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プラッソン90歳、さよなら日本公演
初めて実演を聴く
プラッソンの生演奏を聴くのは、私はこれが初めて。
しばしば来日している指揮者だったので、そのうち実演を聴こうと思っているうちに機会を逸してしまいました。
それが、この夏、最後の来日公演ということで2日間の特別な演奏会が開催されました。
「もう聴けない」と思っていた私にとっては千載一遇の機会。
心から感謝しています。
ただ、実際コンサートにいってみると、よかったことと、そうでなかったことと色々ありました。
良い話はあとにとっておいて、「そうでなかった」方から始めます。
空席の目立つコンサート
まず、色々な面で、何となく「雑然とした」公演に感じました。
会場に着いて、まっさきにそう感じさせたのが、空席の多さです。
今公演の主役ミシェル・プラッソン (Michel Plasson, 1933 – )は、言うまでもなく、フランス音楽を代表する名指揮者。
これほどの音楽家の最後の来日公演にしては、客席は空席がかなり目立ちました。
これはプラッソンが過去の人になってしまったからというより、広告、告知の問題だったように思います。
たとえば、合唱で参加した「二期会」のホームページには告知があるいっぽうで、演奏した「東京フィル」の公式ホームページには、この公演の告知が見当たりません。
主催が東京フィルではないこと、あるいは、大所帯である東京フィルが、同日同時刻に都内の別会場でも公演をやっていたせいかもしれません。
つまり、この公演があることに「気づかなかった」クラシック音楽ファンも、結構多いのではないでしょうか。
わたし自身、このコンサートの存在にはしばらく気づきませんでした。
これほどの名指揮者の最後の日本公演が、空席の目立つ会場で行われることになったのは、名匠プラッソンに申し訳ない気がしました。
どこか雑然とした…
そして、実際にコンサートがはじまってみると、演奏そのものにも、雑然とした印象を受けました。
近年の東京フィルの充実からすると、アンサンブルがおおざっぱで、どれくらいのリハーサルがあったのか、残念に感じました。
ただ、プラッソンの年齢も考えると、難しい判断があったのかもしれません。
それから、ホールの選択。
東京オペラシティは、やはりオーケストラがやるには響きすぎる会場。
すぐ音が飽和して、無表情に聞こえてしまう嫌いがあります。
プラッソン自身があまり好んでいないホールという話も以前聞いたことがあり、そうした点も、どこか急ごしらえの公演のような印象を与えられました。
ですので、結論を言うと、私自身は、この記念碑的なコンサートで感動はできませんでした。
それどころか、退屈に感じる時間帯も結構ありました。
近くの席で退屈そうにしている小学生がいましたが、「仕方ないよ」と言ってあげたい気持ちもしました。
プログラム的には、ラヴェルの「マ・メール・ロワ」、「ダフニスとクロエ」第2組曲、フォーレの「レクイエム」というフランスの名曲がずらっと並んだものでしたが、どれもこれも、どこか惜しい…という演奏の連続でした。
ここからは「良い」話
そんなわけで、いろいろ残念に思ったところがあったわけですが、それでもです、「それでも、行ってよかった!」というのがわたしの最終的な結論です。
やっぱり「ゼロ」と「1」とではまったく違います。
「ナマ」の演奏だからこそ、初めて気づいたこと、感じられたことがありました。
今回のプラッソン、90歳というご高齢で、しかも、万全の準備が整えられたという訳ではなさそうな条件下でも、それでも、いろいろなものを聴かせてくださいました。
勇壮な姿勢の音楽家
まず何より、その明朗で、力感のあるエネルギー。
プラッソンという指揮者がここまで” 勇壮 “な姿勢の音楽家だということは、今回初めて気づかされました。
フランスの音楽というと「印象派」のような色彩を連想してしまいますが、いっぽうで、シャルル・ミュンシュ(Charles Munch, 1891-1968)を筆頭に、ポール・パレー(Paul Paray, 1886-1979)だとか、近年ではジョルジュ・プレートル(Georges Prêtre, 1924 – 2017)のように、明るく、勇壮な音楽をひきだす指揮者が少なくありません。
