2022年3月19日に、イタリアの巨匠リッカルド・ムーティが指揮する東京春祭オーケストラ演奏会をすみだトリフォニーホールで聴いてきました。
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独特なプログラミング
演奏されたプログラムは以下の3曲。
モーツァルト:交響曲第39番変ホ長調 K.543
シューベルト:交響曲第7番ロ短調《未完成》 D759
シューベルト:イタリア風序曲 ハ長調 D591
アンコールはありませんでした。
同じプログラムが私が聴いた日の前日3月18日にも、上野の東京文化会館で演奏されました。
モーツァルトとシューベルトが並んだ、一見よくありそうなプログラムですが、おしまいにシューベルト作品のなかでは比較的演奏されない『イタリア風序曲』を置いていること、そして、その前にはコンサート・プログラムの前半に置かれることの多いモーツァルトの39番とシューベルトの《未完成》を並べていることなど、独特な選曲でした。
プログラムを見渡したところでは、シューベルトの《未完成》、それもきっと第2楽章がプログラム全体の頂点になっているように思いますが、私が聴いた夜は、その第2楽章が微妙な印象になってしまったために、コンサート全体の印象もややぼやけてしまいました。
あの第2楽章は、きっとムーティにとっても、あまりうまくいかなかったという印象があるのではないかと思っています。
でも、それ以外のところでは、実に巨匠リッカルド・ムーティの至芸をいろいろと味わうことができて、また、学ぶことも多かった一夜でした。
モーツァルトの39番
この曲を紹介した記事にも書きましたが、モーツァルトの後期3大交響曲のなかで、いちばん演奏がむずかしいのはこの曲だと思っています。
モーツァルト最晩年の、空に浮かぶ雲のような透明な音楽は、まさにその通り、つかみどころのない音楽という一面を持っています。
若いころは獅子のような気迫だったムーティの音楽は、現在、やわらかな質感を尊重するものへとすっかり変わりました。
そして、これは以前からの彼の特徴でもありますが、歌うこと、イタリア人の指揮者ならではのカンタービレの徹底がこの日も聴かれました。
そうした現在のムーティの特徴をとてもよく象徴していたのが第1楽章の序奏部で、冒頭の和音の響き、そして、さまざまなところで現れる下降音階や上昇音階が、決して器楽的にならないように、終始オーケストラには“ 歌うこと ”が求められていました。
そして実際、それはときにハッとするほどの効果をあげていました。
シューベルトを予告するモーツァルト
現在もっぱら主流となっている古楽奏法(作曲された当時の楽器の奏法を重視したスタイル)をムーティは採用しません。
以前どこかで、彼はこうした古楽奏法に対して懐疑的な意見を表明していたはずです。
もし古楽奏法が正しいというのなら、そもそもホールの材質も当時の木材に張り替えなければ意味がないはずだと言っていた記憶があります。
ですので、ムーティは現代楽器をいつも通りに響かせていきます。
それは、古楽に聴きなれた耳で聴くと、抑制があるとはいえ、充分にロマンティックにすら聴こえます。
そして、そうした音を聴いていると、このモーツァルトの39番のなかに、シューベルトの響きが感じられる瞬間があって、とても驚きました。
共通したモチーフに思える箇所まであり、どうしてこの2曲を並べたのか、学ぶところの多い演奏でした。
ムーティの演奏で聴いていると、モーツァルト(1756-1791)とシューベルト(1797-1828)は、かなり近い距離にいる音楽家のように思えてきます。
《未完成》の異常さ
そんな思いで、いざシューベルトの交響曲第7番ロ短調《未完成》が始まると、まずその冒頭に驚かされました。
チェロとコントラバスという、低音弦楽器だけがおもむろに提示する厭世的な主題。
