ドイツ三大Bという言い方があります。
バッハ(Bach)、ベートーヴェン(Beethoven)、ブラームス(Brahms)のことで、全員がたまたま名前の頭文字がBなのでそう呼ばれます。
「あれはドイツ三大退屈男だ!」
イギリスの名物指揮者ビーチャムはドイツ三大Bのことをそう豪語したという逸話が残っています。
おそらくBをboring(退屈な)とかけたのでしょう。
他の指揮者が言ったら怒られるところですが、ビーチャムが言ったとなると笑って許すしかありません。
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ビーチャム、イギリスが生んだ最後の偉大な変人
サー・トマス・ビーチャムは1879年生まれの指揮者。
「イギリスが生んだ最後の偉大な変人」といわれたくらい独特なパーソナリティの持ち主。
おじいさんがビーチャムズ・ピルという薬を開発したとかで、莫大な財産のある家庭に生まれた彼は、その財産を背景に自由に音楽を楽しみつくした人物といっていい音楽家です。
現在もイギリスにあるロンドン・フィルやロイヤル・フィルは、彼が作ったオーケストラです。
以前、ドキュメンタリーでみたリハーサル映像では、楽団員にジョークを飛ばしては笑わせて、とぼけた様子で和気あいあいとリハーサルしていました。
少し面倒くさそうにリハーサルを始めるのに、指揮し始めた途端、なんともチャーミングな、ニュアンス豊かな指揮姿に変身する様は見事で、引き出される音楽もウィットに富み、じつに伸び伸びしていて、忘れがたい印象を残すものでした。
実はドイツ音楽の録音もしているビーチャム
バッハ、ベートーヴェン、ブラームスを「退屈男!」といったビーチャムには、実はしっかりバッハ、ベートーヴェン、ブラームスの録音があります。
ビーチャムというと、私にとってはオーケストラの小品やハイドン、モーツァルトの交響曲をとびきり豊かなニュアンスで聴かせてくれる名指揮者。
グノーの『ファウスト』バレエ音楽やドビュッシーの『牧神の午後への前奏曲』などは、何度聴いたかわからないくらい大好きな録音です。
そして、今回は彼が「退屈!」と言いながらも録音を残していたドイツ音楽の大曲をあえて聴いてみようと思いたちました。
彼が残したドイツ音楽の録音から、実は70回以上も指揮していたという、ブラームスの交響曲第2番の録音をいったいどんなものか、興味本位で聴いてみました。
ブラームスの交響曲第2番とは
ベートーヴェンが亡くなって6年後の1833年にドイツに生まれたブラームス。
「交響曲」というジャンルは、ベートーヴェンがあまりに偉大な9曲の交響曲(『英雄』『運命』『田園』『第九』など)を残したせいで、それが重圧となって、ブラームスは自身の交響曲第1番を書きあげるのに20年以上の時間がかかってしまいました。
22歳のころに着手して、完成したのは43歳のころでした。
そのたいへんな難産だった第1番を書き上げて開放されたのか、第2番は翌年に4か月ほどで完成。
ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」と第6番「田園」の関係性をふまえて、このブラームスの第2番を「田園」交響曲と呼ぶ人もいます。
ブラームスはこの交響曲をオーストリアの避暑地ペルチャッハで書きました。
この風光明媚な避暑地では、ヴァイオリン・ソナタ第1番やヴァイオリン協奏曲など、ブラームスの作品のなかで比較的明るく穏やかな傑作が相次いで生まれています。
ブラームスの友人はこの交響曲第2番を聴いて、「ペルチャッハというところはどんなに美しい場所なんだろう」と言ったそうです。
ブラームスの「田園」という例えですが、それはそうした雰囲気だけではありません。
ベートーヴェンの「運命」と「田園」が共通の動機をもとに作曲されているように、ブラームスの第1番と第2番も共通の動機をもとに作られています。
きっとブラームス自身、そこは最初から計画していたのではないかと私は思います。
計画ということでは、ブラームスには研究者たちが一生懸命になっているたくさんの「謎」があります。
ブラームスの謎
ブラームスは恩人シューマンと同じく4曲の交響曲を書きましたが、そのブラームスの交響曲は第1番から第4番までの調性を並べると、ハ短調(C)→ニ長調(D)→ヘ長調(F)→ホ短調(E)。
ちょうどモーツァルトの交響曲第41番『ジュピター』のフィナーレの主題“ C-D-F-E ドレファミ”とぴったり一致します。
これが偶然なのか意図的なのか。
これはシューマンの交響曲も同様で、並べると変ロ長調(B)→ハ長調(C)→変ホ長調(Es)→ニ短調(D)、移動ド読みで「ドレファミ」のジュピター音型になっています。
