバルで演奏した際には、クライマックスのところでヴァイオリン奏者たちを立たせて演奏させていました。
こうしたところは、非常にバーンスタイン的なところで、他の指揮者ならまず思いもよらない発想です。
第1楽章はとても充実したソナタ形式で、それにふさわしい「序奏」がついています。
解説書などを読むと、たいてい「苦悩を感じさせる序奏」だと説明されるのですが、私はとても透明な音の世界、何かがこれから生まれようとして、やわらかな光が広がり始めている、透徹した世界をいつも感じてしまいます。
私のお気に入り
《ジュゼッペ・シノーポリ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団》
ジュゼッペ・シノーポリ(Giuseppe Sinopoli、1946-2001)の代表的録音。
私もこの演奏が大好きで、何度聴いても胸が熱くなる録音です。
シノーポリはイタリア出身の作曲家・指揮者で、精神分析や考古学の博士号も持っていた異才の指揮者。
彼についての思い出はシューマンの交響曲第1番「春」のところにも書きましたが、この交響曲第2番については興味深いエピソードを読んだことがあります。
それは、シノーポリが若いころ、ベルリン・フィルに客演で呼ばれて、シューマンの交響曲第2番を指揮した際のこと。
シノーポリはシューマンの精神状況からスコアを読み解き、それを楽団員たちに熱心に説明したようです。
ところが、そうしたアプローチにベルリン・フィル側が強い難色を示して、両者がひどく対立。
リハーサルが非常に難航したということです。
このエピソードは、シノーポリの強い個性を物語るだけではなくて、当時、古参の楽団員が多くいたベルリン・フィルが、そうしたマーラー的アプローチに対してどれだけ強い「違和感」を感じたのかをも物語っていると思います。
シノーポリはこの録音では名門ウィーン・フィルを指揮して、ドラマティックで、情熱に満ち溢れた名演奏を展開しています。
シノーポリにとっても、ウィーン・フィルにとっても、そして、この交響曲にとっても、記念碑的な名演奏となっています。
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《セルヂウ・チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団》
ルーマニアの巨匠セルジュ・チェリビダッケ(Sergiu Celibidache 、1912-1996)による、ゆったりとしたテンポの、雄大な演奏です。
音楽とは一回性のものであるという信念から、レコーディングを一切拒否していたチェリビダッケ。
それでも、幸い、少なくない録音が放送局などに残っていて、いまでは数多くの名演奏に触れることができます。
このシューマンの録音も、よくぞ残っていてくれたと思う、大切な記録。
シノーポリの疾走するような演奏とはまったく違う、深く、広がりのあるシューマンが展開されます。
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《レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルハーモニック》
ミュージカル「ウエストサイド・ストーリー」の作曲家でもある才人レナード・バーンスタイン(Leonard Bernstein、1918-1990)はこの曲を何度かレコーディングしていて、特に晩年のPMFでのライヴ映像、そして、それより前の名門ウィーン・フィルとの録音が有名です。
それらも必聴の名演奏ですが、ここでは、そのずっと前、ニューヨーク・フィルハーモニックと録音した若き日のレコーディングをご紹介したいと思います。
これもまた、溢れる思いに胸を打たれる演奏になっています。
( Apple Music↑ ・ Amazon Music ・ Spotify ・ Line Music などで聴けます)
《クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮クリーヴランド管弦楽団》
ハンガリー系ドイツ人の名指揮者クリストフ・フォン・ドホナーニは、日本に興味がないのか、ほとんど来日公演のない指揮者のひとりです。
1929年生まれなので、すでに90歳を超えていて来日の見込みはほとんどありませんが、実演にふれてみたかった指揮者です。
このシューマンは、彼の録音のなかでも特に魅力的なもの。
特に終楽章での幸福なアンサンブルは、このコンビの美点が最大限に発揮されている瞬間で忘れられません。
( Apple Music↑ ・ Amazon Music ・ Spotify ・ Line Music などで聴けます)
《ジョン・エリオット・ガーディナー指揮北ドイツ放送交響楽団》
こちらはYouTubeで、NDR北ドイツ放送によって公式に配信されている動画です。
この人も日本に興味がないのか、近年まったく来日公演のない、イギリスの名匠ジョン・エリオット・ガーディナー John Eliot Gardiner ですが、もう二度と日本へは来ないのでしょうか。
ここでは、若き日の才人ガーディナーによる、情熱あふれる指揮を観ることができます。
気難しいオーケストラとしても名高い北ドイツ放送交響楽団がその指揮に熱く応えている、すばらしい映像記録で、聴いていて胸の高鳴りをおさえられない演奏です。
♪このブログでは、オンラインで配信されている音源を中心にご紹介しています。
オンライン配信の音源の聴き方については、「クラシック音楽をオンライン(サブスク定額制)で楽しむ~音楽好きが実際に使ってみました~」のページでご紹介しています。