コンサートレビュー♫私の音楽日記

こんな凄いラフマニノフ、次はいつ聴けるだろうか~東京フィル定期演奏会

 

今年2023年は、ロシアの作曲家セルゲイ・ラフマニノフ(Sergei Rachmaninov, 1873-1943)の生誕150年、没後80年のアニヴァーサリーということで、ラフマニノフをあつかったコンサートがたくさんあります。

そのなかで、特に期待していた公演がこちらのコンサート。

ロシアの名ピアニストにして名指揮者でもあるミハイル・プレトニョフが指揮台にあがっての、東京フィルハーモニー交響楽団のコンサートです。

いっぽうで、あまりに選曲が渋いコンサートだったので不安もあったのですが、それは杞憂におわって、特にメインディッシュの「交響的舞曲」は、こんな凄いラフマニノフを次はいつ聴けるだろうと思ったくらいでした。

渋すぎるプログラム

 

2023年5月10日(水)19:00@サントリーホール

《オール・ラフマニノフ・プログラム》
幻想曲『岩(断崖)』Op7
交響詩『死の島(死者たちの島)』Op29
(休憩)
交響的舞曲Op45

 

人気曲であるピアノ協奏曲第2番や第3番、パガニーニ狂詩曲などは、いっさいなし。

驚くくらい、渋すぎる選曲です。

そのせいか、会場は7割くらいしか埋まっていないようでした。

 

今回プレトニョフが指揮したプログラムは、かなり真正面からラフマニノフの作曲家像にせまろうとしているプログラミング。

作品番号を見てもわかる通り、Op7(1893年、20歳の作品)、Op29(1909年、36歳の作品)、Op45(1940年、67歳の作品)と、若いころの作品、中期の作品、そして、最後の作品である「交響的舞曲」を時系列順にならべた構成になっていました。

 

幻想曲「岩(断崖)」

 

今回、東京フィルのパンフレットには、ロシア音楽研究の一柳富美子(ひとつやなぎ・ふみこ)さんの解説が載っていて、これがとても勉強になるもので、開演を待つあいだ、とても楽しく読みました。

これは、楽団のホームページでは、プレトニョフのインタビューなどとあわせて、そのPDF版が公開されています。

楽曲の題名が誤訳であることも載っていて、「岩」は「切り立った巌」もしくは「断崖」、「死の島」は「死者たちの島」が正しい訳であることが紹介されています。

 

この幻想曲「岩(断崖)」という作品は、わたしにとっては、ラフマニノフの作品のなかでも特にわかりづらい作品のひとつです。

こういう作品を、それでも何とか理解したいと思ったときは、私はなるべく「優れた実演で体験」してみることにしています。

 

不思議なもので、CDやオンライン配信で何度聴いてもしっくりこなかった作品であっても、生演奏で「体験」することで、その世界への入り口が見つかることがとても多くあります。

先日、インキネン指揮する日本フィルで聴いたシベリウスの「クレルヴォ交響曲」もそうでしたが、それはいずれ稿を改めるとして、今回のプレトニョフによる、この幻想曲「岩(断崖)」もそうでした。

 

暗くどんよりとして、なんとなく煮え切らない音楽。

それが、実演で聴いてみると、これまで私が抱いていた印象より、はるかに色彩的な作品であることがまず驚きでした。

フルートで出てくる第2主題など、実演で聴くと、いっそう強く色彩を感じます。

 

そして、総じて題名があたえる印象とは裏腹に、非常にデリケートな、繊細極まる弱奏部にこそ、聴くべきものが多い作品であるというのも、おおきな発見でした。

冒頭や後半部で活躍する低音による「断崖」の主題もさることながら、旅先で出会った中年男性と若い娘のかなわぬ恋をあらわしているであろう第3主題の語るところの多さ、人生に疲れ切ってしまった男が、若い娘の想いをふりはらって、厳しい地の果てへと赴いていく荒涼たる情景が、よりはっきりと感じられました。

 

あのチャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikov1840-1893)が、この曲の楽譜をみるや、その価値をすぐに認めて初演を引き受けていたそうです。

チャイコフスキーはその直後に急逝してしまったので、それが実現することはなかったのですが、それにしても、そのチャイコフスキーの審美眼の確かさには驚かされます。

私などは、その後のラフマニノフの数々の傑作を知っているからこそ、この作品の素晴らしさも感じ取れるわけで、これ「だけ」を見て、ラフマニノフに天才を見出だすあたり、チャイコフスキーに脱帽してしまいます。

