シリーズ〈オーケストラ入門〉

【オーケストラ入門】ビゼー:劇付随音楽『アルルの女』とその組曲~小さな試聴室

 

シリーズ《オーケストラ入門》。
今回の音楽は、クラシックの人気曲、ビゼー作曲の『アルルの女』。

この曲は、以前ご紹介したメンデルスゾーン作曲の『真夏の夜の夢』と同じで“劇付随音楽”、つまり、劇を上演するときにその進行にあわせて演奏する目的で書かれたものです。

こうした劇付随音楽としては、ほかにベートーヴェンの『エグモント』、シューベルトの『ロザムンデ』、グリーグの『ペール・ギュント』なども有名です。

意外と知らない『アルルの女』のあらすじ

ある日、アルルの闘牛場で出会った「アルルの女」に心奪われる南フランスの農家の若者フレデリ。

婚約まで話が進んだところで、そのアルルの女と内縁関係にあったという男がフレデリの家に現れます。
アルルの女に未練のあるその男は、まともな女性を嫁にもらいたいなら身を引くようにと、2人の関係がわかる証拠の手紙まで持参して、フレデリの親族を説得します。

家族からそうした事情を知らされて、失望し、アルルの女をあきらめようとするものの、どうしても彼女が忘れられない若者フレデリ。

そうしたところに、幼なじみの内気な少女ヴィヴェットが、実はフレデリにずっと片思いをしていたと愛を告白します。
はじめは取り合わなかったフレデリも、やがて、周囲の説得やヴィヴェットの一途な愛情に心がゆれて、ついに彼女との結婚を決意します。

そうして、結婚の準備が進められ、婚約を祝おうという日がやってきます。
その日はちょうど、聖エロアの日という農村の祭りの当日でもあって、ファランドールを踊る人たちがあふれ、周囲がにぎわいを見せています。

そのお祭り騒ぎのなか、例の証拠の手紙を引き取りに、あの男がふたたび姿を現します。

男は、フレデリの家に仕えている年老いた羊飼いに、これからあのアルルの女をさらって一緒に暮らすんだと話します。
その会話をたまたま立ち聞きしてしまったフレデリ。

様子がおかしいフレデリを不安に思い、最悪の事態が起こるのではないかと母親は不安にかられます。

そして、その不安は的中し、その翌日の明け方近く、嫉妬に狂って正気を失ったフレデリは、気づいて追いかけてきた母親の制止をふりきって、納屋の高い窓から身を投げてしまいます。

騒ぎに気づいて駆けつけた老羊飼いの「恋で死ぬ男もいる…」という言葉で、この物語は悲劇のなかに幕を降ろします。

 

アルルの女は登場しない

この戯曲『アルルの女』(岩波文庫新潮文庫の古本で読めます)は、フランスの作家アルフォンス・ドーデ(1840-1897)の作品。
もともとは短編集『風車小屋だより』(岩波文庫)に入っていた、とっても短いもので、それを基に戯曲に拡大しました。

拡大したといっても、戯曲もそこまで長くはありません。
短編にいたっては数分で読めてしまうものです。

 

実はこの物語、アルルの女は姿を見せないまま終わります。
ずっと話題に出るだけで、舞台には姿を見せず、その周囲の会話から人物像が描かれているだけです。
そこで提示される、「非常に美しい。けれども自由奔放」という人物像は、あの“ カルメン ”をどこか彷彿とさせます。

 

農村の青年フレデリと、都会の美女アルルの女の恋の物語。
上のあらすじでは物語の主軸だけを紹介しましたが、実際の戯曲では、そこに知的発達が遅れている青年フレデリの弟や、少女ヴィヴェットのおばあちゃんで羊飼いバルタザールの昔の恋人だったルノーおばあさんなども登場します。

フレデリを心から愛している母親と、フレデリに純情な愛を捧げようとする幼馴染のヴィヴェット、それを少し遠くから見守る年老いた羊飼いバルタザールなど、さまざまな人物が絡みあって、それぞれにとっての真実がそれぞれに錯綜し、最終的には悲劇的な最後をむかえてしまうという、短いながらも余韻を残す戯曲になっています。

 

この物語は、作者ドーデがアルル近くの村に滞在していたとき、実際に起きてしまった事件を題材としているそうです。

画家のゴッホが「アルルの女性はうつくしい」と手紙に書いているほどなので、アルルというのは美人が多い場所なのかもしれません。

戯曲の冒頭には「私の親愛なる、偉大なるビゼーに」と献辞が書かれています。

ビゼーのこと

1872年、フランスの作曲家ジョルジュ・ビゼー(1838-1875)が34歳のころの作品。
病いのため36歳の若さで亡くなるビゼーにとって、かなり後期の作品ということになります。

