お薦めの音楽家たち~ノット、スダーン&東京交響楽団

ジョナサン・ノット&東響のマーラー交響曲第9番を聴く

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「そうだった、ノットという指揮者はこういうマーラーをするひとだった」。

 

ノットは最後まで、いかにもノットらしい音楽を私たちにぶつけてきました。

2025年11月23日(日・祝)14:00@ミューザ川崎でおこなわれた「名曲全集 第212回」を聴いて感じたことをつづります。

ジョナサン・ノット(指揮)東京交響楽団
マーラー:交響曲第9番ニ長調

 

東京交響楽団に黄金時代をもたらした、音楽監督ジョナサン・ノット。

その実りある12シーズンの終着点となる公演のひとつは、武満徹の「セレモニアル」(笙:宮田まゆみ)とマーラーの交響曲第9番ニ長調、というプログラム。

 

会場に足を踏み入れると、普段はないような緊張感がそこはかとなく漂っていて、独特な雰囲気がホールにありました。

 

グスタフ・マーラー(Gustav Mahler, 1860-1911)が彼自身の“ 死 ”を強く意識して書いたといわれる「交響曲第9番」。

この作品は、こうした、音楽監督の退任公演のような機会にもよく組まれる演目です。

“ 別れ ”というものは、時に、どこかセンチメンタルな甘さも持つのであって、冒頭に書いた通り、私は何となく、この公演にそういうマーラーを聴くつもりで出かけてしまったのですが、実際には、こちらの予期していたマーラーとはまったく違う音楽、いかにもノットらしいマーラーが響いてきました。

 

そのマーラーに先立って演奏されたのが、武満徹の「セレモニアル」。

こうした現代音楽は、このコンビの真骨頂であって、その精妙な響きに耳を研ぎ澄まされます。

何度か実演で接している作品ですが、今回ノット&東響の演奏は際立って美しい瞬間の多いものでした。

このわずが10分ほどの曲だけでも、ノットがいかに多くのものを楽団にもたらしたか、あらためて感じさせられました。

 

その先鋭的な美しさのあと、舞台転換をはさんでマーラーが始まります。

第1楽章が始まると、どこか懐かしさを覚えるというか、特に、主題を第2ヴァイオリンが奏しはじめたとき、自然と感情がこみあげてきて、目頭が熱くなりました。

けれども、そうした詩情、抒情的な、ある種の甘美な調べが聴こえてきたのは、このときと第3楽章の一部分くらい。

 

ノットはあっという間に、凄い緊張感とエネルギーでもって、音楽を突き詰めていきます。

一切の“ 感傷 ”が入るのを拒絶しているようで、音楽を前進させ、凝縮させていきます。

まさに辛口、淡麗。

 

この公演のあとになって、ノットがYouTubeでマーラーの9番について語っている動画を見たのですが(後日、さらに「全編」という動画がアップされましたのでそれをリンクしておきます)、彼はこの作品はスコアの最後の1ページを除いて、すべてが死との闘いの音楽である、と語っています。

 

なるほど、確かにこの日のノットのマーラー9番はその言葉どおり、「戦いの音楽」になっていました。

そのアグレッシブな音楽運びは、非常に明瞭で、曖昧さのない、直線的なダイナミズムをたたえていて、彼が言うところの「死の絶対的な壁」を確かに感じさせるものでした。

 

第2楽章もまた、非常にくっきりとしたアーティキュレーションで始まりました。

しかも、主題をおっとりとしたテンポで、表情豊かに演奏させて、これには驚かされました。

この歌いまわしは、間違いなくブルーノ・ワルター(Bruno Walter, 1876 – 1962)から来たもので、おそらく、ノットはそれを通して「レントラー」としての性格を際立たせたかったのではないでしょうか。

 

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ただ、それ以外はすべてノット風。

通常なら“ 死 ”の影を感じるようなところでさえ、むしろ輝かしいほどの、鮮やかなまでの生命力を感じさせられました。

その鮮烈な表情は、以前のバンベルク交響楽団との録音より、いっそう徹底されていたように感じます。

 

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第3楽章ともなると、音楽はいよいよ疾走します。

ものすごいエネルギー、猛烈なスピード。

その勢いのなかでもって、中間部以降、さまざまな要素がつぎつぎに開示されていくときの、その運びのうまさ、楽想の転換の鮮やかさは、これはもうさすがの手腕であって、聴きどころのひとつになっていました。

 

トランペットによってフィナーレの主題が顔を出す瞬間の寂寥感があまり感じられなかったのは、私には物足りなかったところですが、けれども、終楽章へ向けて音楽が下降線を描く、その「落差」は、特に印象に残った瞬間のひとつでした。

 

第3楽章をこれだけのエネルギーで押し切るというのは、おそらく、力点の頂点をそこに置いて、フィナーレとの落差を明瞭にするためだと思ったのですが、いざ終楽章がはじまってみると、オーケストラは意外なほどにくっきりと、明瞭に鳴らされて、驚きました。

それと同時に驚いたのが、やはりテンポ。

音楽がロマンティックに傾かないよう、常に気持ち速めのテンポでもって、どこか常に畳みかけるかのような趣きをもって、音楽が前へ前へと前進していきます。

 

そう、ノットからすれば、スコアの最後の1ページまでは「まだ」死との闘いなのであって、フィナーレにおいても、音楽は死に立ち向かっていかねばならないわけです。

 