 

 

交響詩「死の島(死者たちの島)」

 

2曲目は交響詩「死の島(死者たちの島)」です。

冒頭から、深くて、重い響きがプレトニョフによって描き出されます。

死者の島たちへ漕ぎだす小舟の5拍子が、たいへんな実在感をもって、文字通り波打って会場を包みこみます。

 

パンフレットにあったプレトニョフのインタビューのなかに、「ラフマニノフの初期のオーケストラ曲はあまり良い曲ではないという面があるのですが、それは楽器の特性やオーケストラの特徴を知らずに書いていたところもあったと思います」という言葉がありました。

まさに、その「オーケストレーションの進化」というのを、この交響詩「死の島(死者たちの島)」で非常に強く体験することになりました。

 

さきほどの幻想曲「岩(断崖)」が思っていたより色彩的だったと書きましたが、それはあくまで私のこれまでの印象との比較であって、あの「岩(断崖)」を聴いたあとに、この「死の島(死者たちの島)」の演奏が始まってみると、それはもう、白黒のものが突然フルカラーになったようなちがいを感じました。

ひとりの作曲家のオーケストレーションの熟達度を、これほどはっきりと感じたのは、初めてのことです。

まさにプログラミングの妙であって、作曲順に曲が配列された意味を、とても強く感じました。

 

この作品も重く、暗く、どんよりとした音楽ですが、こうした優れた実演で聴くと、その暗さのなかに千変万化する様々な色彩があることがわかります。

こうした表情を描き分けるには、オーケストレーションのたいへんな熟達が必要だと思われるので、天才ラフマニノフといえど、最初からこれが描けたわけではないということになるのでしょう。

幻想曲「岩(断崖)」も、本当はこうしたタッチで描きたかったのではないかと、そんなことすら感じました。

 

プレトニョフと東京フィルは、暗さのなかの濃淡、重苦しいドラマを見事に表現していて、また、この曲の中間部にあらわれる、ほのかに光が差したかのような瞬間なども、その繊細な明滅をとても雄弁に、印象的に描き分けていました。

指揮をしているプレトニョフは、ラフマニノフへ思い入れが非常に強いようで、この曲でも、冒頭から普段よりあきらかに多くの唸り声を会場に響かせていました。

 

 

交響的舞曲

 

充実した前半の2曲がおわって、休憩後の後半のプログラムは、メインディッシュである「交響的舞曲」、ただ1曲だけです。

そして、この「交響的舞曲」こそ、この日のクライマックスであり、たいへん聴きごたえのある演奏になりました。

 

前半の2曲もそうでしたが、プレトニョフはこの曲でも、非常に落ち着いた、少しゆっくり目のテンポを設定しました。

念を押すような音の置き方、音楽が語りたいことを十分に語るだけの時間を与えるテンポ設定は、最近のプレトニョフの指揮に共通する優れた特徴のひとつです。

また、低音をしっかりと鳴らし、バスラインに重心を置いた響きのバランスといい、楽曲を強い自制心で構築的に構成していく音楽作りは、まるで優れたドイツの音楽家のような印象すら与えられます。

 

そうして描き出される「交響的舞曲」には、始まった瞬間から、これまでの2つ作品にはなかった、“ 絶対的 ”な何かがあって、非常に強くひきつけられました。

作品それ自体が持っている絶対的なもの、強い磁力のようなものに引きつけられて、いつの間にか、その音楽のなかを生きているかのようにすら感じました。

 

確かに、大作曲家の最後の作品というのは、ブルックナーの交響曲第9番であれ、マーラーの交響曲第9番であれ、なにか特別なものがあります。

ただ、それらにつながるようなものを、まさか、このラフマニノフの作品から感じるとは思いませんでした。

 

この曲は、これまでも何度か実演で聴いていますが、こんな感覚になったことはなかったので、まさに、プレトニョフの思い入れの強さがあったからこそ、作品の奥の奥から引き出されてきたものなのかもしれません。

そして、また、まさにこの曲順で来たからこその到達点という面もあって、この音楽こそ、プレトニョフがこのプログラムで目指した頂点であったように思われました。

 

