世界三大オーケストラという言い方がひと昔前まであって、ドイツのベルリン・フィル、オーストリアのウィーン・フィル、そして、オランダのロイヤル・コンセルトヘボウの3つのオーケストラのことを指していました。
今は、世界中のオーケストラの実力がかなり拮抗しているので、あまりこうした表現も目にしなくなっています。
そのオランダの名門ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の創立125周年を記念して、『ロイヤル・コンセルトヘボウオーケストラがやって来る』という映画が2014年につくられました。
当時の首席指揮者は、ラトビア出身の人気指揮者マリス・ヤンソンス(1943-2019)でした。
いわゆるロードムービーで、世界50か国をめぐったワールドツアーを軸につくられた、約100分の映画です。
その映画がAmazon prime video(リンクしてありますしてあります)で公開されていたので、2014年からもうだいぶ経っていますが今回、初めて観てみました。
※ここから先はどうしても映画の内容に具体的に触れますので、内容を知りたくない方はここで切り上げてください。
目次(押すとジャンプします)
気になった点をまず正直に
正直に、まず気になったことをあげてしまうと、ロイヤル・コンセルトヘボウを追ってはいるものの、このオーケストラでなければいけないというような内容にはなっていません。
演奏シーンやリハーサルシーンも、時間的にあまり出てこないですし、選曲も演奏内容も特に彼らのベストというものでもありません。
ですので、オーケストラの映画なのに、純粋に音楽的な側面で弱いというのが、説得力をやや下げているように感じました。
それでも、「観てよかった!」と思わせるものが、この映画には確かにありました。
ですので、ここからは、そのことをつづっておきたいと思います。
この映画の魅力
コンセルトヘボウという名門を扱った映画なので、その貴重なリハーサル・シーンや音楽的な面を楽しみにしていたものの、実際に観て心をつかまれたのは、まったく違う点でした。
私にとって面白かったのは、オーケストラを聴きに来る一般の人たちが「なぜクラシック音楽を聴くのか」、オーケストラの団員たちは「なぜクラシック音楽を演奏しているのか」という点をクローズアップして、描いているところでした。
楽団員が好きな音楽について語り合っている姿もあれば、一般聴衆の人たちがそれぞれに人生を歩んでいるなかで、クラシック音楽と真剣に向き合っている姿もあります。
そして、特に印象深いのは後者でした。
映画の主人公はむしろ一般の聴衆、市井の人たち
このドキュメンタリー映画では、ひとりの聴衆としてコンサートへ来ている一般の人をよく描いています。
オーケストラは映画がはじまった前半では主人公のようになっていますが、途中から一般聴衆の話が軸になってきます。
そして、クライマックスで、それを統合した構成になっています。
私にとって、この映画ではとにかく一般聴衆の姿こそが見どころだったので、観ていて面白くなってきたのも中盤からです。
人はなぜ音楽を聴き、音楽を演奏するのか。
それは、そのまま自分にも跳ね返ってくる問いかけでもあるわけで、私にとってこの映画を観る意味は、まさにそこにあったといって間違いありません。
人はパンだけで生きていけるのか
私が映画を観て最初にひきこまれたのは、コンセルトヘボウの楽団員や指揮者ヤンソンスの姿ではなく、コンサートに通っているタクシー運転手の男性のインタビューでした。
「タクシーの仕事は優雅さに欠ける」と彼はタクシーを運転しながらカメラに語っています。
「そもそも優雅とはいえない道路で毎日仕事をしていれば、いつしか自分だって優雅さを失うのは目に見えている。
だから、音楽を聴くことで自分が自分でいれるようにしているんだ」と。
彼は別にタクシーの職業を見下しているわけではなくて、それは映画のなかで本人も説明しています。
ただ、雑多な日常に飲み込まれていくなかで、自分のなかの大切な何かが確実に損なわれていく危機感を感じているわけです。
そのことを思うとき、私は戦時中、ベルリンの人々が配給のパンやタバコと交換で、ベルリン・フィルのチケットを手に入れてはコンサートを聴きに行っていたという話を思い出しました。
