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はじめに
ジョナサン・ノットが東京交響楽団の年末の「第九」を指揮した2019年から2025年。
そのうちの4回、私はこのコンビの「第九」を聴くことができました。
日本独特の文化とも言える年末の「第九」を、これほど長期間にわたって指揮し続けた外国人指揮者は、ほかに例がないのではないでしょうか。
ノットの「第九」は、完成形を固定するタイプのものではありませんでした。
むしろ、毎年の課題、前年の問題点を翌年には更新していく──そんな「変わり続ける第九」でした。
このページでは、私が実際に聴いたノット&東響の年末の「第九」を、演奏会レビューと有料noteを交えながら時系列でまとめています。
音楽監督としての終着点
2025年最後の「第九」
【有料note】
ノットが音楽監督として東京交響楽団を率いた、最後の年の「第九」。
ファースト・ヴァイオリン8人、コントラバス4人という、極端に切り詰めた編成で臨まれた今回の演奏は、果敢なアプローチながら、少なからぬ違和感と疑問を投げかけるものでもありました。
ところが、第4楽章で声楽が加わった瞬間、その印象は大きく反転します。
それまで感じていたもどかしさが解決され、演奏全体の到達点がはっきりと見えました。
2019年から聴き続けてきたノットの「第九」が行きついた、その「幸福度」について書いています。
それまでのノットの「第九」
2019年:凝縮された密度、原点にしてひとつの頂点
ノット&東京交響楽団による、最初の年末の「第九」。
やや小ぶりな編成ながら、音楽の密度と集中度は驚くほど高く、終楽章まで一切の弛緩を感じさせない演奏でした。
私が実演で聴いたノットの「第九」のなかで、今もなお、もっとも完成度が高いと感じているのが、この2019年の初回です。
残念ながら、この年はまだブログを始めていないので、レビューは書いていません。
ただ、こちらはライヴ録音されて、CDがリリースされています。
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2021年:コロナ禍の苦難の「第九」
次に聴いた2021年、ノットの第九は、“ コロナ禍 ”により大きな壁に直面していました。
ソーシャルディスタンスにより、ノットの最大の美点であった「凝縮度」は物理的に不可能となり、演奏はやや散漫に聴こえてきました。
それでも、第3楽章の抒情的美しさは、私が聴いた4回のなかで最高のものであり、また、終楽章後半の合唱は、出色の輝きを放ちました。
2022年:修正と新たな課題
2022年の第九は、合唱の規模が拡充され、前年の課題を見事に修正していました。
その効果が確かに感じられる一方で、あらたにテンポの問題が発生し、終楽章で音楽の流れが分断される感覚がありました。
私が聴いたノットの第九のなかで、感動からもっとも遠かった年です。
2024年:ノット色に最も染まっている第九
2024年公演は、チケットを買っていたものの、コンサート当日にインフルエンザを発症して、実演を聴き逃しました。
ただ、さいわい、こちらは後日、ライヴ録音がCDでリリースされました。
この2024年は、演奏会形式で「ばらの騎士」の忘れがたい名演が繰り広げられた年でもありました。
録音を聴いても、その充実ぶりがはっきりとわかります。
もし実演を聴くことができたら、おそらく、初回2019年の第九と並ぶか、それに次ぐ感銘を与えられただろうと想像しています。
▶「ジョナサン・ノット&東響「ばらの騎士」~音楽はここまで美しくなれるということ」を読む
ジョナサン・ノットの「第九」が特別だった理由
変化しつづける第九
ノットの「第九」は、毎年、違っていました。
毎年末、同じ作品を同じ指揮者と同じオーケストラがやれば、同じ結果が生まれてきて不思議はありません。
けれども、ノットは、毎回新しい表現を求め、挑戦し、変化しつづけました。
コロナ禍という、想定外の外的条件と闘い、修正し、その後も進化をつづけました。
その果敢な姿勢こそが、ノット&東響の「第九」であり、また、このコンビの「象徴」でもあったと思います。
おわりに
2025年の最後の「第九」は、最上のものとは言い切れないところもありました。
けれども、とりわけ終楽章において、2019年からの道程をへてたどり着いた「最後の第九」という視点に立つと、強い説得力がありました。
この特集ページが、ジョナサン・ノットと東京交響楽団の「第九」を振り返る、小さな記録として役立てば幸いです。
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