もう十分に聴きなれたこの主題が、ここまでぞっとするほどの実在感で聴こえて来たのは初めてでした。
モーツァルトと近いなんて、とんでもない。
晩年のシューベルトの音楽は、モーツァルトからずいぶん遠くへ行ってしまったのだと教えられます。
まったく異常な音楽、エデンの園からの追放。
この曲が2楽章しかない未完成という事情を別にしても、40年以上演奏されなかったのは頷ける話です。
この曲がようやく初演されたときには、すでにワーグナーが《トリスタンとイゾルデ》を書き終えていた時代です。
人類の理解が追い付くまでに、それほどの時間が必要だったということです。
秀逸だった第1楽章
カンタービレの巨匠であるムーティは、各主題を丁寧に歌わせていきます。
そして、やはりこの曲でもいくぶんゆったりとしたテンポが設定されていて、音のひとつひとつをあるべき場所にしっかりと置いていくような歩みが採られます。
冒頭の主題の扱いといい、この音楽のデモーニッシュな側面をムーティがとても強く意識していたのは疑いようのないところで、それは展開部で見事な頂点をみせました。
低弦の唸り声、地鳴りのような怒涛は、圧倒的な表現力をもって迫ってきました。
そうした提示部、展開部、再現部といった“形式”の美しさがよくわかるのも近年のムーティの特徴で、これは交響曲の演奏において大変重要なことです。
この第1楽章が聴けただけでも、このコンサートに来た甲斐があったというほどの素晴らしい演奏でした。
調和と抑制
一歩一歩、歩みを固めるような曲運び、丁寧なフレージング、さらには、柔らかな音の質感といったものを実現するため、若いころの猛々しいムーティとは明らかに違っているのが、オーケストラに非常な「抑制」を効かせていることです。
若いころはオーケストラを見事にドライヴしつつ、随所で開放的に鳴らす印象があったムーティですが、現在では、その開放の時間がきわめて限られていて、オーケストラが奔放に鳴りすぎることを避けているようです。
そうした抑制によって、ムーティは以前よりも極めて「調和」を重視した音楽を手にしています。
各楽器が響きあい、随所で弦楽器が木管楽器に美しく寄り添う響きは秀逸で、そのことによって、実際とても美しい響きが紡がれます。
オーケストラを情熱的に駆り立てていたころと随分変わったと書きましたが、それでいて、ふと、ムーティが以前にもそういう演奏をしていた録音があったのを思い出しました。
それは彼がめずらしくベルリン・フィルハーモニーを指揮したもので、ブルックナーの交響曲第4番《ロマンティック》の演奏です。
( Apple Music ・ Amazon Music↑ ・ Spotify ・ Line Music などで配信もされています)
巨大な造形で、金管楽器も大きく活躍するブルックナーの傑作。
そして、オーケストラは帝王カラヤンの壮麗な響きを誇っていた時代のベルリン・フィル。
それなのに、まだ若かったムーティは、この曲をびっくりするくらい柔和な響きで演奏させています。
これほど柔らかい音で描かれたブルックナーというのも、珍しいでしょう。
つまりは、こうした音への傾向は、もともと彼の特質のひとつとして以前から持ってはいたということです。
それが、年を経て、前面に押し出されてきたということなんでしょう。
抑制、そして、息苦しさ
ただ、この調和を達成するために一定の「抑制」が常にかけられていることで、反面、演奏にある種の息苦しさが感じられるのも事実です。
それは、壮年期の巨匠チェリビダッケ(1912-1996)の演奏を連想させます。
毒舌でも有名だったチェリビダッケが、めずらしくムーティについては「あれは才能がある」と言っていたは、ムーティのこうした方向性、自分に似た資質を見抜いていたからなんでしょうか。
去年2021年の11月にウィーン・フィルと来日したときにも強く感じられた通り、現在のムーティは以前の彼よりオーケストラの響きが素朴で、やさしく、柔和になり、その瞬間その瞬間に音の語るところの多さは比較にならないくらい雄弁になりました。