プレトニョフは、落ち着いたテンポを基盤に、ときには驚くほどテンポを落として、曲に描かれたものをすべて描き出していくように、語らせ、歌わせていきます

もう何度も聴いて、聴きなれてしまったこの曲に、まだこんな美しい箇所、初めて聴くかのような和声、雄弁な音楽があったのかと、耳を奪われる瞬間の連続でした。

 

テンポは緩急自在で、その意味で、濃厚と言えば濃厚なのですが、ただ、そこはプレトニョフらしく、音楽のなかに完全には埋没していかない、ある種の自制心のようなものがあります。

たとえば、第1楽章のグロッケンシュピールがきらきらと鳴り響くうえで弦楽器が非常に美しい旋律を奏でるところなども、濃厚になりすぎないように、少しだけあっさりとした表情で歌わせていました。

 

昨年聴いた「白鳥の湖」のクライマックスで、もっともロマンティックに弾くべきところをまるまるカットできる方なので、当然でしょう。

ただ、それでも、物足りなさを感じるというところまでは行かず、見事なバランスが保たれていました。

 

こうした、ある種の抑制が効いた演奏というのは、ラフマニノフ本人の自作自演にも見られる特徴であって、プレトニョフとラフマニノフのあいだには、同じロシアの出身と言うこと以上に、芸術的な面で近親的なものがあるのかもしれません

 

 

この音楽はぜんぶで3つの曲から出来ていますが、プレトニョフは、その楽章間のあいだを比較的ながめに空けて、しっかりと間を置いて、1曲1曲を慈しみながら指揮していきました。

 

巨匠チェリビダッケ(Sergiu Celibidache 、1912-1996)が指揮者の第一条件として「クライマックスを形成できること」を挙げていましたが、この日の演奏も、見事にそのクライマックスが形成されました。

それは第3楽章の幕切れ、ヴィオラで主題が再現されるところからで、ここに入った瞬間、それまで抑制されてきたもの、ずっと内包されていたものが、その姿をあらわし、解き放たれました

 

これが決して、から騒ぎに陥らず、音楽的充実をもって、圧倒的な効果をあげたことは、それまでの道程がいかに正しかったのかの証明でもありました。

この瞬間は、鳥肌が立ちました。

 

最後にひびきわたる銅鑼の残響がホールから消えたとき、「こんな凄いラフマニノフの演奏、次はいつ出会えるだろうか」と思いました。

このブログでは、みだりに使わないように自制している言葉ですが、これは紛れもなく“ 名演 ”だったと思います。

 

 

名演の傷

 

ただ、この名演奏には、1点の傷があったことも事実です。

 

それは第1楽章のアルトサックスなど、管楽器が活躍する箇所で起こりました。

プレトニョフは非常に独特なテンポの振幅をみせて、ここでも、個性的で、強いアゴーギクをかけます。

そうすることで、通常のように旋律線を美しく奏するだけでなく、管楽器のそれぞれの線を対位法的に描き出そうとしていたように感じましたが、これがオーケストラ側に浸透していないようで、アンサンブルがぎこちなく、みんながそれぞれの出を伺っているような、危うい印象を受けました。

 

東京フィルの演奏会のレビューでは、過去にも同じことを書いた気がするのですが、カーテンコールのときに指揮者が管楽器奏者を立たせようとすると、必ず譲り合いのような、遠慮のようなものが奏者の間ではじまって、なかなか立ちあがらないということがよく起こります。

やがて立ち上がった首席奏者がほかのメンバーに起立を促すと、今度はそれを他の奏者たちが遠慮してなかなか立たない、というやり取りが繰り返されます。

この譲り合いのような雰囲気が、演奏面でもアンサンブルに出てしまっていると感じます。

 

首席奏者に限らず、すべての団員が堂々と胸を張って、すっと立ち上がって拍手を受けるべきです。

それだけの仕事をしているのですから。

「交響的舞曲」で、あの管楽によるアンサンブルがしっかりとかみ合っていたら、それこそ、注文の付けようのない演奏になっていたのにと、そこだけは悔やまれました。

 

 

プレトニョフのロシア音楽は今、たいへんな高みにある

 

このブログでは、ジョナサン・ノット指揮する東京交響楽団のコンサートを強く推していますが、それと並んで、このミハイル・プレトニョフ指揮する東京フィルのコンサートもまた、特筆すべきコンサートの連続です。

 