戦時中、食糧事情もままならない中で、せっかく手に入ったパンをコンサート・チケットと交換してしまうという事実に、それを知ったときは驚きました。
生きるか死ぬかのときに、コンサートを聴きに行くものなのだろうかと。
それをより理解できるようになったのは、やはり戦時中、まだバレリーナだったオードリー・ヘップバーンがレジスタンスの支援のために、一般の家々をまわって、音楽もなく、ただバレエを踊って見せては資金を集めていたという逸話を聞いたときです。
ヘップバーン自身も確か、音楽もない踊りをみんなが熱心に見たがることに驚いたとどこかで言っていたはずです。
つまりは、そうまでしてでも、人は「芸術」をもとめるのだということでしょう。
人がパンだけで生きていけるというのは、空想にすぎないということを、これらの歴史的事実は教えてくれます。
音のない部屋のなかでバレエをただただ見ていた人々は、戦争の惨劇や不安を目の前に、きっと自分が自分でいることを見失わないように「芸術」を求めていたということでしょう。
手に入ったパンをチケットと交換していたベルリンの人々も、戦争という人間の生み出す悲劇のなかで、音楽という、やはり人間の生み出す芸術を求めずにはいられなかったということでしょう。
そして、それは何も戦争という究極の状況にかぎらないわけです。
このタクシー運転手の場面を観て、そう感じずにはいられませんでした。
それどころか、このシーンを観て「もしかしたら自分もそうなのかもしれない」という思いを抱く人は、たくさんいるのではないでしょうか。
スチールドラムをたたく南アフリカの少女たち
映画中盤、オーケストラのワールドツアーの舞台は、南アフリカのヨハネスブルクへ移ります。
その空港に降り立ったコンセルトヘボウのメンバーを待っていたのは、地元のこどもたちが満面の笑顔で演奏するスチールドラムの演奏。
これは“ 音楽の原点 ”を見るかのような光景です。
ここには、人が音楽をする根源的なよろこびが鮮明に映し出されています。
もしあなたが何か楽器をやっていて、それを演奏する喜びを見失っているなら、きっと彼らの音楽する姿に心をゆさぶられるはずです。
彼らの来ているTシャツにはSoweto Marimba Youth Leagueの文字。
ソウェトは、南アフリカの悪名高いアパルトヘイト(人種隔離)政策の象徴の地でもあった場所。
スチールドラムの演奏をしていた女の子たちへのインタビューもそのあとに出てきますが、彼女たちの住んでいるところは本人たちが「住む場所を選べるなら、絶対にこんなところには住まない」と言っているような場所です。
アパルトヘイトという制度は終わったものの、いまも貧困や危険と隣り合わせの暮らし。
音楽の愛し方
ところが、そんな彼女たちが音楽や楽器の話をし始めた途端、その生活環境や文化の違いなどより、音楽の愛し方がまったく同じだということに深い共感を抱かずにいられませんでした。
指揮者のリッカルド・ムーティがあるインタビューで、世界のどこへ行っても、ウィーンで指揮をしても、シカゴで指揮をしても、感じるのは楽団員の違いよりも、むしろ、どのオーケストラの楽団員も似ているということだと話していました。
音楽が世界の共通言語だということは、あまりに使い古されてしまった表現ですけれど、あの少女たちの場面は、それを新鮮に映し出してくれます。
これに続いて映し出されるヴァイオリンを習う子どもたちの場面でも、楽器を手にしたときの姿、音楽を愛する方法は本当に何も変わらないんだと、世界をちいさく感じました。
楽団員が愛する音楽
音楽を愛するという点で、やはり、こうした一般の人々と楽団員に何ら違いはないわけで、楽団員個人へのインタビューも面白いものがありました。
楽団員のもので私がいちばん面白かったのは、コントラバス奏者へのインタビュー。
彼は「人生の一曲」をインタビュアーに尋ねられてます。
ヴァイオリン奏者やオーボエ奏者なら何となく予想ができたりするものですが、これといって目立つ曲の少ないコントラバス奏者に質問しているのがとっても面白い場面です。
そして、そのコントラバス奏者の答えた曲が、私には予想できない一曲で、彼の熱のこもった話に夢中で聞き入るしかありませんでした。
また、そのほかにフルート演奏が「あれは泣ける」と言っているのが『わが街アムステルダム』。
