シリーズ《交響曲の名曲100》、その第19回。
このシリーズでは、「交響曲」という形式で書かれたクラシック音楽の数々から、名曲をピックアップ。
クラシック初心者・入門者でも親しみやすいように、曲にまつわるエピソードや聴きどころ、お薦めの音源もあわせてご紹介しています。
さて、ついに前回、ベートーヴェンの時代がその交響曲第1番で始まりました。
今回は、それからおよそ2年後に書き上げられた第2番の交響曲です。
目次(押すとジャンプします)
いちばん地味な存在
ベートーヴェン交響曲全曲のなかで、第2番がいちばん地味な存在といって間違いないでしょう。
ベートーヴェンの9曲の交響曲をざっと見渡してみると、奇数番号と偶数番号で、おもしろいほど性格がわかれていることに気づきます。
『英雄』というテーマの第3番、『運命』と呼ばれる第5番、大作曲家ワーグナーが“舞踏の神化”と讃えた第7番、そして『第九』こと第9番と、奇数番号の交響曲は力強さが前面に出た傑作が並びます。
いっぽうで、ここに紹介する第2番、シューマンが“ ギリシアの乙女 ”と讃えた第4番、『田園』と名づけられた第6番、古典的な簡潔さを持つ第8番といった偶数番号のものは、しなやかで、柔和な表情をもった傑作が並びます。
一般的に、奇数番号のもののほうが人気が高いので、演奏される頻度も高いです。
しかも、彼の交響曲は何といっても第3番『英雄』から先がたいへんな傑作の連続になるので、それ以前の2曲、しかも偶数番号である第2番は、いちばん地味な存在となっています。
認識を改めさせてくれたノリントンの演奏会
私がこの作品を見つめなおすきっかけを作ってくれたのが、2001年のロジャー・ノリントン指揮シュトゥットガルト放送交響楽団の日本公演。
あれは、ノリントンが67歳で初めて来日するということで話題になった公演でした。
ノリントンは1934年生まれのイギリスの指揮者。
作曲された当時の響きを重視する“ 古楽 ”のエキスパートである彼が、ドイツのモダン楽器の名門シュトゥットガルト放送交響楽団の指揮者となって、快進撃を繰り広げていたころです。
実際、その勢いは実演でも感じられて、あの日演奏されたモーツァルトの『魔笛』序曲といい、このベートーヴェンの交響曲第2番は、目から鱗が落ちるような発見と新鮮な音楽でいっぱいでした。
特に驚いたのが、ベートーヴェンの交響曲第2番の第1楽章のコーダ。
その圧倒的なクライマックスへの展開を見せつけられて、このやや目立たない位置づけの交響曲第2番が、目立たないどころか、第3番『英雄』以降のベートーヴェンへと、はっきりつながっている傑作だと気づかされました。
そう、ここには、何かが今にも飛び立とうと、大きくその翼を広げている貴重な瞬間が刻まれていたんです。
ハイリゲンシュタットの遺書
ベートーヴェン(1770-1827)は20代のおわりである1798年のころに、耳の異常に気づき始めたようです。
つまり、交響曲に関しては、第1番を書いているときからすでに耳がきこえづらかったというわけで、全9曲が耳の異常を感じて以降の作品ということになります。
音楽家にとって耳が聞こえなくなるというのは、画家にとって目が見えなくなるのと同じことです。
一時的なもので、そのうち良くなるだろうという気持ちが当初はあったものの、いろいろなお医者さんに診てもらっても症状は改善することなく、そうした追いつめられた気分のなか、静養のためにベートーヴェンはハイリゲンシュタットという保養地を訪れます。
この静かな保養地で書かれて、ベートーヴェンの死後、遺品のなかから見つかったのが「ハイリゲンシュタットの遺書」と呼ばれる、彼の弟たち、そして、私たちへ宛てた手紙です。
そう、この手紙は一般に「弟たち」へ書かれたものとして紹介されますし、実際、宛名にそう書かれているんですが、内容を読むと、ところどころ一般の人々へ書かれた箇所があって、死後、この手紙をしっかりと残しておいてほしいという思いも書かれています。
