シリーズ《交響曲100》の第37回は、前回にひきつづき、シューマンをお届けします。
今回は彼の2作目の交響曲、交響曲第4番ニ短調op120がテーマです。
シューマンの交響曲は全部で4曲あって、どれも演奏会でよく取り上げられますが、現在、いちばん多く演奏されている印象があるのが、この交響曲第4番です。
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1841年は「交響曲の年」
1840年、シューマンは念願だったクララ・ヴィークとの結婚前後に、歌曲をいっきに書きあげて、“ 歌の年 ”とよばれる時期を過ごしました。
その翌年、1841年になると、今度はオーケストラ作品に集中しはじめて、1~2月に交響曲第1番「春」を書きあげ、その後、有名な「ピアノ協奏曲イ短調」の第1楽章となる「ピアノとオーケストラのための幻想曲」を書いて、さらに、6月からはつぎの交響曲にとりかかりました。
そうして書きあげたのが、今回ご紹介する「交響曲ニ短調」です。
シューマンは、1年で2曲もの交響曲を書きあげたことになり、そのことから、1841年は「交響曲の年」と呼ばれています。
このあたらしい交響曲は、9月13日のクララの誕生日に、プレゼントとして贈られました。
初演の失敗と封印
シューマンは、この交響曲の作曲に、ずいぶん苦労したようです。
交響曲第1番「春」のスケッチを4日間で終えたほどの彼が、この交響曲を完成させるまでにでは、珍しく、数回の中断をはさんでいます。
1941年12月におこなわれた初演のコンサートでは、奥さんでありピアノの名手であったクララ・シューマンと、あのピアノの巨人フランツ・リストの共演もプログラムにふくまれていて、その豪華な共演が巻き起こした喝さいの嵐の前に、シューマンの交響曲の初演は、すっかりかすんでしまったと伝えられています。
そのことが影響したのか、これからおよそ10年もの間、この交響曲は出版もされず、封印されてしまいます。
「第2番」から「第4番」へ
時は流れていって、1846年、36歳になる年に別のあたらしい交響曲(交響曲第2番ハ長調)が作曲されて、さらに1851年、41歳になる年には交響曲第3番『ライン』も作曲されます。
ようやく、その後になって、シューマンは封印していた交響曲ニ短調の改訂にとりかかりました。
1853年には、シューマン自身の指揮で初演がおこなわれて、翌1854年には、無事に出版となりました。
こうした事情から、当初「第2番」として発表・初演された交響曲ですが、最終的には、「第4番」という番号がふられることになっています。
現在もこの改訂版のほうが演奏される機会が多いですが、ブラームス(1833-1897)は、この改訂について「改悪」だったという立場をとっていて、初稿のほうを支持したことが伝わっています。
この1841年初稿版は、ジョン・エリオット・ガーディナー指揮ロンドン交響楽団の演奏などで、実際に聴くことができます。
( Apple Music↑ ・ Amazon Music ・ Spotify などで聴けます。 Line Music はこの録音の配信がないようなので、同じくガーディナーがオルケストル・レヴォリューショネル・エ・ロマンティークと録音したものをリンクしておきます )
また、最終的に断念されたようですが、シューマンは第2楽章で「ギター」を採用しようとした形跡が残っていて、このことは、後世、マーラー(1860-1911)の交響曲第7番で導入されたマンドリンを連想させます。
シューマンもまた、交響曲の歴史の革命家だったということをあらためて教えられるエピソードです。
🔰初めてのシューマンの4番
「交響的幻想曲」という副題がついていたこの交響曲は、楽章間に切れ目がなく、4つのの楽章がひと続きで演奏されるように書かれています。
こうしたところは、音によるドラマ、どこか物語性を感じさせるところで、シューマンに特有の「文学的」傾向が感じられるように思います。
特に第3楽章から第4楽章にかけてのブリッジは幻想的、且つドラマティックで、ベートーヴェンの交響曲第5番の第3楽章から第4楽章へのブリッジを連想させます。
指揮者たちにとっては、手腕の見せ所でもあり、数多くの名指揮者たちがこの作品に魅了され、指揮せずにいられなかったのがわかります。
初心者の方は、ますこの音楽の到達点である、フィナーレ第4楽章から聴いてみてください。
私のお気に入り
このブログでは、オンラインで配信されている音源を中心にご紹介しています。