なので、ブラームスはモーツァルトを意識したというよりは、恩人シューマンの交響曲が美しくジュピター音型になっていることに気づいて、シューマンへの敬意を込めて、ブラームスが同じような音型をとったような気が私はします。
あくまで私の想像です。
さらに凄いのは、二人の交響曲の調性をすべて混ぜて、音階順に並べ替えると“B→C→D→Es→E→F”、移動ド読みで「ド→レ→ミ→ファ→ファ♯→ソ」。
これをホ短調にすると、ちょうどブラームスの交響曲第4番のフィナーレの主題とぴったり同じ音型になるという研究もあります。
どこまでがブラームスの計画なのか、すべて研究者の後付けなのか。
用意周到なブラームスなので、私はすべてを彼の意図のように感じています。
では、ビーチャムによるブラームス:交響曲第2番を聴いてみましょう。
結論を言ってしまうと、たいへんな名演奏です。
その驚きと感動で、この記事を書くことにしました。
ブラームス:交響曲第2番ニ長調Op73
サー・トマス・ビーチャム指揮ロイヤル・フィル(1958/59, Stereo)
現在、廃盤になっているものですが、ネット配信で聴くことができます。
ただ、よほど忘れられた演奏なのか、Amazon Music以外では探すのが大変です。
詳しいリンクは最後にまとめてご紹介しています。
私は一度聴いてすっかり感動してしまって、どうしてもこの演奏を手元に置いておく安心感が欲しくなって、結局、廃盤になって久しいCDを中古店で探して手に入れてしまいました。
幸運なことに、音質が最高といわれる旧西ドイツ製の、音のとびきり美しいCDでした。
この録音は、間違いなく一生、大切に聴き続けることになるはずです。
ビーチャムが描く圧倒的な幸福感
ビーチャムによるブラームス、その最大の魅力のひとつは、何といってもその“響き”です。
フルートはフルートらしく響き、オーボエはオーボエらしく歌い、木管、金管、弦、ティンパニがそれぞれに固有の本来の音色をまったく失っていないのに、けれども、明らかにひとつの音楽のなかにある姿。
弦楽器や管楽器の音色、さらにはティンパニの音色にいたるまで、このブラームスの交響曲第2番を演奏するために、どこかでわざわざ楽器を作り直してきたのではないかと思うほど、何もかもが調和しています。
そう、ここにあるのは「完全な調和」、そして、「圧倒的なまでの幸福感」です。
冴えわたった弦楽器と木管楽器の艶のある音は、CDで聴きなおしたときにさらに一層強く聴きとれました。
当時のロイヤル・フィルがこんなに美しい音を出すオーケストラとは、今までまったく知りませんでした。
きっとビーチャムお気に入りの、腕利きのメンバーがずらりと揃えられていたのでしょう。
この美しさは、まったく予想外の驚きでした。
初夏の爽快な空気を感じさせる第1楽章
第1楽章、冒頭からさわやかなテンポですっきりと始まります。
これは今ではさして珍しいアプローチではありませんが、録音された1950年代ということを考えると、かなり清々しいアプローチだったはずです。
ドイツ・オーストリア系の指揮者であれば、もっと低音を響かせて陰影をつけて演奏します。
このすっきりとしたスタイルは演奏全編をつらぬいていて、まさに“ 初夏 ”の爽快な空気を思わせます。
その風通しのよい音楽は、どこか交響曲第1番を完成させて肩の荷をおろしたブラームスが、きっと深く吸い込んだであろう保養地ペルチャッハの澄んだ空気を思わせるものです。
聴きはじめてすぐに、私はこの演奏が大好きになりました。
そして、その爽やかさは決して響きだけではありません。
それはビーチャムによる第2主題の独特な扱い方からも生じています。
彼は意外なくらい積極的にこの第2主題を歌わせています。
ほかの指揮者たちなら、ここはもう少しテンポをゆるめて渋みをもって歌わせるところを、彼はむしろ勢いを失わないよう、ほのかに情熱的なニュアンスすら込めて歌わせています。
ただ、それが攻撃的に聞こえたり、違和感を感じたりしないくらいの、微妙なバランスをもって行われているところに、ビーチャムとロイヤル・フィルの格調の高さがあります。
たいていの演奏でいくぶん緩やかになるはずの第2主題がそのように推進力をもって歌われていくので、その結果、楽章全体が非常にすっきりと一筆書きのような趣きをもっています。
それはまるで、達筆なひとが夏の絵葉書をしたためたように、味わいもあるけれど、どこか爽やかな風情でもって、さっと描かれていきます。
そのすっきりとしたスタイルによって、この交響曲でいちばん長い楽章である第1楽章がすこし短く聴こえるくらいです。
