今回はちょっとめずらしい曲、ハンガリーの作曲家ゾルターン・コダーイ(1882-1967)の《ハンガリー民謡「孔雀は飛んだ」による変奏曲》をテーマにおとどけします。
日本における吹奏楽のおもしろいところ
最近、新聞で読んでおどろいたのですが、現在、日本の学生でいちばん加入率が高い部活は「吹奏楽部」なんだそうです。
学生のおよそ10%、10人に1人が吹奏楽部に入っているということで、サッカー部や野球部、バスケットボール部などの運動部をおさえての1位だそうです。
たしかに、日本は世界でも稀なくらい、「吹奏楽」がとってもさかんな国です。
おそらくそれに貢献したのが「コンクール」の存在で、この夏も、日本各地の学生、社会人が吹奏楽コンクール一色の夏をおくったことと思います。
わたしも中学と高校は吹奏楽部で過ごしたので、なつかしく思い出します。
といっても、わたし自身はコンクールでの賞の獲得にあまり熱心ではなく、大人になった今も、コンクールの類いにはほとんど関心がありません。
そんな私がコンクール会場で楽しみにすることと言ったら、楽器を吹くこと自体と友だちとお弁当を食べること、それから、他の学校の演奏をたくさん聴くことでした。
私にとっては無料で聴けるコンサートのようなもので、生演奏でたくさんの音楽、そして、まだ知らない新しい曲とも出会えるのが大きな楽しみでした。
この《孔雀変奏曲》もそうした具合で、中学生のときに、上手な学校が演奏しているのを聴いて出会った音楽です。
つまり、私はまず「吹奏楽」による編曲版でこの《孔雀変奏曲》と出会って、あとになって、原曲であるオーケストラ版を知りました。
吹奏楽になじみの薄い方のために申し上げると、吹奏楽コンクールでは、もちろん、吹奏楽のために書かれたオリジナル作品もたくさん演奏されるのですが、実はそれと同じくらい、クラシックの作品を編曲したものも多く演奏されます。
オーケストラ曲はもちろん、オペラ、バレエ音楽、なかにはピアノ曲の編曲などもあったりします。
そして、特に日本の吹奏楽シーンを見ていておもしろいのが、通常のクラシック・コンサートではそこまで取り上げられない作品なのに、吹奏楽の世界ではとても広く演奏されている作品が存在していることです。
例えば、いちばんの典型は、レスピーギのバレエ音楽《シバの女王ベルキス》でしょうか。
これはオーケストラ・コンサートでは国内海外問わずほとんどやられませんし、レコーディングも数えるくらいしかありませんが、日本の吹奏楽シーンでは定番曲といっていい作品です。
今回ご紹介するコダーイの作品についても、一般的には、彼の代表作である『ハーリ・ヤーノシュ』や『ガランタ舞曲』といった作品のほうが、コンサートでとりあげられる機会もレコーディングされる機会も、圧倒的に多いです。
けれども、吹奏楽の世界でコダーイの作品といったら、この《ハンガリー民謡「孔雀は飛んだ」による変奏曲》のほうがおそらく有名で、演奏される機会も多いです。
『ハーリ・ヤーノシュ』は知らないけれど、《孔雀変奏曲》は知っているなんていう吹奏楽部員も、きっと、ちらほらいるはずです。
コンセルトヘボウ管弦楽団のための作品
この曲は、オランダの名門オーケストラ、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の創立50周年記念のために、ハンガリーの作曲家ゾルターン・コダーイ(1882-1967)が新曲の委嘱を受け、生みだした作品です。
当時のアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団は、大指揮者ウィレム・メンゲルベルク(1871-1951)の時代で、まさに黄金時代をむかえていました。
初演は1939年11月23日で、おそらく、その初演の日のライヴ録音と思われる貴重な音源が残っていますので、それは下の「私のお気に入り」の欄でご紹介します。
孔雀はなぜ飛ぶのか
“ 飛べ、孔雀よ。牢獄の上を。
哀れな囚人たちを開放するのだ。
孔雀は、飛んだ。牢獄の上を。
けれど、囚人たちは開放されなかった。 ”