オンライン配信の音源の聴き方については、「クラシック音楽をオンライン(サブスク定額制)で楽しむ~音楽好きが実際に使ってみました~」のページでご紹介しています。
《リッカルド・ムーティ指揮ウィーン・フィルハーモニー》
私がこの曲にいちばん最初に親しんだのは、NHKのFM放送で聴いた、リッカルド・ムーティ指揮スカラ・フィルによるルツェルン音楽祭でのライブでした。
前半にメンデルスゾーン:序曲「静かな海とたのしい航海」、それから、シューマン:交響曲第4番、後半がエルガー:序曲「南国で」、そして最後にファリャ:バレエ音楽「三角帽子」組曲第2というプログラム。
カセットテープに録音して、もう何度も何度も聴いたので、今でもよく覚えています。
いま、こうしてプログラムを眺めてみても、楽しい気持ちにさせられる素敵な選曲でした。
ムーティは、残念ながらスカラ・フィルとのシューマンのレコーディングは存在していませんが、同じ時期に、名門ウィーン・フィルと、シューマンの交響曲全集を録音していて、これがまた、とても素敵な演奏になっています。
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《グィード・カンテッリ指揮フィルハーモニア管弦楽団》
これは1953年5月11日、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで開かれたコンサートのライヴ録音です。
グィード・カンテッリ(Guido Cantelli, 1920-1956)は、イタリア出身の指揮者。
大戦中はレジスタンス活動に身を投じるものの、捉えられ、処刑されそうになったところ、収容先で偶然に集団脱走が発生して脱走に成功。
このとき、脱走に成功したのはカンテッリを含めて2名だけだったという、壮絶なエピソードが伝わっています。
大戦後には、飛ぶ鳥を落とす勢いでスター街道を歩み、ついにはオペラの殿堂ミラノ・スカラ座から音楽監督に指名されるまでに至りました。
けれども、その指名からわずか1週間後、フランスでの飛行機事故により、36歳の若さで命を落としました。
活動期間が非常に短かった悲劇的な天才指揮者でしたが、レコーディングはいくつか残っていて、その閃きに満ちた、情熱的で、カミソリのように鋭い演奏を偲ぶことができます。
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《オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団》
このブログでは常連のコンビですが、ドイツの巨匠、オットー・クレンペラー(1885-1973)の録音です。
数々の奇行などがたたって、晩年には体が不自由になって、でも、そのせいでテンポが遅くなって、唯一無二の雄大な造形を獲得したという、20世紀の大指揮者です。
このシューマンも、一言でいって、実に立派です。
深く大地に根差した、揺るぎない、大樹のようなシューマン。
ただただ、脱帽です。
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《カール・ベーム指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団》
カール・ベーム( Karl Böhm, 1894-1981)はオーストリア出身の巨匠で、特に、晩年は名門ウィーン・フィルとのコンビで数々の名演奏を残した指揮者です。
日本での人気はとりわけ凄まじくて、私も大好きです。
最近は、その熱狂的な人気もいくぶん落ち着いた感じがあって、このシューマンなどはあまり話題にもなりませんが、ウィーン・フィルから実に美しい響きを引きだした名演奏だと思います。
いちばん先にあげたムーティもウィーン・フィルとの録音ですが、オーケストラの響きの豊かさを味わいたいときには、こちらのベーム盤を聴きたくなります。
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《マレク・ヤノフスキ指揮フランクフルト放送交響楽団(hr交響楽団)》
YouTube動画で観ることができるものでは、ポーランド出身の指揮者マレク・ヤノフスキが指揮したものがお薦めです。
これはドイツのフランクフルト放送交響楽団(hr交響楽団)が公式に配信しているもの。
ヤノフスキはスケールこそ大きくないですが、小気味よい音楽運びが特徴で、ここでも、すっきりとした流れのシューマンを描き出しています。