コンサートレビュー♫私の音楽日記

なぜこんな凄い指揮者がアマチュア・オケで仕事を…?~マーラー祝祭オーケストラを聴いて

 

2022年9月11日(日)13:30@ミューザ川崎で、井上喜惟(いのうえ・ひさよし)さん指揮するマーラー祝祭オーケストラ第20回定期演奏会を聴いてきました。

メイン・プログラムは、マーラー:交響曲第2番ハ短調『復活』で、その前に1曲、メシアン:『忘れられた捧げもの』が演奏されました。

この演奏会に出かけたのは、指揮者の井上喜惟さんを聴いてみたかったからです。

指揮者 井上喜惟(いのうえ・ひさよし)さん

 

クラシック 悪魔の辞典

 

私が大学1年生のとき、オーケストラ部で私をかわいがってくれた2つ上の先輩が「面白いから読んでみ」と貸してくれたのが、鈴木淳史 著『クラシック 悪魔の辞典』という本でした。

 

かなりストレートに、毒舌満載で書かれた本で、内容的には賛否両論いろいろとあるでしょうが、私がこの本(辞典)で初めて知った名前が井上喜惟(いのうえ ひさよし)さんでした。

 

井上喜惟さんについて、この本では以下のような説明がついています。

ポリフォニー感覚に異常に優れ、なぜこんな優秀な人が日本ではアマ・オケばかり振っているの?と実力本位ではない業界を批判する時に、むやみに引き合いに出される指揮者。

鈴木淳史『クラシック 悪魔の辞典』洋泉社(Amazon商品ページにリンク)

 

さらには、井上喜惟さんが指揮するオーケストラは、“ 日本初のお互いの音を聴きながら演奏できるオーケストラ ”と説明がつづきます。

 

この毒舌にあふれた本で、ある意味、手放しで称賛されているこの指揮者を、いつか聴きに行こうと思っていて、あれから驚くほどの年月が過ぎてしまいました。

そうして今回、ようやくその実演に接することができましたので、その率直な感想をつづっていこうと思います。

 

アマチュア・オーケストラ

 

マーラー祝祭オーケストラ」という今回聴いたオーケストラは、アマチュア・オーケストラです。

ただ、アマチュア・オーケストラと一口に言っても、その実力はピンからキリまであって、実演を聴くまではまったくわかりません。

 

この公演では、まずメシアンの『忘れられた捧げもの』が演奏されました。

それが始まって、「なるほど、本当にアマチュア・オーケストラだ」とわかりました。

プロの方もまじっているようでしたが、全体的には、技術的にいろいろと難点がある、正真正銘の“ アマチュア・オーケストラ ”でした。

 

もちろん、マーラーを演奏できるくらいですから、アマチュアのなかでは優秀な部類に入るのですが、ただ、メシアン作品のような技術的に精緻を極めた楽曲は、聴いていてハラハラするというか、正直、しんどい気持ちで聴いていました。

どうしてこんな凄い指揮者が

 

マーラーが始まる

 

メシアンを聴きおわって、このコンサートを「コンサートに行こう!お薦め演奏会」のページで紹介したのはまずかったかなと、不安にすらなったのですが、次のマーラーが始まると、その不安はたちまち姿を消しました。

冒頭から、別のオーケストラのように確固たる響きがして、ようやく、安心して耳を傾けることができるようになりました。

難しすぎるメシアンは、結果的には、やらなくてもよかったのではと思います。

 

結論から言ってしまえば、あの本に書いてあったことは嘘ではありませんでした。

 

どうして、これほどの方が日本のプロ・オーケストラからは、ほとんど黙殺されている状態なのでしょうか。

驚くべき凄い指揮者が、業界の端のところで、アマチュア・オーケストラと活動をしていました。

 

抑制の美の世界

 

“ 凄い ”と書くと、ドラマティックで、情熱的で、髪を振り乱して一心不乱に指揮をふる姿を想像させてしまうかもしれませんが、井上喜惟さんの指揮は、“ 抑制 ”の美です。

 

マーラーが始まってからは、先ほどのメシアン作品で嫌というほどわかった技術面の課題を持ったアマチュア・オーケストラから、信じがたいようなアンサンブル、お互いの音が溶け合った、柔らかな音が引き出されていきます。