でも、さすがにこのテンポでは、私の感情は追いつきません。

バーンスタイン(Leonard Bernstein、1918-1990)が懐かしいというか、聴き手も感情移入して、マーラーの音楽とともに嘆いたり、泣き崩れたり、愛を吐露したりするかのような、そういう“ 感情 ”の入る要素は最小限にするかのようなノットのテンポ。

つまり、ノットにとって、この交響曲はそういう“ 感情 ”のなかにあるものではなく、きっと、もっと極限状態の、突き詰めた精神状態の音楽である、ということだったのでしょう。

 

このノットのマーラー、音楽がロマンティックになることをひたすらに避けているかのような前倒しのテンポを聴いていると、バーンスタインはもちろん、カラヤン(Herbert von Karajan, 1908-1989)やテンシュテット(Klaus Tennstedt, 1926-1998)などの歴代の名指揮者たちが、いかにロマンティックなところで、この作品を捉えていたのかが痛切にわかります。

 

初演者ワルター(Bruno Walter, 1876 – 1962)の録音はもちろん、過去の多くの指揮者たちから教えられた、この音楽の抒情性、死が迫りくるがゆえの、その反動としての生への渇望、大地への“ 愛 ”の発露といったものは、この演奏ではずっと薄まっていたように思います。

わたし自身はカラヤンの録音から教えられた、さまざまな音楽的要素の複雑な交錯がもたらす極限の美しさ、狂気すら感じさせられる突き抜けた知性の高みを思うとき、今回のノットのアプローチは、やはり、あまりに一面的だったように思われました。

凄い演奏ではあるのだけれど、何か大切なものがこぼれ落ちてしまっていたように感じられました。

 

でも、あらためて振り返ってみれば、ノットという指揮者のマーラーは、いつもこういうものでした。

アグレッシブ過ぎるくらいにアグレッシブな音楽。

 

以前に聴いた、東響との第5番、第6番「悲劇的」、第7番「夜の歌」、そして、スイス・ロマンドとの第6番「悲劇的」、どれもこれもがそうでした。

東京交響楽団との第5番のアダージェットを聴いてみてください。

 

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決して冷たくはないけれども、でも、情感豊かに歌い上げることは意識的に避けられています。

R・シュトラウスの「ばらの騎士」のフィナーレで、あれほどロマンティックで、零れ落ちるような美しさで私を泣かせる彼が、マーラーのアダージェットでは意図的に速めのテンポで、音楽の前進性を優先させます。

 

思えば、ノットのマーラーを聴くたびに、こうして満たされない何かがあって、それを毎回綴ってきたように感じるのですが、裏を返せば、それでもノットがマーラーを振るとなると、聴きに行かずにはいられない何かがあるのも事実。

 

まず、その終始一貫した、非常にテンションの高い集中力。

彼は作品の構造を非常に明晰にとらえていて、それにより、音楽が高い密度を保ってこちらに提示されます。

しかも、たいへんなエネルギーと熱量をもって。

 

さらに、複雑なオーケストラを明瞭にさばく、耳と棒の鋭敏さ。

希代のオーケストラ処理能力によって、緊張感の高い音楽が、高い解像度でもって響きます。

 

そういった点で、ノットは近代的なマーラー指揮者の列にあるわけですが、といって、ブーレーズほど主知的ではなく、先ごろ引退したマイケル・ティルソン・トーマスほど割り切ってもいない、その音楽の焦燥感、苛烈なまでの勢いからすれば、むしろクラウス・テンシュテット(Klaus Tennstedt, 1926-1998)に近いところ、もしくはその延長上に、マーラーを捉えているのかもしれません。

 

私がノットのマーラーに求めたいのは、現在の猛烈な集中度に、あの「ばらの騎士」で最大限に表出されていた抒情性が、高度な次元で融合すること。

もちろん、R・シュトラウス(Richard Georg Strauss、1864 – 1949)とマーラー(Gustav Mahler, 1860-1911)が同世代とはいえ、その音楽がまったくちがっているのはわかっています。

でも、ノットが聴かせてくれるほどの「差」がほんとうにあるのか。

 

マーラーは、40代の終わりという若さで、「死」を強く意識しなければならない状況に追い詰められて、確かにノットの言う通り「死の壁」を意識したことでしょう。

けれども、彼はそれを前にして、無力感に苛まれるどころか、これほどの音楽を書きあげた。

それも、伝統的な4楽章の形式を採用しながら、緩徐楽章を両端にもつ、新しい音楽を書いた。

そこには死への恐怖、焦燥感、無力感があるように、これはシェーンベルクも述べている通り、同時に、生と大地への執着、強烈な愛の発露もあるように私には感じられます。

この交響曲を聴くときには、やはりそうしたものが聴きたかった、というのが、今回のノットの演奏を聴いての、正直な感想です。

 

演奏が終わって楽団員たちが涙して、なんていう光景を、コンサート前は想像していたのですが、とんでもない。

楽団員たちは最後の最後まで、ノットのマーラーに必死に食らいついて、涙ではなく、ひたすらに汗を流したことでしょう。

 

とはいえ、演奏が終わって「そうだった、これがいつものノットのマーラーだった」と思い返したとき、何かふっと楽しい思い出を思いかえしたときのように、少し可笑しくなってしまいました。

物足りなかったけれども、それでも、心からの感謝を拍手にのせて届けました。

 

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