最近、日本では色々なコンクールがたいへん人気になっていますが、ここでは、最近行われたヴァン・クライバーン・コンクールにその名を残している名ピアニスト、ヴァン・クライバーンご本人の名録音を5点ご紹介していきます。
音源については、2022年6月現在、オンライン配信されているもののなかから選曲しています。
オンライン配信については、「クラシック音楽をネット配信(サブスク定額制)で楽しむ~実際に使ってわかったこと~」という記事でその魅力をご紹介しています。
目次(押すとジャンプします)
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番
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ヴァン・クライバーン(1934-2013)のいちばん有名な録音です。
この録音は、クラシックのレコードとして、世界で初めてのミリオンセラーを記録しました。
彼は、1934年、アメリカのルイジアナ州の生まれのピアニスト。
その名を一躍世界にとどろかせたのが、1958年、23歳のときに出場した第1回チャイコフスキー国際コンクールでの優勝でした。
当時は、アメリカとソビエト連邦による“ 冷戦 ”の時代。
このチャイコフスキー国際コンクールも、もともとはソビエト連邦が自分たちの文化レベルの高さを世界に誇示するのが主要な目的のひとつでした。
ところがそこへ、非常に優れた演奏をくりひろげるアメリカの若いピアニストが現れてしまったわけです。
ここが凄いと思うのですが、当時、審査員として並んでいたのは、スビャトスラフ・リヒテルなどのソビエトを代表する音楽家たちで、彼らは政府の思惑を知りつつも、このアメリカの無名の若者の演奏にしっかり高得点をつけました。
リヒテルに至っては、クライバーンに満点を、ほかの奏者に0点をつけたと伝わっています。
ソ連の最高指導者フルシチョフが「彼が最も優れているのか?なら、その通りに賞を」と審査員たちの評価を尊重したこともあって、みごとに優勝。
クライバーンは“ 冷戦下のソビエトで優勝を勝ち取ってきたアメリカ人 ”として、まさにアメリカの国民的ヒーローになりました。
そのクライバーンがアメリカに戻って最初に録音したのが、この演奏。
指揮は、コンクールのときにも指揮をしていたキリル・コンドラシンという指揮者で、冷戦時代に初めてアメリカを訪れたソビエトの指揮者となりました。
このコンドラシン(1914-1981)がまた、非常に優れた指揮者で、西側諸国に強烈な印象を残すことになります。
その意味では、彼の存在によって、ソビエトが文化大国であることは十分に世界に誇示できたともいえるでしょう。
今、この演奏を聴くと、コンドラシンの雄大な伴奏もあってスケールも大きく、輝かしい“ 青春の記録 ”であると同時に、表現がことのほか端正で、古典的な普遍性も獲得していることに、色あせない魅力を感じます。
ショパン・アルバム『My Favorite Chopin』
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こちらは、1961年にレコーディングされた、彼の最初のソロ・アルバム。
このアルバムは、特にいつまでも持っていたいと思う、出色のレコーディングだと思っています。
このショパンを聴いていて感じるのは、このひとがその華麗な名声とは裏腹に、とっても控えめなロマンティシズムの持ち主だったということ。
考えてみれば、クライバーンと共演した指揮者たちの名前をみても、コンドラシン、ライナー、ラインスドルフといった、質実剛健で、堅気な名指揮者たちが少なくありません。
もちろん、それはレコード会社の影響が大きいわけですが、そうした渋い大指揮者たちが何度も繰り返して共演したということは、クライバーンのピアニズムが彼らの音楽性と相いれるものであったということの証明でもあるでしょう。
アルバム冒頭に置かれた《英雄ポロネーズ》や5曲目の《別れの曲》など、人々の手垢にまみれた名曲中の名曲を聴いてみても、その古風な音のたたずまいに驚かされます。
少し艶消ししたような、素朴な音色が深い印象を残すアルバム。
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番《皇帝》
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ベートーヴェンが書いた全5曲のピアノ協奏曲のいちばん最後にして、ピアノ協奏曲の王様のような傑作です。
この曲の録音はそれほど山のようにあって、そうしたなかでは、クライバーンの演奏はあまり話題にならないほうの録音です。
けれど、私はこの演奏が以前からとても好きで、《皇帝》を聴きたいときにはすぐに頭にうかぶ録音のひとつです。
何といっても、この演奏の魅力はとても造形がすっきりとしていること。
音楽がよどみなく流れていきます。
巨匠フリッツ・ライナー(1888-1963)とシカゴ交響楽団による折り目正しい伴奏にのって、クライバーンが持ち前の古典的な演奏をのびのびと自然に披露していきます。
この大曲の古典的な側面が尊重された、忘れがたい演奏が記録されています。