プラッソンもまた、その輝かしい伝統に列している指揮者だというのは、驚きでした。
録音で聴いていただけの印象では、もっともっと小ぶりなイメージを持っていました。
白のジャケットを着た90歳のプラッソンは、指揮中は椅子に座っているものの、ときおり唸ったり、声を出したり。
その指揮ぶりには、年齢に見合わない力強さがありました。
楽団を統制するというより“ 開放的 ”に音楽を引き出そうとする姿勢は、録音から感じていた通りでしたが、その“ 勇壮さ ”、“ 力強さ ”は、私にとって予想外のものでした。
それを体験してから振り返ると、サン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」の録音は、この「勇壮なプラッソン」をはっきりと思い出させてくれる録音といえるかもしれません。
以前よりも、この録音の魅力を強く感じるようになりました。
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南仏の音のパレット
そして、それと同じくらい印象的だったのが、“ 明朗な色彩感 ”。
プラッソンは、今回の公演に関しては、アンサンブルの処理は楽団任せという感じで、どこか未整理で雑然としていましたが、それでいて、その雑然としたなかに、明らかにフランスの音、それも、“ 南仏のあかるい色彩 ”が鳴り響いてくることにはおどろきました。
そこに見られた“ 奔放な色彩感 ”は、美しい絵画を描く画家の、そのパレットを見ているような思いがしました。
どうやって、これをやっているのか。
もっとアンサンブルを整えて、精妙にフランス的音色を出すなら想像がつくのですが。
このプラッソンのように、あまり楽団を制御せず、開放的に弾かせているのに、そこかしこにフランス的なニュアンスが漂うという至芸は、今まさに、目の前でそれをやっているのに不思議で仕方ありませんでした。
こうしたところは、やはり紛れもない名匠。
それも南仏の明るい色彩ということを考えると、彼の全盛期であるトゥールーズ・キャピトル管弦楽団との日本公演を是が非でも聴いておくべきだったと、今さらながらに後悔しました。
メインはフォーレ「レクイエム」
今回のプログラムで私がいちばん期待していたのは、フォーレの「レクイエム」でした。
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合唱もオーケストラも実に献身的なほどの演奏でした。
ただ、これもまた、作品の静謐さゆえに、この日のプラッソンの開放的で、どこか野放しのアンサンブルが、より目立つ傷に私には見えてしまい、とっても惜しい演奏に聴こえました。
むしろ、アンコールとして演奏されたフォーレ:ラシーヌ賛歌のほうが、まとまりが良かったかもしれません。
けれども、これは演奏が終わるやいなや、間髪入れずにブラヴォーが飛んでしまって残念でした。
あと3秒待ってほしかった。
なるほど、それで最近あの場内アナウンスが流れるのかとも思いましたが、それでも、私はあのアナウンスのほうが不快です。
➡noteに新しい記事「指揮者がタクトを降ろすと拍手がはじまるコンサートホールは正常なのか」を投稿しました
カーテンコール
演奏会終了後には、プラッソンへの盛大なカーテンコールがありました。
私も、心からのたくさんの拍手を彼に贈りました。
長年にわたり、フランス音楽界の一翼を担った名指揮者。
わたし自身も、ビゼーの「アルルの女」全曲版など、今も大切に聴いている彼の録音がいろいろとあります。
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日本公演はこれで最後のようですが、まだまだ指揮ぶりに力強さすらあり、かくしゃくたるものです。
これからも、どうか、母国などで指揮を振っていただきたいと思います。
それこそいつか、フランスでトゥールーズ・キャピトル管弦楽団を指揮する彼の公演が聴けたら、何てうれしいことだろうと思います。
マエストロ・プラッソン、どうか、末永くお元気にお過ごしくださいますように。
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