シリーズ《交響曲の名曲100》、その第18回。
このシリーズでは、「交響曲」という形式で書かれたクラシック音楽の数々から、名曲をピックアップ。
クラシック初心者・入門者でも親しみやすいように、曲にまつわるエピソードや聴きどころ、お薦めの音源もあわせてご紹介しています。
また、クラシック初心者にいきなりCDを買ってくださいというのは無理があると思うので、オンライン配信でアクセスしやすいものを中心に、後半で音源紹介していきます。
さて、ついに今回、交響曲の歴史のひとつの頂点であるベートーヴェンの時代が幕を開けます。
“交響曲の父”と称えられるハイドンが彼の最後の交響曲、交響曲第104番『ロンドン』を書いた1795年から5年後のこと、29歳のベートーヴェンがついに彼の第1番の交響曲を発表します。
目次(押すとジャンプします)
若きベートーヴェンの努力
ハイドンの第1期ロンドン・セットについて書いたときにご紹介したとおり、モーツァルトに涙で見送られたハイドンは、イギリスへの初めての楽旅のときに、ドイツのボンという街で、まだ若きベートーヴェンを発見しました。
ハイドンはすぐにその才能を認めて、ウィーンへ勉強に出て来るよう、若きベートーヴェンを励ましました。
そうして、音楽の都ウィーンへ出てきたベートーヴェン。
ですが、実際のところ、多忙なハイドンはそれほどベートーヴェンを熱心に教えることはなく、数年後にはイギリスへの2度目の楽旅へ行ってしまいます。
ベートーヴェンの学習がまだ初歩の段階だったこともありますが、おそらくそれ以上に、この二人の音楽性があまりに違っていたという、埋めようのない溝があったように思います。
「いずれにせよ、才能というものは、自ずと開花してしまうものです」と20世紀の大チェリストのカザルスが言っていましたが、ベートーヴェンもその通り、別の先生のもとでも勉強を開始し、さらにはモーツァルトやハイドンの楽譜を筆写したり、独自に勉強をつづけて、着実に成長を重ねます。
遅いスタート
ベートーヴェンは、ウィーンへ出てきた当時はもちろん無名の存在でした。
けれども、その圧倒的な即興演奏とピアノの腕前の凄さで、すぐに有名になります。
作曲も並行して行っていて、それほどの名声があれば、すでに交響曲を数曲書いていてもおかしくないほどでしたが、モーツァルトなどが若いころからどんどん交響曲を書いて発表していったのとちがって、ベートーヴェンはこの「交響曲」というジャンルにきわめて慎重でした。
それは、最終的に何曲の交響曲をそれぞれが書いたかを見てもわかることで、ハイドンが100曲以上、モーツァルトが番号があるものだけでも40曲以上の交響曲を残したのに対して、ベートーヴェンは9曲だけ。
ベートーヴェンが、ハイドンやモーツァルトよりも、この「交響曲」というジャンルをとっても特別なものとして扱っていたことがわかります。
「交響曲」以外のさまざまなジャンルで準備に準備をかさねたベートーヴェンは、ようやく1800年、もう30歳になろうかというころになって、満を持して「交響曲第1番」を発表します。
この少し前の時期には、あのピアノソナタ第8番『悲愴』もすでに生まれていて、ピアノ協奏曲第3番のような傑作も同時期に書かれています。
ヴァルトシュタイン伯爵の言葉
若きベートーヴェンの才能に早くから注目し、パトロンとして経済的に支えてくれていたのが、8歳年上のヴァルトシュタイン伯爵(1762-1823)でした。
実は、イギリス楽旅のハイドンにベートーヴェンを引き合わせてくれたのも、他ならぬ、ヴァルトシュタイン伯爵でした。
このヴァルトシュタイン伯爵が、故郷ボンを出発するベートーヴェンに贈った言葉が、記念帳にのこっています。
そこにあるのは、この伯爵がたいへんな見識の持ち主だったことが察せられるほどの、見事な言葉です。
不断の努力をもって、モーツァルトの精神を、ハイドンの手から受け取りたまえ。(ヴァルトシュタイン)
そうして、これから聴くベートーヴェンの交響曲第1番は、まさにその言葉の達成を裏づけるかのような、ハイドンとモーツァルトの古典的普遍性にベートーヴェンの個性が共存した、記念碑的な作品になっています。
このヴァルトシュタイン伯爵は、その後1804年に、ベートーヴェンからピアノソナタ第21番 ハ長調Op53を献呈されたことでも有名で、今ではこの傑作ピアノソナタは、『ヴァルトシュタイン』というニックネームで呼ばれています。
せっかくですので、このヴァルトシュタイン・ソナタをご紹介しておきます。
ハンガリー出身の名ピアニスト、アニー・フィッシャーのものを。