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番ハ短調
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ある音楽を好きになるきっかけというのは、思いもしないところから訪れることがあります。
このピアノ協奏曲について、中学生のころの私は、第1楽章と第3楽章は大好きだったけれども、第2楽章はイマイチでした。
それがある日、ラジオからエリック・カルメンというアメリカの歌手が歌った『All by Myself オール・バイ・マイセルフ』という曲がながれてきました。
「どこかで聴いたメロディーな気がする…」と思ったら、このピアノ協奏曲の第2楽章のメロディーそのもので、それがきっかけで急にこの曲の第2楽章が身近になって、あっという間に大好きになった思い出があります。
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ピアノ協奏曲第2番は、1901年、20世紀最初の年に初演された、セルゲイ・ラフマニノフ(1873-1943)が28歳のときの作品です。
自信作だった交響曲第1番の初演におけるたいへんな不評から極度の神経衰弱と自信の喪失におちいり、ほとんど曲を書けなくなっていたラフマニノフが再起を果たした記念碑的な作品であると同時に、ロマン派のピアノ協奏曲のひとつの頂点ともなった傑作です。
ヴァン・クライバーンは、やっぱりここでも実に折り目正しい演奏を繰り広げています。
この曲にはラフマニノフ自身のピアノによる録音も残っていて、それがたいへん淡泊な表現でいつも議論になるところですが、クライバーンの演奏もそのスタイルに近い、過度にロマンティックになりすぎるのを避けた、古典的な美しさを感じさせる演奏になっています。
“ 清潔な ”ロマンティシズムといったら良いでしょうか。
フリッツ・ライナー指揮シカゴ交響楽団も同様の方向性で、この曲の普遍的な側面をはっきりと示した名演奏だと思います。
この曲は、その旋律の美しさから様々なところで言及・引用される作品でもあって、昔は映画『逢引き』のテーマとして、近年では漫画『のだめカンタービレ』のなかで取り上げられて話題になりました。
『のだめカンタービレ』は新装版が現在、刊行中。なつかしいです。Amazonなどで取り扱い中。
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番ニ短調
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ラフマニノフは、第3番もすばらしい録音が残されています。
こちらは、あのチャイコフスキーと同じく、巨匠キリル・コンドラシンとの共演。
協奏曲については、こうしたタイトな音楽づくりをする指揮者と共演したものに良い出来のものが多いように感じます。
何といっても、一気にスターに駆け上がってしまったクライバーンは、年齢的にもまだまだ若手であったわけで、きっと、こうした巨匠クラスの指揮者たちの音楽的な支えは欠かせないものだったのではないでしょうか。
コンドラシンのまったく揺るがない伴奏にのって、クライバーンが抒情的なピアノを奏でていきます。
第3楽章のおしまいのところでは見事なクライマックスを形作っていて、演奏が終わったあとに盛大な歓声と拍手も収録されていますが、コーダが気持ち落ち着いたテンポになっているのが両者の音楽づくりの手堅さを感じさせて面白いです。
コンドラシンについては、結局、1978年になってソビエトから亡命するのですが、そのわずか数年後に心臓発作のために急逝してしまいます。
西側での大活躍が期待されていたなかでの、惜しまれる最期でした。
おしまいに
このひとは、冒頭にご紹介したように、コンクールによってアメリカの国民的ヒーローになりました。
それは本人にとって、結果的に必ずしも幸福なことではなかったようで、大きすぎる称賛が大きすぎるストレスへと変わっていくのにそれほど時間はかからず、わりと早い時期に演奏活動に支障が出て、ステージから遠のいてしまいました。
そのせいで、これほどの名声があった人なのに、とても早い時期から「過去のピアニスト」になってしまいました。
こうして、残されたレコーディングの数々を見渡してみると、キャリアの最初からチャイコフスキー、ラフマニノフ、シューマン、ショパン、グリーグ、リスト、ブラームス、ベートーヴェン…、とにかく有名な「協奏曲」ばかりが立てつづけに録音されていて、これは大変だっただろうと簡単に想像できます。
音楽家として、ひたすらに摩耗してしまったのも仕方ないように感じます。
ソビエトからの亡命直後に亡くなった巨匠コンドラシンもかわいそうでしたが、クライバーンもまた、そういう意味で、20世紀の政治や社会情勢に翻弄された音楽家のひとりに数えられるでしょう。
クライバーンの演奏は、その輝かしいキャリアや勢いを感じさせるものが多い一方で、ショパン・アルバムに聴かれる、あの繊細な一面にこそ彼の本質を見る思いもします。
その録音の数々は、冷戦時代のひとつのモニュメントとして、今では、どこかノスタルジックな色合いを帯びて聴こえてきます。