やわらかで、しかも、広がりのあるマーラー

 

かなり大きな編成なうえ、アマチュアゆえに音程などに難があるにもかかわらず、各楽器の動きがはっきりとわかります。

コントラバスが舞台むかって左奥、ファースト・ヴァイオリンとセカンド・ヴァイオリンが左右にわかれる両翼配置、つまり、正統的な古いオーケストラ配置が採用されていて、ヴァイオリンの掛け合い、さらには通常なら埋もれがちな木管も、舞台の右手奥に置かれたハープも、じつに効果的に響きます。

 

これはつまり、あの本に書かれていた通り、対位法の処理が尋常ではないということです。

それぞれの楽器がお互いの音をよく聴きあっていることの証左でもあり、その実現のために、それぞれの楽器群がよくよくコントロールされ、抑制と均衡のバランスの上でひびきあっているということ。

 

壮大さはないのに、こじんまりともしないのは、調和に満ちた音が“ ひろがり ”を持つからです。

その“ 抑制から生み出される調和 ”は、往年の巨匠セルジュ・チェリビダッケ(1912-1996)の壮年期の音を連想させます。

 

さらには、井上喜惟さんの指揮ぶりそのものは、見ていてふと、イスラエルの名匠ガリー・ベルティーニ(1927-2005)を思い出させるものでした。

 

あとになってプログラムを読んだところ、井上喜惟さんはこの2人の巨匠たちから直接教えを受けていることを知って、とても納得がいきました。

そのほか、ホルスト・シュタインやレナード・バーンスタインにも教えを受けていらっしゃるそうで、錚々たる顔ぶれに驚きます。

 

 

調和に満ちたマーラー像

 

マーラーは、実演で聴くほど、その奇怪なオーケストレーション、楽想の奇想天外な展開におどろかされる作曲家です。

ですが、この日、会場で体験したマーラーは、そうしたマーラー像とは方向性のまったく違う、調和と広がりに満ちたマーラーでした。

 

劇的な要素が排除されているわけではないのですが、常に響きの均衡がとられているため、どんなに大きな音が要求されている場面でも、音が丸みを帯びます。

“ 室内楽的 ”な、内へ内へ向かう音楽が展開されていたとも言えるかもしれませんが、それでいてスケールが小さく聴こえないのは、バランスのとられたハーモニーが自然に外へ外へと広がっていくからです。

 

これだけアンサンブルに執心し、抑制を効かせ、ここまで“ 音そのもの ”に注意が向けられているにもかかわらず、マーラーの書いた“ 音楽 ”がその進むべき方向を見失わないのは、これもまた、指揮者の井上喜惟さんが楽曲を隅々まで見渡せているからに他なりません。

マーラーの《復活》が、こういう方向性で実現されて、しかも、そこに矛盾がとくに感じられないことにも驚きました。

 

私が普段マーラーを聴いて感じる“ 聖と俗の対立 ”はほとんど聴こえてこず、メビウスの輪のように、聖と俗が不可思議な調和のなかに共存し、響きあっているのが感じられました。

 

 

声楽も美しかったフィナーレ

 

舞台奥、いわゆるP席のところに合唱団が並んだときには、思いのほか人数が少ないように感じました。

合唱は東京オラトリオ研究会という、こちらもアマチュアの合唱団でした。

 

ところが、フィナーレで合唱が入ってきた瞬間、その響きの美しさにおどろきました

合唱団のそもそもの力量も高いのでしょうし、さらにそこから、井上喜惟さんが最上の響きをひき出していたのでしょう。

 

何ら不足を感じないばかりか、感動的ですらありました。

特に合唱が静かに歌い出したときの美しさは、胸にせまるものがありました。

 

独唱の女声陣も声をはりあげることがなく、しっかりと抑制が効いていて、好感が持てました。

 

合唱の最上に整えられたハーモニーが広がり、その下では、抑制の効いた大管弦楽が鳴っていて、実に、精妙なまでのバランスが実現していました。

圧倒されるというより、会場全体にどんどん響きがひろがっていって、最終的には、それに包みこまれるようなフィナーレが出現しました

 

ちょっと残念だったのは、終わるやいなや拍手が起きてしまったこと。

きっと超絶的にうつくしい残響が響いていたはずなので、その残響が消えて、完全な静寂がおとずれるまで、じっと耳をすましていたかったです。

 