ドイツ系の指揮者なら沈み込むような味わいとなる箇所も、常にどこかさわやかな風に吹かれて、音楽がしあわせに流れていきます。
それは何度でも聴きたくなる、心地よい美しさに満ちあふれています。
大曲を指揮するビーチャムの構成感
交響曲は構成的な音楽です。
とりわけ第1楽章は提示部、展開部、再現部…など、形式のうつくしさが根底にあるものです。
優れた演奏は、聴いていて「今、展開部に入ったんだ」「あ、ここから再現部だ」と手に取るようにわかるものです。
私はそれを昔、ロシアの名ヴァイオリニスト、ダヴィッド・オイストラフが弾くシベリウスのヴァイオリン協奏曲の録音を聴いていて、初めて“ 体験 ”しました。
あれは凄い録音です。
同じことをピアノでは、ルービンシュタインが弾くショパン:バラード第1番の録音を聴いたときに体験しました。
聴いていて形式が伝わってくる演奏家というのは、実に数が限られます。
いわゆる巨匠、音楽史に残る大家たちはまさにそれができた人々で、その意味で最近は交響曲を指揮できる指揮者が少なくなっていると感じています。
私にとっては交響曲のような大曲より管弦楽の小品が似合うイメージだったビーチャムが、実にしっかりと構成をふまえて、ブラームスの形式の美しさをも伝えてくることに、とても驚きました。
完全な調和、完璧な演奏
第2楽章に入っても、うつくしい歌は止むことがありません。
すっきりとしたテンポで綿々たる歌が淀みなく紡がれていきます。
「もしかしてこの完成度のまま、ずっと音楽が続いていくのだろうか」と、第1楽章での感動はやがて驚きに変わってきて、そして、段々と鳥肌がたってきます。
この感覚は以前にハンガリー出身の大指揮者ジョージ・セルがアメリカの名門クリーヴランド管弦楽団と録音したベートーヴェンの交響曲第3番『英雄』を聴いたときにも感じたものです。
すべての音、すべての響きが完全な調和のなかで響きあっていて、完璧なのに無機的にならず、いつまでも、どこまでも有機的に発展していく光景。
もし世の中に「完璧」というものが存在するのなら、あの『英雄』の演奏と同様、このブラームスも間違いなくその一つです。
もちろん、ブラームスの交響曲第2番はこの演奏以外ありえないとか、そういうことではありません。
他の演奏との比較云々ではなく、ただ、この演奏はこれでもう完璧に完結しているということです。
言葉を失う名演奏
この圧倒的な幸福感、完全な調和はそのまま最後の最後まで失なわれることなく、伸びやかで完璧に美しい第3楽章を経て、フィナーレの爆発的なコーダまで続いていきます。
こういう演奏は、もう何も言葉が出てこないというか、ただひたすら音楽に身を任せるしかありません。
演奏の特徴を言葉にすることすら、何か演奏を邪魔しているような気持にさせられてしまいます。
第3楽章のオーボエ、木管楽器の牧歌的な幸福感、弦楽器の光あふれる躍動を聴いてみてください。
きっと言葉を失うはずです。
以前、渋谷の山種美術館で日本画家の奥村土牛が描いた『醍醐』という絵を見たときに、その一面の桜色の美しさとあふれる幸福感に触れて、「人生で幸福を見失ったときには、この美術館に来てこの絵を見よう」と思いましたが、それと同じことをこの録音に感じています。
この録音を残すことができたというだけでも、ビーチャムは音楽史に残っていいというくらい、これはたいへんな名演奏です。
この録音がオンラインで聴けることが救いですが、CDとして長く廃盤になっているというのは人類にとって大きな損失です。
わたしは随分音楽の本には目を通してきたつもりですが、今までこの演奏について言及しているものを目にした記憶がまったくありません。
これは忘れられた名演奏なのでしょうか。
もしそうだとしたら、これは大変な忘れ物をしていることになります。
それとも、たまたま私の耳にだけ完全に合っている演奏なのでしょうか。
もしそうだとしたら、それはそれで私はこの演奏を独り占めにして、一生たいせつに聴き続けます。
ブラームス:交響曲第2番ニ長調Op73
サー・トマス・ビーチャム指揮ロイヤル・フィル(1956Live, Mono)
こちらのライブ録音も現在聴くことができます。
BBC LEGENDSというシリーズで出ていたCDをやはり中古で手に入れてきました。
別の会社が出しているネット配信もあります。
これはさらに見つけにくいので、リンクは記事のおしまいにまとめてあります。
この演奏を聴いてまず気づくのは、さきほどの録音にくらべると、ドイツ・オーストリア系指揮者の演奏に近いということです。
第1楽章の第2主題もゆっくりと歌わせています。
これはこれで十分に素晴らしいものですが、“ ビーチャムを楽しむ ”という点では、さきほどの録音のほうが、彼の色が全編にはっきりと出ていて私は好きです。