この手紙には、自分がもともとは社交的な性格だったこと、耳の病のために周囲との壁をつくったこと、絶望的な状況に自殺も考えたことなどがはっきりと書かれていて、ひとりの人間であるベートーヴェンの、心の吐露がはっきりと記されています。
この「ハイリゲンシュタットの遺書」は、ロマン・ロラン著の『ベートーヴェンの生涯』(岩波文庫)などのなかにも収められていますし、あるいは青空文庫でも公開されていて簡単に読むことができるので、ベートーヴェンを知る上で必ず読んでみてほしい手紙です。
これほどの天才、これほどの強靭な意思をもった人でさえ、周囲の人に耳が不自由なことを気づかれるのがこわくて、人の輪の中に入っていけないと打ち明けている姿には、むしろ感動せずにはいられません。
手紙の後半では、その絶望的な状況を受け入れる決意が書かれていて、いっぽうで、その決意の過程、その裏側にあった一人の人間の苦しみを理解してほしいという、ベートーヴェンの繊細な心が読み取れます。
エピソード:恋がもたらす明るさ
このベートーヴェンの交響曲第2番が書かれた時期は、ちょうど「ハイリゲンシュタットの遺書」の時期を含むんですが、実際に響いてくる音楽には、意外なほどの明るさがあります。
その明るい響きをもたらしたのが、ジュリエッタ・グイチャルディという少女の存在だったと推測されています。
このジュリエッタとの恋愛が、絶望的な境遇から這い上がろうとしているベートーヴェンをいっそう勇気づけて、第2交響曲に明るい光を投げかけたようです。
こうして、人生における個人的な出来事が、音楽へもはっきりと反映されているのが、それまでの作曲家たちとベートーヴェンが大きく違っているところです。
ジュリエッタは、このころ、ベートーヴェンからピアノ・ソナタ第14番 嬰ハ短調を献呈されていることでも有名で、このソナタは現在、『月光』というニックネームで知られるものです。
ふたりの関係がどれほどのものだったのかは諸説あるんですが、結果的には、この第2交響曲が初演される1803年の末にジュリエッタは貴族と結婚してしまい、ベートーヴェンの恋愛は成就せずに終わってしまいました。
せっかくですので、この『月光』もご紹介しておきます。
カナダの天才ピアニスト、グレン・グールドが演奏した、まったく独自の『月光』。
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ベートーヴェン前の音楽、ベートーヴェン後の音楽
ベートーヴェンは音楽史において、大きな分岐点となった作曲家です。
ベートーヴェンの前と、ベートーヴェンの後とでは、クラシック音楽そのもののあり方がおおきく変わってしまいました。
それはどういう意味かというと、私たちがベートーヴェンを聴くとき、「ひとりの人間でもあったベートーヴェンの人生」を感じずには、その音楽を聴けなくなったということです。
たとえば、モーツァルトの『アイネクライネナハトムジーク』を聴くときに、そのときモーツァルトが人生のどんな場面にいたのかを気にする人はあまりいないでしょう。
けれど、ベートーヴェンの『運命』を聴いたら、この人はいったいどんな人生なんだろうと、作曲家個人の存在を気にせずにはいられない人が多いはずです。
ベートーヴェン以降、音楽は作曲家の「私小説」的存在に近づいていきます。
その人の哲学や思想がはっきりと音楽に織り込まれるのが、ごく当然のことへと変化したということです。
その地殻変動を起こしたのが、ベートーヴェンというひとりの天才でした。
🔰初めてのベートーヴェン:2番
ジュリエッタとの恋愛がもたらしたであろう明るさをいちばんに感じられるのは、第2楽章ラルゲット。
これを是非、交響曲第1番の第2楽章と比較してみてほしいんですが、とってもロマンティックな方向に変化しています。
これは、この交響曲と同じ日に初演された彼のピアノ協奏曲第3番の第2楽章も同じで、ベートーヴェンが彼以前の作曲家たちよりも、著しくロマン的傾向を持った作曲家だったことがはっきりとわかるところです。
第4楽章フィナーレも充実しています。