(Apple Music↓・Amazon Music・Spotify・Line Music などで聴けます。Disc 8 に入っています。)
このヴァルトシュタイン伯爵、残念なことに、その後しばらくして経済的に没落してしまい、不遇な晩年を送ることになります。
🔰初めてのベートーヴェン:第1交響曲
この曲の“革新性”を代表するのが、第1楽章冒頭の序奏部。
ハ長調という調性の交響曲なのですが、まったく通常とは違う和音で、わざと開始されています。
ただ、あまりに雑多な和音を普段から聴いている現代人の耳には、もはやその意外性が感じにくくなってしまっています。
私たちの耳は、あまりに多くの刺激を与えられすぎて、ベートーヴェン当時より鈍感になってしまっていると言えます。
ですので、初心者の人は第4楽章から聴いてみましょう。
まず、その冒頭、いきなり一撃のフォルテッシモで始まります。
こうした大胆な開始は、今、私たちがベートーヴェンと聞いてすぐに連想する、あの野趣に富んだ姿と一致するはずです。
音楽は、そこから音階をだんだんと上がって行って、それがやがて旋律としての形を帯びてくる光景が描かれます。
そうして生まれた主題は、ハイドンに近いスタイルの飛んだり跳ねたりする類のものですが、随所にあらわれるシンコペーションやスフォルツァンド(その音だけ強く)が、段々とベートーヴェンの刻印を押していきます。
フィナーレに親しんだあとは、ヒロイックな躍動が感じられる第3楽章、フーガで開始される第2楽章など、ベートーヴェンの意欲的な姿勢が垣間見れる他の楽章へ進みましょう。
第2楽章は、その旋律がモーツァルトの交響曲第40番の第2楽章の旋律と非常に似ていることも指摘されています。
モーツァルトに心酔していた時期のあるベートーヴェンなので、どうしても似てしまったのかもしれません。
私のお気に入り
《クリストファー・ホグウッド指揮エンシェント室内管弦楽団》
ホグウッド(1941-2014)はイギリス出身、古楽の分野のパイオニアのひとり。
研究者・鍵盤楽器奏者・指揮者として活躍しました。
演奏しているエンシェント室内管弦楽団は1973年に彼が創設したオーケストラです。
この人は、学者らしい真面目なアプローチが聴かれる指揮者ですが、そこに、いかにもイギリスの音楽家らしい、実直で、良い意味で自然な表情が出ているのが美点で、ここでもそうした音楽を楽しむことができます。
( Apple Music↓・Amazon Music・Spotify・Line Music などで聴けます)
《スタニスラフスキ・スクロヴァチェフスキ指揮ザールブリュッケン放送交響楽団》
スクロヴァチェフスキ(1923-2017)はポーランド生まれ、第2次大戦中の空襲で手を痛めたためにピアニストを断念して、作曲家・指揮者として活躍しました。
若いころから活躍していた人ですが、大器晩成というか、80歳前後からいっそうの称賛を世界中から浴びました。
ベートーヴェンについても、立派な交響曲全集を高齢になってから残しました。
この第1番もすっきりとしていて筋肉質な、颯爽たる演奏が刻まれています。
( Apple Music↓・Amazon Music・Spotify などで聴けます)
《ゲオルグ・ショルティ指揮シカゴ交響楽団》
ショルティ(1912-1997)はハンガリー出身、アメリカのシカゴ交響楽団に黄金時代をもたらした名指揮者。
ユダヤ系だったために、指揮者として活躍するまでに大変な苦労を重ねた人です。
ストレートな音楽づくりが特徴の指揮者で、このベートーヴェンも推進力のあるテンポが基調です。
そして、特にこの録音の良いところは、音の響きがとってもまろやかなところ。
革新性だけではない、ベートーヴェンの古典的な支柱が聴こえてきます。
( Apple Music↓・Amazon Music・Spotify・Line Music などで聴けます)
《アルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC交響楽団》
トスカニーニ(1867-1957)はイタリア出身、20世紀の前半を代表する大指揮者です。
1867年生まれということは、江戸幕府の大政奉還の年。
それから第二次大戦後まで活躍した、まさに歴史的な音楽家です。
1939年に彼が行った、伝説的なベートーヴェン交響曲全曲演奏会のライヴ録音が残っています。
すみずみまで生命力に溢れた、繊細にして剛毅なベートーヴェンが展開されています。
( Apple Music↓・Amazon Music・Spotify などで聴けます)
このコンビは他にもベートーヴェンの録音が残っていて、1951年のものも素晴らしいです。
( YouTube↓)