もとになった民謡はこのような歌詞をもっていて、実は、昔から大国の侵略にさらされてきたハンガリーにおいて、その圧政に抵抗するために歌われた、レジスタンス的な背景をもつ歌です。
ハンガリー民謡の研究における第一人者だったコダーイは、《孔雀変奏曲》を書くことになる前の年、1937年に、この民謡を無伴奏合唱曲にしたてています。
これは、以下の録音などで実際に聴くことができます。
( Apple Music↑ ・ Amazon Music ・ Spotify などで聴けます)
メンゲルベルクとアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団からの委嘱をうけて、コダーイはあらためてこの民謡を取りあげ、これをもとにした変奏曲を書くことにしたようです。
なぜ、このとき、コダーイは《孔雀》の民謡をテーマとして扱おうと考えたのか。
そのことを思うとき、やはり、これが作曲されたのが1938~9年という、まさに第二次世界大戦の開戦時期にあったことは重要な意味を持つと思います。
つまり、その当時、暴挙に出ていたナチス・ドイツを震源とするヨーロッパのきな臭い空気、そして、それに飲み込まれ、歩みをともにしつつあった母国ハンガリーの動き、そういったものに対する彼の苛立ちが、この《孔雀》の民謡に託されたのではないでしょうか。
そうした意味で、この曲は、コダーイによる音楽での抵抗、一種の“ レジスタンス ”であったようにも思われます。
けれども、この曲の初演から半年ほどしか経っていない1940年5月には、早くも、オランダはナチス・ドイツの占領下におかれてしまいます。
初演を指揮していたメンゲルベルクは、オランダを象徴する芸術家としてナチス・ドイツに上手に優遇され、それゆえに、以後、オランダ国民からは「裏切り者」とみなされるようになります。
戦後は戦犯として扱われ、演奏活動は禁止、そのまま復帰を果たせず、1951年に80歳で世を去っています。
果たして、メンゲルベルクの本心はどこにあったのか。
祖国の裏切り者として扱われたメンゲルベルクについては、オランダでもそこまで研究が進んでおらず、真実は今も歴史のなかに埋もれたままです。
🔰初めての《孔雀変奏曲》
冒頭に奏される、五音音階による、いかにも民謡的なメロディーが《孔雀》の主題です。
これをもとにして、そこから16の変奏、そして、終曲がつづきます。
演奏時間はおよそ25分で、決して聴きづらい音楽ではありませんし、各変奏もそこまで長くありません。
「いや、25分は長い…とりあえず触れてみたいんだ」というときは、まず冒頭の主題、それから、おしまいの3曲(第15, 16変奏、終曲)を聴いてみてください。
こうして力強く、輝かしいフィナーレを持つ変奏曲ですが、いっぽうで、そこに至るまでの過程には、たくさんの胸に迫る悲しい音楽も展開されます。
私自身は第4変奏などを聴くたびに胸がしめつけられるような思いがして、心に深く刻まれた音楽のひとつになっています。
私のお気に入り
このブログでは、オンライン配信されている音源を中心にご紹介しています。
オンライン配信は英語表記が多いです。
コダーイ→kodaly
《孔雀変奏曲》→Variations on a Hungarian Folk Song for Orchestra, “ The Peacock ”
を目印に聴いてみてください。
オンライン配信でのクラシック音楽の聴き方については、「クラシック音楽をオンライン(サブスク・定額制)で楽しむ~音楽好きが実際に使ってみました~」という記事にまとめています。
《ウィレム・メンゲルベルク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団》
この曲は、まさにこのコンビのために書かれたもので、うれしいことに、1939年11月23日の世界初演時の録音と思われる記録が残っています。
ウィレム・メンゲルベルク(1871-1951)はオランダ出身の大指揮者で、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の黄金時代を形作った巨匠です。