ゆっくりな音楽が苦手な人は、このフィナーレから聴き込んでください。
そして、是非、そのあとに第1楽章も聴いてみてください。
とっても綿密な音楽になっていて、実に見事な頂点がコーダで築かれます。
私のお気に入り
《ロジャー・ノリントン指揮シュトゥットガルト放送交響楽団》
私が実演で聴いて感銘を受けたのが、このロジャー・ノリントン指揮シュトゥットガルト放送交響楽団というコンビの演奏です。
ノリントンは実に颯爽と、リラックスして指揮していて、様々なニュアンスをつけて音楽を彩っていますが、実際はとても構築的で、それだだからこそ、第1楽章のようなかっちりとした音楽をしっかりと展開できるわけです。
昨年2021年に引退されましたが、とっても素敵な音楽家でした。
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《フランス・ブリュッヘン指揮オランダ放送室内フィルハーモニー》
その音楽が作曲された当時の楽器や演奏法を重視する“ 古楽 ”の分野のパイオニア、フランス・ブリュッヘンが晩年に指揮したライヴ映像。
もうこの頃になると、ブリュッヘンは座って指揮をしていて、音楽も広がりのある、透明度の高いものになっています。
《ジョン・エリオット・ガーディナー指揮オルケストル・レヴォリューショネル・エ・ロマンティーク》
ガーディナー(1943ー)は古楽の分野のパイオニアのひとりで、イギリス生まれの指揮者。
オルケストル・レヴォリューショネル・エ・ロマンティークは、彼が1989年に立ち上げたオーケストラで「革命とロマンのオーケストラ」という意味。
このコンビがレコーディングしたベートーヴェンの交響曲全集は、まさにオーケストラの名前の通りとても革新的なもので、一時期、大変話題になりました。
この人は、なかなか来日しない音楽家のひとり。
1990年代に数回来日してから、まったく日本に来ていないはずです。
そのときに何か嫌なことでもあったんでしょうか。
豊富な知性とたいへんな才気を感じさせる音楽家なので、せめて一度でいいから生演奏を体験してみたい人です。
このベートーヴェンの第2番も実に見事で、フィナーレは特に新鮮な空気に満たされていて、ベートーヴェンの飛翔が目に見えるよう。
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《ルネ・レイボヴィッツ指揮ロイヤル・フィル》
レイボヴィッツ(1913-1972)は、ポーランド生まれの指揮者・作曲家・理論家。
かなりクラシックの森に深く入っていかないと出会わない人物ですが、シェーンベルクやウェーベルンといった新ウィーン楽派という、20世紀の音楽の普及に大きな足跡を残した人です。
一方で、ポピュラーな曲目のレコーディングが意外と残されていて、その多くが冴えた美しさを持つ、素敵なものです。
ベートーヴェンの交響曲全集も残されていて、この第2番の録音も明晰な、立派な音楽です。
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《クルト・マズア指揮フランス国立管弦楽団》
マズア(1927-2015)はドイツ生まれの指揮者。
一時期は大統領候補として名前があがるほど、ドイツで別格な信頼を集めていました。
生粋のドイツ人指揮者として紹介されることが多いですが、実際に彼の生演奏を聴いて感心したのは、何より音の「立体感」でした。
オーケストラを「立体的に鳴らす」いう手腕では、このクルト・マズアと小澤征爾さんが抜きん出ています。
残念ながら、そうした個性はあまり録音では伝わらないものなので、このふたりは生演奏のほうが特徴がわかる指揮者です。
このフランス国立管弦楽団とのベートーヴェンも、その響きのやわらかさと透明度に特徴があります。
若き日のベートーヴェンの光を感じられる、いい録音です。
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