ビゼーの作品として有名なのは、この『アルルの女』、そして、何といっても歌劇『カルメン』。
そのほかには、『交響曲 ハ長調』という爽やかな傑作があり、ピアノ曲では『ラインの歌』が2021年現在NHKーFMの「クラシックカフェ」という番組のテーマ曲で使われています。

 

ビゼーはこの『アルルの女』の戯曲のために、27曲の付随音楽を書きました。

ところが、そうして迎えた劇の初演は大失敗。

初演当日は、戯曲を書いたドーデが深くショックを受けたほどひどい光景が繰り広げられたようです。
感動的な場面でも、客席から笑い声が聞こえたほどだったとか。

けれども、よくあることですが、それからしばらくして再上演されたときには、今度は一転して大成功だったんだそうです。

ただ、その時にはもう、ビゼーはこの世の人ではありませんでした。

ビゼーによる『第1組曲』

ビゼーは自分が書いた音楽には自信があったのか、ビゼー自身によって、すぐにコンサート用の組曲がつくられています。
劇とほぼ同じ時期に初演されたこの組曲のほうは、最初から評判がよかったそうです。

劇音楽のほうは、初演する劇場の大きさの問題で小さなオーケストラ用に作られていますが、組曲版ではオーケストラの編成が拡大されています。

 

第1曲“前奏曲”
有名な第2組曲『ファランドール』でも出てくる、冒頭の勇壮な主題は、プロヴァンス地方の民謡から採られています。

後半、音楽が急にしずかになってサックスが旋律を吹きはじめますが、それは知的発達が遅れている弟の主題。
不思議な透明度をほこる、無垢な、非常にうつくしい旋律になっています。

第2曲“メヌエット”
もともとは終幕、例の婚約のお祝いと農村の祭りがかさなった日を描く、第3幕の前に演奏される前奏曲。
とても美しい中間部を持っていて、明るい音楽なのに、そこはかとなく悲しい、ビゼーの天才が開花した音楽になっています。

第3曲“アダージェット”
年老いた羊飼いバルタザールが、昔の恋人ルノーおばあさんと50年ぶりに出会い、お互いの過ぎ去った日々を思い、愛を確かめ合う場面の音楽。

第4曲“カリヨン(鐘)”
中間部にあらわれる胸をしめつけられるような美しい音楽は、第3曲と同じ場面から採られた音楽。
その音楽を、祭りの日の場面で使われた鐘の音を模した音楽で挟んでいます。

編曲者ギローの見事な仕事

ビゼーの死後4年ほどたった1879年に、彼の親友だったエルネスト・ギロー (1837-1892)が、『アルルの女』の第2組曲を作りました。

ギローは、生まれがアメリカのニューオリンズという、フランスの作曲家。
昔、フランスには「ローマ賞」という作曲のコンクールがあって、そこで大賞を受賞すると奨学金を得てローマで勉強をすることができました。

ギローはその「ローマ賞」を受賞した作曲家でもあるんですが、彼のお父さんも作曲家で「ローマ賞」を受賞しているそうです。
これは、親子そろって「ローマ賞」を受賞した唯一の例だそうです。

彼はオッフェンバックの未完の歌劇『ホフマン物語』の補筆完成もしていますし、パリ音楽院の教授を務め、教え子にはドビュッシーやデュカス、サティがいます。

ただ、現在ギローの名前が音楽史に刻まれているのは、間違いなくこの『アルルの女』第2組曲であって、ここではギローの豊かな見識とオーケストレーション技術が見事に結実しています。

ギローによる『第2組曲』

第1曲“パストラル”
パストラルというのは、田園や牧歌を指す言葉。
劇では、刈り取られた葦が積まれたヴァカレス湖のほとりを舞台とする第2幕の前奏曲。
広々とした音楽ではじまり、中間部にはプロヴァンス地方の乾いた響きの太鼓にのって、ひなびた古風な舞曲が演奏されます。

第2曲“間奏曲”
もともとは第2幕の間奏曲。
第2幕は劇でいうと中盤、アルルの女に失望した青年フレデリが幼馴染のヴィヴェットとの結婚に傾くまでの話。
中間部のサックスの旋律は、あとに独立して『神の子羊』という歌曲にもなっています。

第3曲“メヌエット”
実はこの“メヌエット”は、『アルルの女』にはありません。
ビゼーの歌劇『美しいパースの娘』から転用したものです。
この大胆なアイディアは、編曲者ギローによるもので、彼の審美眼の面目躍如たるところ。