これは以前、別の記事でもご紹介したことのある歌。
これを自分たちの歌として合唱できるオランダの人々がうらやましい、じつに素敵な歌。
これはオランダ人でなくても泣ける歌です。
この映画が配信されているサイト
映画『ロイヤル・コンセルトヘボウオーケストラがやって来る』は、このように印象深いインタビューがいろいろと出てきます。
楽団員も当然いるのですが、一般の人々のほうが軸になっているという点で実にユニークな映画です。
私たちはなぜ音楽を演奏し、聴くのか。
その答えは実に多様であって、ところが、どれも実は同じでたったひとつであるようにも感じさせられる映画。
この映画はオンライン配信では、Amazon prime videoなどで公開されています。
結局、ヤンソンスとロイヤル・コンセルトヘボウが聴きたくなる
さて、先にご紹介したように、この映画は肝心のコンセルトヘボウの演奏があまり紹介されていません。
でも、この映画を観ると、どうしたってコンセルトヘボウとマリス・ヤンソンスのコンビの演奏を聴きたくなります。
少しノスタルジックで感傷的な気持ちにさせられるこの映画のあとには、とりわけ、このコンビが演奏したラフマニノフの交響曲第2番を聴きたくなりました。
ラフマニノフ:交響曲第2番 ホ短調
この曲の第3楽章は、ラフマニノフが書いた最もうつくしい音楽のひとつ。
その美しい旋律をコンセルトヘボウとヤンソンス、この相思相愛だったコンビが心をこめて歌っています。
映画のあとに、どうしても聴きたくなった音楽。
第3楽章にかぎらず、一貫した抒情性が美しい、私にとってこのコンビで一番印象的なアルバムのひとつです。
( Apple Music↓・Amazon Music ・ Spotify などで聴けます)
その他、映画でこのコンビに興味が出たら、ぜひ聴いていただきたいアルバムをご紹介しておきます。
ドヴォルザーク:交響曲第8番&第9番『新世界から』
ヤンソンスは得意のレパートリーがはっきりしていて、それを繰り返し演奏するタイプの指揮者でした。
ドヴォルザークのこの2曲は彼の十八番で、何度も演奏、録音もしています。
ここでもコンセルトヘボウとのびのびした音楽を展開しています。
安心して聴いていられる素敵な演奏。
そして、ある意味「普通」の演奏。
でも、コンサートへ通うとわかるのですが、この普通の演奏になかなか出会えないものなんです。
安心してチケットを買えるこのコンビは、実はとても貴重な存在でした。
交響曲第8番はApple Music↓・ Amazon Music ・ Spotifyなどで聴けます。
交響曲第9番『新世界から』はApple Music↓ ・ Amazon Music ・ Spotify などで聴けます。
ドビュッシー『海』などのフランス・アルバム
こちらはドビュッシー:交響的素描『海』、デュティユー:ヴァイオリン協奏曲『夢の樹』、ラヴェル:『ラ・ヴァルス』というフランス音楽3曲が収録されたアルバム。
特に『海』をはじめとして、音色のうつくしさがとても印象的だったアルバム。
( Apple Music↓ ・ Amazon Music ・ Spotify などで聴けます)
シベリウス:交響曲第2番 ニ長調
ヤンソンスはシベリウスがとても上手な指揮者でした。
彼の手兵だったオスロ・フィルとも素晴らしい録音を残していますが、コンセルトヘボウとはこの交響曲第2番が素敵な演奏になっています。
ラフマニノフのときと同様、コンセルトヘボウのシルクのような音色が味わえる演奏。
( Apple Music↓・ Amazon Music ・ Spotify などで聴けます)
プロコフィエフ:交響曲第5番 変ロ長調
このコンビの明るい音色、のびやかな音楽が爽やかに躍動している演奏。
第2次大戦中に書かれたこの音楽の緊張感を押し出すというよりは、曲の持つどこか祝祭的な雰囲気をおおらかに感じさせてくれるアルバム。
( Apple Music↓・ Amazon Music ・ Spotify などで聴けます)
♪このブログでは、オンラインで配信されている音源を中心にご紹介しています。
オンライン配信の音源の聴き方については、「クラシック音楽をオンライン(サブスク定額制)で楽しむ~音楽好きが実際に使ってみました~」のページでご紹介しています。