シリーズ〈交響曲100〉、その第11回。
今回はモーツァルトが前回ご紹介したプラハ交響曲を書いたのと同じ1787年の、先輩ハイドンの活躍に目をむけてみます。
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「トスト交響曲」
モーツァルトが『プラハ』交響曲で最晩年の境地に入り始めた1787年、55歳になるハイドンのほうは交響曲を2つ作曲しました。
どちらも、トストという人物からの依頼で書かれたので、2曲をまとめて「トスト交響曲」と呼ぶこともあります。
トストは、ハイドンが長年仕えたエステルハージ公の楽団にいた人物で、独立してパリへ行こうとしていました。
その際、ハイドンに新作の交響曲を2曲依頼していて、結果、第88番と第89番が生まれました。
第88番は自筆譜が失われていて作曲時期などが不明なようですが、第89番に1787年という日付があるので、第88番も同年だろうと推測されています。
また、「V字」というニックネームについては、ある出版社がハイドンの交響曲選集を出したときに、アルファベットをわりふって、たまたまこの88番に「V」があてられていただけで、曲の内容とは関係がありません。
ただ、やはりハイドンの交響曲は数が多いので、特に内容が際立っているこの曲を他の曲と区別したいということもあってでしょう、この「V字」という呼び名がある程度定着しています。
ハイドンとモーツァルト、そしてブラームス
この第88番でとくに新しい試みなのが、静かな第2楽章でトランペットとティンパニーが使われていることです。
楽器の性能面での制約などがあったので、これは当時として、かなり大胆な斬新な試みでした。
実は、この大胆な試みをすでに実行していた作曲家がいます。
偉大な後輩、モーツァルトです。
彼は交響曲第36番ハ長調『リンツ』(1783年)の第2楽章で、トランペットとティンパニーを使用していました。
おそらく、先輩ハイドンはそれを聴いたんでしょう。
後輩の作品から素直に学べる姿勢、ハイドンの器の大きさがわかります。
この第2楽章は非常に評価が高くて、あとにブラームスが「自分の交響曲はこのように響かせたい」と述べていたことも知られています。
🔰初めての88番
全4楽章構成で、だいたい20分ほどの演奏時間です。
第1楽章はアダージョの序奏のあとに、アレグロの快活な音楽が続きます。
いかにもハイドンによる、ハイドンらしい音楽。
第2楽章はラルゴ、ゆっくりした楽章です。
変奏曲になっていて、最初に表れるメロディーのヴァリエーションが続きます。
第3楽章がメヌエット、アレグレット。
バグパイプのような響きをもつトリオが面白く出来ていて、旋律のフレーズが5小節や7小節など、ちょっと拍がとりづらくなるようにわざと作られています。
通常、西洋音楽は4小節や8小節でフレーズを作ります。
それを、ちょっと長かったり短かったりさせて、楽しくしているわけです。
ハイドンのユーモアをまだあまり感じたことがないという方は、ここのところを指で数えながら聴いてみると、数えにくくて面白いはずです。
第4楽章、アレグロ・コン・スピーリト(活気のあるアレグロ)。
さまざまな旋律が絡みあう対位法的な書法がとられていて、親しみやすいメロディーが最後には壮麗な音楽となって立ち上がります。
初めて聴くときはユーモラスな第3楽章か、活気あふれる第4楽章からが親しみやすいと思います。
しずかな楽章が好きな方は、第2楽章からどうぞ。
私のお気に入り
この曲のおもしろさを私に初めて教えてくれたのは、フリッツ・ライナー指揮シカゴ交響楽団の1960年の録音。
ライナーは以前、ガーシュウィンの交響的絵画『ポーギーとベス』のところでもご紹介したように、ほとんど動かない指揮だったことで有名です。
でも、ほとんど動かないのに、生まれてくる音楽は生命力にあふれ、強く輝かしいものでした。
絶対王政というか、独裁者のような指揮者でしたが、一方で何より実力主義者であって、彼が指揮していた当時のピッツバーグ交響楽団は、世界的に見ても珍しいほど女性奏者が多く採用されていたことが知られています。
このハイドンは彼の怖いイメージとは真逆で、溌剌とした、まさに音楽が喜び、はじけているかのような生命力に満ちています。
鉄壁のアンサンブルのなかでも、各楽器がユーモラスな表情を欠かすことなく、わきたつようなハイドンが聴かれます。
この指揮者の残した多数の名録音のなかでも、特筆されるべき演奏のひとつ。
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フランス・ブリュッヘン指揮18世紀オーケストラは、古楽器による演奏。
このコンビらしい厚みのある響きで、スケールの大きい音楽をやっています。
端正な響きを支えに、曲の形式の美しさが伝わってくる、堂々たる演奏を聴くことができます。
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カール・ベーム指揮ウィーン・フィルの演奏も素晴らしいです。
このコンビはモーツァルト、ベートーヴェン、ブラームスで特に名高いです。
でも、実はハイドンでも素晴らしい交響曲集を残しています。
もっと言えば、この一連のハイドンこそ、数多いベームの録音のなかでも出色の録音のひとつだと思っています。
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クレメンス・クラウス指揮バイエルン放送交響楽団。
クレメンス・クラウス(1893-1954)はウィーン生まれの名指揮者。
これは1953年の録音で少し音が遠いので、ちょっとボリュームをあげて聴いてください。
この人は、大司教や皇帝の私生児ではないかとのうわさが常にあった人で、その出自については今も謎に包まれています。
演奏もまさにそうした噂を裏づけるような、気品あふれる颯爽としたもの。
名門ウィーン・フィルが常任指揮者として迎えたのは彼が最後で、その後は特定の常任指揮者を置かずに今日に至っています。
元旦に世界に生中継される、有名な「ウィーン・フィル・ニューイヤーコンサート」を始めたのも彼です。
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ウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルの古い録音は、この曲の全然ちがった姿を見せてくれます。
フルトヴェングラーはドイツの伝説的指揮者。
最近のCDで聴くと、すごく固い音でズシンとした演奏をしていたように思われがちですが、実際は違うようです。
フルトヴェングラーの演奏を生で聴いた人たちが、みなさん一様に「色彩的でやわらかい音がした」とおっしゃっているので、こちらも少し想像力で音を補いながら聴く必要がありそうです。
フルトヴェングラーには、いくつかこの曲の録音がありますが、今回は1951年のシュツットガルトでのライブ録音を。
第2楽章の寂寥感、第3楽章でのベートーヴェンの英雄交響曲のスケルツォを連想させる輝き。
そして到達したフィナーレでの、光の洪水のようなコーダ。
まさにフルトヴェングラーのハイドンを聴く醍醐味。
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フルトヴェングラーと犬猿の仲だったとされる、アルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC交響楽団は快速のハイドン。
とにかくテンポが速いです。
でも、ただ速いだけなら他にもたくさんありますし、現代にもそうした演奏は数多くあります。
巨匠トスカニーニの演奏が、それらとまったく違うのは、その“生命力”です。
音のひとつひとつ、フレーズのひとつひとつの輝きと力強さ。
トスカニーニは1867年生まれで、このブログで紹介している演奏家のなかでもいちばん古い時代の人です。
さきほど紹介したフルトヴェングラーですら、1886年生まれです。
トスカニーニがいかに斬新なスタイルの指揮者だったのかがわかります。
彼は長寿と健康に恵まれたので、こうしてきれいな音の録音が残っていて、このエネルギッシュなハイドンも80歳代半ばの指揮です。
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