ではなぜ、このライブ録音のことを、わざわざ追加で紹介するのか。
ビーチャムの叫び声(!)が収録されているんです。
こんなに楽しい驚きは、そうそうありません。
第4楽章のコーダ、あの歓喜の爆発のようなところへ向かって、ビーチャムが何度も「Hey!!!!!」と大きな声でオーケストラを駆り立てていく掛け声を聞くことができます。
第4楽章には音階を上下する旋律の受け渡しが何度も出てきますが、ビーチャムとロイヤル・フィルはゆっくりなテンポで、けれど非常に美しく、それも色彩的に、その受け渡しを歌っていきます。
このさりげない経過句が、ここまで美しく訴えてくる演奏は今まで聴いたことがありません。
この何気ない音階の上下が美しくゆっくりであるがゆえに、それに続くコーダが変に落ち着いたものになってしまう危険性もあるわけです。
それをビーチャムは掛け声でオーケストラを鼓舞し、見事になコーダへ導いています。
うっとり聴いているところへ、突然、彼の叫び声が聞こえてきて、びっくりして思わず笑みがこぼれます。
ビーチャムの狙いどおり勢いのあるコーダが爆発すると、最後の和音がまだ鳴り終わらないうちに(!!)、聴衆から喝さいと拍手が盛大に沸き起こります。
こうした本当にたのしい時代があったのだと、うらやましくなる瞬間です。
この演奏を聴いてから、現代のオーケストラ演奏を聴いてみると、今は冷静でアカデミックな演奏が支配的になっていることを痛感します。
痛感という言葉がほんとうに相応しい。これは痛みを伴う実感です。
ゆえに、音楽ファンはこのビーチャムのユニークな演奏を聴く必要があるわけです。
私たちが何を手に入れて、何を失ったのかを、この録音は図らずも問いかけているわけです。
音源のリンクまとめ
さて、今回はサー・トマス・ビーチャム指揮ロイヤル・フィルによるブラームスの交響曲第2番をテーマにお伝えしました。
これは普通に検索してもなかなか見つからないので、悪戦苦闘しました。
ぜひ以下のリンクを参考に、みなさんは楽にアクセスしてください。
今回前半にご紹介したスタジオ・ステレオ録音は、Amazon Musicで出会ったものです。
AppleMusic、Spotify、LineMusicには、他の曲と詰め合わせで入っていましたのでリンクしてあります。
また、私が手に入れたのと同じ中古CDを探す場合は、「CDM7632212」か「0077776322124」で検索してみてください。
画像はAmazonの商品ページにリンクしてあります。
(在庫があったらラッキー)
後半に取り上げたライブ録音の中古CDを探す場合は、「BBCL4099」か「0684911409925」で検索を。
後半のライブと同じ演奏のネット配信のリンクはややこしいです。
AppleMusic(フライング拍手あり)、
Amazon Music(フライング拍手あり)、
Spotify(フライング拍手あり)、
LineMusic(叫び声は残っていますが、最後のフライング拍手は除去されています。しかも厄介なことに、このLine Musicのものは私が確認した時点ではベートーヴェンの交響曲第2番と混ざってしまっています。CD3の2,4,6,8曲目がブラームスの交響曲第2番です)。
最初の方でご紹介したバレエ音楽集はこちらです。
( AppleMusic↓・Amazon Music・Spotify・LineMusic )
そして、山種美術館の公式ホームページのリンクも貼っておきます。
この美術館は奥村土牛の絵画をコレクションとして持っていて、『醍醐』も折に触れて公開されています。
奥村土牛の絵画では『醍醐』にくわえて『鳴門』も私は大好きです。
ブラームスの交響曲第2番で、このビーチャムの演奏にいちばん近いと思うのは、クラウディオ・アッバード指揮ベルリン・フィルの日本公演でのものです。
あの演奏の幸福感も圧倒的で、前半に演奏されたヴァイオリン協奏曲(ヴィクトリア・ムローヴァ独奏)に至っては、後日、アッバード本人の希望で急遽CD化されたくらいです。
下の画像クリックでAmazon商品ページに飛べます。
今現在一般に流通しているものよりも、この1994年発売のものの方が音がいいです。
というわけで、サー・トマス・ビーチャムによるブラームス、初夏の一日に聴くのにうってつけな、幸せあふれる記録です。
この曲に限らず、ビーチャムという人は何となく夏が似合うイメージがあります。
CDなどのジャケットで、バカンス中のようなビーチャムの写真が多いせいでしょうか。
彼にはやはり夏に聴きたくなるお得意の小品集もありますが、それはまた別の音楽。
また別の機会にお話しさせてください。