大作曲家のマーラー、R・シュトラウス、グリーグなどからも一目置かれていたほどの実力者ですが、上で書いたような経緯から、現在では評価がさほど高くはありません。
この初演の録音を聴いてみると、今私たちが耳にしている音楽と違っているところもあって、それが、楽譜に手を入れることも多かったメンゲルベルクによる修正なのか、コダーイが書いた初期のスコアがそうだったのかはわかりません。
いずれにせよ、演奏は本当にすばらしいもので、初演の段階で、既にここまで到達しているということに圧倒されます。
《シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団》
シャルル・デュトワはスイス出身の名指揮者。
2022年現在もご活躍ですが、特にこのモントリオール交響楽団の時代に、その色彩的な音楽で一世を風靡しました。
ここに聴かれる《孔雀変奏曲》も実に色彩的で、しかも、ダイナミック。
このコンビの無数の録音のなかでも、とくに説得力の強い演奏のひとつを聴くことができます。
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《エーリヒ・ラインスドルフ指揮ボストン交響楽団》
エーリヒ・ラインスドルフ(1912-1993)は、オーストリア出身の名指揮者。
辛辣な人柄で、やる音楽も非常に厳格、トラブルには事欠かないひとだったそうです。
残された録音を聴いても、とっても研ぎ澄まされたものが多いです。
この《孔雀変奏曲》もやはり鉄壁のアンサンブルで演奏されていますが、それと同時に、作品への強い共感のようなものが聴こえてきて、とても好きな演奏です。
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《サー・ゲオルグ・ショルティ指揮ウィーン・フィルハーモニー》
ハンガリー出身の名指揮者サー・ゲオルグ・ショルティ(1912-1997)が晩年、ウィーン・フィルと「変奏曲」ばかりを並べたコンサートをやったときがあって、私は学生当時、NHK-FMのラジオ放送でそのウィーン・フィルの演奏会を聴きました。
曲順は忘れましたが、コダーイの《孔雀変奏曲》、ブラッヒャーの《パガニーニ変奏曲》、ブラームスの《ハイドン変奏曲》、そして、エルガーの《エニグマ変奏曲》というプログラムだったはずです。
ブラッヒャーはもちろん、ウィーン・フィルが《孔雀変奏曲》を演奏するのかと、意外な思いで耳を傾けた思い出の演奏です。
『ショルティ自伝』(Amazon商品ページ)
ショルティの自伝には、若いころ通っていたリスト音楽院で、当時教授を務めていたコダーイとのエピソードが書かれています。
ショルティの母親は、どうせなら大作曲家コダーイに直接指導を受けさせようと、ある政治家の推薦状を持って、少年ショルティを連れてコダーイの部屋を訪問。
ところが、すげなく断られてしまったそうです。
それからも、コダーイはショルティに良い点数はくれるものの、とくに個人的にかかわることはないまま、音楽院を卒業。
ところが、それから何年もしてから、とある機会に、コダーイは指揮者となった若きショルティに、「ほら、やっぱり君に推薦状なんか必要なかったじゃないか」と優しく声をかけてきたそうです。
「先生、覚えてくださってたんですか?!」とショルティ。
要は、母親が持たせた推薦状を書いた政治家というのが、コダーイのまさに政敵の人物で、どうしても受け入れられなかったということだったそうで、そのことについて、後年、ショルティに「君のお母さんに申し訳ないことをした」と詫びたそうです。
コダーイはその後も、長きにわたってショルティの演奏会を聴きに来ては、おおいに励ましてくれたそうです。
このショルティによる《孔雀変奏曲》は、まさに晩年のショルティが恩師コダーイへ捧げた敬愛の念が感じられるものになっていて、ショルティのことを思い出すと聴きたくなるアルバムのひとつです。
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