 

なぜこれほどの凄い指揮者が

 

これほどの音をアマチュア・オーケストラ&合唱団から引き出せる実力者が、どうして、今も一部のひとにしか知られていない存在なのでしょう。

私は音楽業界にツテがないので、内側の事情がまったくわかりません。

 

『クラシック 悪魔の辞典』には、彼がチェリビダッケのように長時間のリハーサルを要求するからだろうと書かれていますが、果たして、それだけのことで黙殺されてしまうものなのでしょうか。

 

これほどの音楽家が、必ずしも広く知られ、高く評価されているとは言えない状況なのは、健全とは言えないでしょう。

日本のプロオーケストラのいくつかは、この指揮者と組むことで、まちがいなく飛躍的な発展が遂げられるはずです。

 

そう、聴けば聴くほど、「この人が指揮するプロ・オーケストラの演奏を聴いてみたい」と思わずにいられなくなりました。

というのも、さきほど書いたような、信じがたい調和と美しさが出現するいっぽうで、アマチュアゆえに技術的な限界や不安定な音程が頻繁に顔を出すのも事実で、夢を見ているような瞬間のさきには、一気に現実に引き戻される個所があらわれたりと、仕方のないことですが、もどかしさも常につきまといました。

 

これが「熱演」型のアマチュアのコンビであれば、勢いで持っていかれてどうにかなる面があるのですが、このコンビは「抑制の美」であって、そういうわけにはいきません。

だから、技術的に難しすぎない曲であることが必須条件のようになってくるでしょう。

メシアンがうまくいっていないように聴こえたのは、単純に技術的な問題が理由だったと思います。

 

 

クラシック玄人の方にお薦めしたい

 

会場で聴いていて、この人のやっていることの凄さは「録音」では伝わらないだろうとも感じました。

演奏の性格上、比較的落ち着いたテンポが設定され、極端な緩急がつけられることもなく、スタンダードと言えばスタンダードな解釈で、しかも、抑制が効いているので、CDなどで聴いたら、平板な音楽に聴こえかねないでしょう。

 

ですので、このひとの指揮に接するなら、CDやYouTube動画などではなく、会場で、実演で聴くことをお薦めします。

それも、ある程度、クラシックを聴き込んだ方ほど、驚き、魅了され、感嘆する瞬間が多々あると思います。

 

プログラム冊子には、今後のコンサート予定が載っていましたので、ここにご紹介しておきます。

2023年2月26日(日)@ミューザ川崎
ラフマニノフ:交響詩《死の島》
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第4番
ハチャトゥリアン:交響曲第2番《鐘》

2023年12月24日(日)@ミューザ川崎
マーラー:《リュッケルトの5つの詩による歌曲集》
マーラー:交響曲第10番(D・クックによる全曲版)

アマチュア・オーケストラとは思えないような、渋い、玄人好みの曲ばかりが並んでいます。

 

「もう普通のコンサートには十分通ったよ」というようなクラシック通の方、是非、会場へ足を運んでみてください。

 

あまり良い言い方ではないと思いますが、この指揮者は「わかる人にはわかる」、凄い仕事をしていらっしゃいます

驚きの名指揮者は、どういうわけか業界の末端で、たしかに実在しています

 

 

情報をいろいろ

 

井上喜惟(いのうえ・ひさよし)さんの名前すらご存知ない方も、多くいらっしゃると思います。

井上喜惟さんの公式ホームページがあって、プロフィールなどはそちらに掲載されています。

プログラム冊子を読んだところ、コンサート当日の2022年9月11日は、井上喜惟さんの60歳の誕生日だったそうです。

おめでとうございます。

 

オーケストラのマーラー祝祭オーケストラの公式ホームページには、演奏会情報などが載っています。

マーラーの名前を冠していますが、ウィーン国際マーラー協会から正式な承認を得て結成されたそうで、最新の研究成果などが共有される団体として認められているそうです。

 

すばらしい合唱を披露した東京オラトリオ研究会の公式ホームページもありましたが、残念ながら、こちらはあまり更新されていない様子です。

合唱団のコンサートも聴いてみたいと思ったので、コンサート情報だけでも定期的に更新されているとありがたいです。

 

 

 

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