プレトニョフは以前から個性的な指揮者でしたが、これほどの高みに到達するとは、正直、私は思っていませんでした。

指揮も上手にする名ピアニスト、という先入観を持っていたのですが、それは恥ずかしいくらい、たいへんな誤りでした。

 

今は、彼の指揮であれば、どんなプログラムであれ見逃せないと思っています。

プレトニョフの、東京フィルでの今シーズンの登場はおわってしまったので、つぎのシーズンを待つしかありませんが、今から、いったい何を取りあげるのか楽しみで仕方ありません。

 

この日、サントリーホールの天上からはマイクが数本吊り下げられていたので、もしかしたら、NHK-FMのラジオ番組「ブラボー♪オーケストラ」で、このコンサートの録音が放送されるかもしれません。

予定がわかりましたら、このブログでもお知らせしようと思っています。

 

また、プレトニョフには、自身で創設したロシア初の民営オーケストラであるロシア・ナショナル管弦楽団と録音した、一連のラフマニノフの録音がありますので、そちらもご紹介しておきます。

 

まず、1曲目の幻想曲「岩(断崖)」。

( Apple Music↑ ・ Amazon Music ・ Spotify ・ Line Music などで聴けます)

 

この曲については、シャルル・デュトワ指揮フィラデルフィア管弦楽団の録音が、「演奏で感じる色彩感」に非常に近いものがありますので、あわせてご紹介しておきます。

( Apple Music↑ ・ Amazon Music ・ Spotify ・ Line Music などで聴けます)

 

そして、2曲目の交響詩「死の島(死者たちの島)」。

( Apple Music↑ ・ Amazon Music ・ Spotify ・ Line Music などで聴けます)

 

そして、3曲目の「交響的舞曲」。

( Apple Music↑ ・ Amazon Music ・ Spotify ・ Line Music などで聴けます)

 

♫このブログでは、音源をご紹介するときに、オンライン配信されているものを中心にご紹介しています。オンライン配信でのクラシック音楽の聴き方については、「クラシック音楽をオンライン(サブスク定額制)で楽しむ~音楽好きが実際に使ってみました~」という記事にまとめています。

 

 

プレトニョフは、少し前に、このオーケストラの指揮者の座を一方的に解任されてしまったようです。

現在の政権と一定の距離をとりつづけたせいと言われています。

その彼が、最近、スロヴァキアのブラチスラヴァを拠点に新しく創設したオーケストラが、その名もラフマニノフ・インターナショナル・オーケストラ Rachmaninoff International Orchestraです。

 

このラフマニノフ・インターナショナル・オーケストラの公式ホームページには、プレトニョフのインタビューの一部が載っていて、現在のウクライナ情勢についても語っています。

Who starts wars? Imbecile politicians. No normal human being likes war. But politicians have propaganda and manipulation in their hands, and they use it only for their own benefit, not for us.

「誰が戦争を始めるのか?間抜けな政治家たちです。まっとうな人間は、誰だって戦争を好みません。けれど、政治家たちはプロパガンダを行い、手の内であれこれと操作し、彼ら自身の利益のためだけにそれを使います。私たちのためではありません。」

Putin is not the cause of the problem, he is only a consequence. The problem is, Russia has not yet made its way to democracy.

「プーチンはこの問題の原因ではなく、ただの結果に過ぎません。問題は、ロシアがいまだ、民主主義への道を成していないということにあるのです。」

 

ロシア・ナショナル管弦楽団という、いわば彼の家族のような楽団員とのつながりを断たれてしまったがゆえに、こうした発言を率直に口にすることができるようになったのでしょう。

逆に言えば、これまで口を閉ざしていたのは、ロシア・ナショナル管弦楽団の関係者を守るためだったという面が強いのでしょう。

 

少し前にたいへん話題になったゲルギエフもまた、彼の家族ともいえるキーロフ歌劇場を守るために口を閉ざしているのかもしれません。

もちろん、それが正しいことか、間違っていることかは、別の問題ですが。

 

 

 

♪お薦めのクラシックコンサートを「コンサートに行こう!お薦め演奏会」のページでご紹介しています。

判断基準はあくまで主観で、これまでに実際に聴いた体験などを参考に選んでいます。

 

♪実際に聴きに行ったコンサートのなかから、特に印象深かったものについては、「コンサートレビュー♫私の音楽日記」でレビューをつづっています。コンサート選びの参考になればうれしいです。

 

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