ただ、その一方で、それらの調和を生み出すためにオーケストラに求められる「抑制と均衡」が、聴いている側にも一定の緊張と息苦しさを感じさせることがあるのも事実です。
これは、「調和と抑制」につきまとう、避けようのない演奏上の矛盾であり、難しさです。
そこを大きく救っているムーティの特質が、やはり「歌う」ということ。
つまりは、音楽が息を吸い、息を吐き、フレーズがしっかりと呼吸をすることによって、文字通り、息苦しさを回避するということです。
ただ、チェリビダッケもそうだったように、こうした領域の芸術は、実に繊細なバランスの上で成り立つもので、その矛盾が止揚する瞬間を生み出すというのは、ほんとうに稀有なことであり、いつもうまくいくとはかぎらない、大家の仕事ということになります。
残念だった第2楽章
「抑制」というのは、聴いている側にも、弾いている側にも、過度の集中が求められるものです。
前半のモーツァルトから続いていたそうした緊張が、あの日、残念なことに《未完成》の第2楽章では途切れてしまいました。
仕方ない気もしました。
前半のモーツァルトで、あれほど調和と緊張に満ちた音楽を歌わせて、フィナーレですら飛んだり跳ねたりせずに、じっくりと音楽をすすめていました。
そこへ来て、後半のシューベルトの第1楽章でも同様に集中度の高い音楽を続けていたわけです。
つまりは、どちらの曲にもたいして「開放」的な瞬間がほとんどなかったわけです。
緊張には、どうしたって弛緩が必要です。
弛緩というと幾分わるい意味になるので「開放」と呼びますが、あれほどの緊張感を持続するには、どうしたって「開放」も必要です。
まるでロッシーニ
その「開放」は、実はプログラム最後に置かれた《イタリア風序曲 ハ長調》に用意はされていたわけですが、あの夜はそこまでたどり着く前に、緊張が途切れてしまったようです。
コンサートというのは生身の人間の生み出す行為であり、こればかりは仕方ありません。
コンサート最後に置かれた《イタリア風序曲》は、あまり演奏機会にめぐまれない曲です。
これは作曲当時大人気であり、シューベルト自身も夢中になった「ロッシーニの音楽」を目指したもので、イタリア風というのは、言葉を変えれば「ロッシーニ風」ということです。
イタリア・オペラの巨匠ムーティにとっては、ロッシーニはお得意の音楽。
このあまり演奏されない音楽から、多彩な表情をひきだして、さすが飽きさせません。
ほんとうにロッシーニが書いたんじゃないかと思わせる瞬間が連続する、楽興の時を味わうことができました。
もしかしたら実際より素晴らしく演奏されたんじゃないかと思うほどで、もしシューベルトが客席で聴いていたら、さぞ喜んだだろうなと思うほど見事な演奏でした。
もしあの夜、《未完成》のおしまいまで緊張が持続して、その上で《イタリア風序曲》での開放の音楽が訪れていたら、それこそまさにムーティの目指したプログラムの妙が実現していたでしょう。
「必ず日本へ行くから心配しないで」
コロナ禍やウクライナ情勢でさまざまな問題が起こるなかで、ムーティの来日が実現できるかどうか不安がる日本の音楽祭事務局へ「日本には絶対に行く。心配するな」とまで言ってくれたエピソードが音楽祭のホームページに載っています。
これほどの音楽家が、日本を大切な活動の場のひとつとしてくれていることに感謝するほかありません。
音楽祭の初日公演では、スピーチがあったそうです。
なにか大きな災害や困難に見舞われたとき、「音楽には何もできない」と口にする音楽家がたくさんいらっしゃいますが、私はそうした人たちよりも、ムーティのように「音楽の力」を信じて、積極的に活動を展開する音楽家が好きですし、信頼しています。
音楽祭のホームページにスピーチの全文が紹介されていますので、是非ご覧になってください。
80歳を超えたマエストロの力強いメッセージが心に響きます。