第4曲“ファランドール”
これもギローの手腕が際立ったもの。
前奏曲でも聴かれたプロヴァンス民謡“3人の王の行列”と“ファランドール”を、クライマックスで対位的に組み合わせてしまうというのは、ビゼーのオリジナルにはない、編曲者ギローによるものです。
じつに見事で、壮麗なフィナーレに仕上がっています。

 

私のお気に入り

クラウディオ・アッバード指揮ロンドン交響楽団
レパートリーが、広いけれど独特だったクラウディオ・アッバード(1933-2014)。
イタリア出身で、オペラの王道を歩いたものの、プッチーニは指揮せずムソルグスキーを熱心に取り上げるなど、まったく自己のレパートリーを頑なに厳選していました。
何かのインタビューでそのことを問われると、「プッチーニが嫌いなわけではありません。ただ、私は革新的な作品が好きなんです」と答えていました。

きっとこの『アルルの女』のなかにも、そうした革新的なものを読み取っていたんでしょう。
また、イタリア人ということで、南仏のラテン的な感性への共感もあったのか、ロンドンのオーケストラなのに、とてもカラッとして、明るい、地中海の空気を感じさせる響きがあります。

第1組曲の「アダージェット」も神聖な美しさがあり、「カリヨン」の中間部も胸に迫るものがあります。
さらに、第2組曲の「ファランドール」でのアッチェレランド。
アッバードのいろいろな録音のなかでも特に忘れがたい1枚です。
( Apple Music↓・Amazon MusicSpotifyLine Music などで聴けます)

 

シャルル・ミュンシュ指揮ニュー・フィルハーモニア
第3曲アダージェットのところで驚かされます。
突然の静けさと、深く深く沈み込んでいく響き。

ここをマーラーのようにやる指揮者は時折見かけますが、そうではなく、あくまでビゼーの音楽としての温度が保たれていることに脱帽です。
こうしたところに、ミュンシュという指揮者が並みの音楽家ではない、大家のなかの大家だったことを思い知らされます。
どこまでも深い音楽。

これは1967年、最晩年を迎えていたフランスの巨匠シャルル・ミュンシュの芸術。
第1組曲のあとに、“ファランドール”が追加されていて、全5楽章の交響組曲のように演奏されています。
( Apple Music↓・Amazon MusicSpotifyLine Music などで聴けます)

 

ウィレム・ファン・オッテルロー指揮ハーグ・レジデンティ・オーケストラ
“オッテルロー”の名前に反応できる方は、そうとうクラシックに精通されている方です。
オランダを代表する名指揮者のひとりですが、今では知る人ぞ知る指揮者という感じになっています。

南仏を連想させる、地味ではないのにどこかひなびた、それでいて何かあたたかさと熱量も感じさせる音色は、一度聴くと忘れられない独特な輝きを放っています。
なぜかほとんどCD化されないのが不思議な名演奏です。
( Apple Music・Amazon MusicSpotify などで聴けます)

 

イーゴリ・マルケヴィッチ指揮ラムルー管弦楽団
1912年ロシア生まれの名指揮者マルケヴィッチは、この『アルルの女』でも非常に鋭い切り口で音楽に迫っています。
無駄のない鉄壁のアンサンブルと、それに相反するような豊かなニュアンスが共存しています。
ときに20世紀の音楽のように響く瞬間があって、驚かされます。
(YouTube↓・ Apple MusicAmazon MusicSpotifyLine Music などで聴けます)

第2組曲はこちら。

 

 

アラン・ロンバール指揮ストラスブール・フィルハーモニー
ロンバールはフランスの指揮者。
1940年生まれなので、2021年現在、御年81歳。
1990年代に日本のオーケストラに客演でいらしてましたが、いつか聴きたいと思っているうちに機会を逸してしまいました。
近年は名前を見かけないので残念です。
ここでは、フランスの地方色を感じさせる、良い意味でローカルな味わいがあって、あたたかな音色と抒情で素敵な演奏が刻まれています。
( Apple Music↓・Amazon MusicSpotifyLine Music などで聴けます)

 

ミシェル・プラッソン指揮トゥールーズ・キャピトル交響楽団
こちらは全曲版の演奏。
組曲版でこの曲が好きになったら、是非、全曲版も聴いてみてください。
ところどころ合唱も入って、響きの多様さも味わえます。
また、全体を聴くことで、この劇が「悲劇」であることをあらためて感じることもできます。
( Apple Music↓・Amazon MusicSpotifyLine Music などで聴けます)

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